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by chekosan

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夏にリトアニアで見てきたホロコースト関連の「現場」の保存と公開について小論をまとめました。


リトアニアにおけるホロコーストの記憶」流通科学大学論集 第30巻2号 2018年1月発行。
本文はこちらからオンラインで読んでいただけます


ここ2、3年、「過去をどのように伝えるか」「負の遺産を現在と未来にどう生かしていくか」「教育、文化施設は政治的・歴史的関心をどう扱っているのか」という関心をもっています。

2016年度は学内の助成を得てベルリンとプラハを訪問し、そのうちベルリンの国家保安省関連施設についてまとめました。なぜかアクセスしてくださる方が途切れず驚いています。ドイツはやはり層が厚いのか? 「負の遺産をどう伝えるかー旧東独のシュタージ(国家保安省)関連施設の事例ー


2017年度も学内の助成を受けることができ、夏にリトアニア、先週はポーランドに行くことができました。研究課題名は「初年次教育と専門教育を架橋する中間教育構想ー国際理解能力育成の視点から」です。

これは他大学に勤めている某M君との共同研究で、彼とは研究や教育上の関心と対象地域が重なっているので、近いうちに成果を著作にまとめようと計画しています。その一環です。


リトアニアには、杉原千畝氏の領事館跡を訪ねる目的で行きました。日本における杉原の受容の変遷と現状をまとめようかと思っていましたが、行ってみると「第9要塞」や「パネリアイの森」、旧ゲットーの地区といった現場や、各博物館の展示のあり方に強い印象を受けました。リトアニアという土地にもかなり魅了されました。そこで、杉原関連の記述はごく一部にして、リトアニアでのホロコースト関連施設の現状を概観するものにしました。

冊子の方にもかなりクリアな写真を載せられたのですが、いかんせん白黒なので、またブログでカラー写真と共に補足などをアップしていこうと思います。

ということで、今回は、この論稿には使わなかった写真を少し。

カウナス(杉原千畝氏が領事館を開いていた街)のはずれにある第9要塞です。ドイツが侵攻したとき、ここで5万人が殺されました。いまは要塞の屋根を緑が覆っていて、丘と一体化しています。



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同じく第9要塞の丘に、ソ連時代(リトアニアではこの時代も「占領」と表現します)に造られた、8階建てビルに相当する高さのモニュメント。ソ連のつくるモニュメントはとにかく大きいですね、どこも。でも、写真ではあまり巨大さが伝わらないなあ。


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by chekosan | 2018-02-13 12:21 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)
ビリニュスの中心部にある、お城の丘に登りました。

てくてく徒歩で、どれくらいだろう… 
景色やらマンホールの蓋やら撮りまくりながら30分くらいかけたのかな?
スタスタ登れば、そんなにかからないと思います。

夕方の5時台でこんな感じ。いつまでも明るいリトアニアの夏。


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地面にある蓋が好き。リトアニア旅行では、えーと、100を下らない蓋を撮りました。
お城への登城道にも蓋がありますよ。↓


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頂上が近づいてきましたよ。

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登り切ったところから、お城跡を撮った図。


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昨年(2017年)は、足を痛めて、この旅行でも飲み薬や湿布持参だったのですが、
でも! 登って良かった! この景色! 写真ではなかなか再現できないですが。


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手のひらに塔を乗せている感じにしたかったのですが。見えませんね。


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お城の丘の麓は緑の公園。
カウナスもビリニュスも、通りや公園にたくさんアートがあるのですが、ここには犬が!
リトアニアン・ハウンドだそうです。


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可愛さ余って思わず抱きしめるの図。またがりはしませんでしたよ!


