中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan
ポーランドのユダヤ人でアウシュヴィッツに収容され、4歳のときに解放された男性の回想録。

マイケル・ボーンスタイン氏は、老人や子どものほとんどが殺されたアウシュヴィッツ収容所で、奇跡的に生き延びて戦後を迎えた。

アウシュヴィッツを解放し、残っていた収容者の看護や帰還の世話をしたソ連軍は、解放直後の記録映像を撮っていた。マイケル氏は、大人になって、あるときこの映像を偶然見て自分が映っていることに驚く。

4歳と小さかったマイケル氏は、当時の記憶があいまいだったり鮮明だったりしたため、自分の体験をほとんど語ってこなかったが、この映像をみたこと、さらには、その映像が、アウシュヴィッツは組織的にユダヤ人を絶滅させようとしていたわけではないとする「歴史修正主義者」の「証拠」にされていることをインターネット閲覧時に知って驚愕する。

そこで、自らの記憶とジャーナリストの娘による資料調査、ホロコーストを生き延びた親族たちの証言によって可能な限り当時の様子を再現し、後世に残すことを決意した。それが本書である。


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マイケルたちの親族はポーランドのジャルキという町に住んでいた。ここはユダヤ人が三分の二、3千人強、暮らしていた。それがナチスドイツの侵攻によって「オープン・ゲットー」化され、強制労働、手当たり次第の暴力や処刑にあう。

マイケルの父は、ゲットーごとにつくらされた「自治組織」であるユダヤ人評議会の長を務め、ユダヤ人家庭から隠し持った財産を寄付してもらい、それを基金にして、逃亡の資金やSS将校への贈賄の元手にして、数百人の命を救った。

ジャルキのユダヤ人が全員、強制移送によって追い立てられた時も、マイケル一家だけは別のまちの軍需工場に送られて助かった。

ユダヤ人評議会に関しては、対独協力というそしりや批判もあるが、コミュニティがしっかりしていて、ユダヤ人住民に有利になるよう働いた評議会があったところでは、比較的長く共同体が存続し、ほかよりは多少ましな生活ができていたようである。

リトアニアでの二人の生存者の証言録でも、ヴィリニュスとカウナスでは評議会の評判やコミュニティの存続の様子がずいぶん違い、興味深い。
→ マーシャの日記―ホロコーストを生きのびた少女 
  リトアニア旅行記(6)カウナス・ゲットーとソリー・ガノール『日本人に救われたユダヤ人の手記』(講談社 1997)




戦後、ジャルキに帰還したユダヤ人はほんの数十人だったという。マイケルも祖母と帰還するが、家はポーランド人住民に占拠され、苦難を強いられる。それでもマイケルたちはまだ親族の多くが生存している方であった。しらばくして叔母や母も帰還し、その後、故郷に残ることを譲らなかった祖母以外の親族は、数年の準備を経てアメリカへと渡った。

なお、戦争前に親族のうちで唯一、欧州を脱出した女性は、杉原千畝の発給したビザで日本を経由してアメリカに渡り、事業を成功させ、親族を呼び寄せたという。ここでも杉原ビザによるサバイバーが!

杉原の書いたビザは公的には2千通ほどだが、これを持って無事第三国に渡った人たちは、今度は欧州に残ったユダヤ人を助ける側に回った。彼ら自身や子孫、彼らが支援した人びとを合わせると、直接、間接的に相当多くの人たちを救ったのだとあらためて思う。




マイケル氏は仕事を引退してから、ときどき子どもたちに向けてホロコースト体験を語っているという。若い世代に読んでもらえるよう、本書は小説的にやさしい言葉で書かれている。

とはいえ、マイケルたちを取り巻いていた状況は悲惨で、さらりと残虐な行為や場面が頻出する。戦闘行為や爆撃による死も悲惨で不幸で許容しがたいことには違いないが、ただ虐め辱めるためだけに人々が殺されていく場面は耐えがたい。

マイケル氏が70代になるまで体験を語らなかったのは、自身が幼くて記憶があいまいだったから控えていたということもあるだろうが、そうした状況で自分たち親族は比較的高い割合生き延びられたということを声高に言えない、言うべきではないという抑制があったのかもしれない。






