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by chekosan

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ユダヤ人博物館や、ワルシャワがドイツに占領されていた時期に抵抗運動に関わった人びとなどを拘留した機関などを見学したのは、ワルシャワに来て一週間くらい経ったころ。

それまでの一週間、ゆるゆる徒歩やメトロでワルシャワの見どころをあちこち回ることによって、中心部の広さや位置関係を肌で感じとってきたころでした。

ユダヤ人博物館のショップで購入したゲットー地図を見たときには、ワルシャワ・ゲットーの範囲や広さを、ああ、あのあたりもそうなのか、あそこまで入るのか、というような空間の感覚がついてきていました。


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ワルシャワ・ゲットーには、狭い範囲に40万を超えるユダヤ人が押し込められたというように言われます。たしかに一人当たりの面積にすると狭いのですが、面積的には小さくありません。

非常におおざっぱに言うと、ガイドブックでワルシャワ中心部として地図に掲載されている範囲の半分くらいに当たります。

時期によってゲットーの境界は変化するのですが、最大時で、いまの文化科学宮殿あたりが南端、北西の端がユダヤ人墓地、東は旧市街の近くまで含みます。

強制収容所への移送を逃れて、ゲットーに隠れ住んだ人がいたというような記述を読んでいて、よく見つからなかったものだと思っていたのですが、なるほど、この広さがあればどこかには隠れられると思いました。もちろん、食料や生活必需品をどうするかという問題はありますが。

そのゲットー地図をざっと見て、残りの日で、どこに行っておこうかと考え、「戦場のピアニスト」「コルチャック先生」でも印象的な、強制収容所に移送されるときの集合場所 Umschlagplatz 跡だけでも行っておこうと決めました。

宿からトラムで数駅。大きな通りの交差点は、近代的な都会の街並みです。

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ちょっとだけ歩くと、少し時代が古い建物や、普通の団地が並びます。


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えっ!? これ?? 


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逆方向から見た図。左の木の奥の白い壁が跡を示すモニュメントです。



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映画などで出てくる雰囲気とあまりに違う。すっきりとした住宅地の緑地のようです。ただし、ゲットー地図によると、メインの集合場所はこのモニュメントの場所そのものではなくて、道の向かい側の緑地あたりなのかな?


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そして、モニュメントの隣の建物と、向かいの緑地の隣にある建物は、どうやらゲットーの頃から残っている建物のようです(多分)。どちらも高等教育機関などになっています(先ほどの写真)。


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いまはこういう感じなのかと少し意外に思いながら、ゲットー記念碑をもう一度確認しに移動しました。

少し歩くと、石に文字を刻んだ記念碑が現れます。どうやら、ゲットー跡に、著名人の記念碑をいくつも設けてあるようです。

なんと2つ目くらいで、コルチャック先生の記念碑に遭遇しました!

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この頃には、私も子も日々のまちめぐりで少々足に疲労が蓄積してきていたので、コルチャック先生の運営していた孤児院詣ではあきらめていました。思いがけず石碑に出会えて感動しました。



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Stawki 通りと、Dubois 通りの角です。


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何日も歩き続けて、ちょっと足が痛いね、電動スケーターやレンタサイクルだったら楽だったねと、子と言ってたのですが、乗り物だと、こういうものは見落としていたかな。


そのあとも、石碑はいくつもありました。いちいち撮影しましたが省略。

そして、古墳のようなものが。小さな石がたくさん並べてあるということは、ユダヤ人の追悼の場的なもののはず。


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果たして、そうでした。ゲットーの抵抗運動の拠点の跡でした。Bunkier Anielewicza ( Miła 18)

こうした拠点はゲットー内にいくつもつくられ、そしてドイツに攻撃されて、多くの人が亡くなりました。


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イスラエル国旗がかけてありました。


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古墳のようと感じたのは、まったくそのとおりで、ここに多くの方が眠っておられるのでした。

Umschlagplatz と、ユダヤ人博物館とゲットー記念碑の中間くらいの場所です。

そこからユダヤ人博物館への道にも、まだまだ石碑が続くのでした。





by chekosan | 2019-08-14 01:17 | ポーランド | Trackback | Comments(0)
木曜日はユダヤ人博物館が無料公開日。ここもたくさんの人が訪れ、展示を見るのにかなり時間がかかるようだと事前に読んでいたので、開館に合わせて行きました。

手前はゲットー記念碑です。博物館は比較的新しくて、斬新なデザインです。ユダヤ人がポーランドに移り住んだ頃から現代までの歴史を紹介する博物館です。

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アウシュヴィッツもそうでしたが、ここも入口でセキュリティチェックがありました(翌日に訪れたシナゴーグでさえあったのには驚きました)。

いまでも嫌がらせや暴力的な行為が起こりうるということでしょうか…

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とはいえ、ピリピリした雰囲気ではありません。とても広くて、主に体験型の展示中心なので、ちょっとテーマパークっぽい感じです。


多くの人はオーディオガイドを借りて回っていましたが、ワルシャワ蜂起博物館でオーディオガイドが非常に時間がかかったので、私たちはやめておきました。ちなみに日本語のオーディオガイドはありませんでした。

展示は、タッチパネルでめくっていくもの、触れるようになっているもの、説明板など、とにかく多いです。もしもすべての説明を読んで回ったら、一日がかりではないかと思います。

空間に工夫があるので、ただ歩いて回るだけでも楽しめます。

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ポーランドが3つに分割されたときの部屋。

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床に分割した境界線が書かれています。


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ポーランドのユダヤ文化を表現するコーナー。

音楽や、

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ダンス、

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学問、


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学校。


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映画館やレストランが並ぶ街の様子。新聞もたくさん発行されていたようです。

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ここでも子どもたちの学習ツアーに遭遇しました。

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しかし、第一次世界大戦以降は、暗黒な雰囲気になっていきます。


