中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan
お盆真っ盛りの京都で映画を観てきました。

邦題はなんだかもったりしていますが、面白い映画でした。

1941年から45年にかけて、ドイツの本国からユダヤ人は東へ「移送」され、まったくいなくなったと宣言されました。ところが、実は移送をすり抜けて潜伏していたユダヤ人が7000人ほどいました。そのうち戦後まで生き残ったのは1500人ほどだったそうです。

そのなかから4人をクローズアップし、本人へのインタビューや当時の記録映像も交えて作られた半ドキュメンタリー映画です。

4人の登場人物はみな生き延びていることがわかっているので安心して観ていていいはずなのですが、それでも非常にスリリングです。

4人は当時16~20歳の若者でした。家族も潜伏して生きのびた人もいますが、孤児となって一人で途方にくれる人もいます。

4人は直接交わることはないのですが、ゲシュタポ(秘密警察)の手先となっていたユダヤ人女性や、抵抗運動家の男性が、4人のうちの2人と接点をもちます。大都市とはいえ、ベルリンというひとつの街で生きていれば、どこでどうつながるか、知り合いに見とがめられるかわからないのです。いないはずの人間が2年も3年も生きていくのは至難の業です。

びくびくしていても怪しまれる、目立ってもいけない。原題 DIE UNSICHTBAREN(見えない者)のとおり、完全に外に出ずに息をひそめているか、逆に街に溶け込んでいなくてはいけないのです。

彼らを救ったのはドイツ人です。反ナチの市民や、共産主義者、あるいはごくごく普通の市民もいました。なんとドイツの大佐(!)の邸宅でメイドとして雇われたという人も。ユダヤ人を匿っていることが発覚すれば、ドイツ人であろうと逮捕され、極刑になる恐れがあったにもかかわらずです。

恐怖、空腹、孤独にさいなまれながら、知人友人、あるいは見ず知らずの人々の助けで、彼らはなんとか終戦を迎えました。

4人のみなさんは長生きされ、インタビューにも明晰に穏やかに、微笑みさえたたえて答えています。そのお顔つきや表情が魅力的です。

生きることを諦めてはいけない、他者が生きることを諦めさせてはいけないと感じたのでした。


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by chekosan | 2018-08-16 18:37 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ホロコーストの加害者と犠牲者の孫を主人公に据えた映画「ブルーム・オブ・イエスタデイ」を観てきました。

ようやく京都で上映されたので、これは逃すまいと意気込んで行ったのですが、若干予想と違いました。

ホロコースト第2、第3世代の抱える心の闇に焦点を当てるというテーマはオリジナリティがあるでしょうし、それをあえてコメディ的に描くのも斬新なのかもしれません。

祖先がホロコーストと関わりがあるからといって、現代の子や孫の世代が冗談ひとつ言わない生活を送るということはないでしょうし、その冗談が時には差別的だったり、下ネタ混じりだったりするのもリアルなのでしょう。

そういう新しい視点でつくった映画だというのはわかるのですが、、う~ん、、、

笑えるシーンも多いけど、痛かったり汚かったり生々しかったりが多すぎるかな…

主人公2人が、その出自の影響のせいだとしても、あまりにエキセントリックで、この人たちとレストランで一緒になったら確実に眉をしかめちゃうなあ、

「性」も重要なテーマで、登場人物たちがそれぞれ心に傷を負っていることと密接な関連があるのですが、しかし、この人たちの行動は理解しがたいなあ、

と、登場人物のどの人にも、ことごとく感情移入ができなかったのでした。(^-^;


でも、この夏、バルト3国に行くので、ラトヴィアが出てきたのは嬉しかったです。
ラトヴィアのシーンは、作品中でもっとも深刻で美しい、静かなシーンでした。

◇◇◇

パンフレットの解説や、監督自身の家族の話、俳優の談話はよかったです。

監督の祖父もナチス親衛隊だったそうで、その過去を調査するうちに、この作品のアイディアが生まれたそうです。

主演女優も、フランスの女優なのですが、この作品のためにドイツ語を練習したとか。もともと使える人かと思いました。すごいですよねえ、ヨーロッパの俳優さんは、、、

ラトヴィアにおけるホロコーストについても、野村真理先生が歴史的背景を解説されています。映画だけではよくわからない背景がすんなりとわかります。




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by chekosan | 2018-07-30 21:14 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
少々前ですが、「ヒトラーに屈しなかった国王」を観てきました。

