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by chekosan

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ポーランドのユダヤ人でアウシュヴィッツに収容され、4歳のときに解放された男性の回想録。

マイケル・ボーンスタイン氏は、老人や子どものほとんどが殺されたアウシュヴィッツ収容所で、奇跡的に生き延びて戦後を迎えた。

アウシュヴィッツを解放し、残っていた収容者の看護や帰還の世話をしたソ連軍は、解放直後の記録映像を撮っていた。マイケル氏は、大人になって、あるときこの映像を偶然見て自分が映っていることに驚く。

4歳と小さかったマイケル氏は、当時の記憶があいまいだったり鮮明だったりしたため、自分の体験をほとんど語ってこなかったが、この映像をみたこと、さらには、その映像が、アウシュヴィッツは組織的にユダヤ人を絶滅させようとしていたわけではないとする「歴史修正主義者」の「証拠」にされていることをインターネット閲覧時に知って驚愕する。

そこで、自らの記憶とジャーナリストの娘による資料調査、ホロコーストを生き延びた親族たちの証言によって可能な限り当時の様子を再現し、後世に残すことを決意した。それが本書である。


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マイケルたちの親族はポーランドのジャルキという町に住んでいた。ここはユダヤ人が三分の二、3千人強、暮らしていた。それがナチスドイツの侵攻によって「オープン・ゲットー」化され、強制労働、手当たり次第の暴力や処刑にあう。

マイケルの父は、ゲットーごとにつくらされた「自治組織」であるユダヤ人評議会の長を務め、ユダヤ人家庭から隠し持った財産を寄付してもらい、それを基金にして、逃亡の資金やSS将校への贈賄の元手にして、数百人の命を救った。

ジャルキのユダヤ人が全員、強制移送によって追い立てられた時も、マイケル一家だけは別のまちの軍需工場に送られて助かった。

ユダヤ人評議会に関しては、対独協力というそしりや批判もあるが、コミュニティがしっかりしていて、ユダヤ人住民に有利になるよう働いた評議会があったところでは、比較的長く共同体が存続し、ほかよりは多少ましな生活ができていたようである。

リトアニアでの二人の生存者の証言録でも、ヴィリニュスとカウナスでは評議会の評判やコミュニティの存続の様子がずいぶん違い、興味深い。
→ マーシャの日記―ホロコーストを生きのびた少女 
  リトアニア旅行記(6)カウナス・ゲットーとソリー・ガノール『日本人に救われたユダヤ人の手記』(講談社 1997)




戦後、ジャルキに帰還したユダヤ人はほんの数十人だったという。マイケルも祖母と帰還するが、家はポーランド人住民に占拠され、苦難を強いられる。それでもマイケルたちはまだ親族の多くが生存している方であった。しらばくして叔母や母も帰還し、その後、故郷に残ることを譲らなかった祖母以外の親族は、数年の準備を経てアメリカへと渡った。

なお、戦争前に親族のうちで唯一、欧州を脱出した女性は、杉原千畝の発給したビザで日本を経由してアメリカに渡り、事業を成功させ、親族を呼び寄せたという。ここでも杉原ビザによるサバイバーが!

杉原の書いたビザは公的には2千通ほどだが、これを持って無事第三国に渡った人たちは、今度は欧州に残ったユダヤ人を助ける側に回った。彼ら自身や子孫、彼らが支援した人びとを合わせると、直接、間接的に相当多くの人たちを救ったのだとあらためて思う。




マイケル氏は仕事を引退してから、ときどき子どもたちに向けてホロコースト体験を語っているという。若い世代に読んでもらえるよう、本書は小説的にやさしい言葉で書かれている。

とはいえ、マイケルたちを取り巻いていた状況は悲惨で、さらりと残虐な行為や場面が頻出する。戦闘行為や爆撃による死も悲惨で不幸で許容しがたいことには違いないが、ただ虐め辱めるためだけに人々が殺されていく場面は耐えがたい。

マイケル氏が70代になるまで体験を語らなかったのは、自身が幼くて記憶があいまいだったから控えていたということもあるだろうが、そうした状況で自分たち親族は比較的高い割合生き延びられたということを声高に言えない、言うべきではないという抑制があったのかもしれない。






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by chekosan | 2018-09-11 12:56 | 読書記録 | Trackback | Comments(2)
超・長編映画「SHOAH」を観ました。

第二次大戦中に、ドイツやナチスの占領下で実行されたユダヤ人の強制収容、大量虐殺の実態を、被収容者、元ナチス親衛隊員、収容所近辺のポーランド人たちの証言のみで描き出す、4部からなるドキュメンタリー映画です。