第二次大戦中、ポーランドのユダヤ人は大半が、ポーランド国内や、近隣諸国の森や強制収容所に連れていかれて、亡くなったり殺されたりしました。

一昨年、訪れたリトアニアのパネリアイ(Ponary)の森の虐殺を説明しているもの。

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壁一面に身分証明書(だったか)を模したタイルが。


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世界大戦以前までのテーマパーク的展示から、どんどん照明が落ちていき、通路が狭くなり、深刻な状況を深刻に伝える展示になっていきます。

はじめの方は広い空間にたくさん人がいたのですが、なぜか後の方では減っていくような感じがしました。

展示がたっぷり過ぎて、やや印象が散漫になるような気もしましたが、千年に渡るポーランドのユダヤ人の歴史を網羅する博物館なので、ある意味、仕方がないのかも。

しっかりみっちり学ぼうと思うと、半日は余裕をもっておきたいところです。

オーディオガイドなしで、古い時代はわりとすーっと見て行った私たちでも、2時間はかかりました。



ーーー

外には、ゲットー記念碑以外にもいくつか記念碑があります。

こちらは、ヤン・カルスキの像。ゲットーに潜入し、そこでの悲惨な状況を連合国側に伝えようとした人です。クラクフにも像がありました。ポーランドでの尊敬度が高いことがわかります。

ヤン・カルスキについての説明はこちら

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この日は、つづいてパヴィアク監獄、ゲシュタポが本部として使っていた拘置所にも行きました。

一週間経って、いよいよダークツーリズムな一日。

つづく。





by chekosan | 2019-08-10 06:34 | ポーランド | Trackback | Comments(0)
これまでに2人の学生が「観ました」と書いてくれたことのある映画「僕の大事なコレクション」を観ました。

面白かったです。期待以上に良かったです。


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ワーナーのロゴが流れたときは、あ~、アメリカ映画だったかぁ…とちょっと期待値が下がったのですが、アメリカ映画っぽくありませんでした(笑)

コメディタッチだけどテーマは重い。重いけど、人への愛-祖先、家族、男女、友情ーをしみじみと感じることができる作品です。

ーーー

現代のアメリカのユダヤ系の若者ジョナサンがルーツを探しにウクライナに旅するというお話です。

1940年代にウクライナからアメリカに移住したユダヤ人の祖先ときたら、ホロコーストもので、筋書きもおおよそ見えてくるわけですが、それでも旅を進めるうちに少しずつわかっていく事実、少しずつ変わっていく登場人物たちの表情や態度が絶妙で、見入ってしまいました。

あらすじは他にお任せして、私は小ネタと、映画の舞台になった場所について書いておきます。

ーーー

ジョナサンのルーツ探しを手伝うアレックスとその祖父はオデッサに住んでいます。オデッサといえば、「戦艦ポチョムキン」の舞台。冒頭で、例の大階段も出てきます! ^^

オデッサはエカテリーナ二世が拡張した比較的新しい街で、ユダヤ人の居住を許したことから、ユダヤ人口が多かったところです。






ルーツ探しにきたジョナサンは、夏の盛りでも黒いスーツ。

対して、ジョナサンの世話をする通訳ガイドの若者アレックスは、アメリカ大好き、黒人文化大好き。常にジャージの上下でキメています。

若者がジャージをファッションとして着るのは、ウクライナの作家、クルコフの小説『ペンギンの憂鬱』にも出てきます。

この作品は、2017年度の同志社の特殊講義(輪読ゼミ)で読みました。このときは小ネタを探して調べてみようという回にしたところ、ちょろっとだけ出てくる街角のチンピラの着ているのがジャージというのはウクライナの現代ファッションを象徴しているという話をしてくれた人がいて、おおいに盛り上がりました。




このアレックスが、ちゃらんぽらんで遊び人、いつも薄ら笑いを浮かべているのですが、アメリカが好きなあまり、大学2年のときに英語を猛勉強して身に着けたという設定です。(ただし、このエピソードは本編ではカットされていて、DVD特典の未公開映像集にのみ出てきます。)

しかも、ジョナサンとの会話のなかで、アレックスは会計士をしていると言っていたような。外見とはちょっとイメージが違う職業が出てきて、えっ、と思わせます。

ジョナサンがベジタリアンで肉を一切食べないと知ったときの反応や、黒人を蔑視どころか崇拝しているアレックスが「ニグロ」という蔑称を連発してジョナサンを当惑させるところなどもそうですが、アメリカ人とウクライナ人双方のギャップ、カルチャーショックを嫌らしさなく表現していて、なかなかうまいなあと思いました。


ーーー

さて、ジョナサンとアレックスと祖父の車は、ジョナサンを鉄道駅で出迎えます。

映画では、リヴィウ駅ということになっていますが、これはプラハの Vystaviste という博覧会場の建物で撮影されています。


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そこから彼らはひた走ります。途中途中で、原子力発電所と思われる施設が大写しになったり※、放射能の危険性を示す標識が出てきたり、ソ連時代の団地が廃墟になっているところを通ります。

※追記(2019/7/22):火力発電所かもしれません。

なぜ廃墟になっているのかと問うジョナサンに、アレックスは「独立したから」と答えになっているのかわからない答えを返します。

チェルノブイリ原発事故の影響を受けた地域を通っているのかと思ってしまうのですが、チェルノブイリ原発はウクライナの北の方で、立ち入り禁止区域は30キロ圏内です。

そのときに3人の車は、もっと西の方を走っているので(下の地図の青線)、ちょっと当てはまらないように思うのですが。気になる部分です。



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さて、ジョナサンの祖父の故郷は、Trachimbrod という村でした。