1940年、中立国であるノルウェーにドイツ軍が侵攻します。表向き、ドイツはノルウェーに協力関係を構築しようと言うのですが、実質的には不意打ちの侵攻です。

すんでのところで国王一家、閣僚、議員たちは北部へ避難します。

首都ではクーデタが起こり、国民の信任を得ていない議員が首相を名乗り、ドイツへの協力を呼び掛けます。ドイツも彼を承認します。

ドイツの申し出を断れば多くの犠牲者が出ることが予想されますが、民主主義を標榜するノルウェーの誇りは傷つきます。

駐ノルウェー・ドイツ公使は、外交努力でなんとか戦争を起こさずに事態を収めようと奔走します。

極秘で公使と会談した国王の決断はいかに!?


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史実に基づいたフィクションということで、ドキュメンタリー風に撮られています。そのため、カメラがカックンとぶれることが多々あり、落ち着きません。いまひとつ安っぽくも感じられ、普通に撮った方が良かったのではと思いました。

とはいえ、日時を厳密に示しながら、国王やドイツ公使の動きをスリリングに映し出していて、かなりの臨場感があります。

すでに老齢に達した国王は腰痛を抱えての逃避行で、一人になると油汗を出して痛みに耐えるのですが、人前ではきちんと衣服を整え、決して辛そうな姿は見せません。

比べて、皇太子はボタンを外した状態で人前に出たり、思わず感情を露わにするなど、まだ青いな若造、という感じ。実際の皇太子も気さくな人柄だったようです。

そんな皇太子に国王が、国王としての振る舞いを教える場面などもあります。王室といえど親子、衝突もしますが、極限の状態ではやはり愛情が溢れ出ます。親子の物語としても見ることができます。



この王室、実は新しいのですね。

1905年に、ノルウェーはスウェーデンとの同君連合を解消して独立します。このとき、新たに王室を創設することになり、デンマーク国王の次男が即位します。それが本作品の主人公であるホーコン7世です。つまり、独立国家ノルウェーの初代国王ということになります。

ホーコン7世は、あくまで国民の意思により創設された王室にするため、国民投票を行い、賛成多数を得たのちに即位しました。

ドイツの侵攻に際しても、国民と、国民が選んだ議会、内閣こそに決定権はあり、自分が裏で交渉してドイツの要求を呑むようなことはできないとつっぱねます。

国王の毅然とした態度は一貫しました。ノルウェーは結局、ドイツに攻撃され、数年間占領されるのですが、イギリスに避難した国王はラジオから国民を励まし続けたそうです。

戦後、国王も皇太子一家も無事、ノルウェーに帰還することができました。今は、このときにアメリカに避難した孫のハーラル5世が国王になられています。



この作品で、ノルウェーの歴史や王室のあり方、王室と国民の関係といったことに関心を抱くようになりました。難しすぎず、感動シーンもあり、鑑賞しやすい作品だと思います。





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by chekosan | 2018-07-24 20:13 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
先日、映画「マルクス・エンゲルス」を観てきました。

今年はマルクス生誕200年ですね。

だからか、映画の原題は、The Young Karl Marx なのですが、実際にはエンゲルスにもたっぷりスポットが当てられています。邦題の方が合っているかも?と思いました。

思想家の、それも若かりし頃に焦点を当てた映画ということで、いったいどう表現するのだろうと思いましたが、マルクスもエンゲルスも人間だったのだなあという当たり前の事実を確認させてくれました。

2人とも、若くて、才能に満ちていて、自信たっぷりで、友情や愛に支えられて、世を変えてやる!という情熱がほとばしっていて、でも行き詰ることもあって、と、わかりやすく青春ものにしてあります。

同時代の思想的リーダーたちとの議論、抗争に勝ち抜いていき、労働者たちの国際組織で頭角を現して「共産党宣言」を書くまでのお話です。

主人公として取り上げているくらいなので、マルクスもエンゲルスも魅力的に描かれています。

それ以上に印象的だったのは、彼らの妻たちです。マルクスの妻は貴族出身、エンゲルスのパートナーは底辺労働者なのですが、公私ともに2人を支えたパートナーと位置づけられています。男2人よりカッコよかった!

