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by chekosan

カテゴリ:本、書評、映画( 145 )

昨日は電車が止まっていたので、映画館に行くのをやめて、Amazonプライムで映画「山河遥かなり」を鑑賞しました。

今日こそと思ったら、今度は映画館が休館日! めったにないのにぶつかってしまいました。(^^;

ということで、今日は、「山河遥かなり」を現代のチェチェン紛争に置き換えてリメイクした映画「あの日の声を探して」を借りて来て鑑賞しました。

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大きな筋は「山河遥かなり」に沿っています。

戦争孤児と、彼を探す肉親(「山河」は母、「あの日」は姉)と、彼らを支える国際機関の人たちが、心を通わせ、最善の道を探そうとする話です。

「あの日の声を探して」は、この大筋に、さらに加害に与していく青年という登場人物を加えました。ロシア軍に強制入隊させられる19歳の青年コーリャです。

それによって、善意の人びとによる戦後処理、未来への希望が主たるテーマである「山河」の単なるリメイクでなく、より重みと深刻さと複雑さを増す効果を生んでいます。



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「あの日~」は、1999年、エリツィンからプーチンへとロシアの指導者が代替わりしようとしていたとき。ロシアからの独立を志向するチェチェンに対して、テロを撲滅するという理由を掲げて、ロシアが空爆と地上軍による侵攻を進めた第二次チェチェン紛争を取り上げています。

両親を殺され、姉とも生き別れになった9歳の少年ハジが収容されるのは、国際赤十字の保護施設。そこから逃げ出して町をさまよっていたハジを助けるのは、EUの人権委員会から派遣されてきた女性職員キャロルです。

現場で疲労困憊しながらも、押し寄せる難民や孤児が立ち直るための支援をしている赤十字の女性職員と、机上の報告書を作っているだけかもしれないと焦燥感にかられるキャロルが衝突するところは、「山河」にはないリアリティを感じました。

ロシア軍の攻撃から逃れてきた人びとの証言を聞き取り、EUの上部機関に紛争の仲裁に入るべきだと訴えるキャロルの仕事も決して無駄ではないはずですが、目の前の子どもを保護し、食べさせ、声(言葉)や笑顔を取り戻す手助けをする尊さと、それによる精神的な充足感もよく描かれています。

戦後処理を描いた「山河」にはない、現在進行形の紛争中の話にしたのは成功だったと思います。

ーーー

「あの日」のオリジナルキャラクターである、ロシア兵士コーリャを登場させたのも「成功」だったと思います。

映画全体としては、いかにロシア軍が非道な行いをしたかを示しているのですが、そのような非道を実行する兵士たちは、なぜそのような行為に走れるのかを、コーリャの変貌を通して表しています。

コーリャは、女の子やロックを楽しむ、その辺の普通の軽い若者だったのですが、マリファナだかなにかを所持していることがみつかり、入隊させられます。

上官の理不尽なしごき、下劣このうえない罵倒、次々運ばれる四肢の揃っていない死体に直面して、自分も上官たちのように振舞わなければ、いつまでも暴力を受ける側でしかないと悟っていくのですが、だからといって、コーリャも被害者だとか、戦争(戦闘)中だから仕方ないと思わせるような甘ったるさはありません。

軍隊や戦闘の場面は、愚劣で下劣で残虐な組織はそうでなかった普通の人もそのようにならしめるということを描き出していて、その点でも納得できました。

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善意に満ちた「山河」もよかったですが、「あの日の~」は、国際関係、国際機関の役割についても考えさせるものとなっていて、おすすめです。








by chekosan | 2019-09-17 20:57 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
久しぶりに映画館で映画を、と思ったら、電車が止まっているようなので断念。

そういうときは、家で映画鑑賞して憂さ晴らしです。

まだ買ったままのディスクもあるのですが、なんとなくAmazonプライムで、戦後すぐ制作された映画「山河遥かなり」を観ました。


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まだ連合国が占領、統治しているドイツで撮影されたもので、廃墟がつづくドイツのまちの記録にもなっています。


