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by chekosan

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2014年の映画「さよなら、アドルフ」は、ナチ高官の子どもたちが、敗戦直後、親と離れて900キロ離れた祖母の家まで行く道中を描いた物語です。

「戦犯の家族」を取り上げた作品ということですが、そこはあまり深みがなく、思春期の少女が苦難のなかで成長する側面の方が強く出ているように感じました。

以下、ネタバレあります。

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女性監督だからということもあるのか、女性の描き方がリアルといえばリアルかなと思いました。

主人公の母は、主人公を頭に5人の母で、多分きれいな部類だったのでしょうが、年相応に老けてきていて、体は薄くて、さほど魅力的に見えません。でも気位は非常に高くて、ナチの高官である夫にも、子どもたちにも偉そうです。

主人公である娘は、やはり体が薄くてお肌も不安定な感じ、すくすく伸びているけど色気はまだありません。はじめはおさげにつりスカートだった少女が、苦難の逃避行のあとには心身ともに大人の女性に「ならざるをえなかった」感じがよく出ていました。

その2人がどちらも性的な対象として見られたり扱われたりするあたりは生々しさを感じさせます。

母はおそらく食料を得るため銀食器を持っていった先で屈辱的な目に遭ったと思われます。だからこそか、その直後に、目の覚めるようなブルーのスーツと帽子をビシッと身に着けて、主人公である長女に妹弟を託して、自ら連合軍に出頭してきます。

子どもだけでの道中、荒れ果てた農家で発見した女性の遺体も強姦されて亡くなった様子。

主人公も、いかにもな子ども服を着た薄っぺらい体の子どもなのに、そういう対象に見られます。主人公自身も、だんだんとそういう現実に気がついていきます。

そういう、不自由のない生活と、逃避行中の厳しい状況、落ち着いた先での回復と複雑な心境を対照的に表す手段として、入浴(水浴び)シーン、髪をとかすシーン、足のアップがやたらと多く挿入されます。これは、印象的ではあるのですが、そのために、性に関する葛藤とか現実という側面が勝ってしまっていたかなという感じもしました。

ーーー

リアルなのだか、リアルじゃないのか、う~ん…なのは、主人公たちと道中を共にし、助けてくれる謎の青年です。

収容所から出てきたユダヤ人と名乗っていたけれども、実は別人の証明書を手に入れてなりすましていたということがわかりますが、では誰かというのはわかりません。そういうことはよくあったでしょうから、わからないままでもありかなと思います。ただ、似てなさすぎる人の証明書をそのまま使うのはちょっと無理があるような? (^-^;


無理があるといえば、赤ちゃんが丸々太ったままなのも嘘っぽいかな。子役を使った映画は難しいですね。役作りのために痩せさせるわけにはいかないですから。

でもこの子がまあ、とってもかわいい。ずっと泣いてばかりだったこの赤ちゃんが生きのびて、おばあちゃんのお家で次女によちよちあんよしてもらっているシーンは救いと希望を感じる、いい場面ではあります。


ということで、いろいろあと少し!という感じが残るお話でしたが、子役たちは頑張ってました! 






by chekosan | 2019-02-24 17:57 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
お出かけをやめた分、お出かけした以上の実を得ようと、「手紙は憶えている」に続いて、映画「検事フリッツ・バウアー」を観ました。

「手紙は憶えている」はフィクションで、復讐、私刑、個人の記憶を扱った後味の悪いお話だったので、2本目は法による裁きを扱った、実話に基づくお話にしました。

フリッツ・バウアー氏は実在した人物で、フランクフルトの検事総長でした。元ナチの高官などを訴追し、アイヒマン逮捕に関わったり、アウシュヴィッツ裁判を率いた人です。

今回もAmazonプライムで無料配信されていました。ありがたや。プライムビデオで見られる映画は、突然見れなくなることがあると聞いたので、どんどん見なくては。


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バウアー氏が登場する、またはアイヒマン裁判を扱った映画は何本か観ました。

顔のないヒトラーたち」(2014年)、「アイヒマンを追え!」(2015年)、「アイヒマン・ショー」(2015年)、「ハンナ・アーレント」(2012年)。

こう見ると制作年がいずれも近いですね。なぜこう似たようなテーマが同じころに集中してつくられたのかしら。なにか分析したものはあるかしらと調べて、ただいま取り寄せ中です。