この村は実在していました。そして、この作品の原作者であるジョナサン・サフラン・フォー(映画の主人公と同じ名前)の祖父たちの出身地でした。

ナチのホロコーストによって、ほとんどの村人が殺され、村の痕跡は今はまったくありません。

グーグルで Trochenbrod を検索すると位置や現在の様子が見れます。

↓こちらのページからも現在の様子が見れます。

1500-2000人ほどいた村人のうち、戦後まで生き残ったのは40人ほどだったそうです。

映画のなかで、ジョナサンは、「祖母はナチスよりもウクライナ人の反ユダヤ主義の方が恐ろしかったと言っていた」と発言していますが、そのことに意義を唱えた記事もあります。↓



こちらの記事、映画と原作小説の原題 Everything is Illuminated (すべて明らかになった)にかけて、「すべてが明らかになったわけではない」というタイトルになっています。

この記事によると、ナチスに殺害されたウクライナ人は、ナチスに荷担したウクライナ人の数十倍にのぼっていたし、ウクライナ人のなかには命をかけてユダヤ人を助けた人もいたとのこと。そうしたことは、この村の近くにある Klubochyn 村の博物館にも資料が残っているそうです。


本作品に関わる場所はこんな感じ。グーグルマップでルートをたどってみました。これでいくと、映画で二昼夜を費やしたリヴィウから Trochenbrod に行くよりも、オデッサからリヴィウ駅に移動する方がよっぽど遠距離なんですね(笑)


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映画を見終わったときは、面白かったと軽めに記して終わるつもりだったのですが、ルートを確認したりしていくうちに、Trochenbrod のように、村人がほとんど殺され、痕跡もなくされたような村が東欧には数えきれないくらいあることをあらためて重く受け止めたのでした。


【関連記事】
お隣のベラルーシでも、多くの村が焼かれました。それを描いたのがこちらの映画です。


















by chekosan | 2019-07-07 22:05 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
天候のせいか、どことなく体がだるくかった気がする6月。

EU加盟国のレアな映画を格安で上映する「EUフィルムデーズ」月間だったが、結局、エストニア映画「小さな同志」一本しか行かなかった。ロシアの映画監督ソクーロフの作品を集中的に上映する企画もあったのだが、そちらも行かず。

その代わりというか、室内でせっせと読書、映画鑑賞、資料収集、夏の旅行の事前調査に励む。今年はポーランド。ワルシャワに腰を落ち着けて、じっくり見て回ることに。


6月の読書メーター
読んだ本の数:11
読んだページ数:2487
ナイス数:348

ぐるぐる♡博物館ぐるぐる♡博物館感想
「博物館が好きだ。旅先で博物館を発見したら、とりあえず入ってみる」という三浦しをんによる博物館案内。学芸員や案内の人たちとざっくばらんに会話を進めながら、博物館と彼らの魅力を引き出し紹介。選択基準は「個人的な興味のおもむくまま」。三浦さんの関心が次々と広がってゆく博物館サーフィンならぬ博物館ぐるぐるの過程が興味深いので、できれば順を追って読むことをおすすめ。書評連載で取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201549
読了日:06月01日 著者:三浦 しをん





チェルノブイリ報告 (岩波新書)チェルノブイリ報告 (岩波新書)感想
チェルノブイリ原発事故レポート。87年から5年ほどかけてウクライナやベラルーシ、周辺諸国をまわって、事故の影響を調査したルポ。植物の巨大化、白血病や免疫系の病気に倒れる人びとと医師らの必死の治療、避難をせずに故郷にとどまる人びと、避難の指示が出ずに、あるいは避難先も危険であったことが後で判明し、放射能汚染の影響を受けてしまった人びとの声、救援資金や物資が必要とする人たちに届かない問題など、事故発生直後から数年の混乱と悲劇を伝える。
読了日:06月03日 著者:広河 隆一


日露戦争の裏側“第二の開国”―日本列島に上陸したロシア軍捕虜七万人日露戦争の裏側“第二の開国”―日本列島に上陸したロシア軍捕虜七万人感想
日露戦争でのロシア兵捕虜は7万人、全国29か所に分散して収容された。捕虜に対する人道的処遇を定めたハーグ条約のもと、驚くほど厚遇である。初めに開設され、全国のモデルとなった松山だけではなく、ほぼどの収容所もそうであった。日本が戦場にならなかったからか、地元民も、敵愾心よりも物見高さの方が勝ったようで、どこでも見物人の黒だかりだったそう。特需を狙った誘致もあったとか。実際、落ちるお金は大きかったよう。タイトルは若干怪しげだが、当時の資(史)料や先行研究をひもとき、各地を足で回って編んだ歴史ものである。
読了日:06月05日 著者:大熊 秀治

日露戦争時の捕虜収容所が舞台の映画「ソローキンの見た桜」の感想はこちら。





「白バラ」を忘れない―反戦ビラの過去と今と (母と子でみる)「白バラ」を忘れない―反戦ビラの過去と今と (母と子でみる)感想
「白バラ」はナチを批判したビラと、その活動グループの呼称。ショル兄妹ら活動家たち(大学生や教授など)は1943年に死刑となった。82年、05年に映画化。本書は、82年の映画に衝撃を受けた早乙女氏による83年夏のミュンヘン取材記と、2008年に立川市の防衛庁宿舎にビラを投函した市民団体メンバーが有罪判決を受けた事件とをサンドイッチにした構成。白バラの方は他の文献の方が詳しいが、立川の事件と比較することで今日的な視点が加わっている。カラー写真がないのは残念だが、ショル兄妹の遺族への直接取材あり。
読了日:06月06日 著者:早乙女 勝元