強制収容所から解放されたり、孤児になったりした子どもたちが国連の保護施設に集められるのですが、彼らは怯えて言葉を発しません。

手づかみで食べるクセがついてスプーンを使うことを忘れていたり、いくらでも食べられるのにパンを隠しもったり、係官が近くを通ると盗んでいないことを示そうとホールドアップの姿勢をとったりします。

いかに恐怖と抑圧の日々を送ってきたかがわかります。

ひとりずつ名前や出身などを聞き取り調査されるシーンがあるのですが、さまざまな言語が飛び交います。各国から集められていたことがわかります。

主人公の少年は、チェコスロヴァキア出身です。父と姉は早くに殺され、少年は母とアウシュヴィッツに収容されます。そこで母とも別れさせられ、そのときから心を閉ざし、言葉を発しなくなりました。何を聞かれても、ドイツ語で「知らない」としか言えません。

少年は施設から脱走して、街をさまよっているところを米兵に拾われます。この青年が少年を世話して、英語を教え、アメリカに連れていけないか奔走します。

少年もアメリカ青年になつき、一緒にいたいと思っていたのですが、ほかの親子が仲睦まじくしているのを目にしたことで、母という存在が自分に欠けていることに気づきます。

最後に母と別れた場面の記憶がうっすらとよみがえり、母を探し求めて家を飛び出します。


実は、少年の母も収容所を生き延び、息子を探しつづけています。

2人は果たして会えるのか…?


原題は、The Search 。それが「山河遥かなり」というのは意訳しすぎな気もしますが、まあなんとなく雰囲気的にはわからなくもない?

国連の保護施設の担当官(女性)や米兵の善人ぶりがやや強調されているきらいはありますが、実際、手や心を尽くして孤児たちの世話をしたり、養子として引き取ったりした人も多かったのでしょう。

ストーリーも、ひどくご都合主義ということもなく、素直に観ることができました。


この話、現代のチェチェンに舞台を移して、映画「あの日の声を探して」としてリメイクされているようなので、そちらもすぐに観たいと思います。








by chekosan | 2019-09-16 22:29 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
関空からドバイに向かう飛行機の中で、キーラ・ナイトレイ主演の映画 Aftermath を観ました。日本語吹き替え版でした。


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第二次世界大戦終結直後のドイツ、ハンブルクが舞台です。

主人公は、イギリスから連合国軍の軍人である夫の赴任地にやってきます。

夫は、ドイツ人から接収した邸宅に居住します。屋敷の持ち主である建築家は、家を出て、娘と2人で難民キャンプに入ると言います。

夫は、屋敷の持ち主に同居を申し出て、親子は屋根裏部屋に留まることになります。

ひとり息子をドイツ軍の空襲で喪った主人公は、複雑な気分です。

持ち主親子も、連合国軍の空襲で妻(母)を失くしているが、自分も息子を失くしている。

かつての敵であり、同じ境遇でもあります。

子をなくしたことによって、夫との間に生じた距離も、喪失感を強めます。







と、大筋は、メロドラマというか男女の愛憎劇、家族の問題がテーマで、その点はありがちな展開で予想通りでした。結末も、まあそうだろうな、でした。


とはいえ、戦後のドイツの様子が伺い知れる部分が興味深かったです。

敗戦した国が負うもの、それに反発する若者たち、勝利した国々の負かした国でのふるまい…

戦争が終わったからと言って、すぐに思想、信条、行動が変わるわけではなく、むしろ敗戦に伴う屈辱によって敵意が高まり、それをぶつけようとする若者たちの姿が印象的でした。


この映画、日本で公開されるのかなと調べてみたところ、9月にデジタル配信、10月にディスク発売されるようです。

んが!

邦題が「モーガン夫人の秘密」って!!