本作も含め上記の映画では、アイヒマンの居場所を突き止めてイスラエルの諜報機関に情報を流して逮捕を導いたところが印象に残りますが、以下の論文を読んで、彼が主導したアウシュヴィッツ裁判の方が気になってきました。

☞ イルムトゥルード・ヴォヤーク「フリッツ・バウアーと1945年以降のナチ犯罪の克服」 

アウシュヴィッツはポーランドにあり、戦後は東側陣営だったので、そこでの行為をドイツの司法当局が裁くにはさまざまな困難があったのですが、バウアーはポーランドの司法省やアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館との協力関係を構築し、捜査を進めることに成功するのです。

こちらの方ももっと知りたいので、バウアーの評伝を読もうと思います。

この論文ですが、バウアーの経歴や業績、法思想を端的にまとめていて、興味深く読みました。

ドイツの「過去の克服」の論文や書籍はいろいろとありますが、司法の面から論じたものには、ベルンハルト・シュリンクのものがあります。そのシュリンクは小説『朗読者』『逃げてゆく愛』の作者でもあります。

ということで、次は、『朗読者』を原作とする映画「愛を読む人」を観ようかな。この映画には、今回観た「検事フリッツ・バウアー」で若手検事を演じた俳優が、主人公の若い頃を演じていることでもありますし。


ところで、こういう実在の人物を扱う場合、本人に似せるんですね。インテリアも実際のものを再現するようです。バウアーの執務室や自宅、カッコイイんですよね~。

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by chekosan | 2019-02-22 11:50 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
どうもだるさが抜けません。疲れなのか、軽い風邪なのか。外出を控えて、映画「手紙は憶えている」を観ました。劇場公開では見逃した一本ですが、Amazonプライムの無料配信で視聴できました。

90歳、物忘れが激しくなってきた男性が、友人との約束で、かつて自分たちの家族を殺したアウシュヴィッツ強制収容所の元ブロック長を探して復讐するというお話です。

テーマに合わせてマグカップはイディッシュ語のアルファベット柄。これは17年にリトアニアのユダヤ博物館で買ったものです。

以下、ネタバレありです。

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この映画、ポスターや予告映像で「衝撃の結末」と銘打っているので、観る前から半分わかってしまっていた感じでした。初めから見破ってやろうみたいな目で見てしまうので、こういう宣伝文句も考えものですね。

ということで、印象に残った細部について。

写真は主人公のお部屋なのですが、これが実は老人ホームの個室です。一歩出ると、いかにもホームな空間なのですが、各自の個室はこのように自宅のような雰囲気で、とても素敵なんです。面積的にもけっこう広いです。電話も個室にそれぞれ引かれています。

そういうインテリアとか、固定電話や手書きの手紙を使うところは90歳のご老人たちの少しノスタルジックな生活感が演出されていて、ちょっといいなと思いました。

主人公はピアノを弾くので、小さめですがアップライトピアノも置いてあります。ピアノはこの映画では何度か出てきます。だんだん真相がわかってくる小道具として効いています。

妻の死後、主人公はピアノを弾かなくなります。

ところが、復讐の旅の途中、あるところでピアノの音を聞いて、自分も弾かせてもらいます。

そのときに、自分のピアノ教師は3人のMから始まる作曲家がもっとも偉大だと言っていたと言うのですが、その3人は全員ユダヤ系です。

この場面では、ああ懐かしい曲を聴いてピアノを弾くことを取り戻したのだなと思わせるのです。

演奏もこなれたものです。短期的な記憶はかなり怪しくなっても、体が覚えていることは忘れないのだなと思わせるシーンです。

ところが、もう少し話が進んだときに主人公が弾くのはワーグナーなのです。ユダヤ人でアウシュヴィッツで辛くも生き残り、当時のSSに復讐しようとしている人が、ヒトラーが好んだワーグナーを弾く? これはもしや…となっていくのですね~。 


で、それよりも前、中盤の盛り上げるところで、グラスを持つにも手が震えているよぼよぼの主人公が驚きの行動を起こします。それ体が覚えているんじゃないの?と思わせるシーンです。