ザ・ピアニスト―廃墟ワルシャワからの奇跡の生還ザ・ピアニスト―廃墟ワルシャワからの奇跡の生還感想
やっぱり超有名な作品はそれだけのことはあるなと思う今日この頃。ポランスキ監督の映画「戦場のピアニスト」の原作である本書を読んで、ますますそう思った。原作にとても忠実でいながら映画ならではの表現方法を最大限に生かしている。原作にはシュピルマン氏を救ったドイツ軍大尉の日記からの抜粋や、ドイツの詩人ビーアマンによる後日談も載っていて、これがまた良い。本文にコルチャック先生に関する記述が結構あったことも感動。などなどブログに熱く語る。https://chekosan.exblog.jp/29468273/
読了日:06月11日 著者:ウワディスワフ シュピルマン

詳しい感想や関連記事へのリンクはこちら。





ポーランド紀行 (SERIES地図を読む 6)ポーランド紀行 (SERIES地図を読む 6)感想
いつもの図書館で日ポーランド国交樹立100周年コーナーをやっていて見つけた。1989年にポーランドを一人旅された方の記録。ごくごく私的な体験談。書いていいのだろうかという内容も。私は同じ年にソ連に一ヶ月強滞在したが、同じ社会主義国でも国や旅のスタイルが違うとずいぶん体験することが違うもんだ。男女の違いもあるかもしれないが。
読了日:06月12日 著者:新名 哲明



映画で学ぶ国際関係 (広島修道大学テキストシリーズ)映画で学ぶ国際関係 (広島修道大学テキストシリーズ)感想
通読するというよりは事典のように必要なときに見たいところだけ見ればよい本。複数の専門家が分担して執筆しているので、幅広い作品を扱っている。Amazonのなか見!検索で目次を見ることができる。私の関心事である東欧やドイツ関連の作品タイトル一覧をブログにアップ。https://chekosan.exblog.jp/29474358/
読了日:06月15日 著者:



映画で学ぶ国際関係〈2〉映画で学ぶ国際関係〈2〉感想
あらすじ、時代背景、解説、参考文献が見開き2枚(4ページ)程度にまとめられている。映画を読んでから、さらに作品理解を深めるために時代背景を知る、その国や時代の専門家の見方や分析の仕方を知るという使い方も。読書メーターやAmazonのレビューは極端に少ないので惜しく思う。Amazonでは、なか見!検索で目次が見れる。私の関心分野の東欧、ドイツものはブログにアップ。https://chekosan.exblog.jp/29474358/ (ただしⅡ巻には少ない)
読了日:06月15日 著者:





「灰とダイヤモンド」の国ポーランド「灰とダイヤモンド」の国ポーランド感想
図書館の日ポーランド国交樹立100周年コーナーで発見。ポーランドに研究滞在していた物理学の研究者によるポーランド報告。歴史や風物、時事などを日本の研究者団体の会報に書いたものをまとめたもので、今でいうブログ風。本にする段階で練り直したわけではないので、重複や推測も多いが、書かれた当時の雰囲気を感じとれるという点が面白い。2002年発行の本なのに、すでにものすごく古く感じるのが不思議。20年近く経てばそんなものか。
読了日:06月16日 著者:稲村 卓


黙って行かせて黙って行かせて感想
アウシュヴィッツ=ビルケナウの女看守だった母とその娘が対峙する話。あとがきによれば3%ほどのフィクションが入った自伝的小説ということなので書かれていることは事実なのだろうが、読み進めるにつれ、作った小説のような印象が強まっていった。母の思想と過去の行動は許せないが、母に愛されたかった、母を愛したかったという想いとがせめぎあって葛藤する娘(著者本人)の視点と感情の強さの方が目立つからだろうか。なんかちょっと引っかかる。とはいえ、一気に読んだけど。
読了日:06月18日 著者:ヘルガ・シュナイダー


社会主義後のウズベキスタン―変わる国と揺れる人々の心 (アジアを見る眼)社会主義後のウズベキスタン―変わる国と揺れる人々の心 (アジアを見る眼)感想
最近行きたくて仕方ないウズベキスタン。2008年の本なので、2007年くらいまでのウズベキスタンの様子がわかる。著者はウズベキスタンの大学を出て、日本で研究をしている。社会主義からの転換期に青年期を送っていて、ソ連へのノスタルジーも、新しい社会を作る必要性も理解しているので、バランスが取れた記述。
読了日:06月28日 著者:ティムール ダダバエフ


「ロシア・東欧地域研究」の授業内で、学生がウズベキスタン見聞記を発表してくれるので、その補足のために読みました。発表の様子はこちらにちらりと。




読書メーター

by chekosan | 2019-07-01 10:48 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
実話をもとにしているという映画「ヒトラーの贋札」を観ました。

強制収容所で、専門技能を持っているユダヤ人たちを集めて、極秘の贋札づくりをさせたというお話です。


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映画では、プロの贋札職人(公文書なども偽造していた)が主人公です。

原作者のブルガーさんも、実際に印刷技師として、贋札づくりに従事させられていました。ユダヤ教徒のためにクリスチャンであるという証明書を偽造していて逮捕されたそうです。

映画のなかでは、反ナチスのビラを印刷したために捕まった共産主義者で正義感として登場します。映画のブルガーは、ナチの作戦に荷担し、同胞をより一層苦しめることになると贋札造りをサボタージュします。

その行為は、仲間の命も危うくすると周りは説得するのですが、彼はどうしても納得しませんでした。








贋札を大量発行することで、イギリスやアメリカの経済を混乱させようなどという作戦を本当に実行していたとは、事実は小説より奇なりですが、漫画「エロイカより愛をこめて」でも、この作戦を題材にしている箇所があるそうです!



この映画のなかで、みんなのアイドル?的に可愛がられていた青年がいました。オデッサ出身のロシア人、コーリャです。彼と主人公は、同じ美術学校に学んだ先輩後輩にあたり、絵の話、教授の話で盛り上がります。このコーリャとの交流が一番いい場面でした。

彼らの会話に出てくるのは、ロシア前衛派、カンディンスキー、ロトチェンコです。ロトチェンコ、いいですね!