私がこの作品を知ったのは、一体、いつのことだったのか。

おそらく大学院生の頃だったと思いますが、とにかく長くて重い映画らしいということだけを、どこからか聞いて知っていました。

その後、NHKでテレビ放送されたときにビデオに録画していたのを、先日ようやく観ました。ランズマン監督は11年かけて制作したそうですが、それに匹敵するくらいかけての(?)視聴です。

ビデオです、ビデオ。VHSテープです。
何しろ9時間半あるので、3倍速でも2本に渡ります。


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全編を視聴して…

初めの方は、通訳を介してのインタビューをそのまま使っていることに、少々、冗長さを感じました。ただ、そのもどかしさも、生の証言を残すという意図の表れということは理解できるので、早送りなどせず観ていきました。

たとえば、監督が通訳に、端折らずに訳してくれと言ったり、あなたの解釈ではなく証言者の言葉をそのまま訳してくれと言ったりする場面が何度かあります。たしかに、あれだけしゃべっていて、訳はこれだけ?と思うときがけっこうあるのです。

あるいは、収容所の近隣の人たちに話を聞く場面では、人々が口々に話し出して、声が重なるときがあります。

逆に、証言者が感極まって、しばらく話せなくなるときもあります。

そのような成り行きや反応も証言の一部を成しているのです。



証言内容で衝撃的だったのは、生存者よりも、収容所周辺の人々の話です。ナチスは、収容者を大量殺戮していたことを察知されないよう秘密裏にことを進め、収容所を閉鎖するときには証拠隠滅をはかったのですが、周辺のポーランド人たちは皆、そこで何が行われているか知っていたのです。そして、知っていたことをちっとも隠そうとしないのです。

ポーランド人もドイツに支配されており、ユダヤ人を助ければ家族もろとも処刑される状況だったので、救出するわけにいかなかったという事実はあるとしても、それにしてもあまりに淀みなく、躊躇なく、強制移送や処刑の事実を見ていたという証言が飛び出すのです。

そして、元SS隊員の証言も非常に生々しく酷いものでした。なのに、平然と語るのです。隠し撮りとはいえ。そのような場面に立ち会っていて、なぜその人は「業務」をこなせていたのか。なぜ戦後、罰せられることもなく、健やかに穏やかな日常を送れているのかと思わせられます。



ところで、ランズマン監督は、スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」を批判しています。シンドラーという一ドイツ人を英雄視し、彼によるユダヤ人の救出劇をクローズアップして「キッチュなメロドラマ」にしてしまったというのです。

写真の本『『ショアー』の衝撃』(鵜飼哲、高橋哲哉編、未来社、1995年)もそうです。まるで、「SHOAH」を評価するなら「シンドラーのリスト」は叩かなければいけないかのようです。

「シンドラーのリスト」のなかに、アウシュヴィッツに連れて行かれた女性たちがシャワー室に入れられ、パニックが起こるシーンがあります。このシーンを取り上げて、スピルバーグのそれまでのアドベンチャーもののハラハラドキドキと変わらないという批判をしている論が上記の本に掲載されていました。

しかし、その場にいたユダヤ人の女性は自身の回想録のなかで、もっとリアルにそのときの体験を書いています。映画以上にパニックが起こり、そして本当のシャワーであったことに安堵したといいます。

一方、「SHOAH」のなかにも、一種のつくられたドラマや演出はあります。

映画の冒頭に登場する絶滅収容所の数少ない生存者である男性を、ランズマン監督は現場に連れて行って、当時やっていたように船に乗せて歌を歌わせます。さらには、彼が働かされていたのを見ていた土地のポーランド人たちに、カトリック教会の前で対面させます。

土地の人々は彼を囲んで、よくぞ生きていた、私は彼を解放してやれとドイツ人に言ったのだ、などと口々に言って、再会を喜びます。

そのうえで、ランズマン監督は、住民たちに挑発的な質問をして、反ユダヤ的な発言を引き出します。常に穏やかな表情をたたえた証言者は、歓迎ムードから一転、険悪な雰囲気になった集まりの中心に立たされたままです。

証言者を見つけ出し、カメラを回し、問い詰めるという行為もまた一つの創作であり、切り取りでしょう。「SHOAH」に残された証言が第一級の史料であることには異論はありませんが、「SHOAH」の手法が唯一絶対で最善の表現方法であるということは言えないと思います。