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# by chekosan | 2018-09-11 12:56 | 読書記録 | Trackback | Comments(2)
2018年8月は、上旬に何年ぶりかで家族揃って杉原千畝の足跡を辿る旅・岐阜編、
下旬は高2息子とバルト3国10泊12日の旅、合間に仕事やちょっといろいろ。
目一杯みっちりでした。

ということで読んだ本は旅ものや、
9月中旬に予定している学生たちとの広島スタディツアーの準備がメイン。



8月の読書メーター
読んだ本の数:8
読んだページ数:2169
ナイス数:146

まわしよみ新聞をつくろう!まわしよみ新聞をつくろう!感想
みんなで新聞を回し読み、気に入った記事を3本ずつ切り抜いて、その記事をネタにして順におしゃべり。最後に切り抜きを1枚の紙に貼り付けて壁新聞をつくるという「新聞遊び」。子らが小6、小1のときに「親子まわしよみ新聞」に参加して、これは面白い!と教員仲間にも紹介。自分の授業にも取り入れています。でもやっぱりやる側の方が楽しいです☆ 定期的に小さな集まりでやれたら理想! 「関西ウーマン」書評コーナーで取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201378
読了日:08月04日 著者:陸奥 賢





広島の木に会いにいく広島の木に会いにいく感想
原爆の爆心地から半径2キロ圏内で生き残った被爆樹木と、樹木を調査し、守り、伝える人々をドキュメンタリー映画監督が訪ねる。その場を動けないにもかかわらず熱線や爆風に耐えて生きのびた植物の強さに感銘を受ける。生きているだけに、挿し木をして子孫を残すにも非常に繊細に扱わなくてはいけない。また、木の内部を研究するのは現在の科学ではなかなか難しいとのこと。学生と広島スタディツアーに行くので、ぜひとも一緒に何本か見てきたい。小学高学年から読めるようルビつき。イラストもいい。年齢を問わずおすすめ。
読了日:08月10日 著者:石田 優子


被爆樹巡礼被爆樹巡礼感想
広島の原爆で傷つきながら生き残った被爆樹木をていねいに紹介する本。被爆樹木を守った人々の証言も掲載。被爆樹をめぐるモデルコースも。被爆者が高齢化し、被爆体験の伝承はあとの世代に引き継がれようとしているが、人間や建物等よりも寿命の長い樹木は、「現場」に残る「現物」として悲劇と復興を伝えてくれる存在になる。それにしても植物の生命力はすごい。児童書の『広島の木に会いに行く』とともにおすすめ。学生と広島スタディツアーに行くときには、2冊を参考に、被爆樹にも会いに行きたい。
読了日:08月12日 著者:杉原 梨江子


はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)感想
同じ著者の『断片的なものの社会学』を読んだあと、著者が作家デビューされたと報道で読んで納得。『断片~』を読んだときも感じたのだが、本書はさらに全編にわたって「わたし」が溢れ出る。自分を対象(本書の場合は沖縄)にめりこませ、なのに一体化できていないという意識を持ち、自分と対象との関係性に過敏になり、どうふるまうか、どう思考すべきかに悩んで、その逡巡までも不特定多数の読者に開陳する。沖縄に対峙するということを思考する本だが、それ以上に著者本人が発露している本という印象。シンクロする人はシンクロするだろうな。
読了日:08月15日 著者:岸政彦


「超」旅行法 (新潮文庫)「超」旅行法 (新潮文庫)感想
お出かけの行き帰りの電車で読むのに図書館で急いで借りた本。そのため飛ばし読み。ちょっと年月が経って古びている感じもあるが、そこは仕方ない。準備をするために旅をする=旅は準備こそが楽しい、というのはまったくそう。いろいろ調べてスケジュールを組んで、グッズを用意して。でもあまりに慌ただしい日々だと、ロクに準備できてないのに前日、なんてことになる(;´Д`A ``` いままさにそれ。って、こんなこと書いてないで、準備しなくちゃ! 明日は早いぞ!!(汗)
読了日:08月19日 著者:野口 悠紀雄