またしても、いやそりゃたしかに嘘ではないけど、それはどうなん!系タイトルです…

原題の含む意味合いがぶっ飛んで、単なる昼メロ。まあ昼メロなんですけど、、、






主演女優さんが好きな方にはおすすめ。とても美しく撮っています。






by chekosan | 2019-08-31 11:42 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
イジー・メンツェル監督の名作「スイート・スイート・ビレッジ」。

以前、映画館なのかテレビ放送なのかなんだったかで観て大好きになった作品です。

ブルーレイで発売されたので、ちょっと高くても、これは持っておきたい!と即予約(のわりには、見るまでにちょっと日が経ってますが)。

チェコ(スロヴァキア)の映画を一本勧めるならコレ!と言いたい一本です(チェコの映画、さほど観てないけど)。


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チェコスロヴァキア時代の村が舞台。村そのものが主役と言ってもいいかも。

村の農業組合でトラック運転手をしている、まんまる体型のおじさんパヴェクと、両親を亡くし、大きな農家にひとり住まいをしている、おつむが少々弱い、パヴェクの助手である、ヒョロヒョロのっぽの青年オチクを中心に、村の日常を描きます。

パヴェクは、5年、オチクに仕事や日常生活で必要なことを教えてきました。

オチクは性格がよく、まじめで、覚えた仕事は懸命にこなします。2人の乗るトラックがいつもピカピカなのは、オチクがせっせと磨いているから。

でも、100キロの道中、ほとんど言葉を発せず、ロフリーク(角型のパン)を食べて、へらへらしています。

気が回らなかったり、同僚のいたずらに引っかかったりして、パヴェクに迷惑をかけることもしばしば。

パヴェクも、村の人たちも、オチクが生活していけるよう、心を砕き、世話を焼くのですが、なにしろ失敗が多いので、とうとうパヴェクは助手から外すと宣言してしまいます。

父親のようにパヴェクを慕っていたオチクはショックを受けて、両親から引き継いだ家を出て、プラハの公団に勤めるという道を選びます。

でもオチクがプラハでやっていけるわけがない。

村長や医師や村の人たちの説得を受けたパヴェクは…


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大きな展開があるようなないような、村の日常です。

ちょびっとずるかったり意地悪だったり乱暴だったり危なっかしかったりする人もいるけど、心底悪人ではない。

目ざとい世話焼きのおばさんや、自動車で事故ばっかり起こしてるけど、村人の健康を気にかける融通の利くドクターも魅力的。

ガチガチの官僚体質とか党の縛りに押さえつけられているわけではない、農業組合のありよう。

都会みたいに刺激はないけど、映画館にいくときはきちんと着替えて鑑賞する習慣が残っていて、夏はそのへんの川(湖?)で泳いで楽しんで、祭りでは、おっちゃんたちが楽団を組んで演奏し、ダンスを楽しむ。

水洗トイレはないし、ガスコンロもないけど、自分ちで飼っているハトやうさぎをクイっと絞めて、自家製ソーセージを作って、休日には、それをアテに、昼間から地下室への階段で冷やしたビールを飲む。

タイトルどおり、愛すべき村の生活です。

おとぎ話に出てくるような魅惑のプラハもいいけど、こういう小さな田舎の村にも滞在してみたいと思えてきます。


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俳優たちもとってもいい。パヴェクの球体のような体やいかにも働くおじさんなツナギ姿、詩を愛し村の風景を愛するドクター、放浪画家などなど、主な登場人物のおじさんたちを見ているだけでも、ほのぼの幸せな気分になれます。すごく自然。ほんとにいそうです。



ロケが行われたKřečoviceの30年後の様子はこちら。







by chekosan | 2019-08-26 12:28 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
成績付けも終わったので、久しぶりに映画館で映画を観てきました。

クリムトとシーレの没後100年記念ドキュメンタリー映画、「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」です。

邦題だとクリムトが主役っぽいですが、むしろシーレの方がていねいに紹介されていたかも。

いや、ウィーンの世紀転換期の文化そのものが主役という感じかも。

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19~20世紀への転換期に活躍した2人の画家、クリムトとシーレを中心に、当時のウィーンの社会の変化を読み解きます。

フロイトの精神分析学、シュニッツラーの『夢小説』(キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」の原作となった小説)、シュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』などが引用されています。