ホロコースト(ショアー)や負の歴史をどう伝えていくかということについては、引き続き勉強し、考えていきたいと思います。


※「シンドラーのリスト」関連記事
映画「シンドラーのリスト」(スピルバーグ監督 1993年)を観ました
トマス・キニーリー『シンドラーのリスト(シンドラーズ・リスト)』(新潮社 1989)
田村和子『生きのびる クラクフとユダヤ人』『ワルシャワの日本人形 戦争を記憶し、伝える』
ステラ・ミュラー=マディ『シンドラーに救われた少女 鳥のいない空』(幻戯書房 2009)


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by chekosan | 2018-06-24 00:21 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
小さな本です。A5判よりも縦が短く、字も大きくて読みやすい本です。

女性ジャーナリストが、ホロコーストを語りつぐ女性6人を取材したものです。ホロコーストの生存者、博物館の責任者、歴史家など、さまざまな形でホロコーストの伝承や研究に関わっている人たちです。


ヘレナ・ニヴィンスカさんは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の女性音楽隊のメンバーだった方。長い沈黙を破って、97歳のときに『強制収容所のバイオリニスト ビルケナウ女性音楽隊員の回想』を出版されました。


ベロニカ・ナームさんは、ベルリンのアンネ・フランクセンターの責任者。同センターは1998年に開かれました。ユダヤ人の視覚・聴覚障碍者を雇用したり匿ったりしたオットー・ヴァイト氏の作業場とともに、ホロコーストを考える場として多くの人が訪れています。

2016年夏にベルリンに行ったとき、私もその一角に行ったのですが、そのときは東独の跡めぐりを旅のメインにしていて、その2つのセンターには入りませんでした。同じところにある、アンペルマンショップでさんざ買い物をしておいて… その頃は、ホロコーストはまだあまり関心を持っていなかったのです… ベルリンは、遠くないうちに、また行かねばです。


ステファニー・ビルブさんは、ベルゲン・ベルゼン国立記念博物館広報責任者。ベルゲン・ベルゼンは、アンネ・フランクと姉が亡くなった強制収容所です。アクセスはよくないところですが、年間8万人が訪れるそうです。

ここで、イギリス軍による解放直後の写真が出てきます。ショックを受けやすい人は要注意な写真です。アンネたちが移された頃のベルゲン・ベルゼンは、非常に劣悪な環境で、亡くなった人たちを焼くこともできず、穴にそのまま放置されていたそうです。その写真です。


インゲ・ドイッチュクローンさんは、先述のオットー・ヴァイト氏の作業場で働いていました。たくさんの人の協力でホロコーストを生き抜いた経験を子どもたちに語り継いでいます。岩波書店から『黄色い星を背負って』という著作が出ているようなので、また読もうと思います。


マルタ・シャートさんは、歴史家・作家。40歳を越えてから大学で歴史学と美術学を学びます。記録文書の保管庫に通って、当時の史料を読み解き、ナチスドイツに抵抗した女性たちについて、著書『ヒトラーに抗した女たち』にまとめました。この本は日本語訳も出版されています。

ナチスに抵抗して断頭台で処刑された女性たちのなかには、抵抗活動をした人もいれば、『西部戦線異状なし』の作者レマルクの妹のように、ヒトラーの政治に対して異論を口にしたのを密告されただけという人もいたそうです。


最終章で紹介されているインゲ・イエナーさんは、ドイツのオスナブリュックにある、フェリックス・ヌスバウムハウスの元館長。故人です。この街の出身で、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人画家、ヌスバウムの絵を集めた美術館を盛り立ててきました。

ヌスバウムの名は知りませんでしたが、絵は何かで見たことがあるような気がします。とても惹かれる絵です。ヌスバウムハウスには、彼が友人たちに託した絵が170点所蔵されているそうです。先も触れたレマルクの出身地でもあるとか。これはぜひとも行きたいです。

ヌスバウムの絵、グルジアの画家ピロスマニとか、フランスの画家アンリ・ルソーとなんとなく、どこか通じるものがあるように思うのですがそんなことはないでしょうか。どちらも好きなんです。

と、小さな本ですが、ああ、ここにも行きたい、こんな本もあるのか読みたい、とたくさんの刺激をいただきました。

この夏はバルト3国に行く予定ですが、またドイツも計画しようかな。



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by chekosan | 2018-04-30 21:39 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
3月に続けて3冊読んだ田村和子さん(本の紹介はこちらこちら)が翻訳されていると知って読みました。

タイトルにあるように、ナチスドイツがつくったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のなかに結成された女性音楽隊でバイオリニストを務めた女性の回想録です。

