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by chekosan

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鑑賞から少し日が経ってしまいました。感動が薄れないうちに記録をば。

カメラマンで映画監督の本橋成一さんが、チェルノブイリ原発事故の影響で住民がほとんど退去したベラルーシの村を訪ねたドキュメンタリー映画の2本組DVDの2本目、「アレクセイと泉」です。1本目「ナージャの村」の記録はこちらに。



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撮影は2001年冬から2002年にかけて行われました。

ジャケット写真の青年がアレクセイです。このとき30歳前半、ブジシチェ村でたった一人の若者です。1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、ほとんどの村人は、アレクセイのきょうだいも含め、他の町に移りましたが、彼は年老いた両親を支えるべく、55人の老人とともに村に残りました。

原発から180キロ離れた村でも、建物や、広場、森などからは放射能が検出されています。ところが、村の泉からは一切検出されていません。村人は汚染されていない水を確保できているのです。

長い棒にバケツを引っかけて泉から水を汲み、それを両端にぶら下げて家に運ぶ人、泉から遠いのか、タンクにたくさん詰めて馬に引かせて運ぶ人。泉はこんこんと湧いているので、真冬でも凍りません。

隣には共同の洗濯用貯水場が作ってあり、豊富に湧き出る水を使って、女性たちが衣類などを手洗いしています。

この洗濯場の木枠(足場)が傷んできたので、男性たちが新調するよう女性たちにせっつかれます。男性たちは、久しぶりに司祭が泉を祝福しに来られるので、ということで、ようやく取り掛かります。森から丸太を切り出してきて、カットし、組み合わせて造り直します。



村人は、ほぼ自給自足の生活を送っています。ジャガイモや野菜、ガチョウ、豚を育て、保存食をつくり、糸をつむいで機を織ります。

アレクセイのお父さんはカゴ作りの名人で、植物の蔓を編んで作ったカゴを屋根裏に大量にストックしています。かつては村のなかで重宝され、よい稼ぎになっていましたが、今では村人が激減したので、荷馬車に山盛り積んで近くの村のマーケットに売りに行きます。

持って行ったカゴの半分くらいしか売れなかったとお父さんはぼやきますが、アレクセイは屋根裏に貯めておくよりはよい、と前向きです。

この近くの村は、ソ連解体によって国境を越えた隣国になりました。そのため通貨が違ってしまっています。売上金は村に持って帰っても使いようがないので、その場でパンなどを買って帰ります。

この映画で見る限り、前作の「ナージャの村」よりも行き来は自由にできるようで、特に監視や制限はなさそうです。

アレクセイの家は馬がいるので、比較的行動範囲が広いということもあります。

ほかの村人たちはどうしているかというと、作れるものは自家製で、そのほかは移動販売車から買っているようです。

販売車は週2回、トラックでやってきます。先に女性たちが塩、砂糖、石鹸、パンなど生活必需品を買い、そのあとこっそりと男性たちがお酒を買うとのこと。嬉しそうでほほえましい光景です。

現金は、役所の人が定期的に年金を届けに来ます。このときに、ラジオ代、新聞代を払い、差し引いた年金を受け取っていました。ベラルーシは国家による管理経済体制を維持しているので、このような手続なのですね。

バスも週2回、走っているようです。そのバスに乗って、町の息子の家を訪ねるというシーンもありました。


村人はみな正教の敬虔な信者で、信仰を大事にしています。泉も神の恵みに他ならないと、森から切り出した木で屋根付きの十字架を作って立てて感謝します。

「十字架祭」のときには、手作りの小さな十字架を近所で交換して、朝一番に汲んだ泉の水に浸して、その水を枝で家のなかに振りまきます。残った水は一年保存します。

水が保存されている場所は、繊細なレースを施した真っ白なクロスが飾られていて、明るい「ハレ」の間という感じ。調理をしたり、カゴを編んだりする生活の場とはガラッと趣きが違います。

放射能汚染や住民の高齢化を考えると厳しい未来が待つ土地ではあるのですが、村の自然と、そこからさまざまなものを自分たちの手で作り出す生活は尊く美しいです。

貧しいといえば貧しいということになるのでしょうが、そういう尺度とは違う価値観からなる世界があること、そこでそれぞれの生活と人生を営んでいる人たちがいる(いた)ことが沁みとおるように感じ取れました。

ーーー

そして!

この映画でも、私のプチテーマ(?)、「ペチカの上で寝る」シーンを見つけることができました!