ドイツ語、フランス語、英語が飛び交う映画です。

これを観れば『資本論』がわかる、というようなものではありませんが、マルクスやエンゲルスがひっくり返したかった社会状況がどのようなものであったかを理解するとっかかりとして良いのではないかと思います。


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by chekosan | 2018-07-23 17:02 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
いや~、これ、面白かったです♪

タイトルだけ見るといかにも戦争モノという感じですが、つくりとしてはコメディタッチの映画です。上映中、何度もくすくす笑いが起こっていました。



バルカンのどこかの国、内戦が停戦合意に達したものの、まだまだ危険がいっぱいの山岳地帯が舞台。

ある日、住民の水源である貴重な井戸に死体が投げ込まれます。

国際援助活動団体が、24時間以内に死体を引き上げて水の汚染を食い止めようとするのですが、頼みのロープがちぎれてしまいます。

ロープ1本を求めて活動家たちは車を飛ばすのですが、途中、地雷や地元の武装集団による通行止めや、その他いろいろな困難が行く手を阻みます。

果たして井戸の汚染は食い止められるのか!


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ごくごく普通のロープ1本が、なぜ手に入らないのか。

ロープが売っていないわけではない。存在しないわけでもない。目の前にあるんです。売ってくれれば、貸してくれれば、井戸は汚染を免れる。多くの人が安全な水を手に入れられるんですが、売ってくれない、貸してもらえません。それぞれに切羽詰まった理由や内戦が落とす影があるのです。

国連に要請しても動いてくれません。国連にも、国連のルールや理屈や、優先順位があるのです。

戦闘や流血や死体などは、ほぼ出てきませんが、戦争(内戦、紛争)の現実を伝えてくれる映画です。



バルカンの山岳地帯を鳥瞰するショットも見どころです。ごつごつした緑のない岩山は、日本にはない風景です。こんなところで紛争が起きたら、確かにそう簡単に平定できないだろう、長期化もするだろうと思わせられました。

でも、そうしたなかでも人々は生きていくのですね。地雷原で牛を飼うお婆さんのたくましさと知恵に感嘆する場面が一番印象的でした。

キャラクターもそれぞれ個性が違い、とても味があると思いました。あまり知名度は高くないような気がしますが、おすすめの一作です。




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by chekosan | 2018-06-30 23:02 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
1962年のキューバ危機を扱った映画「13デイズ」を観ました。

政策決定過程を分析する格好の事例として取り上げられることが多い作品ですね。

つい先日も、関西大の「外国書研究」の受講生が授業で見た(か、先生に紹介された?)ということで、こちらの授業でもキューバ危機の話を読みたい!とリクエストしてくれました。

「外国書研究」は、いろいろなテーマをちょっとずつ英語で読んで、みんなで調べたことを共有するというスタイルを採っているのですが、程よい長さ、読みやすさの英文記事ないし論文を見つけるのに四苦八苦しています(ちょっと誇張)。

ですので、受講生から具体的なリクエストが出るのは歓迎なのです。(^▽^)

ということで、まずは家にあったDVDを視聴。

映画の感想としては… 語り継がれる作品って、やっぱり面白いですね!

J・F・ケネディ米大統領の特別補佐官であるオドンネル氏が主人公(ケビン・コスナー)。やたらカッコイイ役回りです。

そして、ケネディ大統領と弟のロバート・ケネディ司法長官が、実際のケネディ兄弟とよく似ている! そっくりですよね!?
そのおかげで臨場感が増しているように思います。


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1962年10月、社会主義国であるキューバにソ連がミサイルを配備していることが判明し、あわや核戦争勃発か!という事態となります。

軍は空爆に続いてキューバに侵攻し、カストロ政権を叩きのめすことを主張します。

弟のロバート・ケネディやマクナマラ国防長官は、奇襲攻撃をしかけて世界の非難を浴びたうえに全面核戦争になることに反対し、海上封鎖という方策を推します。海上封鎖とは、キューバに軍需関係の品を運び込ませないようアメリカ海軍が船をストップさせるというものです。

その方策が功を奏して、いったん戦闘は避けられるのですが、ソ連を挑発するような軍事演習が行われたり、米軍機がソ連領空を侵犯してしまったりと、一難去ってまた一難が続きます。

なんとか戦争を避けようとしているのに何をしてんねーーーん!!