著者のヘレナさんは音楽の専門教育を受けたポーランド人女性です。下宿させた人がレジスタンス(抵抗組織の一員)であったという理由で、母とともに逮捕、投獄され、ビルケナウ収容所に入れられてしまいます。ヘレナさんは、音楽の経験が買われて、女性音楽隊の第一バイオリンに選ばれました。

ビルケナウは、アウシュヴィッツ強制収容所の支部のようなところなのですが、規模としてはアウシュヴィッツよりもずっと大きいです。あの悪名高いガス室が数棟あるところです。

そんなところに音楽隊が!?と思いますが、強制労働の行き帰りに行進曲を演奏したり、親衛隊の娯楽としてコンサートを催したりといった役割を果たすよう結成されたのです。

収容者のなかでは比較的ましな待遇を与えられ、生き残る可能性も高かったそうですが、それでも通常では考えられないようなひどい環境でした。

音楽は人々の癒しにもなり、音楽隊の命を長らえさせる手段にもなりましたが、同時に音楽隊員たちは、自分たちだけが(多少)優遇されているという後ろめたさ、ガス室で多くの人が殺されているすぐ側で音楽を奏でることへの苦悩も抱え、長く精神的に病む人もいたそうです。


音楽隊の指揮、編曲にあたったのは、ユダヤ人のアルマ・ロゼでした。彼女も収容者の一人で、しかも親衛隊がもっとも蔑んだユダヤ人でしたが、著名な音楽家であったこと、威厳に満ちた態度、音楽隊のレベルを非常に高めたため、親衛隊からも、「フラウ」という敬称をつけて呼ばれたそうです。「メス豚」だのと人間扱いされなかった収容所では異例のことだったそうです。

アルマ・ロゼは一切の妥協を許さず、音楽隊の演奏水準をどんどん高めました。しかし、アルマは急死します。毒殺といううわさもあるそうです。


著者のヘレナさんは、父も兄も亡くし、一緒に収容された母も病気で失います。音楽隊の仲間たちの励ましや協力でなんとか耐えぬき、解放の日を迎えることができました。ヘレナさんの故郷はソ連領になってしまったため、クラクフの音楽隊の仲間の一人の家に一時世話になり、音楽の仕事に打ち込むことで乗り越えてきたということです。

強制収容所の回想というとユダヤ人と思いがちですが、ヘレナさんのようにポーランド人や、そのほかの人種、国のひとたちも収容されていました。やはりユダヤ人収容者とは若干視点や感じ方が違うので、そのあたりも興味深く読みました。

ヘレナさん自身の出身を反映してか言葉遣いが上品で、音楽隊という特殊なところにいたということもあって、収容所体験の本としては痛い、汚いシーンが少なく、そういう記述が怖い人にも読みやすいと思います。



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by chekosan | 2018-04-10 06:34 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所見学を主目的とするポーランド行きからのつながりの本一色の3月でした。

「サウンド・オブ・ミュージック」は舞台はオーストリアですが、ナチスドイツとの併合時代の話なので繋がっています。こちらは関西ウーマン「信子先生のおすすめの一冊」で紹介しました。


3月の読書メーター
読んだ本の数:9
読んだページ数:2216
ナイス数:260

『サウンド・オブ・ミュージック』で学ぶ欧米文化『サウンド・オブ・ミュージック』で学ぶ欧米文化感想
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の歌と音楽、せりふ、視覚・聴覚的演出を6人の専門家がやさしく読み解いた本。映画を観るだけでも十分楽しめるが、背景にある文化や歴史を知ることによって、もっと作品を味わうことができるということを教えてくれる。月イチ連載の書評で詳しく紹介。https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201287 書評を書くにあたって、久々に映画も鑑賞。監督の音声解説も。以来、親子でずっと歌いっぱなし。ザルツブルクに行きたくてうずうず♪
読了日:03月03日 著者:野口 祐子,山口 美知代,浅井 学,青地 伯水,出口 菜摘,横道 誠


展示の政治学展示の政治学感想
「展示」という行為のなかにある政治的行為について、複数の専門家がそれぞれの観点や事例から考察する論集。硬派な本だが一気に読んだ。いずれの論稿も勉強になった。見る、みせる、秘匿するという行為のなかにある権力関係、それを一方的でなくすにはどうするか、展示の形態や捉え方の変遷、展示をどう読み解くか、どう教育に生かすかなどなど。19c末以降の美術展示は、国や貴族、富裕層による富や権力の誇示から、知識とセンスの誇示に変わり、誰にでも開かれているようで実は大衆や下層階級を排除しているのではないかという考察が面白い。
読了日:03月09日 著者:宮下 規久朗