カンディンスキーといえば、昨年、京都で開催されたオットー・ネーベル展でも作品が展示されていました。そのときにゲットしたのが、こちらのバッグです(右の黒いバッグ)。このバッグ使いやすくて愛用しています☆


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ベルンハルト作戦に携わった被収容者は、他の収容者よりはマシな待遇を受け、大半は生き残ることができましたが、理不尽な扱い、屈辱的な目に遭いました。残虐なシーンもあります。

それでも、仲間同士の連帯、逡巡と決断をメインのテーマにしているので、ほかのホロコーストものよりは観やすい作品かと思います。



by chekosan | 2019-06-30 21:47 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ホロコーストもので観るべき作品として取り上げられることの多い映画「縞模様のパジャマの少年」をようやく観ました。

観る前から話を知ってしまっていたので、鑑賞後、「はい、観ました」という感じになってしまいました。こういうフィクションものは結末がわかると、どうしようもなく面白さが削がれますね。残念なことです。

ですので、私もネタバレにならないよう、本筋には触れないようにします。


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「感動した」という意見多数、「収容所の実態とかけ離れている」という意見も多数の映画です。たしかに、私も、現実の収容所とはかけ離れているのではないかと思われる設定が気になりました。

明確にどこの何収容所とは語られませんが、鉄条網近くに外部の人間がしょっちゅう近づいてくるようなことを見張りが気がつかないというのは、収容所の体をなしていないような。

しかも、あの映画の収容所は「絶滅収容所」という設定です。あれならいくらでも逃げてしまえます。

ーーー

原作者のジョン・ボインの別の作品、『ヒトラーと暮らした少年』(あすなろ書房 2018年)を読んだときも、似た感想を抱きました。子どもにもわかるようにと書かれているがゆえに、少々リアリティに欠けるきらいがあるのかも。


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図書館の児童書室でみつけた一冊。『縞模様のパジャマの少年』の作家の作品とは知らずに手に取った。昨日観た映画「ミケランジェロの暗号」もそうだが、権力や権威を象徴する制服を身にまとうことで劣等感を覆い隠し、自分自身が何者かであるかのように尊大になる姿は痛々しくて恥ずかしいことであると思わせてくれる話になっている。ただし、本作は設定がフィクション過ぎて、全体としてあまり臨場感はない。(2019年3月読書メーターに記録)

ーーー

でも、無垢な8歳の少年2人、そろそろ色気づいてきて軍国少女になっていく12歳のお姉ちゃんについては、なかなかうまい設定にしたなと思いました。

8歳男児くらいなら、世の中の汚い面を知らされていなくてもおかしくないし、純粋なタイプの子だったらギョッとする場面を目撃してもよくわからないこともあり得るかと思います。無垢さが勝るギリギリの年齢。

対して、12歳女児ともなれば、いろいろわかってきて、知りたがって、背伸びしたくなって、しかも意識して残酷なことをしたがる年頃ですよね。その「成長」の描き方は、イヤ~なうまさがあるなと思いました。

12歳姉が、ハンサムなナチの親衛隊中尉に憧れて軍国少女に変貌し、豪華なドレスを着たお人形遊びをやめるシーンは、けっこうぞっとさせる絵になっています。

DVDの特典メイキング映像でも、スタッフの一人が、「ホロコーストというよりも家族の物語だ」と言っていました。それが一番合っているように思います。

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そういえば、映画のなかで、主人公のお母さんが収容所の実態に感づいて、お父さんと口論になります。戦争だから軍人としてやるべきことをしているというような反論をするお父さんに、お母さんが「あれが戦争なの!?」とお父さんに詰め寄るシーンがあります。あれはなかなかいいセリフだと思いました。

ホロコースト映画の感想でよく見かけるのが、「戦争映画」「戦争はいけない」というフレーズです。この映画の鑑賞者の多くもそのような感想を書かれています。戦争は良くないということ自体には異論はありません。

が、ホロコーストは、戦争中の出来事ではありますが、戦争そのものとは違う目的で行われました。自民族の解放とか領土奪還とか報復とか防御としてではなく(それだって是とできるか議論が分かれるところですが)、狂信的な人種差別に基づき、あるカテゴリーに属する(とされた)人々を絶滅させようとした行為です。

そのことをお母さんのセリフは表していて、実はとても重要な一言だと思います。

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ところで、映画のなかで、主人公の父の勤める収容所で作ったプロバガンダ映画を上映するシーンが出てきます。これは、ナチが実際に撮った映画に似せて作られたそうです。元のプロバガンダ映画はフィルムが悪くなっていて、そのまま使うと新作したように見えなかったためです。

その元の映画というのは、チェコの「テレジエンシュタット(テレジン)」で撮影されました。テレジン収容所には、国際社会に向けて、ユダヤ人のために専用の街でユダヤ人が幸せに暮らしているという宣伝をするために、芸術家や家族を一時的に収容していました。ナチは、被収容者に無理やり演技をさせて、さも充実した住みやすい楽園であるかのような映画を撮ったのです。

この映画を昨年2018年夏にラトヴィアのゲットー博物館で観ました。博物館の見学記はあらためてアップしたいと思います。


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収容所内でオーケストラの演奏会を開いているシーン。やらせです。


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この映画を撮ったのは、自身もテレジン収容所に収容されていたユダヤ人俳優で監督のクルト・ゲロン氏。この人も後に殺害されてしまったそうです。

