「西の原爆ドーム、東の変電所」と呼ばれることもある戦争遺跡です。
戦争中に3回、米軍の爆撃を受けた跡がたくさん残っていますが、変電所としての利用には問題がなく、取り壊されたり、修復が施されたりすることなく平成まで使用されていました。
何年か前に確か滋賀県の平和祈念館でチラシを見て気になっていたところ、少し前に整備されて、公開範囲と公開日が増えたという報道を見たので、この機に行くことに。
午前の東京復興記念館の最寄り駅である両国から何度か乗り換えて、1時間半ほどかけて玉川上水駅へ。国立音大生御用達というレストランで昼食をとってから、強い日差しのなか、歩いていきました。
建物は、ニュータウンの公園のなかに保存されています。
戦跡とか「負の遺産」的なところは、うら寂しい場所にあるものもあれば、このように普通の生活が営まれているところにひょいと残っていることもあります。
たとえば、旧東ドイツのベルリンにあった、いわゆる秘密警察(国家保安省)の施設は、どちらかというと後者のタイプで、以前は地図にも記載されないようなアンタッチャブルな場所だったのですが、今ではスーパーや新しい住宅が増えてきていて、徐々に「普通」の住宅街になってきていました。
どういうところにあるのか、今、どう使われているところなのか、距離感、雰囲気、空間の広がりなどなど、行ってこそわかるものがあると、いつも思います。
建物の前には、かつて使われていた給水塔の一部もあります。
水曜と日曜の公開日には、ボランティアガイドさんたちが案内をしてくださるようです。入場は無料です。
銃弾(?)が貫通したあとを内部から見た図。
飛行機は南を背にして飛んできて爆撃するとのことで、こちらの面が集中的に撃たれています。
鉄筋が見えているところも
内部の南側にある階段もえぐられた跡がたくさん
階段の手すりもえぐられています
1階の展示室には、この変電所を襲った飛行機の模型がありました。一瞬、縮尺が違うやんと思いましたが、そうではありませんでした。左がB29です。B29って、大きいんですね。
ガイドさんは地元の方ですが、滋賀にもよくお越しになるとのことで、話が弾みました。
よくわかっておられる方に資料を示しながら説明していただいたおかげで、被害の規模や、戦後すっかり土地の利用が変わったことなどがよく理解できました。
広島の被爆アオギリの種子から育った被爆アオギリ2世
維持や運営にも費用や手間がかかるだろうに入場無料とは申し訳ない気がしていましたら、旧変電所のクリアファイルが。半額は保存のための寄付になるというので2つ購入しました。「負の遺産」や「記憶と継承」に関する切り抜きの一時保管ファイルとして、早速、活用しています!
今回の研究旅行、まだまだスレていない息子は、午前の関東大震災や東京空襲の展示に続いての現場見学に、私以上に感じるものがあったようでした。
若者が(と)何かを見学に行くと、フレッシュな感性が衝撃を受けている様子が見てとれることがあります。それを見ることで、スレた私も、感覚を新たにできることが多々あります。
まあ、こんなとこまで連れてきたのに反応がないなあ、、、ということもありますが。( ´∀`;) (ただ、多分それは、どうやったらここに行き着けるんだろうといろいろ調べて、ついにたどり着いた!という感動と達成感があるかないかも関係しているのかもしれません。だから私は自分で調べて行き着く派)
でも、子らを見ていると、そのときはあまり反応していないようでも、見聞き、経験したことが、蓄積して、繋がっていって、じわじわ熟していって、関心や知識や思想をつくっていってるなあと思います。
ということで、これからも、若者にいろいろ行かせよう、連れ出そう、と思ったのでありました。
おまけ編につづく。
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【親子で東京・研究旅行2022夏シリーズ】その1
その2
その3