他者の苦痛へのまなざし他者の苦痛へのまなざし感想
戦争や刑罰の写真を撮ること、見ること、その力の効果や限界に関する考察。前史としての絵画や版画における残酷なシーンの表現についても。例示がたくさん出てくるが、本書の中には図版は一切ないので、その度にインターネットで画像を確認するなどしていたら、なかなか進まず。そして、文章から想像したのと実際の写真がかなり違っていて、やはり写真のもつ力は大きいと再認識したり。ソンタグの考察をしっかり咀嚼、検討するよりも、例示や細かい事実に、ほぉおー、へえぇ〜、と唸って、寄り道して、終わってしまった感じ…
読了日:03月11日 著者:スーザン ソンタグ


HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)感想
クンデラのように、というかクンデラ以上に、作者が作品中に顔を出し口を出す小説。むしろほぼドキュメンタリー。プラハを治めるSS幹部の暗殺事件について、作者が知ったきっかけから、調べを進めていく過程が盛り込まれている。そこがとても面白い。我々の業界では研究対象への愛をあからさまに文字で示すことは通常できない。小説ならでは。羨ましく思いながら読んだ。映画との比較など詳しくはブログに記録。https://chekosan.exblog.jp/28205007/ 今年の夏はハイドリヒ暗殺関連現場めぐりをしよう。
読了日:03月21日 著者:ローラン・ビネ


ワルシャワの日本人形―戦争を記憶し,伝える (岩波ジュニア新書 636)ワルシャワの日本人形―戦争を記憶し,伝える (岩波ジュニア新書 636)感想
著者はポーランド語の翻訳者。ドイツ占領下のワルシャワで抵抗運動に携わった人々や、彼らを記念する博物館などについて、わかりやすく語るように紹介する本。パヴィヤク監獄に収容された地下運動家の女性が少しずつ少しずつ仕入れた材料で作った日本人形にまつわる話や、そのエピソードを日本のアーティストがパフォーマンスにした話、日本の援助でシベリアから救出され、のちに「孤児部隊」を率いてワルシャワ蜂起に参加した青年の話など、興味深い事実が続く。コルチャック先生やコルベ神父の記述も。本書で紹介されたところをぜひ巡りたい。
読了日:03月22日 著者:田村 和子


生きのびる―クラクフとユダヤ人 (母と子でみる)生きのびる―クラクフとユダヤ人 (母と子でみる)感想
クラクフのゲットーや強制収容所を生き延びた人たちの体験を聞き取ったり、体験記から要旨をまとめたりしたもの。『シンドラーのリスト』に出てくる女性や、クラクフで証言活動を行っている男性、イスラエルに渡り回想記や小説を著した女性たちの体験はたいへん過酷でショッキングである。写真も大判なので臨場感がある。この本のために撮られた写真でも、先月(2018年2月)見てきたクラクフとかなり雰囲気が違うことに驚く。この間にクラクフはずいぶん変わったようだ。もっと見ておきたかったと臍を噛んだ。

読了日:03月24日 著者:田村 和子,山本 耕二

『ワルシャワの日本人形』と『生きのびる』についてはブログにも詳細


戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)感想
このところ、歴史がどう記憶されるか、伝えられるか、それは何がどう影響するかといったことを扱った諸分野の文献を読んでいるのだが、やはり私は政治学の視点が合うと思いながら本書を読み進めた。参考になる事実、分析、表現がたくさんあって、付箋がニョキニョキ。なのに、なぜか全体をまとめられない本。。。
読了日:03月26日 著者:藤原 帰一




ワルシャワの春―わたしが出会ったポーランドの女たち (母と子でみる)ワルシャワの春―わたしが出会ったポーランドの女たち (母と子でみる)感想
ここ数日で同じ著者の本を続けて3冊読んだ。本書では、著者自身が出会ったポーランドの女性たちを紹介。戦争、社会主義体制、戒厳令、民主化と、激しく変化する社会で、それぞれの人生を切り拓いてきた人たち。最後に、ポーランドにおける女性の地位や扱われ方、その変化についてもまとめてある。詳細はブログに。https://chekosan.exblog.jp/28214759/  2003年発行の本なので、その後、さらにポーランド社会と女性の状況は変わっているはず。同じようなコンセプトの本を書いてもらいたいなあ。