という事態が立て続けに起こるわけです。

結局、国連での論争や、外交ルートでの裏取引で、米ソ両国が譲歩する形で矛を収めます。
核戦争は回避できた! 双方、面目も保てて、とりあえずはよかったよかった、という話。



情報が漏れないように、報道官を蚊帳の外に置いて、大統領は何事もないかのように予定通り中間選挙の遊説に行ったり、宥和策を提案して弱腰だと一蹴された国連大使が、国連で「古狸」ぶりをいかんなく発揮して、ソ連を老獪に、しかし、やりすぎずに追い詰めたりする場面では、トップリーダーたちの緊張感みなぎるギリギリの闘いぶりが見ものです。

かと思えば、そのような極度の緊張のもと、必死で開戦を避けようとしているのに、軍内部のヨコの連絡が取れていなかったために挑発と思われかねない軍事演習が行われてしまう場面では、やっぱり「ホウレンソウ(報告連絡相談)」って大事よね…などという、ビジネスシーンあるあるみたいなことを思い浮かべてしまったのでした。

実際、そのような組織間の連絡や調整がはかれていないことが危機を深刻かつ複雑なものにするのです。



キューバ危機を事例に政策決定過程の理論枠組みを提示したものに、グレアム・T・アリソン『決定の本質』があります。
これと映画とを手掛かりに、なにか面白い記事をみんなで読めるといいな。

つづく(多分)。




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by chekosan | 2018-06-24 15:59 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
超・長編映画「SHOAH」を観ました。

第二次大戦中に、ドイツやナチスの占領下で実行されたユダヤ人の強制収容、大量虐殺の実態を、被収容者、元ナチス親衛隊員、収容所近辺のポーランド人たちの証言のみで描き出す、4部からなるドキュメンタリー映画です。

私がこの作品を知ったのは、一体、いつのことだったのか。

おそらく大学院生の頃だったと思いますが、とにかく長くて重い映画らしいということだけを、どこからか聞いて知っていました。

その後、NHKでテレビ放送されたときにビデオに録画していたのを、先日ようやく観ました。ランズマン監督は11年かけて制作したそうですが、それに匹敵するくらいかけての(?)視聴です。

ビデオです、ビデオ。VHSテープです。
何しろ9時間半あるので、3倍速でも2本に渡ります。


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全編を視聴して…

初めの方は、通訳を介してのインタビューをそのまま使っていることに、少々、冗長さを感じました。ただ、そのもどかしさも、生の証言を残すという意図の表れということは理解できるので、早送りなどせず観ていきました。

たとえば、監督が通訳に、端折らずに訳してくれと言ったり、あなたの解釈ではなく証言者の言葉をそのまま訳してくれと言ったりする場面が何度かあります。たしかに、あれだけしゃべっていて、訳はこれだけ?と思うときがけっこうあるのです。

あるいは、収容所の近隣の人たちに話を聞く場面では、人々が口々に話し出して、声が重なるときがあります。

逆に、証言者が感極まって、しばらく話せなくなるときもあります。

そのような成り行きや反応も証言の一部を成しているのです。



証言内容で衝撃的だったのは、生存者よりも、収容所周辺の人々の話です。ナチスは、収容者を大量殺戮していたことを察知されないよう秘密裏にことを進め、収容所を閉鎖するときには証拠隠滅をはかったのですが、周辺のポーランド人たちは皆、そこで何が行われているか知っていたのです。そして、知っていたことをちっとも隠そうとしないのです。

ポーランド人もドイツに支配されており、ユダヤ人を助ければ家族もろとも処刑される状況だったので、救出するわけにいかなかったという事実はあるとしても、それにしてもあまりに淀みなく、躊躇なく、強制移送や処刑の事実を見ていたという証言が飛び出すのです。