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by chekosan | 2018-01-20 15:22 | リトアニア | Trackback | Comments(0)
まっすぐな通りが交差するわかりやすいカウナスから、迷路のような旧市街を持つビリニュスに移動。
さすが小さいながらも首都、多くの人で賑わっているし、夏はなかなか暗くならないし、
夕方からですがぶらぶらと繰り出し、大聖堂の鐘楼に登って、街の全体像をつかみました。

高いとこ、しんどいし怖いけど、なんか登らないではいられないんですよね。

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こんな狭い階段から始まります。

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こんな風にスケルトンになってると怖さ倍増!

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一枚目の写真に写っている聖堂が眼下に。そして向こうにはお城。そちらにも後日登りました。

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美しい街~~!

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屋根の色が統一されているのがいい!

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目抜き通り。ここは後日、KGB博物館に行くときにずーっと歩きました。


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登ってみたシリーズ続編へ(多分)




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by chekosan | 2018-01-18 22:04 | リトアニア | Trackback | Comments(0)
リトアニア9泊11日の旅行で訪れたのは、カウナスとビリニュス、
そしてビリニュス近郊のパネリアイというところでした。

これらの移動はすべて鉄道にしました。
一番の理由は、カウナスの駅は、杉原千畝が領事館を撤収してベルリンに移るときに、
最後の最後までユダヤの人々にビザを発給したといういわれのあるところだから。



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また、私がバスよりも鉄道の方が好きということもありますし、
乗り物酔いしやすいチビッコでも多少はマシだろうという算段もありました。

あらかじめインターネットで個人の旅行記などを読んで当たりをつけておき、
前日に再度、Googleで時刻や所要時間などを調べて、切符は駅で直接買いました。

結論から言って、リトアニアの鉄道は、清潔、正確、簡単、快適、安価!
まったく心配なく移動できます。おすすめ!


カウナスの駅舎をホーム側から見た図。

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駅舎内。天井が高~~い!  
右手奥には切符売り場があります。有人の窓口で難なく買えました。
自分でダイヤを調べておいて、便を指定して買うのが普通のようです。



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電光掲示板もわかりやすくて何の心配もなし。

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駅には改札がありません。車内検札です。切符はレシート状。
一桁少なくありませんか?というくらい安くてびっくり。


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カウナス→ビリニュス間は、途中から、がら空きに。


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特急列車は電源も取れるし、Wi-Fiも使い放題。サクサク繋がりました。
ゴミ箱も座席近くにあって、車内は清潔だし、何の問題もなし。



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ビリニュスの駅舎も天井が高いです~~!


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日本の都市の駅に比べれば小さいですが、カッコイイですよね。


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ビリニュス滞在中に訪れたパネリアイへは鈍行列車で。ちょっと簡素ですね。

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パネリアイは小さな駅。かわいい…。
駅舎の中は入りませんでした。人の出入りも見ませんでした。

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駅は小さくとも、ホームはどこまでも長く。
跨線橋まで歩いてなんていられないので、みなさん普通~に線路上を横断していました。
私たちも、郷に入っては郷に従いましたですよ。


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パネリアイの森は、戦争中、7万人の人が虐殺された場所です。
今は国立のメモリアルになっています。(別途アップ予定)

列車や徒歩で連れてこられた人たちにとっては恐怖と絶望の場所でした。

今の、この青く清々しい夏の空と、疾走する近代的な赤い特急列車が織りなす
美しい風景からは想像できませんが…


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ビリニュスの駅に隣接するカフェ?には、謎の巨大おじさん。

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ビリニュス駅のホーム側はこんな感じでした☆


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by chekosan | 2018-01-09 17:14 | リトアニア | Trackback | Comments(0)
カウナスはリトアニア第2の都市で、かつては首都であったこともありますが、
一日で歩き回れるくらいのこじんまりとした街です。