読了日:03月27日 著者:田村 和子


鳥のいない空―シンドラーに救われた少女鳥のいない空―シンドラーに救われた少女感想
ホロコーストを生きのびた女性の回想記。人間はどこまで残虐になれるのか。夜を徹して読んでいたら、収容所の夢を見た。こういう状況で果たして自分たちは気を強く持って耐え抜けるだろうか…生ぬるく育った我が子らなど一日も持たないかもしれない…などと思うと悲しくなって下息子の細い体を抱きしめてヨシヨシしたのであった… 著者ステラさんのその後については田村和子氏の著作『生きのびる』『ワルシャワの春』で紹介されている。詳しくはブログに。https://chekosan.exblog.jp/28215997/

読了日:03月28日 著者:ステラ ミュラー‐マデイ

読書メーター

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by chekosan | 2018-04-01 23:53 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
「シンドラーのリスト」によって救われた女性の回想記です。夜を徹して読みふけってしまいました。

著者のステラさんは、クラクフの豊かな家庭に生まれますが、ゲットーに移らされ、さらにはプワシュフ強制収容所に入れられます。母の強い意志で、子どもを預ける施設には入らず、年齢を偽って工場で労働に従事します。

子どもの施設に入っていれば、毎日の何時間にもおよぶ点呼や労働は免れ、読み書きも習えたかもしれないのですが、母のこの判断は正しいことが判明します。子どもたちは施設からまとめて連れ出され、絶滅収容所に送られて殺されたのです。

ステラさんも怪我や病気、飢えに苦しみますが、母や周囲の大人に支えられ、なんとか生きのびます。

伯父の計らいで、ステラさん一家は、オスカー・シンドラーがチェコに開く労働収容所に移る一団に配属されます。シンドラーの工場では、暴力や殺人がなく、食事も良好だったので、これで助かると思われました。

ところが、手違いなのか、女性たちを載せた貨車はチェコではなくアウシュヴィッツに着きました。そこでステラさんは傷が化膿して、健康状態をひどく悪化させます。

死ぬのを待つだけの伝染病棟で、女医の手厚い世話を受け、少し回復したステラさんは、シンドラーの収容所に移送される寸前に合流することができました。

チェコの収容所では、シンドラー夫妻の統制のもと、虐待や殺人は控えられていました。それでもどんどん食糧難が深刻になりますが、ほとんどの人たちが、ソ連軍による解放まで生きのびることができました。

ステラさんは10代前半だったため、恐怖や不安で震えやしゃっくりがとまらなくなったり、アウシュヴィッツ入所のときに剃られた毛がなかなか生えてこなかったりと、心身に強い痛手を負います。

両親と兄と揃って終戦を迎え、母方の祖母が存命だったので、クラクフに戻って住むところも確保できましたが、自分たち一家をリストに載せてくれた伯父夫婦は解放直前に亡くなってしまいました。

本書は収容所から帰還したステラさん一家が祖母の家にたどりついたところで終わっていますが、あまりハッピーエンドという雰囲気ではありません。ステラさんは、その後も「なぜ生き残れたのか」と冷たい目で見られ、健康状態もすぐれず、苦しみは長く続いたそうです。戦後編も出版されているので、翻訳を期待したいです。

ステラさんのその後については、田村和子『生きのびる クラクフとユダヤ人』『ワルシャワの春 わたしが出会ったポーランドの女たち』で少し紹介されています。

トマス・キニーリー『シンドラーのリスト(シンドラーズ・リスト)』や映画「シンドラーのリスト」と併せて読むと、この時期のクラクフのホロコーストの状況やシンドラーの活躍がよくわかります。





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by chekosan | 2018-03-28 14:06 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
続いて、田村和子さんの著書を読みました。
『母と子でみる ワルシャワの春 わたしが出会ったポーランドの女たち』です。

この本は、田村さん自身の友人や、友人の紹介で出会ったポーランドの女性たちを紹介するものです。
田村さんはポーランド語の翻訳家なので、作家やものを書く人が多めですが、そうではない人も登場します。

戦争や社会主義体制で苦労しながらも、それぞれの道を切り拓いてきた女性たちばかりで、派手ではないけれど、たくましくて堅実で誠実な生き方をされてきたことが伝わります。

ただ紹介して終わりではなく、最終章でポーランドにおける女性の地位や現況などについてもまとめてあります。

カトリックの強いポーランドでは、聖母マリアが尊ばれ、女性や母性を崇拝する社会なのですが、それは裏返すと女性に妻、母としての義務やふるまいを求め、拘束することにもつながりました。