2016年にこの話が映画になっているようで、これもまた観たいと思います。





ーーー

おまけに。

この映画はハンガリーのブダペストで撮影されました。収容所任務になる前に主人公一家が住んでいた家は、当時のベルリンらしさのある古い家を探して撮影に使ったそうです。

一家が収容所付近に引っ越してからは、ガラッと変わって、ずいぶん直線的でモダンで冷たい雰囲気の家になります。ふたつの家の対比が、視覚的に強調されていて面白いと思いました。

でも、内装がどことなく安いというか薄っぺらい感じもします。と思ったら、なんと原作に合わせるために建設した建物だということ。なるほどそれでセットっぽい感じがするのですね。でも、あの家の台所のデザインは好きです。


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というような撮影秘話が、DVDにはたっぷり入っています。

原作者と監督の音声解説が全編にわたって入っている特典もあります。原作との違いや撮影上の狙いと工夫がわかって面白かったです。

と、都合2回通して鑑賞したわけですが、設定に違和感がありつつも、ラストの何分かは2回目で音声解説付きでも見ごたえがありました。

原作はもういいかなと思っていましたが、音声解説を聞いて、読んでみようかなとも思いました。








by chekosan | 2019-06-23 18:04 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
買いためたディスクをせっせと消化する月間。授業の進展に合わせて、観る映画も時代が下っていっています。( ´∀` )

映画「イーダ」は1962年のポーランドが舞台。カトリックの修道女見習いである少女が、いよいよ修道女になる前に、実の叔母に会いに行くように修道院長から言われます。

彼女は、叔母から自分がユダヤ系であることをこのとき初めて聞きます。

両親の墓参りをしてから修道女になりたいと叔母に頼み、2人で故郷を訪ねますが、衝撃の過去が明らかになっていきます。

すべてを知った叔母と少女は…

というお話。


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そんなにメジャーではないと思われる映画ですが、あらすじきから使われている音楽の詳細まで、書きすぎではというくらい語りつくしているサイトがいくつもありました(笑) なんかそうしたくさせる映画なのですかね。

この映画、とにかく絵的にたいへん美しいです。モノクロです。プリンタの印刷設定でいうと「グレースケール」という感じ。人物を下の方に小さく配置し、上部空間をたくさん映します。それがなんとも雰囲気を出しています。


物語としては、イーダの成長物語でもあり、ポーランドの抱える二つの闇を静かに晒していく物語でもあります。

その闇とは、一つはポーランドの普通の人びとによるユダヤ人迫害であり、もう一つは社会主義時代に行われた「人民の敵」に対する抑圧です。

イーダの叔母さん、ヴァンダは、この二つの闇を体現、体験してしまっています。

キツイ美人の元検事、いま判事。ヘビースモーカー、夜な夜なお酒をあおって、男性とその場限りの関係を持つような生活をしているのですが、それというのも、彼女は一方で抑圧の被害者でもあり、他方では加害者でもあったのです。

修道院育ちで世間を知らず、終始無表情、真っ白なイメージのイーダとは対照的ですが、大きな傷を抱えて苦しみながら生きてきた叔母と心を通わせるシーンが痛々しくて切ないです。

この叔母さんがとても惹かれる人物造形なのですが、なんとモデルがいるそうです。こちらの監督インタビューで言及されています。




ところで、映画の終盤、叔母さんが並べて見入っている写真のなかに、ある女性の写真が出てきます。それも明らかにそこに目が行くような撮り方をしています。

その女性とは、ワルシャワ・ゲットーからユダヤ人の子どもたち2500人を救出する活動に従事したイレーナ・センドラーです。

↓この写真↓ 

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なんの説明もなく写真が出てきていることで、ポーランドではその写真を見れば、その人が誰で、何をした人であるかがわかり、その写真が出てくることがどういう意味を持つのかがわかるのだな、ということがわかりました。

本ブログでセンドラーについて書いた記事は、ほぼ毎日、コンスタントに訪問していただいています。テレビで紹介されたりはしているようですが、日本語の資料が少ないのですよね。



この映画、寂れ感がたまらなく良いのですが、ウッチで撮影されたようです。正確にどの部分がそうなのかは確認していませんが、エンドクレジットで強調されています。

ウッチは戦中まではユダヤ人がたくさん住んでいて、ゲットーがつくられた街でした。この夏はワルシャワとウッチにホロコーストの跡を訪ねようと思っていたところなので、ロケに使われたところも探してみたいと思います。

追記:下の記事で特定されています。行ってみよ!



映画のなかで印象的に使われている、コルトレーンのバラード。かっこいい…









by chekosan | 2019-06-17 21:14 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
積ん読ならぬ、積ん見(ツンケン)? 積ん観? 大枚はたいて買って積み上げてある映画のディスクを少しずつ消費しています。

こちらは、フランスでのホロコーストもの。1942年に、ドイツ占領下のフランスが、ドイツの要請に応じてユダヤ人を一斉検挙し、1万数千人を数日にわたって冬季競輪場(ヴェルディヴ)に閉じ込めます。彼らはその後、各地の収容所に移送され、最終的にはアウシュヴィッツなどで殺害されます。

映画「黄色い星の子供たち」は、この事件の関係者の証言からつくられています。

写真右の本は、この事件を含め、当時のパリの様子を日記に残したユダヤ系フランス人女性エレーヌ・ベールの日記です。彼女ものちに強制収容所に連行され、亡くなります。この日記は彼女の死後60年以上を経て2008年に刊行されました(日本語版は2009年、岩波書店より)。


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1942年7月16日の早朝4時、2万人以上の外国(ポーランドなど)から移住してきた外国籍のユダヤ人や、無国籍者などが警察の登録からリストアップされ、朝の4時に住居から追い立てられます。

1万人ほどは、隠れたり匿われたりしますが、1万数千人が連行されます。

彼らは室内競輪場に押し込められ、水さえ止められてしまいます。点検に来た消防隊が、消防用の水洗を開けて水を配り、ユダヤ人から託された手紙を投函するエピソードが出てきますが、これも本当にあったことだそうです。