ペチカは調理と暖房を兼ねた暖炉ですが、そこを寝る場所にしているという記述をアレクシェーヴィチの著作で頻繁に目にしてから、ペチカには敏感になっています。

これまでにも、ポーランド・クラクフの民俗博物館で現物を見たり映画「炎628」の中でそのようなシーンを発見したりして確認はできていたのですが、とうとう実際の生活で使っている様子を見ることができました。

早朝に家族のパンケーキと豚の餌をペチカで同時並行で作るお母さんと、起きだして、それを見るお父さんの図。矢印のところにお父さんがいます。



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文字による記録も大事ですが、写真や映像はこのような生活の様子を残すには抜群に優れていますね。ペチカの上で寝る体験はなかなかできなくても、このように映像に残しておいてもらうことで理解はできます。

もちろんペチカに限らず。失われていく生活の記録の資料としても貴重な映画であると思います。


そして、ドキュメンタリーであるということは、映画撮影のあとも、村人の人生は続いているということでもあります。2017年に村を再訪されたときの映像があるようですが、こちらは未見。いつかは見たいと思います。




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1本目「ナージャの村」の記録はこちらに。






by chekosan | 2019-04-23 15:30 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
第二次世界大戦中の白ロシア(現在のベラルーシ)を舞台とする戦争映画です。

ベラルーシは、第二次世界大戦で、920万人の住民のうち220万人、およそ4分の1が亡くなったとも言われています。

戦闘によるものだけでなく、ナチスドイツによる住民虐殺も極めて苛烈でした。
600以上の村が焼き払われ、住民が皆殺しにされています。

この映画の邦題「炎628」は、そのような焼き払われた村の数を示しています。
原題は「来て、見よ」。聖書の「黙示録」の言葉からとられています。

本作では、抵抗組織(パルチザン)に参加した少年が体験した悲惨な情景を軸としています。
まさに地獄の様相です。

写真は、ブルーレイディスクの解説書とパッケージ。

焼き払われる村をバックに、ナチス親衛隊の記念写真に収まらせられる主人公。
紅顔の美少年だった少年の顔には恐怖で深いしわが刻まれています。



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原作は、ベラルーシの作家、アレシ・アダモヴィチによる『ハティニ物語』(1971年)。
アダモヴィチはこの小説のほかに、ほかの作家とともにベラルーシ全土を回って被害者の証言を集めた『燃える村からきた私』(1975年)を書いています。

ハティニ村は、そうした600を越える村のなかで、もっとも有名で、1969年に国立のメモリアル施設が建設されています。ここにはいつか行きたいと思っています。

アダモヴィチの作品のスタイルは、ノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチに大きな影響を与えました。アレクシェーヴィチの著作が証言から構成されるスタイルなのは、彼の手法を踏襲しているからだと作家本人が明言しています。

アレクシェーヴィチの作品に感銘と衝撃を受け、その「師」である、アダモヴィチの作品も読みたいと思っていたところ、この映画に行きつきました。

アダモヴィチの『ハティニ物語』は、どうやら日本語訳が出ていないらしいので、英語版をKindleで購入しました。廉価でした。便利な世の中になったもんですね。


以下、いくつか気になった細かいところ。



主人公の少年がパルチザンに入ってすぐ、部隊の人々に「おはようございます」と挨拶をしてまわるのですが、そのときの言葉が何種類かありました。ロシア語、ポーランド語、もう一つ、ふたつスラブ系の言葉? いろいろな言葉の人たちが合流して部隊を編成していたということですね。



以前から気になっていた「ペチカの上(裏)で寝る」シーンを見つけることができました!

それこそ、アレクシェーヴィチの作品のなかに、「ペチカの中(上、裏)で寝る」という証言がたくさん出てきて、それが気になってしかたなかったのです。

その後、ポーランドのクラクフの民族博物館でペチカの実物を見ることができて、なるほどこれなら確かに寝れるわと納得して写真に収めて帰ってきました。

そして、とうとう、そういう場面を映画の中で、見ることができて、謎は解決しました。
あ、「ペチカの中で寝る」状態は、まだよくわかりませんが(笑)

画像の公開は控えておきますが、万が一、「寝床としてのペチカ」の図に関心がある方がおられたら、「炎628」に出てきますよ~!