社会主義期には女性も労働者としての働きを期待され要請されますが、それによって家事育児の責任が減ることはなく、ポーランドの女性たちはたいへんな負担をこなしてきました。

ところが民主化後の新しい社会経済体制は男性中心で、多くの女性たちが失職の憂き目にあいます。
さらに中絶禁止法が採択されるなど、女性の自己決定権も後退します。
(*2016年、さらにこれを厳格にして、中絶をほぼ全面禁止する法案が提出されましたが反対多数で否決されました)

そうした仕組みや風潮に異議を唱える女性たちも最後に紹介されています。



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by chekosan | 2018-03-27 21:01 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
ポーランド語翻訳者の田村和子さんによる、

『母と子でみる48 生きのびる クラクフのユダヤ人』(草の根出版会 2000年)、
『わワルシャワの日本人形 戦争を記憶し、伝える』(岩波ジュニア新書 2009年)

を読みました。

いずれも、ポーランドにおける戦争体験、ホロコースト体験を語り継ぐ本です。

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田村和子さんは、1979年に、家族の仕事の関係でポーランドのクラクフに1年滞在されました。帰国後ポーランド語を学ばれて、再びクラクフに留学されています。

ポーランドで出版されている青少年向けの本を翻訳されるとともに、戦時のホロコーストや抵抗運動についても聞き取り調査をされている方です。

『生きのびる クラクフとユダヤ人』は、草の根出版会の『母と子でみる』シリーズの一冊です。このシリーズからは、戦争を語り伝えるものがたくさん出版されています。いずれも写真が多く、記述もていねいでわかりやすくて頼りになります。

この本は、日本ではあまり紹介されていないクラクフのゲットーや強制収容所を生き延びた人たちの体験を聞き取ったり、体験記から要旨をまとめたりしたものです。

『シンドラーのリスト』に出てくる女性(当時は少女)や、クラクフで証言活動を行っている男性、イスラエルに渡り回想記や小説を著した女性たちの体験はたいへん過酷で、ショッキングです。

写真も、当時のものもあれば発行当時のものもあり、大判なので臨場感があります。

2000年発行の本なので、この本のために撮られた写真でも、先月(2018年2月)見てきたクラクフとかなり雰囲気が違うことに驚きました。この間に、クラクフはずいぶん変わったようです。

クラクフで見逃したところがいくつも出てくるので、あらためてもっと見ておきたかったと臍を噛みました。
これからクラクフやアウシュヴィッツに行かれる方は、ぜひ予習で読まれることをおすすめします。

最終章のワルシャワ・ゲットーの話は、もう一冊の本、『ワルシャワの日本人形』の一部と重複しています。

『ワルシャワの日本人形』の方は、ドイツ占領下のワルシャワで抵抗運動に携わった人々や、
彼らを記念する博物館などについて、わかりやすく語るように紹介しています。

パヴィヤク監獄に収容された地下運動家の女性が、少しずつ少しずつ仕入れた材料で作った日本人形にまつわる話や、そのエピソードを日本のアーティストがパフォーマンスにした話、

子どもの頃に、日本の援助でシベリアから救出され、のちに「孤児部隊」を率いてワルシャワ蜂起に参加した青年の話など、興味深い事実が続きます。

脱出のチャンスはあったのに子どもたちとトレブリンカ強制収容所に行くことを選択したコルチャック先生や、

アウシュヴィッツ強制収容所で処刑されそうになった若いポーランド軍曹の身代わりを申し出て亡くなったコルベ神父といった、ポーランドのホロコーストを語るうえで外せない著名人についても紹介されています。

ワルシャワに行くときには、ぜひここに出てきた場所を訪ねたいと思います。




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by chekosan | 2018-03-24 20:29 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

昨夜は、クラクフのシンドラー博物館のショップで見つけた、イレーナ・センドラーのドキュメンタリー映像のDVDを観ました。

IRENA SENDLER : IN THE NAME OF THEIR MOTHERS

イレーナ・センドラーはポーランドの女性。第二次世界大戦中、ドイツに占領されたワルシャワでソーシャル・ワーカー、そしてレジスタンスとして、ゲットーのユダヤ人の子どもたち2500人を救出した人です。

ポーランドでは、ユダヤ人を助けたことがわかったら、本人はおろか家族ごと処罰されました。センドラーもゲシュタポに逮捕され、拷問を受けました。

実業家として多くのユダヤ人を助けたオスカー・シンドラーは日本でもよく知られていますが、センドラーについてはあまり資料がありません。

平井美帆『イレーナ・センドラー ホロコーストの子どもたちの母』(汐文社)は、小学校中学年くらいから読めるよう文字が大きく分量は少ないですが、記述のバランスが良く説明も簡潔かつ丁寧。ドイツ侵攻以前にもユダヤ人差別があったことにも触れています。