そのわりには、6日ほどいても、杉原千畝の記念館とホテル以外では、
日本人観光客は全然見かけませんでした。

ビリニュスから日帰りで来て、杉原記念館だけ見ていかれるのかなあ。
それはあまりにもったいない。

旧市街の広場にちょこんと建つ旧市庁舎も、外観の写真はよくアップされていますが、
中まで入る人は(日本人に限らず)、あまりいないのかなという感じ。

ここは観光案内所もありますし、その奥の見学は有料ですが、その価値はあります。
市の博物館になっていて、ガイドさんもとっても親切。
高齢の方々でしたが、わかりやすい英語で親切に解説してくださいました。


今は特別な式典などに使っているというホール。天井が高い!
ガイドさんが写真を撮ってくださいました。


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カウナスのシンボルは牛。カウだけに…ってリトアニア、英語じゃないし!
調子にのって、ガイドさんにお願いして、旗を広げてもらいました。


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執務室。

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歴代の市長さんたち(だったと思う)。

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特別な式典などで使うもの。

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ほかにもカウナス市に関する歴史的な資料や現物などが展示してあって、写真も撮らせてもらえました☆
多すぎるので割愛。

そして、狭~い隠し階段みたいなところを降りていくと、、、


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地下には、意外にも広い空間が! 
何部屋もあって、市の歴史がわかる展示や、発掘品などを展示しています。
ここでは、また別のガイドさんが案内をしてくださいます。

企画展示だったのかグロキモ可笑しい現代美術もあったのですが、それはアップを控えるとします。

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地下といえば、お約束(?)の地下牢もありましたよ… 狭いよ~、暗いよ~…

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これは発掘品だったかと思います。


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サイコロクッション?なんかもあったり。

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建物自体もいいし、展示もいろいろあるし、ガイドさんたちは感じがいいし、
思いがけず充実した見学となりました。


観光案内所では、郊外にある「第9要塞」への行き方も教えてもらいました(別途アップ予定)。
リトアニアの観光案内所のスタッフは、みなさん、きれいな英語を話されます。

案内所にはお土産も売っています。
カウナス模様のトートバッグは、ここでしか見かけませんでした。
色違いで白だったかもありましたよ。
カウナスの文化を紹介している本は無料でいただけました。



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日本語のマップもありますよ。カウナスいいとこ、も一度行きたい。

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市庁舎のある旧市街の広場。
街も広場も小さいですが、周りには格の高い教会がいくつもありますよ。



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by chekosan | 2018-01-08 21:12 | リトアニア | Trackback | Comments(0)

ちっとも進まないリトアニア旅行記。次の旅行に行く前に記録しておこう。


自転車推奨の街カウナス。目抜き通りにも自転車レーンや自転車立てが整備されています。
乗ってる人はそんなにたくさんは見ませんでしたが、走りやすそうです。



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下は交差点。道路を横断するときには、ぶっ飛ばして来る車をやり過ごしてからと思って待っていたら、
ちゃんと停止してくれました。実に快適に街歩きができました。




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by chekosan | 2018-01-07 19:59 | リトアニア | Trackback | Comments(0)
入手が遅れて後回しになっていた『日本人に救われたユダヤ人の手記』を読んだ。リトアニアで生まれ育ったユダヤ人少年が、ホロコーストを生き抜いた回想録である。

ソリー少年の一家は日本領事代理だった杉原千畝と交流があったため、杉原関連本には必ずといっていいほど引用される本である。というと、杉原ビザで欧州を脱出した話かと思えるが、そうではない。ソリーの一家は、杉原の忠告を受けながらリトアニア脱出になかなか踏み切れなかったために、とんでもなく過酷な体験をしてしまう。ソリーと父、姉、叔母はなんとか終戦まで生き延びるのだが、ほとんどの親類縁者友人知人は亡くなってしまうのである。

ソリーと父は、敗北が避けられなくなったナチドイツの命令で、ゲットーからダッハウ収容所へ連行され、さらに収容所から徒歩で移動させられる。この「死の行進」の途中で、日系アメリカ人部隊に救出される。