この話の真相は早くも中盤には提示されているんですね。

わりと伏線がわかりやすく示されているので、終盤にはほぼ真相や結末が見えてしまうのですが、それでもラストは、うーーん、、、後味が悪い。

で、邦題にも使われている「手紙」が、最後にもう一度出てきます。ペンや写真に隠されて全文は読めないのですが、ある人物の告白状となっています。







by chekosan | 2019-02-21 16:17 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
チェコスロヴァキア出身のミロシュ・フォアマン監督の映画「カッコーの巣の上で」を観ました。

だいぶ前からDVDを持っていたのですが、チェコが舞台というわけではないので、後回しになっていました。

が、観てみたら、やはり名作といわれる作品というのは、それだけのことがありますね。「ソフィーの選択」のときも思いましたが、原作を読みたい、映画評や原作の書評や論文を読みたいと思わせてくれる作品でした。

そういえば「ソフィーの選択」の感想を書いた記事は、訪れる人の少ない本ブログにおいて、長期間にわたってアクセスのある一本です。あら、この記事の最後、「つづく」とか書いてますね。その後、関連する論文や映画評などは、ほぼ収集して読んだのですが、文章にはまとめていませんでした。気が向いたらまたいつか…?

さて、本題の「カッコーの巣の上で」。ネタバレありです。


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まったくの個人的な好みでいうと、フォアマン監督でなければ、ここに出てくる役者さんや話の舞台(1960年代のアメリカ)には興味は抱きませんでした。なのですが、この映画、役者さんたちの演技がすばらしいですね! 

舞台となった精神病院の患者さん役には、本当の患者さんたちも混じって出演しているとのことですが、見分けがつかないというか。

主たる登場人物の十数人の患者は当然役者でしょうが、患者を装って入院してきた主人公(刑事犯だけど強制労働を逃れようとしている)が、彼らに混ざると明らかに浮いてしまっているのです。狂人を装っているのが丸わかりです。主役も脇役もうまい。

看護師長さんもいいですね。落ち着いていて、言葉遣いもとても丁寧なんですよね。基本、ミスター誰々と呼びかけるし(主人公に名前の方で呼ぶシーンもありますが)、たまに患者が反論めいたことを言っても、一呼吸おいてから簡潔に答えを返します。院長が言った「優秀な婦長」という評もそのとおりだったのだろうと思わせるのです。

この師長さんに関しては、多くの感想で、決まって「威圧的」で「絶対権力者」というように書かれていますが、たしかに映画の全体のコンセプトや主人公目線から一言でまとめるとそうなるのですが、上司を欺いて悪いことをしているとか、いいかげんとか暴力的とかいうわけではなく、非常にきちんと看護者としての(当時の主流の)職務を果たす有能な管理者なんですよね。

もちろん、その「当時の主流の」精神病者への治療法や管理の仕方こそ問題であると告発する映画なので、師長が悪者のように捉えられてしまうわけですが。

そして、たしかに師長は、患者に発言を促しておきながら、あっさりと患者をくじくような返しをしてしまうのですが。

この看護者(師長ともう一人の看護師が進行している)と患者とのミーティングタイムのシーンには、ちょっと考えさせられました。

というのも、場をとりしきる立場にあると、どうしても全体をスムーズに進めたいという気持ちが強く出てきます。今日はこういう目的、ゴールに向けて話を進めたいのだと思うと、突発的な発言は好ましくない。無視するまではいかなくとも後回しにしたい。自分が思う筋書きから外れる言動をする人物は煩わしく感じてしまう。秩序を乱す言動をする人物は排除したくなる…

これは1960年代の精神病院で行われていた治療としてのミーティングの光景に限らず、教育や職場や地域その他さまざまな場面で生じ得ることではないかと思うわけです。

この映画では、ミーティング参加者が精神病者で、はじめのうちは従順、無関心、無気力だったのに、主人公のもたらした刺激によって気力が出てくると主張が止まらなくなり興奮しすぎてパニックを起こすといった極端な変化が起こるので、抑圧・統制による無気力からの劇的な脱却の過程と結果が見えてきますが、現実の「理性」を意識する人々の間では、そのような変化が生じないよう、自ら抑制し、あるいは周囲を無言有言の圧力によって黙らせてしまっているのではないだろうか。