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センドラーについては映画(テレビドラマ?)もあるようですが、私がクラクフで入手したDVDは59分のドキュメンタリーものです。

英語バージョンとポーランド語バージョンが収録されています。英語バージョンで見ると、ポーランド語で話しているところには英語字幕が出ます。センドラー本人はポーランド語で話しています。

当時の映像、再現映像、センドラー本人、仲間、助け出された子どもたち(インタビュー時点ではもうご年配)のインタビューから構成されています。当時の映像は、写真以上にショッキングですね…

センドラー自身も言っているのですが、一人でそれだけの子どもを救出したわけではなく、レジスタンスの仲間や、子どもたちを匿ったひとたち、教会などがあってこそなんですね。

子どもたちは、親から離れて自分だけゲットーを脱出することに抵抗したり、匿われた先の環境に戸惑ったりしたそうです。。。

ポーランドのユダヤ人は90%(映像では88%と言っていたかな?)が亡くなったため、親と再会できなかった子どももたくさんいました。DVDで証言している「子どもたち」のなかには両親とも生存していたというケースもありましたが、それは稀なケースでした。


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センドラーに関する本、英書で入手済み。こちらもまた読みたいと思います。


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ワルシャワ・ゲットーといえば、映画「戦場のピアニスト」。




ワルシャワ・ゲットーで孤児院を運営し、子どもたちと共にトレブリンカ強制収容所に連行され殺された、著名な医者、教育者、作家のコルチャック先生の話も、センドラーのインタビューのなかに出てきます。






ホロコーストを生き延びた6人の子どもたちのマンガも現地で買いました。







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by chekosan | 2018-03-11 11:31 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
宿は、クラクフ駅近くにしました。旧市街にも近く、便利なところでした。
クラクフの空港と鉄道は直結しているので移動が楽でした。

駅はこんな感じ。


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隣接して、こんな近代的なショッピングモールが。臨時のスケートリンクもありました。
中は、日本でもおなじみのブランドがずらり。ポーランドに来ている感じがしなかったです。
あ、でもポーランドの高級甘いもの屋さんがあったので、お土産のチョコを買いました。


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そうそう、アウシュヴィッツから帰ったときも、ここでお茶しました。私は生ジュースを。外は寒いけど、中は暖房が効いてて暑いんです。と~ってもおいしかったです。ドイツもリトアニアもポーランドも、生ジュースがめっぽうおいしい! 量も多い。お得感あり。


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宿に近くて重宝したスーパーZabka(ジャプカ)。ポーランド語でカエルです。
宿には洗濯機があったのですが、洗剤がなかったので、それもここで買いました。(;^ω^)



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宿の外観は撮り忘れていました。いろいろ抜かりがあった今回の旅。

私たちの泊まったのはアパートメントタイプ。場所もよく、2ベッドルーム、2バスルーム(ひとつはバスタブあり、ひとつはシャワーのみ)なのに安いなあと思ったら、エレベーターがなかった。それでか~。

で、最上階。4階だったかな、がんばってスーツケース上げ下ろししました、自分たちで。きつかった~~。

でも、広くて清潔でなんでも揃ってて、とっても居心地が良かったです。洗剤なかったけど(笑)

ダイニングキッチンとシーティングエリア。広い!


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メゾネットです!


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ベッドルームその1。

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ベッドルームその2。写真はちょっと狭く写ってしまっています。

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リビングルームのソファもおそらくベッドになると思うので、最大5~6人泊まれるのではないかな? キッチンも広々!! レンジもオーブンもトースターもコーヒーメーカーもありました。食洗器の洗剤はなかったけど(笑)


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朝食、夕食は食材を買ってきてキッチンで作って食べました。キッチンの高さに外国を感じました。

短い滞在でしたが、やはり一式揃っていると楽ですね。洗濯も洗濯機で3回くらいしました。
ここのところの海外旅行では、宿泊は、ほぼアパートタイプにしています。

予約はBooking.comでしています。これまでのところ、なんのトラブルもありません。
口コミの評価が高くて、便利な場所、バスタブ、洗濯機付きの条件で探しています。
Wi-Fiは必須ですが、いまどきないところはないですね。

次回も同じような感じで探そうと思います。








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by chekosan | 2018-03-09 22:50 | ポーランド | Trackback | Comments(0)