というように、ソリー少年に救いの手を差し伸べた人々のなかに杉原や日系2世の米兵がいたということで、邦題は「日本人に救われた」となっているわけである。

杉原関連本には、杉原との交流部分や日系人が救出した部分のみがクローズアップされて引用されるのだが、本書はそれ以外の体験の方が断然、面白い。面白いという表現はそぐわないかもしれないが…

リトアニアにはユダヤ人社会が根付いていて、文化的、経済的に豊かなコミュニティを形成していた。ソリーの一家もそうである。事業で成功し、カウナス中心地の広いアパートで、宗教的、文化的に満たされた生活を送っていた。

ところが、ソ連の侵攻、ナチスドイツの侵攻に伴って、リトアニア人のユダヤ人への憎悪が爆発する。ヨーロッパユダヤ人を死に至らしめたのはナチス親衛隊だけではない。むしろ実行部隊はドイツが占領した地域の地元住民や、ウクライナなどから連れてこられた兵士たちであった。本書で語られているユダヤ人に対する迫害、殺害、略奪の様子は生々しく残酷で非常にショッキングである。

それでも、ソリー少年たちのいたカウナスではユダヤ人同士の結束が固く、ゲットーに閉じ込められたのちも、ユダヤ人評議会やユダヤ警察とコミュニティとの信頼関係が最後まで崩れなかった。食べるものにも事欠く状態であっても、カウナス・ゲットーでは、職業学校や文化団体、オーケストラまで活動していた。カウナス・ゲットーの生み出す物資は質も高く、生産性が高かったため、ドイツ占領下のゲットーのなかで一番長く存続できたという。

カウナスのユダヤ警察は住民側に立っており、地下抵抗組織を支援してさえいた。最後にはそれがナチスにばれて警察官たちも虐殺されてしまう。が、そうした結束の固さ、人間関係が保たれていたことは、ゲットー閉鎖後、収容所に移送されたのちもプラスの効果をもたらしたようである。

にしても、酷い。実に恐ろしい日々である。よくソリー少年や父が生き残れたものだ。まさに危機一髪を何度も何度も脱している。機転を利かせて、技能を生かして、コネや伝手を辿って、なけなしの財産をはたいて、身を隠して、、、目の前で他の人たちが殺されたり、連行されたりすることも度々ありながら、ソリーたちがなんとか生き延びたのは、精神力と運と家族や友人たちとの結束が大きいように思う。


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なお、カウナス・ゲットーも他のゲットー同様、ドイツの敗退が色濃くなって解体、焼き打ちされてしまう。ゲットーに生き残っていた人々はバルト諸国やドイツなどの強制収容所に連れて行かれてしまう。そのため現在のカウナスにはゲットーの痕跡はない。

戦後は木造住宅が建てられ、住宅地になっている。夏にカウナスに行ったとき、5万人が殺された現場である「第9要塞」(別途投稿予定)に行く途中、そうとは知らずにその地区の大通りをバスで通って、強烈に惹かれるものがあった。第9要塞で買った写真集を見たところ、まさにそのあたりがかつてのゲットーであったとわかり、後日あらためて歩いてみた。

第9要塞の受付で購入したパンフや磁石、そしてカウナス・ゲットーの今を撮った写真集。

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今、かつてのゲットーだった地区には、記念碑が立っているくらいである。


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2002年にカウナスを訪れた澤田愛子氏は、『夜の記憶』(創元社 2005)のなかで、カウナスにおけるホロコーストの記憶の留め方について批判的に記述されている。そのときは第9要塞を訪れる人も他にはおらず、高額の撮影料をとられたという。旧ユダヤ人墓地も荒れており、ゲットーの病院があったところで撮影をしていると、通行人の男性が「何かを口走って行った」という。それが何という言葉であったかは通訳者に確認しなかったというが、澤田氏の前後の文脈から、あまり良くない空気を感じ取ったのだろう。