というようなことが自戒を込めて連想されて、師長さんを単純に悪者にできないで鑑賞を終えたのでした。

で、専門家の分析や考察を知りたくて調べてみたのですが、学術論文はあまりみつかりませんでした。

ひとつ、原作に関する論文を見つけて興味深く読みました。

☞ 馬場聡「ケン・キージー『カッコーの巣の上で』: 管理社会のメタファーとしての母性文学研究論集 (20), 23-40, 2002年 筑波大学比較・理論文学会

また、映画を看護学の教材として活用されている先生の論文も。「カッコー」だけでなく、ほかの作品の解説もあります。

☞ 篠原由利子「映像から学ぶ精神障害者の病いの体験」福祉教育開発センター紀要 第12号(2015 年3 月)


映画に対する評論は取り寄せ中です。


ところで、今回の作品とはまったく関係のないエッセー集を読んでいたら、精神病治療に関する興味深い事実が出てきたので、そちらも調べて、合わせてまとめられたらと思っています。「ソフィー」のようにそのままになってしまう気もしますが。(^-^;












by chekosan | 2019-02-20 14:53 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

ロシア(ソ連)や東欧の文献を読む輪読ゼミ、最後の2回は、各自が読んだり観たりした作品を紹介する持ち寄り企画でした。


みんな力を入れて丁寧に紹介してくれたので、私もぜひ読ませてもらおうと少しずつ入手しています。

こちらもその一冊。ラジスラフ・フクス『火葬人』(松籟社 2014年)。


以下、ネタバレあります。


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ナチに支配されたプラハでドイツ系の主人公がそれまでの寛容な態度をあっさり翻して周囲の人々をクビにしたり消していったりする、ああ恐ろしい全体主義…という感想が多いようです。

もちろんそのように読めるのでしょうが、それ以上に、このおっちゃん、穏やかで、品性を保って、誰にでも丁寧な物腰の紳士としてふるまっていたけど、実はもともとすごくルサンチマン的な人で、それが高じていって、どんどん狂っていったんじゃあないの? 妻が元気がないという近所の医師の指摘も、夫の言動が常軌を逸している(いく)ことに対する恐怖感からだったんじゃ? というのが最大の感想です。


というのも、おっちゃんは金や名誉や地位に執着していないようで実はすごく欲してるのがせりふに表れているのです。

自宅のインテリアに悦に入ってるけど、買ってくる額縁の中の絵は複製で、しかもセレクトがちょっとおかしい。


妻だけを愛しているとか言いながら、実は二級の娼館に通ってて、階上の開業医にこっそり性病の検査をしてもらっている。


その医師(ユダヤ系)は自家用車を持っているし息子もよく出来ていると繰り返す。自分の息子はどうも頼りなくてフラフラしているのを気に病んでいる。


おっちゃん自身は「純血」ではなく、パッとしない仕事に就いている(だからこそ必要以上にその職の意義を強調する)。車も持っていない。

でも自分は美しい音楽を愛する教養ある人物だし、美しい妻や妻に似た娘もいて幸せこの上ない(と思おうとしている)。だから「不幸な」人のことを蔑んだりしないし、むしろ憐憫の情を過剰に示すのです。

ところがその最大の自慢の黒髪美人妻が実はユダヤ人だったとわかって、一気に拠りどころが自分が「ドイツ系」であることだけになってしまった。


娘の友達や、ドイツ人向けサロンの美女たちの見事なブロンドにうっとりするのも、おっちゃんの劣等感の表れかと思えるのです。

おっちゃん、何かと遺伝にこだわりを見せます。もらいもののハエの標本を壁に飾ります。

娘の誕生パーティの席で、新聞で見つけた二重結合児に関するニュースを家族に読み聞かせながら、一緒に焼けば灰は混ざってわからなくなるとか、頭が二つあったら異なる二つのことができて、異なる二つの感情を同時に抱くことができるとか語ったりもします。