と、能天気なペチカ話など書いていますが、映画全体の感想はというと。

うーん、、、、「衝撃的すぎて忘れられない」といったような感想をいくつも読んで、覚悟して見たのですが、私には、そこまで強烈には感じませんでした。

行われていることはもちろん野蛮で非道なことなのですが、人が死んだり痛い目にあったりする場面は、直接的にはあまり映さないようにしてあるのです。

それに、回想録や証言集、文学作品には、映像には到底できない残虐なシーンが多いですので…
恐ろしいことに、私の感覚は、この手のものに鈍くなっているのだと思います。

また、先にあらすじや史実を知っていたから、あまりショックを受けなかったのかもしれません。

最後の方に、痩せこけた人の記録映像が少しだけ出てくるのですが、それが一番強烈でした。
文字通り骨と皮だけなのに、支えられて動いている…
そのような状態は、いくら俳優が役作りで痩せても、絶対に再現できないですよね… 


ということで、じゃあ大丈夫かなと観てトラウマになる人もいるかもしれません。
そこは保証できませんのでご注意を。



以下の文献がインターネットで読めます。

越野剛「ベラルーシの国民形成におけるチェルノブイリと戦争の記憶
同「ハティニ虐殺とベラルーシにおける戦争の記憶 (特集 紅い戦争の記憶 : 旧ソ連・中国・ベトナムを比較する) -- (紡がれる物語 : 社会主義と戦争のもうひとつの記憶)


by chekosan | 2018-05-02 17:13 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
輪読ゼミ2冊目は、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの2作目『ボタン穴から見た戦争』です。

こちらは第二次世界大戦―ソ連ではドイツとの「大祖国戦争」と言いますが―当時、白ロシア(ベラルーシ)で幼児から子どもの年齢だった人たちの戦争体験です。

101人の(当時の)子どもたちの証言は、女性兵士たちの証言を集めた前作『戦争は女の顔をしていない』よりも淡々としているように思ったと受講生たち。なるほどそうかもしれません。

しかし、語られる内容はとんでもなく残虐で残酷な体験です。初読のときはたいへんショックを受けました。

報告をしてくれた受講生も、同じように白ロシアの子どもから見た戦争を題材にした映画「炎628」を思い出して辛くなったそうです。

ちなみに、アレクシェーヴィチは、その「炎628」の原作に感銘を受け、人々の体験を生の形で残すことを後押しされたと言っています。

それにしても、戦争は子どもを子どもでなくしてしまう。子どもらしい子ども時代を過ごせなくさせてしまう、、私たちがいま、こういう状況に置かれたら、果たして生き延びられるだろうか、、、そんな生命力、生活力はないのではないか、、、とみんなで考えこんでしまいました。


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細かいところで私が気になったのは、頻出するペチカのこと。ペチカとは、内部で薪を燃やすレンガ造りの暖房装置ということは知っていましたが、この本には、「ペチカの上で寝た」「ペチカのなかで寝た」「ペチカの裏にいた」というような証言がたくさん出てくるのです。

上? 中?? 裏???

気になるのでちょっと調べてみたら、ペチカは私たちが家で使うストーブのようなサイズではなく、上部をベッドにできるくらいの大きさなのですね。放射熱で家全体を温めるので、上に寝てもヤケドしたりはしないのですね。

でも中とか裏とかってどういうことなのでしょう。この点はよくわからないままです。

2018/5/2追記:ペチカの実物の写真、撮れました。こちら
さらにペチカの上で寝るの図を映画のなかで発見しました


ほかにも、食料がないのでスカンポを食べたという話。スカンポって??と調べると、その辺でよく見る植物です。あれがスープになるとは! 

油糟がおいしかったという話も出てきます。ものによっては、「ハルワ」のようだったという証言も。「ハルワ」と言えば、この夏のリトアニアでの思い出の一つなので、思わずその話をうきうきと受講生に披露しました(笑) 

どんな話かというのは、関西ウーマンの書評をご覧ください。「ハルワ」の写真はこちらにあります。


白ロシアはこの戦争で628の村が焼かれます。焼かれたあとには、ペチカと煙突しか残らなかったという証言があります。白ロシアではないですが、タルコフスキー監督の映画「僕の村は戦場だった」にも、まさにそういう光景が出てきます。

2018/5/2追記:ベラルーシの村の跡ではないですが、ビルケナウ強制収容所跡も、暖炉と煙突だけが残っていました

「僕の村は戦場だった」には、前作『戦争は女の顔をしていない』でよく出てきた女性軍医も登場するので、その二つの場面を少しみんなで観たりもしました。70年も昔のことはいくら字で読んでもわからないところがたくさんあります。そうしたときに画像や映像があると助かりますね。

と、そんな感じで、ゆるゆると語り合ったり、関連資料を見たりして、一冊をみんなで味わうように読みました。

次は関連する映像資料を観ます。そして、その次はアレクシェーヴィチまつり第3弾『チェルノブイリの祈り』です。







by chekosan | 2017-10-21 00:09 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)