私がこの夏(2017年)に訪れたカウナスは、そのような雰囲気はまったくなかった。第9要塞は賑わってはいないが見学者が何組もいたし、安価な入場料で、わかりやすくていねいな展示を見ることができた。

ゲットーがあったVilijanpole地区は、たしかに高級感のある中心部の通りと比較すれば取り残された地区という感じはしたが、高層ビルが建設されていたり、いまどきなスーパーが営業していたりと再開発の最中という感じであった。さらには、この地区で地図を見ていたら「何かお探しですか、お手伝いしましょうか」と英語で訊いてくれる人があったり、「日本人か? 日本はいいねえ」とわざわざ自転車を停めてニコニコと声をかけてくれる夫婦に出会ったりもして、むしろ友好的、歓迎されている雰囲気を感じることができた。

リトアニアはEU加盟(2004年)に向けて、過去の歴史の再評価に取り組んだ。今もそれは続いている。自国の「負の歴史」に向き合って、さまざまな整備を施し、外国から多くの人を受け入れるようになってきたことの表れかもしれない。

いずれにせよカウナスにおけるポグロムとホロコーストの歴史については、もう少し調べてみたい。見損ねているところもまだまだあるので、もう一度行きたいと思っている。


つづく


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by chekosan | 2017-09-24 12:28 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
カウナスの中心から、杉原記念館へは徒歩で行きました。

というか、そもそもカウナスのメインストリートは歩行者&自転車のみ通行可で、公共交通機関はそれを取り巻くようにしか走っていません。おかげで安心して散策ができます。

てくてく歩いていると、ギムナジウムがありました。ところが、その敷地内に小さな子向けの遊具があるのです。


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カウナスは歩いて回れる街のサイズのわりには、いろんなところに子ども向け遊具が設置してあります。夕方以降は子連れで散策するママやパパも実にたくさん見かけました。ここなら子育てしやすそうだなあと感心してたのですが、高校の敷地に遊具というのはさすがに謎。

帰国後、リトアニアに関する論文を根こそぎ集めて見ているなかで、その謎は解明されました。

リトアニアの学校が日本と大きく違っているのは、小学校から高校までが、同じ敷地・建物に入っているということです。ですから、学年にかかわらず地域での子どもたちの結び付きは自然に強くなり、放課後は、小学校、中学校といった枠を超えて、みんなでバスケットボールなどをして遊んでいます。」(デヴェーナイテー・ヴィオレッタさん談「わたしの国の学校教育②リトアニア共和国」『学校経営』2004年2月号)

ちなみに、リトアニアでは「教育は無料」という方針のもと、教育機関は大学を含め、基本的に国立だそうです。学制は、2001年から、小学校4年、中学校6年、高校2年の12年制で、義務教育は中学校(「基礎学校」)までですが、ほとんどの人は高校(「中等学校」)まで進学しているそうです。

なお、外務省の「諸外国・地域の学校情報」のリトアニアページによれば、

「当国教育法により、16歳以下の児童は外国人であっても就学を義務付られている」「外国人に対する言語特別指導 有り」「当国教育法が外国人子女の教育を受ける権利を保証しているため、当国現地校への入・編入学には特段の支障は無い」そうです。

つづく




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by chekosan | 2017-09-17 14:24 | リトアニア | Trackback | Comments(0)
今回の最大の目的は、杉原千畝ゆかりの場所に行くことでしたので、宿も杉原ゆかりのホテルメトロポリスにしました。

リトアニアに侵攻してきたソ連からの度重なる要請により、日本領事館を閉鎖し、出国することになった杉原一家が、数日間休養のために泊まったホテルです。ここでも杉原は、日本の通過ビザを求める人々に書類を発行したと言われています。

カウナスの中心地、新市街にあるホテルメトロポリス。今でも現役のホテルです。入り口側には、杉原を記念するプレートがかけられています。プレートは2015年、「命のビザ」発給75年を記念して、こちらとカウナス駅に掛けられたようです。