そして、その席で、娘に「亡き子をしのぶ歌」をピアノ演奏させようとします。


いろいろお誕生日のパーティにそぐわなさすぎる。

そこここに、おっちゃんの偏執的なところや、その後の行動を暗示するエピソードが散りばめられているんですね。


ところで、最後に列車から見かけた「見たことのある女性」とは誰のことだろう。ロープと角砂糖は何の暗喩か。おっちゃんは、第一次世界大戦で馬が苦しんだことをやたら嘆いていた。馬は角砂糖が好きというから、それと繋がるのかな。(先日観た映画「ヒトラーと戦った22日間」でもそういうシーンがあった) 精神病院に連れて行かれた患者がロープを入手できるのか疑問だが… 

などと、読んでいる間は、おかしいんちゃうん、このおっちゃん、ひっきりなしにヘンなこと一人でしゃべって… あ、やっぱりおかしかったんだ、怖いよ… という感じですが、読後、細かいところを振り返るとなかなか面白い発見が次々出てくる小説です。


まあホラー系(?)小説で、しかも主人公は狂っているわけなので、どこからどこまでが本当かとか、アレはコレを示すのか、なんて、読者のご想像にお任せします、なのでしょうけどね。

映画にもなっているそうで、カバー写真はその映画からとっているそうです。









by chekosan | 2019-02-19 13:59 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
中之島で現代美術を観たあと、続いて福島にあるフォトギャラリー・サイで開催中の写真展に行きました。

チェルノブイリ原発事故から30年のウクライナで、胎内被曝した女性や原発作業員の人々を追った写真展です。

てくてくてくてく。よく歩く日です。

見つけました!

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グーグルマップから建物の外観を予習しておいてよかった。


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こんにちは~、と引き戸を開けて。

民家をそのまま使ったギャラリーです。今回は暗い室内に点々と作品が展示してあります。作品の裏側からライトを当てて、ぼんやりと照らし出すような展示です。

1階の写真は、チェルノブイリ事故後、人々が退去して廃村となったところに残された期限切れのフィルムを使って撮影されました。胎内被曝により成人後に甲状腺の病気を患うようになったマリアさんの言葉と、一生服用し続けなくてはいけない薬の残骸も展示されていました。

2階には、いまも収束のための作業が続くチェルノブイリ原発に通う人々の様子を追っています。専用の通勤列車内の様子や、車窓からの風景。映像には、事故機をおおう巨大なカマボコ型ドームも映っています。

1階の暗室では、スライドを見ることができます。昔懐かしい、一枚一枚をカシャンカシャンと送っていく機械です。高2息子にとっては初めて見る装置でした。

スライドの内容は、アイゼンハワー米大統領が1953年に発表した「平和のための原子力」演説に関する写真や、かつてのチェルノブイリ周辺の町の様子(だと思うのですが)です。わかることは解説していきながら一緒に見ていきました。


ボルタンスキー展とのはしごで、さすがに疲れたので、2階の休憩所でしばし休ませていただきました。昔懐かしいお家の一部屋です。祖父の家を思い出しました。



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スタッフの方といろいろお話させていただきました。やはりボルタンスキー展とはしごする方がいらっしゃるそうです。会場もテーマも近いですもんね、とお話していたのですが、よく考えたら、この2つの展覧会のどちらにも関心を持って、関連性、共通性を見出して、実際に足を運ぶ人が他にもいるというのは、なかなか興味深いことです。



休憩所には関連書籍もたくさんありました。この机も懐かしい感じ…


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この日、チェルノブイリ関連のドキュメンタリー映画上映会もあったのですが、夜遅くなるので断念。でも映画はどうしても観たいので、こちらに来るまでにDVDボックスを買ってしまいました。また観たらアップするとします。

チェルノブイリにはいつか行こうと思っています。子らは連れていけないので、同年代くらいの人とでも行けるとよいのですが。それまでは書籍やこうした展覧会で勉強しておこうと思っています。


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それにしても、2つの展覧会、いずれもずーんとくる内容でした。帰り道から二人してぐったり。知恵熱が出るのではないかと思いましたが、幸いそのようなことはありませんでした。刺激を受け、充実感を得ることができた展覧会はしごデーでした。





by chekosan | 2019-02-18 21:59 | 美術 | Trackback | Comments(0)
大阪は中之島の国立国際美術館で開催中のクリスチャン・ボルタンスキー展に行ってきました。