そして、元SS隊員の証言も非常に生々しく酷いものでした。なのに、平然と語るのです。隠し撮りとはいえ。そのような場面に立ち会っていて、なぜその人は「業務」をこなせていたのか。なぜ戦後、罰せられることもなく、健やかに穏やかな日常を送れているのかと思わせられます。



ところで、ランズマン監督は、スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」を批判しています。シンドラーという一ドイツ人を英雄視し、彼によるユダヤ人の救出劇をクローズアップして「キッチュなメロドラマ」にしてしまったというのです。

写真の本『『ショアー』の衝撃』(鵜飼哲、高橋哲哉編、未来社、1995年)もそうです。まるで、「SHOAH」を評価するなら「シンドラーのリスト」は叩かなければいけないかのようです。

「シンドラーのリスト」のなかに、アウシュヴィッツに連れて行かれた女性たちがシャワー室に入れられ、パニックが起こるシーンがあります。このシーンを取り上げて、スピルバーグのそれまでのアドベンチャーもののハラハラドキドキと変わらないという批判をしている論が上記の本に掲載されていました。

しかし、その場にいたユダヤ人の女性は自身の回想録のなかで、もっとリアルにそのときの体験を書いています。映画以上にパニックが起こり、そして本当のシャワーであったことに安堵したといいます。

一方、「SHOAH」のなかにも、一種のつくられたドラマや演出はあります。

映画の冒頭に登場する絶滅収容所の数少ない生存者である男性を、ランズマン監督は現場に連れて行って、当時やっていたように船に乗せて歌を歌わせます。さらには、彼が働かされていたのを見ていた土地のポーランド人たちに、カトリック教会の前で対面させます。

土地の人々は彼を囲んで、よくぞ生きていた、私は彼を解放してやれとドイツ人に言ったのだ、などと口々に言って、再会を喜びます。

そのうえで、ランズマン監督は、住民たちに挑発的な質問をして、反ユダヤ的な発言を引き出します。常に穏やかな表情をたたえた証言者は、歓迎ムードから一転、険悪な雰囲気になった集まりの中心に立たされたままです。

証言者を見つけ出し、カメラを回し、問い詰めるという行為もまた一つの創作であり、切り取りでしょう。「SHOAH」に残された証言が第一級の史料であることには異論はありませんが、「SHOAH」の手法が唯一絶対で最善の表現方法であるということは言えないと思います。


ホロコースト(ショアー)や負の歴史をどう伝えていくかということについては、引き続き勉強し、考えていきたいと思います。


※「シンドラーのリスト」関連記事
映画「シンドラーのリスト」(スピルバーグ監督 1993年)を観ました
トマス・キニーリー『シンドラーのリスト(シンドラーズ・リスト)』(新潮社 1989)
田村和子『生きのびる クラクフとユダヤ人』『ワルシャワの日本人形 戦争を記憶し、伝える』
ステラ・ミュラー=マディ『シンドラーに救われた少女 鳥のいない空』(幻戯書房 2009)


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by chekosan | 2018-06-24 00:21 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

映画・小説「サラの鍵」

フランスで1942年にフランス警察によって行われたユダヤ人一斉検挙「ヴェル・ディヴ事件」を扱った「サラの鍵」。映画を観たあと、原作を読みました。


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映画は予想以上に衝撃的な場面が続き、途中で抜け出そうかと思いました。

1942年7月のある日の早朝、フランス警察がパリのユダヤ人を一斉にパリのど真ん中の屋内競輪場に強制的に集めます。

水や食料、トイレがまったく足りない状況で、一万数千人が、数日間、閉じ込められます。

10歳の少女サラは、弟だけでも検挙されずに済むようにと、彼を納戸に隠して鍵をかけていきます。

ところが拘禁状態はなかなか解けず、さらにユダヤの人々は収容所へと連れていかれてしまいます。

収容所では親子が引き離され、子供たちだけが取り残されてしまいます。

少女は弟を救い出すべく、収容所を脱出し、匿ってくれた農家の老夫婦とパリに向かうのですが…


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もう1人の主人公、現代のパリを生きるアメリカ出身のジャーナリストのジュリアは、夫の実家が所有するアパートに引っ越すことになります。