カウナスの観光地ではほとんど見かけなかった日本人も、ここでは何組かお見かけしました。


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このように、ホテル外側のプレートには日本語の説明まであるのですが、館内には特に何も案内はありません。ホテルのパンフレットにも載っていません。当時の宿帳が現存していないため、杉原一家がどの部屋に泊まったかもわからないようです。


内部はクラシックな雰囲気が残っています。でも思いのほかロビーは小さかったです。


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階段のステンドグラスを毎朝毎夕、眺めながら上り下りしました。そう、このホテルにはエレベーターがないのです。全体に古びています。そのため一等地にしては破格のお値段だと思います。


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団体さんが利用することも多いようです。大型バスがよくホテル前に停まって荷物の出し入れをしていました。どこにそんなに収容できるの?と思いましたが、実はこのホテル、奥が深~いのでした。行けども行けども部屋があるのです。

一枚目の濃いピンクの壁の建物だけかと思いきや、下の写真の薄いピンクの建物にもつながっているのです(下の写真の右奥がピンクの建物になります)。

通りに面したレストランは超人気で、いつでもお客さんでいっぱいでした。カウナスの夏の夜は長いので、深夜日付が変わるころまで、実ににぎやかでした(^^;


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ちなみに、カウナスの中心部は3階建てくらいまでで高さが統一されており、たいへん美しい街並みです。

さて、到着から4泊したお部屋は、ステンドグラスの階段を3階まで上がった真ん前。4人まで泊まれる2ベッドルームでした。そこしか空いてなかったからのようですが、もちろんチビッコと2人では使いきれません! 一部屋はバスルームに行くために通り過ぎるだけとなりました。それでも1泊1部屋8千円(朝食別)くらい。贅沢~。

もっぱらメインベッドルームを使いました。ここにデスクや冷蔵庫があったので。奥の扉は第2ベッドルームに続きます。以前は左にも部屋が続いていたようです。今はそのドアは閉じられていました。

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第2ベッドルームはまるっきり使いませんでした。

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さらに小部屋に続く扉があります。小部屋にはタンスと鏡だけ。贅沢な空間の取り方。

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小部屋の奥にようやくトイレ、そしてバスルーム。バスルームエリアで大きな声を出しても、ベッドルームに声が届かない。。。


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バスルームには温水パイプによる暖房が入っていました! リトアニア、夏はわりと暑くなるので、お部屋には冷房が欲しいくらいだったのですが、バスルームは確かに天井が高くて体が冷えそうになるので暖房があるくらいで良かったかも。

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タオルが少々お見苦しゅうございますが、、、このレトロなバスルームも、もしかするとモダ~ンに改装されてしまうかもしれないのでアップ。右手の温水パイプはタオルや洗濯物がカラッと乾くのでありがたかったです。


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このホテルはすべてこういうレトロな部屋かというとそうではなくて、ヴィリニュスに移って、また最後に戻ってきたときに1泊した部屋は、改装してモダーンになっていました。

こちらは、はじめのお部屋の向かい側です。床は板張りでやはりギシギシってましたが、設備は最新のものが入っていました。

はじめの部屋に比べると小さく感じますが十分広いです。日本のホテルの部屋が小さすぎるのかもしれないですね。
あとからバスルームエリアを付け足したのか?、丸い柱状のバスルームエリアをぐるっと回れる造りになっていました。



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壁に昔のカウナスの街並みがプリントされている。。。白い壁でもいいように思うのですが、部屋が広いのでうるさくはないです。


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シャワーブースでバスタブはなかったけど、チビッコにはシャワーが使いやすいと好評でした。まあ、やはり設備は新しい方が何かと使いやすいですね。


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というように、不思議なくらい部屋によって改装の度合いが違ったのですが、レトロなVIPルーム(?)と、最新の設備の部屋と、どちらも泊まれて面白かったです。そのうちレトロ部屋も改装するのかな? そうするとお値段上がっちゃうかも? 