ここはいつもチケット売り場の横に企画展の大きな看板が立ちます。絶好の撮影ポイントです。しかしほとんど誰も撮ろうとしない。なぜだろう。


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今回は高2息子と行きました。現代美術で、しかも暗い重い感じの作風なのでどうかなと思いましたが、じっくりたっぷり鑑賞していました。平面のものを見るだけでなく、音、動き、空間全体のつくりを体感する展覧会で、テーマ性があるので、面白かったようです。

客層も、普段の美術展とは若干違っていたような。若い人の割合が他よりも高かったような気がしました。


この展覧会、ほとんどが撮影可でした。作家以外の人の顔写真を使った作品はだめだったのかな?

この作家の作品は、会場に合わせて組み立てるものが多いようで、同じ作品でも会場が違うと違う演出になるようです。ですので、パンフレットや図録の写真とちょっと違っていたりするのも面白いところです。


スタート地点の部屋は撮影不可です。若い頃の作品である「咳をする男」の映像が流れていて、これがまあ不快な映像です(^-^; 音はヘッドフォンで聞けるのですが、3秒くらいでこれはええわと断念しました(笑)


そこから、ボルタンスキー自身の顔写真を投影しているのれん状のカーテンを通って次の空間に進みます。じっと見ていると、幼少のときの顔から60代の顔へと変わっていきます。

坊やの頃のボルタンスキー。
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おじさんになっていくボルタンスキー。

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作家の顔が一巡したところで、次の間へ。

この展覧会、作品の表示がないので、入り口で配られたパンフレットが頼りなのですが、会場が暗くて文字が読めません。電球の下に行って読もうとしたら、実はその電球は作品の一部だったりしました(笑)

なんかこう、そういう、“いまどこにいるのか、何を見ているのか、何を表しているのかがすぐにわからない状態で、暗い迷路を手探りのように進んでいく感“がまた面白いのです。


「保存室(カナダ)」という作品。古着が大量に吊るされています。


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「保存室」で「カナダ」といえば、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、収容者から取り上げた持ち物を集めて保管していた建物の通称です。

ボルタンスキーはフランス出身です。父はユダヤ人だったため、ドイツの占領中、彼の両親は見せかけの「夫婦喧嘩」をして「離婚」し、父は床下に隠れていたそうです。ボルタンスキー自身はその間に生まれたので、親子は収容所に連れて行かれることはなかったのですが、このような家族の体験や、知人などから聞いたホロコーストの様子が、のちのちまでトラウマになったとのこと。

であるからでしょう、彼の作品には人が存在していたこと、存在しなくなったことを示すものが多いようです。


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奥に矢印のようなものが? と思ったら、コートの周りに電球を配した作品でした。


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コートと電球でしかないのですが、人が「かつていた」ように思わせます。


「アニミタス(白)」と「アニミタス(チリ)」という作品の奥に、「ぼた山」という作品が見える空間。二つの作品の間を通ってもよいし、アニミタスの横を回ることもできます。アニミタスはどちらも映像です。風鈴の音がずっと流れています。


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アニミタス(白)の手前にあるのは、これです。紙を丸めたもの。ここから先通るな、というような線があるわけではないので、近くまで寄っていけます。わざとじゃなくても蹴ったりして動いてしまいそう。絶対的な状態ではない作品。


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アニミタス(チリ)の手前にあるのは、枯れ草に花。

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そして、奥には「ぼた山」と「発言する」から成る空間が。

ぼた山は大量の黒いコートから出来ています。これもまた大量死を想起させます。

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「発言する」のヒトガタとシンクロする息子。


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あとで、このヒトガタは前に立つと、ささやき声で言葉を発するらしいと知り、ガーン! 正面に立ったとき、あら?何か機械がくっついているなあ、細工がありそうだけどなにもないなあ、と思って見ていたのに。声なんて聞こえてこなかったように思う~(´;ω;`)


展示も終盤。死神かと思ったら、死の天使だそう。


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「来世」の部屋はなんだか文化祭のお化け屋敷みたいで(←失礼?)、すごく気に入りました。展示の順番は天使が先なのですが、天使に導かれて来世に行った、みたいなストーリーを脳内に作ってしまいました。

来世の文字はもっとくっきり繁華街のネオンみたいに光っているのですが、私が写るよう息子に撮ってもらったらこんなこと↓になってしまいました。私の来世どないやねんと思わせる怖さですが、かなり気に入ってます。


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到着しちゃいました。

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作品それぞれも思わず見入ってしまうのですが、今回は「会場全体のつくりかた」も一つの作品でした。足を運んで、その空間に身を置いて体感することに大きな価値がある展覧会です。しかも高校生は無料でした。ありがたい!