十五の夏 上十五の夏 上感想
いやすごい。彼は詳細な記録を残しているのだろうか、あるいは体験をつぶさに記憶しているのだろうか、あるいはどちらもか? 自由旅行ができなかった1975年に高校一年生が一人でソ連・東欧をひと夏かけて旅行するとは。上巻は東欧編。国ごとの違いが興味深い。書評連載で取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review_s.php?id=201394
読了日:08月20日 著者:佐藤 優


十五の夏 下十五の夏 下感想
下巻はソ連編。彼が十五にしてソ連・東欧に旅したいきさつにも紙幅を割いている。北方領土に言及する場面では元外交官の顔が出てきて若干異質。それにしてもこの時代にこの歳で、この知識、能力、好奇心、コミュニケーション能力。やはり異能とか知の怪物とか言われる人は少年時代から違う。しかも繊細で礼儀正しくかわいらしいんだから。当時の写真も興味深い。書評連載で取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review_s.php?id=201394
読了日:08月21日 著者:佐藤 優






ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)感想
著者たちが強調するように、学術的に証拠立てて論じた本ではなく、ショッピングモール「から」いろんなことを読み取ってあれこれ対談した本。ほほうと思うところ多々あり。それでもやっぱりあの空間には愛着は持てないと思ったり、だけどどこに行っても本能的に?「わかってしまう」空間構成になっている点に普遍性を感じたり。古い街並みの残るバルト3国への旅行中に読んでいたので、旅先でもあえてモールにも入って観察した。そして日本も欧州も香港もほぼ同じだなあと確認した。本書のとおり、吹き抜けには個性、内装の妙ありか。詳しい記録は別記事で。
読了日:08月31日 著者:東 浩紀,大山 顕




読書メーター

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# by chekosan | 2018-09-08 20:31 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

夏は旅ものを取り上げたくなります。

関西ウーマンの書評連載、今月は佐藤優氏の旅行記です。


1975年に高校一年生の優少年は夏休みいっぱい、ソ連・東欧をたった一人で旅しました。


社会主義真っ只中、自由に旅行できなかった時代です。

トラブルもあれば、心温まる出会いもあり。

優少年の英語力、知識、コミュニケーション能力、好奇心、記憶力に舌を巻きます。



当時のソ連・東欧の様子も興味深いですよ!

大部の2巻本ですが、少年目線の旅行記なので、どんどん読めます。


本文はこちら。


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# by chekosan | 2018-09-08 20:27 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)
エミール・クストリッツァ監督の1998年の映画「黒猫・白猫」を観ました。
クストリッツァ監督の「オン・ザ・ミルキーロード」がとても面白かったので。

「黒猫・白猫」は、ハチャメチャドタバタ喜劇で、絵面もわりとババチイんですが、ぎりぎり嫌にならずに楽しく観れる線を追求している感じです。私はババチイ画面は好きではないのですが、最後まで楽しめました。それどころか、何度か声を出して笑ってしまいました。



まったく予習せずに見始めたところ、あれ?言葉がまったくわからない。これってユーゴが舞台だったんじゃないの?と思ったら、ドナウ河岸に住むロマの人たちのお話でした。

そのうち、いろんな言葉が飛び交います。明示されていませんが、ブルガリア国境が近いセルビア東部あたりが舞台のようなので、セルビア語やブルガリア語、ロシア語などが使われていたのかな。



ドナウ川というヨーロッパを代表する大河には、ロシア船やドイツ船など、いろいろな国の船が行きかいます。ロシア船が来ると一斉にボロい船が出て、船員と家電や動物の角、石油などを売り買いするのですが、その支払いはマルクだったりします。なんだか皮肉というか。そして、一攫千金ばかり夢みる主人公の父親はだまされてカスを握らされています。

ドイツの船ではフォーマルな装いの男女が船上でウィンナーワルツを踊ります。それを憧れの目で追う若いロマの青年。彼らの家はおんぼろで、トイレも共同の(?)ボットン便所だったりするのですが、卑屈にならずにたくましく生きています。



終始楽しげな映画ですが、だからといって貧しくても楽しけりゃOKとか、あるいはお金さえ手に入ればいいんだということを言いたいわけではないということを、青年の祖父の一言が表しています。祖父は、「ここには太陽がない」と彼の旅立ちを後押しします。



クストリッツァ監督の映画に特徴的といわれる音楽と動物の多用も良かったです。

豊満な女性歌手の声がとっても魅力的! この人がまたわけのわからない特技を披露するし。なんて素晴らしいお尻!