ウィーンの博物館や建築物、関連のある音楽、専門家の解説など盛りだくさんで濃いのですが、ちょっと消化不良になってしまう感がありました。(;^ω^)

なによりも、吹き替えだったのが、あああ…でした。

もともとの進行役の役者の表情とか撮り方が大仰というか、安っぽいテレビのドキュメンタリーみたいで、それに合わせてか日本語ナレーションもいかにもな感じだったり、何度か出てくるイギリスの女優の小説からの引用部分もやたらと慌ただしくて雰囲気を損ねたりしていたのが少々興ざめでした。

ーーー

とはいえ、次々に情報がなだれ込む感じで、勉強になる部分が多いので、メモをとりたかったのですが、映画館なのでそれもできず。メモを取れる状況(自宅とか教室とか)で観る方がいい映画かもと思いました。

へええ~~~!と思ったのは、美術史家ジェーン・カリア氏(女性)が、シーレの作品を現代の男性キュレーターたちがどのように見ているかで、シーレの先駆性を確認したと解説したところです。

シーレの女性の裸体画は、女性の体が垂直になるようにサインが入っているのが多いのだそうです。

ところが、男性の異性愛のキュレーターたちは、これを水平、つまり女性が寝ている状態になるように展示したがるというのです。画家の意図した構図と90度違う向きにしたがるということです(そんなことしていいのか!?という点でも驚き)。

正確な言葉は忘れましたが、シーレの方が女性の主体性を表現し、現代の男性異性愛キュレーターの方が女性を受け身な存在として捉えているということが浮かび上がってきたというわけです。

シーレの絵は、美しいというには不気味すぎるし、あまりにもあからさますぎるので、家に飾りたいとは思いませんが、新しい知見が得られました。

まもなく、大阪中之島の国立国際美術館では、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展が始まります。そういった観点からも見てみようと思いました。


シーレといえば、こちらの映画、面白かったです。主演がめちゃくちゃ美男子でした。



【関連記事】

今年は、日本とオーストリアの友好150周年ということで、オーストリア関連の行事、イベントが開催されています。
2月には、京都でこんな展覧会も楽しんできました。




クリムトの絵画をめぐる実話をもとにした映画「黄金のアデーレ」の鑑賞記録。







by chekosan | 2019-08-22 17:34 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ある映画の感想を見ていただいたお友達から教えてもらった映画「あなたになら言える秘密のこと」。

マイ・ブックショップ」のイザベル・コイシェ監督なので、女性の描き方がいいだろうと予想して、さっそく観ました。

いやいやこれはなかなか… 

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またしても邦題が、、、まったくの嘘ではないし、ジャンル的にはラブロマンスといえばそうなんでしょうけど、かなり内容とイメージがかけ離れてます。

邦題からイメージするような甘ったるい話ではありません。

舞台はイギリスから移動して、どこかの海の上の油田採掘場です。人との交わりを避けていた、なにか事情がありそうな女性が、少しずつ変わっていくという話です。

出身地を言わない彼女の背負ってきた過去が明らかになっていくのですが、予想を上回っていました。


監督や主演女優のインタビューを読むと、あらかた内容はわかるのですが、そのディテールがあまりにも…

リンクの下の記述は核心に触れます。



主演のサラ・ポーリーさん、いいですね~。小さめなところも親近感。





映画のなかで語られる主人公の過去も想像を超えるむごさだけでも十分ショックなのですが、それと同じくらいショックだったのは、鑑賞後にインターネットで感想を見て回っていたら、「兵士の方がかわいそう、命をかけているんだから」「文句があるなら女ばかりで戦争すればいい」といった意味のことを書いている人がいたことです。

論点のすり替えだし、何重にもおかしい。

戦争や殺戮や性犯罪がなくならないわけだと絶望的な気分になりました。

映画のテーマのひとつは、「忘却しないこと」なのですが、語り継ぐだけでもだめなのだと苦く思い知った次第です。


心温まる場面もあって、いい映画だったのですが、そんなわけで、今日はこれにて。






by chekosan | 2019-07-24 22:21 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ひとりボスニア・ヘルツェゴビナ週間。