朝食は一人3ユーロです。私たちは朝食抜きのプランで予約しましたが、その場、その場で払えばOKでした。

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とにかく場所がいいし、お値段もお安いので、なかなかお得なホテルだと思います。ただし、繁華街にあるので、夏は深夜までにぎやかです。とりわけ金曜の夜は…!! 静かでないと寝られない人は静かな部屋を指定されることをおススメします!


つづく






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by chekosan | 2017-09-16 16:47 | リトアニア | Trackback | Comments(0)

ちっとも進まないリトアニア旅行記。やっと1日目の記録。未完の大作になりそう。

さて、今回の旅の最大の目的は、カウナスの杉原記念館に行くことでした。

杉原記念館は、1939年に日本の外交官、杉原千畝が開設し、1940年7月末から8月にかけて、主にポーランドからのユダヤ難民に2139通の通過ビザ、いわゆる「命のビザ」を発給した元日本領事館の建物です。

日本領事館が閉鎖されたあとは共同住宅として使われていましたが、1999年、リトアニアとベルギーの知識人や実業家が「杉原『命の外交官』基金」を創設、2000年に杉原記念教育センターを設立しました。以来、この基金(NPO)が管理運営しています。



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杉原記念館は、カウナスの目抜き通りの東の起点となる聖ミカエル教会から1キロあまり、徒歩で15~20分ほどの少し小高くなった住宅街にあります。市街地からは思いのほか近いです。

建物は日本の二世帯住宅くらいのサイズです。前庭はほとんどなく、建物の前はすぐ道路という感じで、連日何百人という人が押し寄せてきたときは、相当な圧迫感であっただろうと思いました。


緑のコンテナが置いてある左手が杉原記念館。ごくごく普通の住宅地。


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訪れたときは外壁の改装中だったので、全体像がわかる写真が撮れなくて残念でした。



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クラウドファンディングによる修理の真っ最中。ある意味、貴重なときに行ったのかもしれません。


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日本語が堪能な受付の青年によれば、見学者はほとんどが日本人とのこと。ゲストブックの記帳もほとんどが日本語で、まれにヘブライ語や英語が見られました。

寄付金箱に入っているのも、ほとんど日本の紙幣。



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カウナスでの計5日ほどの滞在中、鉄道駅と、杉原がリトアニアを退去する直前に泊まっていたホテルメトロポリス以外で日本人を見かけることはなかったのですが、同館のゲストブックでは間を置かず日本人が訪れています。私たちが同館にいた1時間ほどの間にも3組ほどが訪れていました。

ほとんどの日本人観光客は「杉原詣で」を目的としてカウナスを訪れているのではないだろうかと思われます。

記念館の受付には、お土産ものも置いています。杉原や、同じく難民にビザを発給したオランダ領事のツバルテンディクの写真を用いたもの、領事館の公印をデザインしたリネン製品(リネンはリトアニアの特産)など種類も多いです。質、デザインとも良く、価格もそこそこします。

後に訪れた施設には書籍のみか、施設の外観を刷った葉書やマグネット程度しか置いていなかったのに比べると、杉原記念館には商売気があるように思えなくもないです。

が、同館は人を助けこそすれ抑圧した場ではないし、ここはいわば「聖地」、「聖地」にはお土産はつきものでしょう。

また、同館が国家からの援助を受けず寄付で賄っている施設であることを考えれば、民間の力だけで歴史的建造物を保存、活用する財源を自館で確保する例として参考になるかと思います。



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絵葉書、ピンバッヂ、封筒、マグネット、Tシャツ、バッグ、チョコレート、冊子などいろいろありました。ちなみに、杉原記念館のお土産は日本円で購入することができます。



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つづく



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by chekosan | 2017-09-15 22:41 | リトアニア | Trackback | Comments(0)