猥雑で、でも思わず踊り出したくなる音楽やダンスシーンの数々。

ひゃあ~~という感じで群れをなして右往左往するガチョウ、団扇をあおがされるネズミ、飛んでくるヤギ(このシーン、むちゃくちゃ可愛い)、車をむしゃむしゃ食べる豚たち、そしてタイトルにもなっている黒猫、白猫が、かわいくて重要な役を果たしています。



低身長の女性がチビチビ言われるところだけは、ちっちゃいものクラブの私としてはちょっと悲しい気分になったのですが、この女性の目がえらく鋭くて魅力的で、そして大活躍するんです。その小ささが最後にはプラスに働いて、終わりよければすべてよしでした。



社会風刺は入れていない喜劇ということですが、それでもいろんなことを読み取れるつくりになっているなと思います。そんなこと何も考えずに笑いっぱなしで見てもよいかと思います!





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# by chekosan | 2018-09-07 18:54 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
8月下旬は、上の息子を連れてバルト3国に行っていました。旅行記録はおいおいアップするとして。

今回、旅の友で持っていった本の一つがこちら。


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最近、我が家で東浩紀氏がちょっとしたブームになっています。

少し前に同氏の『弱いつながり』を読んで、かなりしっくりじんわり浸透しまして、書評連載で取り上げたり、ちょいちょい言及したりしていたら、感化された夫氏もネットで対談を次々視聴し始めました。

ショッピングモールに関する本も何冊か出されていることを知り、あああしまった!と買ったのが旅行前。なぜ今まで気づかなかったのか。というのは、記事の最後で。



著者たちが強調するように、本書は、学術的に証拠立てて論じた本ではなく、ショッピングモール「から」いろんなことを読み取ってあれこれ対談した記録です。

ほほうと思うところ多々あり。それでもやっぱりあの空間には愛着は持てないと思ったり、だけどどこに行っても本能的に?「わかってしまう」空間構成になっている点に普遍性を感じたり。

古い街並みの残るバルト3国への旅行中に読んでいたので、旅先でもあえてモールにも入って観察しました。そして日本も欧州も香港もほぼ同じだなあと確認しました。本書のとおり、吹き抜けには個性、内装の妙ありか。それでも同じような雰囲気ですけど…



ラトヴィアのリガの Galerija Centrs は、旧市街の真ん中に1919年創業の商業施設で、その後、名前も建物も変わってきて、いまは近代的なピカピカのショッピングセンターなのですが、階段の部分には昔の雰囲気が残されていました。

対談のなかでも触れられていますが、その場所の歴史を感じさせる空間づくり、ということに私はこだわりたい派。



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商業施設内は撮影禁止のところが多いので、基本、私も撮らないようにしていますし、はっきり禁止と明示されたところでは今後も撮らないでおこうと思っています。

が、写真家の大山さんの言葉を励みに、撮影が可能なところに関してはバシバシ写真に残していこうと思いました。

「写真は10年寝かすと変わる」
「写真というのは本質的に記録のためのものなので、すぐに発表しなくてもいい」
「ばんばん撮ってハードディスクのなかに寝かせておけばいい。10年も経ったら、むしろ「よくぞ撮ってくれた」と褒められるに決まっています」
「法律や価値観はすぐに変わりますからね。価値観の耐用年数より写真の耐用年数のほうが長い」
「撮るのならば真剣に撮るべきです。そこは妥協しちゃダメです。」



旅行中の就寝前に切れ切れに読んだので、付箋をつけたりメモをとったりできていなかったのですが、ものすごくヒントやアイディア(思想、思考)に満ちていて面白かったです。

こういう、わ~~っとしゃべりあう場、それを残すという実践は大切だと思います。

大山氏の写真の話のつづきで、東氏も、こういう対談をデータとしてどんどん残していくこと、リアルタイムで見て(読んで)もらえなくてもそれが大事と言っていますが、たしかにそう思うのでした。