「ボスニアの花」に続いて、今のボスニア・ヘルツェゴビナの抱える問題を、当事者たちが「再現」した映画「鉄くず拾いの物語」を観ました。

この映画、公開当時に観たいと思いながら逃していました。

昨年、主演したナジフ・ムジチさんが亡くなったというニュースを見てショックを受け、観なくちゃと思いつつ、ようやく今頃です。



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ボスニアの山里に住む貧しいロマ(いわゆるジプシー)のお母さんが3人目の赤ちゃんを流産するのですが、保険証がないために、高額の掻把手術を受けられません。後払いも分割払いも受け入れてもらえません。

ロマ人団体が社会保障事務所にかけあいますが、なんの支援もしてもらえません。

「子供の地」という団体が一緒に病院に行って交渉すると言ってくれるのですが、すでにそれまでに2回も病院から追い返されたお母さんは、もう行かないと言います。

最後の手段で、親せきの保険証を借りて、名をかたって処置をしてもらいます。一難去ってまた一難、病院に行っている間に電気が止められてしまいます。薬代や電気代をまかなうため、お父さんは故障した車を解体して売り、一家はなんとか危機を乗り越えます。


よくある普通のハンドカメラで撮影したドキュメンタリーのような作品。脚本もなしだそうですが、見入ってしまいました。

まずは仲睦まじい家族たちの様子、お母さんの作る、おいしそうなパンやおかず、斧や糸鋸だけで薪をつくったり、車を解体したりするたくましくて優しいお父さんの普段の生活の様子がていねいに再現されます。

ところがお母さんの具合が悪くなって、病院で門前払いをくうところからは、本人たちが当時を再現しているのだから無事乗り切ることはわかっているのですが、みなさんとても演技が自然なのでハラハラしどおしです。

でも、お父さんは憤ったりせず、方々にかけあい、仕事もし、子どもたちにも常に優しく接するのです。

お父さんの声が少し荒くなるのは、支援団体の人たちに、戦争の時の凄惨な光景を語ったときだけです。

この時の会話で、4年も戦争に行っていたのに、定職はなく、恩給も生活保護も児童手当も何ももらっていないこともわかってきます。

内戦が収まっても、国が混乱し、立て直せていないしわ寄せが、少数民族であるロマの人たちにはとりわけシビアに襲ってきているのです。


ただ、監督は、彼らはたまたまロマだったけれど、そこ(だけ)が主眼なのではなく、「ひとりの女性が医療を拒まれ、出欠で死にそうになったという事実」に怒りを感じたのだと言っています。

これは誰にでも起こりうる話で、貧困の問題であり、国の医療システムのありようの話であり、医療者の良心の問題です。

かつてのユーゴでは、このようなことは起こらなかったといいます。国の崩壊、経済の崩壊、倫理の崩壊が、弱者をより苦境に追い詰めているのです。

必要なときに適切な医療を受けられて当然のことであるという制度や考えは、絶対的、恒久的ではないのです。日本でも崩壊しないとも限りません。

なんてひどい国、日本で良かった、とよそ事として言っていられるかどうか…  

監督のインタビュー↓

この作品はベルリン国際映画祭で銀熊賞、最優秀男優賞を獲得しました。それによって、ムジチさんは、一時期は定職を得て、保険証も手にしたそうです。

ところが、AFPの報道によると、その後、ムジチさんたちは、再びドイツを訪れ、難民申請をしますが、却下、国外退去を命じられます。鉄くず拾いに戻り、食べるのもやっとの生活に戻ってしまいました。





そして、銀熊賞のトロフィーを売って作ったお金で再びドイツに行って、ベルリン映画祭の主催者らに窮状を訴えようとしますが、それもかなわず、2018年2月、病気で亡くなったとのこと。まだ48歳でした。お父さんを亡くして、妻子はどうしているのでしょうか。


ーーー

この映画の監督は、ほかにも社会派の作品をいくつも発表しています。2016年の「サラエヴォの銃声」は劇場で観ることができました。ほかの作品も観ていきたいと思います。









by chekosan | 2019-07-22 17:02 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
1992年ごろから始まった内戦の被害が色濃く残るサラエボを舞台にした映画「サラエボの花」を観ました。