仕事でヴェル・ディヴ事件を調査するうちに、ジュリアはそのアパートが、検挙されたユダヤ人一家のものであったことを知ります。

ヴェル・ディヴ事件とサラの足取りを探るうち、夫や夫の家族とのズレが露わになっていきます。

サラとジュリアの話が交互に進み、2人の人生が交差する瞬間が訪れます。そこがクライマックスです。

そのあとはどちらかというと、ジュリアがサラの人生を知ったあと、どう生きていこうとするかという話になるので若干勢いが減じるかな。

はいえ面白くないわけではないです。

なんといっても、ヴェル・ディヴ事件自体の酷さ、そのあとのサラの負った傷があまりにも衝撃です。

それ以上に、ヴェル・ディヴ事件に象徴される、フランスの対独協力、ホロコーストへの積極的関与の事実、それが長くタブーになっていたこと、フランスの人たちにもあまり知られていないということにショックを受けます。

ユダヤの人々が連れていかれたドランシー収容所に至っては、いまも集合住宅として使われているということ。

フィクションですが、歴史的事実と現在を繋げてくれる作品です。









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by chekosan | 2018-06-18 20:35 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
EU加盟国の作品を約1ヵ月に渡って上映するEUフィルムデーズ2018、日本では東京、京都、広島で開催中です。

京都文化博物館で、リトアニアの映画「エミリヤ、自由への闘い」を観てきました。



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1972年のリトアニア、カウナスが舞台です。
新人舞台女優エミリヤの過去と、現在(1972年)が交錯して進んでいきます。

話が進むにつれ、エミリヤの過去が次第にわかっていくミステリー仕立てになっています。

劇団の歓迎会の席でエミリヤは、父の遺品である革の手帖に書かれた詩をそらんじます。
それをもとに劇団の監督が戯曲を書き、上演を企てます。

戯曲はリトアニアの歴史物という設定ですが、現体制への批判ももたせています。
事前の検閲では上演禁止かと思われたのですが、なんだかんだで上演にこぎつけます。



細部に関しては、それ必要かなあというラブシーンや、ちょっとよくわからないところ、
なぜここが合成なのかと思うシーンなどもありました。

カウナスが舞台なのに、街並みがあまり出てこなかったのもちょっと残念。
原題 Emilija iš Laisvės alėjos のライスベス通りと、そのどんつきの教会は出てきましたが。

昨年夏に撮った教会。とても大きいんですよ。


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とまあ、あまり制作費用をかけられなかったのかなという感じがしなくもなかったですが、
そのちょっとチープな感じが1972年のリトアニアの雰囲気をうまく表している…のかも?

とはいえ、面白かったです。とくに、劇中劇の部分はとてもよかったです。
主役を務めたエミリヤの演技が真に迫っていました。
詩の力を感じました。



細かいところでは、拘束服の使い方(着方?)がわかったのも収穫でした。

リトアニアのヴィリニュスにある通称KGB博物館の牢屋に拘束服が展示してあったのですが、
袖があまりにも長くて、どのように使うのかと思っていたのです。

おどろおどろしいですね… 旅先では、こんなのばかり見て回っています…


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見学先は暗い怖い重いところばかりですが、しかし! 街はきれいだし、居心地はいいし!
すっかり気に入ったリトアニア、今年の夏も行く予定です。




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by chekosan | 2018-06-16 23:50 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
関西ウーマンに月一回掲載中の書評、
今月は喜劇王チャップリンの名作「独裁者」の制作過程を丹念に追った本です。


関西ウーマンFacebookページの紹介文は、
編集さんの方で抜粋・引用していただいていますが、
「今回私が言いたかったにはまさにそこ!」という部分を引いていただいています。


 ↓ ↓ ↓


『「独裁者」制作前後のドイツによる妨害や、戦後のアメリカでのネガティブ・キャンペーンでは、虚偽・捏造の報道、当局からの圧力、さらには不当な裁判までが起こりました。体制に与しない人物の表現活動を封じるための攻撃を見抜き、それを許さない態度が、私たちに求められていると思います。』

本文はこちらから
https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201342





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by chekosan | 2018-06-09 15:04 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)