ところで、ショッピングモールといえば。

現本務校では前期に一年生を商業施設に連れて行ってフィールドワークさせてきました。共通の方針やワークシートがあるとはいえ、マーケティングや社会学的調査の専門家でない私にはなかなか悩ましい仕事でした。私なりに勉強や工夫はしてきたのですが、なにしろ写真撮影禁止、インタビュー禁止、バックヤード観察なし、立ち止まっての観察禁止、他所との比較なしという制約があり、、

しかし、本書を読んで、ああ、こういう視点や思考の広がりには共感できる、こういう観察や発想の展開ならできているし、好きだ、と思いました。「いま儲けるためにどんな工夫が必要か」という発想だけでない観察というか。文化史的、社会史的な目というか。

もちろん、東さんや大山さんのような蓄積、学識、発想を大学一年生が持てているわけはないので、このレベルの発見ができるよう指導することは無理ですし、そもそもそういうことを目的とした課題ではなかったので、そう指導するわけにもいかなかったのですが。

しかし、いずれにしても、何かを観察して気づく、発見する、新しいアイディアを生み出そうと思えば、たくさんの比較や知識、教養が不可欠であること、あるいは「いま儲けるために何が必要か」を気づくためには、そのための観察の手法をきちんと学んだうえで行うことが不可欠だということを再確認した次第です。



とはいえ、やはりショッピングモールやショッピングセンターには愛着や愛情はわかないですね。日本でも外国でも。いや、かろうじて、普段よく行くところには、応援したい、潰れないでね、という気持ちは持ててるかな。(^-^;

「郷愁」がわかないんですよね。外国に行って「郷愁」っていうのもおかしいのですが、広い意味での「ノスタルジー」とか、その土地の「匂い」がないわけですから。

これがまた30年くらい経つと、この形態の施設にも、うわぁ~~、懐かしい~~とか感じるのでしょう。いま、社会主義期の団地とか商店の様子を展示してあるところや、当時の雰囲気を再現した店などもちょっとしたブームになっていますしね。日本の雑貨市場などでも人気なくらいですから。

でも30年経ったら、商業の形態自体、ガラッと変わっているかもですね。そのとき、巨大ショッピング施設はどうなっているのでしょうね。





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# by chekosan | 2018-09-02 16:32 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
岐阜千畝紀行最終回。

計画では1日目に八百津ー中津川ー馬籠、2日目は高山の予定だったのですが、八百津で一日過ごしてしまい、2日目朝一番から馬籠、午後に中津川に行きました。

高山は昔行って、とてもいい印象だったので、子らも連れて行きたかったのですが、今回はやめておきました。

もともと高山は、杉原とは関係がありません。

しかし、外国人観光客、特に八百津に来たユダヤ系のお客さんに人気のため、八百津や敦賀、名古屋などと連携して、「千畝ルート」として売り出しています。

杉原にゆかりのない高山が「千畝ルート」がどれだけ前面に出ているのかをちょっと見たかったのです。またの機会に出直すとします。



中津川は、杉原が小学校1年生のときに、1年ほど住んでいたところです。最近、地元の郷土史家の方々により、正確な住所が特定され、千畝の学籍簿が発見されました。

この夏、中津川市中山道歴史資料館で、企画展「杉原千畝の見た中津川」を開催されていると報道で知り、見に行きました。



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杉原に直接関係する資料は数点でしたが、当時の中津川のまちの様子や学校の教科書などが展示してあり、勉強になりました。

千畝が住んでいた家はもう残っていませんが、現在そこに家を持っておられる方が洋画家さんで、当時の建物の様子を思い出して描かれた絵も見ることができました。

中津川の千畝マップもいただきました。


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中津川は中山道の宿場町だったので、その資料もいろいろとありました。お祭りが近いそうで、鉄道ジオラマなども準備されていたりして、職員さんといろいろお話させていただきました。




だいぶ長い間、資料館にいて冷気(霊気ではない)を蓄え、意を決して、強烈な日差しを浴びながら、中山道の宿場町の雰囲気が残る一画を歩きました。

資料館に隣接する脇本陣を再現した建物。


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再現した建物なので、上って撮影してもらえますよ~と言っていただいていたので、遠慮なく。

この日のワンピース、背後のふすまとコーディネートしたみたいでお気に入りの一枚です。Facebookに写真を載せたら、名物の栗きんとんに合わせたみたいとウケました(笑)