サラエボのシングルマザーと思春期12歳娘を中心とした話です。

父親は内戦で殉死したと母は言っていますが、詳細はわかりません。遺体も発見されていないし、どこでどう亡くなったのかもはっきりしません。でも、娘は父親を誇りに思っています。自分に父の面影があるかと尋ね、髪の色が同じだと聞くと嬉しそうにします。

母は、男性に密着されることに恐怖感を抱いてパニック発作が出ます。

となると、なにがあったのかは想像がつきます…


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多くの人が職を失い、社会主義期のような国の支えもなくなり、母子の生活もカツカツです。でもなんとか娘を修学旅行に行かせてやりたくて、母は夜にバーでウェイトレスをすることにします。

一方、思春期娘は、自分の出自やアイデンティティ、父への思慕、友達との関係、恋の芽生えといったような思春期の少女にとっては重大なことがらが一気に襲ってきて、不安定このうえない。

母の勤めの間、世話をしてくれる母の友人に「オールドミス」などと失礼なことを言ったりします。少女にとっては軽口なのでしょうが、おそらくこの友人も母と同様な目に遭っていると思われるので、実はたいへんむごい言葉です。

さらに娘は、母の苦境を理解せず、逆に苦労を踏みにじるような言動をします。とうとう母が押し殺していた苦悩と感情を爆発させる場面はとても辛いものでした。

それでも、その衝突があったからこそ、母子は決定的な断絶を乗り越えて未来に向けて歩いていこうとします。

女性たちの心情や協力関係がリアルでいい感じに描かれているなあと思ったら、監督は若手の女性でした。やはり。


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このような被害にあった女性たちは、長らく声をあげられないでいましたが、「戦争被害」として認めるよう国に働きかけ、加害者の責任や被害者への支援を求める動きが起こっています。

2018年4月8日毎日新聞の記事より。





レイプによって生まれた青年が親を探すドキュメンタリー映画も作られています。

2015年5月、AFPの記事。

The Guardian の方がやや詳しく、映画「サラエボの花」についても少し触れています。



こちらは動画。別の女性も出てきます。






映画でも出てきた生物学上の「父」である、「チェトニク兵士」とは、セルビア民族主義の民兵集団です。これについて説明している動画がありました。




被害に遭った女性たちにとっても過去のことではない苦しみであり続けていますが、次世代にとっても自らの根幹にかかわる問題です。



by chekosan | 2019-07-20 23:28 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
映画「東ベルリンから来た女」を3年半がかりで観ました(笑)

2016年3月にドイツに行ったときに機内で見始めたのですが、そのときはあまり面白みを感じず、すぐにやめてしまいました。その頃の私にとっては、映画は「がんばって観る」もので、すごく疲れることだったのです。

でも、1980年の東ドイツが舞台で、シュタージ(いわゆる秘密警察)がからむ話なので、見ておかないとなとずっと気になっていました。

なにしろ、わたくし、「「負の遺産」をどう伝えるか ー旧東独のシュタージ関連施設の事例」という論文を2017年に出していますし。

余談ですが、これ、なぜかいまだにコンスタントにアクセスしていただいています。外国からのアクセスも。日本語オンリーなのですが。ドイツ関連は層が厚いのでしょうね。ありがとうございます。

で、ようやく観たら、なんだ、面白いじゃないか! しかも、「アイヒマンを追え!」や「僕たちは希望という名の列車に乗った」にも出ていた、ロナルト・ツェアフェルトさん(好き♡)が準主役じゃあないか! さっさと見ておけばよかった!