さて、恒例、展覧会のお楽しみ、ミュージアムグッズですが、そんなにたくさん種類はありませんでした。非クリアファイル2種類と図録を購入。このクリアファイルはかなりかっこいい。ほかにはマグネットやTシャツ、マグカップ、ハガキなど。

関連書籍にかなり惹かれましたが、重くて高額なものが多かったので、あらためて、にしました。


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関連企画である同館のコレクション展も鑑賞しました。こちらは企画展のチケットで入場できます。

近くでランチをしたあと、さらにもう一つ展覧会へ!(つづく)




by chekosan | 2019-02-17 21:35 | 美術 | Trackback | Comments(0)
同志社の「政治学」の授業で、要件かなり緩めなブックレポートを出したところ、ある学生が選んだ一冊。

著者は78年に欧州に渡って以来、長期に渡ってアンネの足跡を辿る取材を重ねてきた。

そのため本書には、現在とは違う収容所跡の雰囲気や受け入れ体制の様子や、当時を知る関係者の生の声など貴重な体験や証言が散りばめられている。そうした証言者自身の体験や言葉の方が興味深かった。

特に「アンネのストーリーはごく一部」だという証言者の言葉は重い。もちろん一人の人物の人生を追うことにも意義があり、矛盾・対立することではないが。

それにしても写真が少なくて残念。記者時代に撮った写真は個人では使えないのかな。アンネが隠れ家に移る前に住んでいた家周辺や、アウシュヴィッツに送られる前にいた収容所なども訪ねているのに、一切写真がない…


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ところで、アンネの父オットー氏も、なぜ日本でここまで『アンネの日記』が人気なのだろうと言っていたそうだが、いまどきの学生もホロコーストといえばアンネが真っ先に浮かぶようだ。

複数の歴史の教科書に載っているのも影響しているのだろう。私の娘時代には既に数種類の関連本が出ていたので、親の影響もあるのかも。

と思っていたら、アンネ・フランク財団のスタッフは、本書の著者に、日本人は戦争の被害者であるという意識があるから被害者の象徴であるアンネに共感するのではないかと問いかけたとあって、なるほどそれもあるかもと。☞文末にそうした趣旨の記事のリンク。

とはいえ、ホロコースト云々関係なく、感受性豊かな少女の日記として共感する読者も多そう。☞こちらもそのような趣旨の記事のリンクを文末に。

実際、別の授業の学生も『アンネの日記』を取り上げて熱く語ってくれたのだが、その学生も、思春期の心理や思索の面、文芸的な面で面白かった、生きていればきっといい作家になったと思うと感想を言っていた。ふむふむ

で、アムステルダムのアンネの隠れ家はなかなかひょいとは行けないし、入場するのに長蛇の列だそうだから、広島県福山市のホロコースト記念館に行けば、実寸大のアンネの部屋と、隠れ家の模型があるよと紹介しておいた。


アンネ・フランクと直接関係はないが、ユダヤ人映画制作者リディア・シャゴールさんの話がたいへん気になった。シャゴールさん一家はオランダ領東インドに逃げるのだが、同地がドイツの同盟国である日本に占領されたため、日本軍収容所に囚われてしまったというのである。彼女の『頭を垂れて』『総統の名の下に』という本を見ることはできないだろうか。


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「戦争被害者として共感?『アンネの日記』日本で人気の理由 イスラエル紙が分析」