救護所には続々と具合が悪くなった人たちが集まりますが、医師や看護師はわずかで、物資も全然足りません。休む間もなく処置に当たるユダヤ人男性医師と、フランス人女性看護師が映画の主人公的な人物です。

この看護師が善人過ぎてちょっと…という感想も目にしましたが、アネット・モノー(Annette Monod-Leiris)看護師は実在の人物で、赤十字から派遣されて、いくつかの収容所などで看護にあたりました。こちらのサイトで証言映像が見れます。が、わたくしフランス語がわからないので、この映像のなかでヴェルディヴ事件に言及しているかは確認できておりません。

なお、モノーさんが「諸国民の中の正義の人」として顕彰されているという記事を見かけましたが、ヤド・バシェムの国別リストのフランスのページではモノーさんのお名前は確認できません。



ユダヤ人たちはヴェルディブから収容所に連れていかれ、その後、親だけがアウシュヴィッツに移送されてしまって、子どもたちは取り残されます。

そのなかで、ごくわずかな子どもが脱出して生き延びます。そのうちの一人ジョゼフ・ヴァイスマン氏が、映画の公開後、日本にも来られています。






ヴェルディヴ事件を扱った映画としては、「サラの鍵」も、ビジュアルイメージから想像できない衝撃的なもので、かなりショックを受けました。




次の論文には、事件の推移と、それに対するパリの作家や聖職者の反応、生き残った子どもたちが後に語った言葉などがまとめられています。



フランスのユダヤ人一斉検挙から逃れた精神科医ボリス・シリュルニクさんのインタビューも読みごたえがあります(残念ながら有料記事ですが、データベースが使える図書館などで全文を読むことができます)。



シリュルニクさんの著書『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』(吉田書店 2014年)や、『心のレジリエンス 物語としての告白』(吉田書店 2014年)も読みたいと思います。



こちらは、1974年にヴェルディヴ事件を取り上げた映画だそうです。オンラインで全編見ることができます。




今回挙げた本や映画その他を通して、フランスにおけるユダヤ人迫害についても、またおいおいアップしていこうと思います。


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フランスの「対独協力者」とみなされた女性たちへの報復を扱った本


ドイツ占領下フランスを舞台にした映画「フランス組曲」



ドイツに抵抗した政治犯たちに焦点を当てた映画








by chekosan | 2019-06-16 22:51 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
先週から同志社の授業でホロコーストの話をしています。そのため、映画を立て続けに観たりして強化しています。

例年、感心するのですが、ポーランドやドイツの強制収容所跡に行ったことがあったり、関心を持っていたりする学生が少なからずいます。先週は、2月にアウシュビッツ強制収容所跡に行った学生が発表してくれました。

さて、映画「戦場のピアニスト」は、鑑賞したことがあるという学生も多い作品です。

ホロコースト映画のなかでは、いまだ「シンドラーのリスト」と双璧をなす作品だと思います。どちらも実話に基づいていますし、映画としても非常に丁寧につくりこんであり、圧倒的な迫力があります。

映画「戦場のピアニスト」のシナリオ本についてはアップ済みですが、今回ようやく原作を読みました。

戦前からポーランドで活躍していた実在のピアニスト(作曲家としても活躍)であり、ドイツのユダヤ人に対する苛烈な弾圧や「選別」を生き抜いたシュピルマン氏が戦後すぐに執筆し、すぐに絶版にさせられた本です。


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驚きました。ポランスキ監督は、原作に相当忠実に映画を作ったのですね。

映画のなかに出てくるさまざまなエピソードは、当時に起こったことを集めてつくったのかと思ったら、すべてシュピルマン氏が実際に体験したこと、目撃したことなのですね。

映画のなかでもっともショッキングだった、あのシーンやあのシーンも…



感動的なのが、ヤヌシュ・コルチャック=コルチャック先生に関する記述です。コルチャック先生は、ポーランドの医師で作家で、孤児院を運営し、非常に尊敬されていた著名な人物です。

☞コルチャック先生に関する本はこちら


シュピルマン氏は、コルチャック先生に関して、「これまでに私が出会った最高に立派な人物」で、「コルチャックの真価は、書かれた作品にあるのではなくて、書いたように生きた事実の中にある」として、最大級の賛辞を送っています。

ちょうど真ん中あたりには、ワルシャワ・ゲットーからコルチャック先生と孤児たちが整然と並んで、「笑みを浮かべながらみんなで歌をうたい、小さなヴァイオリニストがそれに伴奏をつけ」ながら、移送のための集合場所に進んでいく様子が書かれています。

同時期にワルシャワ・ゲットーに閉じ込められていたユダヤ人同士、著名人同士なので、知り合いなのは不思議ではないのですが、あらためて実際にあったこと、実際にいた人なのだと思わせられます。

シュピルマン氏は生き延びて、戦後も音楽家として活躍されたので、比較的最近の映像も残っていますが、コルチャック先生は当時ですでに60歳代、子どもたちとトレブリンカに連れていかれて亡くなっているので、伝説の人物のような感じがしていたのです。

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映画が原作と違うのは、ドイツ軍将校と出会ったときにシュピルマン氏が弾いた曲です。映画ではショパンのバラード1番ですが、実際にはノクターン嬰ハ短調なのですね。

この曲は、ドイツ軍の攻撃で中断するときに弾いていた曲でもあり、戦後にワルシャワ放送に復帰したときに弾いた一曲目でもあるそうです。

シュピルマン氏によるノクターン嬰ハ短調の演奏は、DVDの特典映像にも入っていますし、YouTubeでも見ることができます。




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本書の巻末には、シュピルマン氏を助けたドイツ将校ホーゼンフェルト大尉の日記からの抜粋と、ドイツの詩人ヴォルフ・ビールマン(ビーアマン)によるエピローグが掲載されています。これがまた読み応えのある内容です。