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原題は「バルバラ」、主人公の名前です。今回も邦題が原題からかけ離れてますが、たしかに「バルバラ」では観る人少ないでしょうし、仕方ないのでしょうね。

彼女は有能な小児外科医ですが、恋人のいる西側に出国申請を出したために、ベルリンから田舎の病院に左遷されます。

四六時中、地元のシュタージが監視していて、ちょっと遠出をすると家宅捜索や身体検査を受けるような生活です。そのたびに家はぐちゃぐちゃになり、体の隅々まで検査されるような具合。

官舎の家主も、病院の同僚も彼女の行動を報告していて、気が休まる暇がありません。夜勤もあるため、常に疲れていて、ふらふらな毎日です。異動先の病院のスタッフとも交流せず、ピリピリした空気をまとっています。

そんなバルバラが唯一華やぎ、やわらかくなるのは、西側からそっと会いに来る恋人に会うときです。それも細心の注意を払って、ほんのひとときの逢瀬でしかないのですが。

恋人はバルバラを西側に脱出させようと手配し、彼女もそのつもりで準備を進めるのですが…


以下、ちょっとネタバレにつながる記述あります。


ーーー

バルバラは、素っ気なくて愛想も何もない、怖そうな人なのですが、患者には親身になって接します。

担当するティーンエイジャーの苦悩や苦境を見捨てることができず、疲労でふらふらでも本を読んであげたり、事情を探ったり、処置を検討したりします。

ひとりの少女は、「トルガウ作業所」という矯正施設から逃げ出した子です。保護施設、あるいは少年院のようなところなのでしょうか。鉄条網で仕切られていて、作業所とは名ばかりの「抹殺するため」の施設だとバルバラは糾弾しています。その子が妊娠しているということは、施設内で暴行にあったということかと思われます。

この少女に、バルバラは即座に的確な診断を下し、心から寄り添い、周囲のスタッフの信頼を得ます。

観ている方も、彼女は冷たい人なのではなくて、警戒しているために頑なな態度をとっているのだなということがわかってきます。


バルバラは勤務をこなしながら、自由と愛を求めて出国の準備を進めていくのですが、西側の恋人の一言が彼女に迷いを生じさせます。

彼は悪い人ではなく、バルバラを救い出そうと手を尽くしているのですが、西側に渡れば自分の稼ぎで十分食べていける、もうしんどい思いをして働かなくていいよ、と言ってしまうのです。

ああ、こりゃダメになりますよねえ。


彼が彼女とどういう経緯で知り合ったか、彼女の働きぶりを彼は知っているのかなどは語られないのですが、医者としてバリバリ働いてきた人にそれはないですよね。

たとえ自由の国に渡って、贅沢ができたとしても、彼だけを頼りに、何もせずに暮らしていくなんて。


対照的に、異動先の同僚は、ごっつい体にパツパツの白衣。スラっとスーツを着こなしたベンツに乗ってる西側の恋人とは何かと違うけど、使命感を持って医療にとりくんでいる。自宅の書棚には、医者の小説ばかりずらりと並んでいるし、職業人として、同業者として、尊敬できる。しかも、ちょっとした気配りができる温かい人。

自分を監視する役でもあるけれど、実は彼も監視され、利用される立場でもある…

閉塞的な国家や社会ではあっても、そこで目の前の患者たちに全力を尽くす形で職業人としての使命をまっとうすることを選んだ彼の生き方に、バルバラが影響を受けるのは至極納得でありました。



ということで、3年半目にはあっさり面白く鑑賞した本作品。

シュタージものの名作「善き人のためのソナタ」ほど劇的な話ではないですが、「東ベルリン」の方は、どう生きるかと考えさせられるという点で、学生に勧められる映画だなと思いました。









by chekosan | 2019-07-17 09:53 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ヒトラー暗殺を単独で企て(8人が死亡)、ダッハウ強制収容所で処刑されたドイツ人、ゲオルク・エルザーを描いた映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」を観ました。

これまた邦題が、、、嘘ではないけど、趣旨とちょっと違うような。

原題は、そのもの「Elser」。エルザーは実在の人物です。本作品は、彼に焦点を当てて、ほぼ史実に基づいてつくられた作品だそうです。



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ゲオルク・エルザーは、ドイツの片田舎の青年で、家具職人。酒場などでアコーディオンを弾いて歌ったりもしています。なにより自由を愛し、頑固な性格です。