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資料館すぐそばから、宿場町の雰囲気を残す一画が始まります。


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「うだつの上がった」建物です。

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こちら、新しい建物ですが、宿場町の雰囲気に合わせてあるのがいいなと思った本屋さん。

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トイレの表示がかわいいですね。


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ものすごく暑い日だったので、酒屋さんの軒先のベンチで、このあたりの名物の栗のジェラートを食べました。岐阜は町の規模のわりに酒屋さんが多く、置いている種類も多いように感じました。実際はどうなのかな? (^▽^)




最後に市立図書館を覗いて帰途につきました。中津川の図書館は、過去に杉原関連の特集コーナーを設けておられることがあったのですが、この夏は違う観点からの戦争に関するコーナーでした。

大きくはないですが、手をかけて育てている図書館という印象を受けました。


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1泊2日でしたが、岐阜千畝紀行、いろいろ確認、発見、収集できました。

2日とも恐ろしい暑さでしたが、空気がよいのか、京阪神のまちなかや駅で感じるような不快さ、しんどさは感じませんでした。

数メートル歩くたびにアイスやらラムネやらなんやら食していたからかもしれません ( ´∀` )


日を開けずに、千畝ルートの重要ポイントである福井県敦賀市にも行く予定だったのですが、事情により延期。でも、敦賀には遠くないうちに絶対行きます!


敦賀編につづく(いつか多分)








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# by chekosan | 2018-08-20 09:54 | 杉原千畝 | Trackback | Comments(0)
八百津小学校を見学したあと、丸山ダムカレーを食べて、人道の丘公園のモニュメントや杉原千畝記念館を見学しました。


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モニュメントからは八百津の町が一望できます。


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20年前は記念館はまだなくて、この噴水のモニュメントが山の中にポツンとあるだけでした。20年前には存在していなかった子らを連れてこれて、なんだか感慨深かったです。


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杉原千畝記念館は、地元の材を使った建物。内部は撮影禁止でしたが、木がふんだんに使われていて、いい感じでした。


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常設展示はホロコーストや、杉原のとった行動を説明するパネル、杉原を顕彰するメダル(イスラエルやブラジルなどユダヤ人が多く住む国や都市から贈られたもの)などがありました。

ホロコーストの説明パネルは、私も二度訪問したことのある広島県福山市のホロコースト記念館協力という但し書きの入ったものが多かったです。記念館どうしで協力し合っていることがわかって興味深かったです。

ブルガリアにおけるホロコーストの企画展示もありました。こちらはパネルというかポスターのみでしたが、このテーマの展示はかなり珍しいのではないかと思います。とても興味深くて、じっくり読みました。チラシ程度でいいから欲しかった… がんばってメモをとりましたが…


別棟は学習室になっていました。こちらにも「ぎふ清流の国文庫」が設置されていました。木の本棚に、杉原やホロコーストに関する本が並んでいました。下の息子が2冊ほど読んで、あとで内容を聞かせてくれました。やはり関連書籍を置いておくのは効果があるのだなと感じました。


子が本を読んでいるあいだに、私は受付で冊子やパンフレットを入手。こちらでは日本語、英語、ヘブライ語が用意されています。


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こちらは有料のパンフレットです。もちろん3冊とも購入です。


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関連本も販売していました。杉原を取り上げた英語の副読本も! 存在は知っていましたが、ここで手に入るとは思っていなかったので嬉しい!



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チケット売り場にはお土産も少し売っていますが、いずれも派手さのない、落ち着いた感じのものでした。リトアニアの杉原記念館の方がお土産コーナーっぽいラインナップでした。

下の写真の真ん中が、購入した物品を入れてもらった袋です。日本っぽさが出ていますね。

左、PASSPORTとあるのは、記念館の入場チケットです。大人と子どもで色が違います。開けると、記念館1階奥の杉原の執務室を再現した部屋に置いてあるスタンプを押せるようになっています。

右は、地元の木材で作ったハガキと、金属製のしおりです。ハガキは同じものを2枚買って、1枚は下の息子の宿題である、担任の先生への暑中見舞いに使いました。(^_-)-☆