後者の論調の記事。

「なぜ、日本人はこれほどまでにアンネ・フランクが好きなのか?
この人気は、ユダヤ教やホロコースト(ユダヤ人の大虐殺)への関心とは無関係だ。
読者の大半を占める若い女性を惹きつけているのは、アンネというひとりの少女の個人的な物語である。日記に豊かに表現された 十代の少女の感性に、アンネとはまったく異なる環境に生きる日本の13~15歳の若者たちから強く共感しているのだ。」







by chekosan | 2019-02-12 00:38 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

関西ウーマンの書評連載、2月分が公開されました。

2011年3月11日に発生した東日本大震災で甚大な被害を出した石巻市にある製紙工場の復興の物語です。


工場の再稼働のドラマが一番の読みどころではありますが、全員避難を誘導し従業員の生命を守った担当者、流出物を回収し現場をきれいにして回った作業班など、各々の持ち場や職務に責任と使命を持って当たることの尊さをあらためて感じました。


そして、関西ウーマンFacebookページでも引用していただいていますが、美談だけではなく、危機的な状況で人びとがどのような行動を取りうるのかを知っておくこと、そしてそうした事態に備えることも防災のひとつではないかとあらためて思いました。


本文はこちらから。
https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201495

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by chekosan | 2019-02-09 10:37 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)
そういえば、ちょうど一年前はポーランドに行ってたわ、アウシュヴィッツを見に。なんだかだいぶ前のことのように思えるけど…

ということで、1964年の映画「質屋」を観ました。

一体なにが、「ということで」なのかというと、この映画の主人公は、アウシュヴィッツで生き延びてニューヨークで質屋をしている男性なのです。

この映画のことは、映画評論家、町山智浩さんの著書『トラウマ映画館』で紹介されていて知りました。町山さんが執筆されたときは視聴が困難だったようですが、その後ブルーレイディスクが販売され、私は容易くゲットすることができました。

でも手に入ってしまうと、なかなか観ないんですよね。今日は映画館にある映画を観に行く予定を断念したので、代わりに家で本作を観ることにしました。

以下、ネタバレありです


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ジャケットを見るだけで全体の雰囲気はわかるというものですが、暗いです。というか、救いがないです…

主人公はまったく愛想のない初老のオッチャン。せっかく先生、先生と慕ってくれている店員や、気にかけてくれる人たちもいるのに、とにかくそっけない。というか冷たい。元大学教授なのですが、教養や知性が発現することすら抑え込んでいる様子です。

舞台も貧しくて治安の悪い地区。そこに持ってこられるような質草はなんの値打ちもないものばかりです。オッチャンはいかにも訳ありっぽい人たちにも情けをかけることなく、1ドルとか2ドルとかしか出してあげません。

店は防犯のため、金網だらけで、刑務所のようです。殺伐としています。

といっても、映画だし、そのうちさすがのオッチャンもほだされていくのかなと思ったら、そんな単純じゃないのです。

冷静沈着な主人公は、妻子が強制収容所で殺された日が近づいて、過去の記憶がフラッシュバックして、だんだんと様子がおかしくなります。

そこで、ようやく人間らしい、感情の乱れが現れるのですが、ここでこういう表情や感情を出させるのかと意外に思うシーンもあります。ちょっとずつ予想を裏切ってくれるといいますか。それが、観た人に、ささくれのように引っかかって残っていく感じがするのです。人間をリアルに描いていると思いました。

プエルトリコ系の不良青年たちとの絡みや話の展開は、「ウェストサイドストーリー」を彷彿とさせます。と思ったら、同時代の作品なのですね。音楽もカッコイイです。

◇◇◇

ホロコーストで生き残った人は過去の体験に苦しみ、さらには生き残ったという事実に罪悪感をもちながら生きていかなくてはなりません。その残酷さを描写するだけでなく、繁栄するアメリカの矛盾のふきだまりのような貧民街での閉塞感も絡めて話を展開しているので、二重三重にしんどくて、二重三重の意味で痛みを覚える作品です。

最後は、それだけはや~~め~~てぇぇぇぇ~~~と心の中で叫んで、目を手で覆って、指の隙間からコッソリ観ました。痛いよう… ><

◇◇◇

そういえば、ルメット監督といえば、「十二人の怒れる男たち」も買って持っていました。こちらも近々観るとしましょう。






by chekosan | 2019-02-08 16:16 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)