共産党員ではないけれど、共産主義運動にシンパシーを抱いています。ナチが政権をとってからの抑圧・統制による政治には強い反発を感じ、危機感を抱いて、ヒトラーや幹部の暗殺を計画します。

生活のために工場に勤めたときに、起爆装置の設計技術を身に着け、方々から調達した(くすねた)材料でオリジナルの時限爆弾をつくり、ヒトラーが毎年、演説をするミュンヘンのビアホールにこっそり仕掛けます。

かなりの威力がある爆弾で、狙った時間に正確に爆発し、8人の死者を出したのですが、標的であったヒトラーは悪天候で予定を変更し、演説を早く切り上げて退出したため、難を逃れました。

捜査当局は、黒幕探しに必死になり、拷問で口を割らせようとするのですが、エルザーは自分がすべて計画したことを立証してみせます。

「転向」を口にしたため(?)、すぐに処刑されることはなく、5年もの間、強制収容所の特別囚として個室で過ごしました。

最後にはこっそりと処刑されてしまいます。


戦後、エルザーを、対ナチレジスタンスとして評価する動きが高まり、名を冠した賞もできているそうです。



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映画としては、ちょっと観るのがキツイ場面(拷問シーン)があり、胸が悪くなりました。田舎の場面も多いのですが、あまり絵面が美しくなく、登場人物たちにもあまり魅力を感じません。

エルザーはその場限りの関係の方があとくされがなくていいや、みたいな軽いあんちゃんで、そんなノリでDV夫に殴られている人妻にも接近していきます。

そのうち、その人妻に心底惚れていくのですが、いいかげんなヤツに見えてしまったあとなので、どうも共感できない。

人妻も、あんなDV夫がいるのに、警戒が足りなすぎじゃない?という軽率な行動をとる。うーん。

私生活部分にはフィクションが混じっているとエンドクレジットで出ていたので、それならもうちょいなんとかならなかったのかと思ってしまいました。

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むしろ、エルザーを尋問する、刑事警察局長のネーベの方が主役を食っていたような。

人の好いおっちゃんな風貌で、もう一人の捜査責任者である秘密警察(ゲシュタポ)のミュラー局長の冷徹さ、残忍さと好対照なキャラクター。

温厚でカツ丼を食べさせる刑事と、すぐカッとなって怒鳴りつける刑事がペアをなす刑事ものの典型みたいになっています。

そのネーベが、エルザーの信念に心動かされたか、ものすごく微妙に目の表情を変えるところが一番の見ものでした。

のちにネーベはヒトラー暗殺計画に関与して、処刑されます。

その下地をつくったのが、拷問にも屈しないエルザーの強い意志であったように、この作品では描いています。

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主人公にはあまり感情移入できなかったのですが、主人公が暗殺を企てるに至った経緯、つまり、ナチの勢力伸長に伴って、田舎でも共産党員やユダヤ人への弾圧、排斥が激化していく様子は、とても興味深かったです。

共産党支持者とナチ支持者が同等に対立している状況から、ナチが力を握り暴力的になっていくさま、共産党員が逮捕され、過酷な労働に従事されられるさま、子どもたちが早々と感化されていくさま、ユダヤ人とつきあっている女性を公衆が辱めるさま…

主人公一家は敬虔なカトリック信者なので、そのような動きには与さず、どんどん居心地が悪くなっていきます。

1934年のナチが主導した、プロパガンダに満ちた「収穫感謝祭」にも、主人公一家は抵抗感を抱きます。

祭りの目玉行事である映画上映会では村の運動会を撮影したものが見れるとあって、村の人は歓喜して押しかけます。

上映に先立つ挨拶では、ナチ党員が、ヒトラーがこうした技術を開発し、インフラ整備をしてくれるのだと宣伝します。3年以内には、道路が舗装され、みんながラジオを持てるようになるのだと。

こうした当時の風景が入っていたのが面白かったです。

参考:
民俗的な農村的な祭と政治宣伝を融合させた収穫感謝祭についての論文がありました。







by chekosan | 2019-07-16 12:57 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)