ホーゼンフェルト大尉の日記には、ナチ批判、ポーランド人やユダヤ人に対する虐殺行為への怒りが明確に書かれています。シュピルマン氏と併せて読むことで、状況が立体的になって見えてきます。

ビーアマンの書いた後日談には、大尉がシュピルマン氏以外にも何人ものユダヤ人やポーランド人の命を救っていることが明らかにされています。


なお、本書がすぐに発禁に近い扱いを受けたのは、ドイツ将校に助けられたという事実や、ウクライナ兵、リトアニア兵がドイツ兵以上にポーランドの人々に酷いふるまいをしたことが書かれてあるからのようです。


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今年の夏は、ワルシャワに行ってきます。シュピルマン氏の、コルチャック先生の足跡を辿ってみようと思います。





by chekosan | 2019-06-11 23:36 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
ホロコーストをめぐる謎(疑問)のなかで、知りたいような知りたくないようなことの筆頭が、家畜運搬用の貨車に人々がすし詰めにされて、何日もかけて強制収容所に連れていかれた、という事実の詳細でした。

いったいどういうことなのかと。

混んだ電車に乗ったり、乗っている電車が駅以外で停車したりするだけでも心臓がバクバクしてくるのに、家畜用貨車にすし詰めで何日もなどという状況なんて、想像するのも恐ろしい。

ホロコースト映画にも、部分的に移送される場面が出てくることはありますが、貨車に押し込められるところくらいです。「戦場のピアニスト」 がそうですね。

ソフィーの選択」には、移送中の様子が少し出てきますが、ソフィー親子が乗っていたのは貨車ではなく客車でした。

ショアー」には、移送列車の機関士や、移送列車の沿線住民へのインタビューが収録されています。

シンドラーのリスト」 は、少し突っ込んだ表現があります。駅に停車しているすし詰めの貨車から水を求める人々の様子を見たシンドラーが、顔と金が利く立場を利用して、ホースで水を撒かせるというシーンがあります。

本作「アウシュビッツ行き最終列車」は、まさにその移送に特化した映画です。

存在はもっと前に知ったのですが、ショックすぎて観れないかもと思っていました。

そのうち、ホロコースト生存者の回想録などを読み進めるうちに少しずつショッキングな事実がわかってきて、耐性ができてきたので、買ってあったDVDを視聴しました。

一言でまとめるなら、文字で知ったあとで観て良かった、です。



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本当に、ほとんど列車内だけの映画です。

はじめこそ、ベルリンに残っていたユダヤ人が深夜に追い立てられるシーンがありますが、あとはずっと移動中の様子。

この列車は、ベルリンからアウシュビッツへユダヤ人を移送した最後の便でした。1943年4月19日、688人です。

それまでにベルリンからはすでに7万人のユダヤ人が追放されていましたが、残りの人々も移送するようにとの指示が下ります。

指示を出したのは、ゲッベルス宣伝相とシュペーア軍需相。シュペーアは、「ヒトラー最期の12日間」ではダンディでまともな感覚を残す人物に描かれていましたが、こうした作戦の責任者でもあったわけです。

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このときに移送された人々は、裕福だったり、医者だったり、芸術家だったり、有名なスポーツ選手だったりで、みなきちんとした装いで集合するのですが、移動中にどんどん衣服を脱ぎ捨て、疲弊し、汚れていきます。

小さな格子入りの窓一つか二つの貨車に100人ほどが詰め込まれるのです。(車両は6両くらい)

はじめは座ることもできない混み具合だったのが、途中から座ったり崩れるように寝たりするのは、矛盾ではなく、何人もが亡くなっていったからです。遺体を一か所に集めて、場所を作ったのです。

ひとつの車両にバケツが2つだけ。水入りと空です。空の方はトイレ替わり。これで数日間、移動したというのです。

映画では、人々がひもを渡して服を吊って目隠しにし、トイレ空間を作っていましたが、もっとぎゅう詰めで座ることもできなかった便もあったそうなので、その場合は、、、

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なんとか品位を保とうと努める人たちや、わずかでも助けようとする国軍兵士たちの登場など、ほんの少しだけの救いがあるシーンもなくはないですが、とにかく絶望的です。

脱出の試みも失敗。亡くなったり、殺されたり、気がふれたりする人が続出します。

列車からの脱出の試みというのは実際あったそうで、回想録などにも出てきます。

しかし、走る車内からの脱出は当然危険極まりなく、それで命を落とす人もたくさんあったようです。

たとえ死ななくても、脱走したユダヤ人を助けたことがわかればその人や村の人も処刑されてしまうので、見殺しにしたという話も。

それでも助ける人がいなくもなかったようですが、助けるのも命がけの危険な行為です。

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映画のなかで、主人公のひとりが、地下に潜伏していれば!と悔やみます。

「最終列車」での移送で、ベルリン(ドイツ本国)は「ユーデンフライ」(=ユダヤ人がいない)になったとされますが、実際には少数ながら、匿ってもらったり、身分を偽ったりして生き延びた人もいました。

そのうちの4人のエピソードを映画にしたのが、「ヒトラーを欺いた黄色い星」 です。映画制作時、ご健在の4人のインタビューも交えた面白い映画です。

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実際にあったことを反映させてはいても、実録ではなく作られた映画なので、まだ耐えられますが、実際にその場にいたらと考えると… いやいくら想像しても全然違うのだろうなと思います…

列車内だけの話ということもあって、超大作のようなスケール感はありませんが、けっこう印象的な場面の多い映画でした。

夜中に観たこともあって、歌手とピアニストの老夫婦の夫婦愛と歌声が残って、わたくし、夢で歌っていました…






by chekosan | 2019-06-10 11:55 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)