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20年前は、杉原の知名度はそんなに高くなく、ファミリーセンターでのビザ公開展示も手作り感があり、好感をもちました。その後、八百津町の杉原プロモーションがどんどん増え、すっかりまちおこしの素材的な扱いになったように感じていましたが、久しぶりに訪れた現地は、報道で受ける印象よりも落ち着いた感じで、なんだかちょっとほっとしたのでした。



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つづく



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# by chekosan | 2018-08-18 22:32 | 杉原千畝 | Trackback | Comments(0)
お盆真っ盛りの京都で映画を観てきました。

邦題はなんだかもったりしていますが、面白い映画でした。

1941年から45年にかけて、ドイツの本国からユダヤ人は東へ「移送」され、まったくいなくなったと宣言されました。ところが、実は移送をすり抜けて潜伏していたユダヤ人が7000人ほどいました。そのうち戦後まで生き残ったのは1500人ほどだったそうです。

そのなかから4人をクローズアップし、本人へのインタビューや当時の記録映像も交えて作られた半ドキュメンタリー映画です。

4人の登場人物はみな生き延びていることがわかっているので安心して観ていていいはずなのですが、それでも非常にスリリングです。

4人は当時16~20歳の若者でした。家族も潜伏して生きのびた人もいますが、孤児となって一人で途方にくれる人もいます。

4人は直接交わることはないのですが、ゲシュタポ(秘密警察)の手先となっていたユダヤ人女性や、抵抗運動家の男性が、4人のうちの2人と接点をもちます。大都市とはいえ、ベルリンというひとつの街で生きていれば、どこでどうつながるか、知り合いに見とがめられるかわからないのです。いないはずの人間が2年も3年も生きていくのは至難の業です。

びくびくしていても怪しまれる、目立ってもいけない。原題 DIE UNSICHTBAREN(見えない者)のとおり、完全に外に出ずに息をひそめているか、逆に街に溶け込んでいなくてはいけないのです。

彼らを救ったのはドイツ人です。反ナチの市民や、共産主義者、あるいはごくごく普通の市民もいました。なんとドイツの大佐(!)の邸宅でメイドとして雇われたという人も。ユダヤ人を匿っていることが発覚すれば、ドイツ人であろうと逮捕され、極刑になる恐れがあったにもかかわらずです。

恐怖、空腹、孤独にさいなまれながら、知人友人、あるいは見ず知らずの人々の助けで、彼らはなんとか終戦を迎えました。

4人のみなさんは長生きされ、インタビューにも明晰に穏やかに、微笑みさえたたえて答えています。そのお顔つきや表情が魅力的です。

生きることを諦めてはいけない、他者が生きることを諦めさせてはいけないと感じたのでした。


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# by chekosan | 2018-08-16 18:37 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
2018年8月2日から3日かけて、杉原千畝の足跡をたどる旅・岐阜編に行ってきました。

八百津町ファミリーセンターで、「杉原ウィーク」の展示や図書室を見学したあと、1階の教育委員会で杉原関連の資料の入手についてお聞きし、さらに、新聞報道で見ていた八百津小学校の「人道の部屋」を見学できないか尋ねました。

その場ですぐに電話してくださり、教育委員会の職員さんご案内のもと、内部を見学させていただけることになりました。

玄関で校長先生が迎えてくださって、掲示物などをていねいにご説明くださいました。

杉原とホロコーストに関する資料や調べ学習の成果物を中心に、マザー・テレサやマララ・ユスフザイさんなど人道、人権にかかわる活動で著名な人々についても展示してあります。

図書室につづく教室を一室丸ごと使っています。予想以上にぎっしりと密度が濃くて驚きました。


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杉原やマララさんなどに関する本が並びます。


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児童による学習成果物も展示してあります。地球儀には、ユダヤの人々が逃れてきたルートを示してあります。地理感覚も育ちそうですね。


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八百津小学校では、毎年、児童による演劇が公開されています。その衣装や舞台の写真も飾ってありました。演劇のプロの方に脚本を依頼し、指導を受けている(演出してもらっている?)とのことで、ずいぶん本格的な舞台のようです。ファミリーセンターで一般に公開されるそうなので、なんとか見に行けないものかと思っています。



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杉原が通過ビザを大量発給した背景を説明するパネルもあります。


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このほかにも、校長先生による見事な書(杉原の言葉など)や、杉原関連のものなど、所狭しと、しかし、見やすく展示してありました。

この部屋を訪問してスタンプを集めると、校長先生からオリジナルグッズをいただけます。子どもって、スタンプやグッズ、好きですもんね。私も大好きです(笑) 

ということで、私も押させていただきました。それも、家族分とか言いながら4つも(笑) 

そして欄は埋まっていないのですが、校長先生から下敷きやしおりをたくさんいただきました! 嬉しい!


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玄関にも、児童たちの舞台写真などが飾ってありました。


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前庭には、杉原をイメージした新種のバラと、アンネのバラが植わっています。

杉原のバラは「クラージュ」という名前がつけられていました。フランス語で「勇気」の意味だそうです。いまはまだ、小学校と花フェスタ記念公園に3株ずつ(だったと思います)しかないそうです。


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いい景色ですね。山を見て育つのは絶対に子どもたちにいい影響を及ぼすと思います。




と、写真を撮っていたら、


校長先生から千畝バラの苗を譲っていただいてしまいました!!


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バラは、猛暑のなか、自動車のなかで旅を共にし、我が家に来てくれました。


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2日後くらいには、早くも白いきれいな花が咲きました。


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8月12日のバラの様子です。大きく育てて増やしたいな!




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つづく



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# by chekosan | 2018-08-13 15:33 | 杉原千畝 | Trackback | Comments(0)

この夏は(も)、杉原千畝の足跡をたどる旅に出ました。


杉原千畝は、第二次世界大戦中、欧州に赴任した外交官です。リトアニアの領事代理であったときに、シベリア鉄道と航路で日本を通過してアメリカなど第3国に逃れようとした難民の人々(ほとんどはポーランド系ユダヤ人)に、2000通を超す「通過ビザ」を発給しました。これは日本の外務省の方針に沿わない行為でしたが、これによって約6千人(実数は不明)とも言われる人々が命を救われたといいます。



今回訪ねたのは、岐阜県の八百津町と中津川市です。

まずは八百津町へ。八百津町は、杉原にゆかりの深い町として、町を挙げて杉原を顕彰しています。

ここには、ちょうど20年前、杉原が発給した「命のビザ」初公開の展覧会を見に来ています。このときはまだ独立した記念館はなく、「人道の丘公園」(別途投稿予定)があるだけでした。

そのときの展示は八百津町のファミリーセンターで開催されました。まだデジカメを使っていない頃で、ネガで撮った写真です。アルバムに貼った写真を接写したものなので粗いですね。(;^ω^) 




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ファミリーセンターも周囲も、20年前と変わっていなくて(多分…)、なんだか嬉しかったです。


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そこここに、「人道のまち」「杉原千畝」のポスターやのぼりがありますが、はしゃいだ感じではなく、むしろ意外と控えめに感じました。


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八百津町では、中学生を数名、リトアニアとポーランドに派遣して、ホロコーストや杉原について学び、現地の人々と交流する研修を実施しているそうです。その報告のポスター展示がありました。いいですね、素晴らしい取り組みだと思います。羨ましい… ついて行きたいです!

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八百津町では、杉原の命日(7月31日)前後を「杉原ウィーク」として、さまざまな行事を開催しています。今年は台風の影響でいくつか行事が中止されたようですが、ファミリーセンターで短歌大会の展示を見ることができました。



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ファミリーセンター2階には八百津町図書室があります。ここには、岐阜県の「ぎふ清流の国文庫」があります。これは、岐阜県のOKB大垣共立銀行の寄付金をもとに県内各地に設置されたもので、八百津町図書室には、杉原関連の書籍が集められています。



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短歌大会の句集を入手できないかとファミリーセンター1階の教育委員会で訊ねたところ、お隣の八百津町役場地域振興課で販売してもらえるとのこと、連絡もしてくださいました。



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名産の八百津せんべいで杉原の顔をモザイク画をつくって、ギネス記録も達成されたそうで…



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お昼休みの消灯中で暗いですが、職員さんに親切に対応していただきました。


つづく




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# by chekosan | 2018-08-12 17:05 | 杉原千畝 | Trackback | Comments(0)