本日の中・東欧
2024-03-18T00:48:39+09:00
chekosan
中・東欧、ロシア、大学教育、美術展、映画鑑賞などなど
Excite Blog
映画「放射線を浴びたX年後」シリーズ上映会を開催しました
http://chekosan.exblog.jp/33721104/
2024-03-18T00:05:00+09:00
2024-03-18T00:48:08+09:00
2024-03-18T00:05:35+09:00
chekosan
負の遺産/記憶と継承
ビキニ環礁の核実験による被害を追った1、2本目、アメリカでの核実験の被害を取り上げた3本目「サイレント・フォールアウト」を2日に分けて鑑賞しました。
ビキニ環礁の核実験については、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝して、お一人が亡くなられたこと、それをきっかけに原水爆禁止運動が盛んになったという、歴史の教科書に載っているくらい事実は知っていました。
が、事件後、第五福竜丸が別の用途に使われたあと放置されて崩壊寸前だったのを、市民が声を上げて保存し、公開されていることを知ったのは、ほんの数年前だったか、、、
なぜ東京にあるのかも不思議で、行ってみようと息子と見学したのが、2022年の春。
現物の放つパワーと展示内容に圧倒され、何冊か書籍を買って帰りました。その一冊が、『放射線を浴びたX年後』の漫画でした。
核実験で被曝したのは、第五福竜丸だけではなく、のべ900隻以上であること、乗組員の多くが早くに亡くなられていること、癌を発症された人の比率が異常に高いこと、でも何の補償も受けていないことなどを知り、激しくショックを受けました。すぐさま伊東英朗監督の原作も読みました。
少し前には、関西ウーマンのブックレビューでも紹介させていただきました。↓
原作も、漫画も、たいへん読み応えがあるのですが、伊東監督は愛媛のテレビ局のディレクターをされているときにこの問題を取り上げ、ずっと映像で訴えてこられた方。ぜひ映像も観たいと思っていました。
でもどうやらディスクでは販売されていなさそう…? 自主上映会はあるようだけど、関西ではあまり開かれていない感じ…?
なんとか観れないかなあと、さらに調べていたところ、最新作も含めて、無償で自主上映会ができるということがわかりました。(※郵送費等の実費負担、寄付制、DVD・ブルーレイ・オンラインから選択)
なら、数年前から関わらせてもらっている滋賀大学教育学部の「平和教育」の授業で、先生の卵たちに観てもらうのはどうだろう!
でもまずは自分が観てみないと。それならせっかくだし、「平和教育」を担当されている他の先生方や、私がそうだったように観たいけど機会がないという方にも一緒に観てもらったらいいんじゃない?
ということで、ミニ上映会&授業の検討会を開催することにしたのです。
「平和教育」の責任者B先生と相談して、会場は、JR大津駅前すぐの滋賀大学のサテライトキャンパスに。ここならみんな来やすいし、機器も揃っている!
授業検討会の目的もあったので、あまり大々的には宣伝しなかったのですが、1日目には、「平和教育」の関係者の先生方がうまく揃って来てくださって、2本を鑑賞後、いろいろとお話することができました。
2日目には、事務局からのお知らせや、私のSNSでのサラッとした告知に気づいてくださった方たちが、ずいぶん遠方から来てくださいました。<〇>
おかげで、両日とも、大変濃密で、充実した上映会になりました。お越しくださった皆様、ありがとうございました!◇
今回の上映会、誰も来てくれなかったら寂しいなあと言っていたら、上息子(大3)が2日とも来てくれました。上息子は、書籍や漫画を読んでいなかったので、ものすごく衝撃を受けて、自分の大学でも上映できないかなと言っています。ぜひ実現してほしいものです。
下息子(高2)は、期末試験期間中のため上映会には来れなかったのですが、翌日に試験が終わったので自宅で鑑賞会をしました。下息子の方は、原作も漫画も私と一緒に読んでいたので、新作のアメリカでの核実験の被害を取り上げた3本目に特に感銘を受けていました。
◇
上映会に来てくださった皆様からお預かりしたご寄付と、我が家からの寄付を振り込み、ディスク等を返送して、今回の企画は無事終了!
次は、授業本番に向けて、B先生と授業の組立てなどの詳細を検討していきます。授業は4月下旬~5月初旬に、シリーズ1本目を鑑賞し、補足説明をしたり、こうした問題に詳しい先生のお一人と対談等をすることになると思います。
私としては、日本の被害ももちろんですが、核実験といえばソ連もやっていますので、そちらの被害や救済、補償についても勉強して臨みたいと思います。
映画の内容については、また別途まとめようと思いますが、上映会2日目に参加してくださった方がたいへん詳しくブログにまとめてくださったので、まずはそちらをご案内しておきます。(私が書くよりずっと丁寧)
伊東監督は、第3作をアメリカ各地で上映すべく、クラウドファンディングをされています。
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2024年2月のまとめと読書記録
http://chekosan.exblog.jp/33719364/
2024-03-16T12:48:00+09:00
2024-03-18T00:48:39+09:00
2024-03-16T13:30:40+09:00
chekosan
未分類
2月初旬、まずは作曲専攻で学んでいる上息子の新作発表会からスタート。夏休み頃からレクイエムの歴史を本と音源から勉強して自作の曲を作りました。合唱付きで、この日一番大きな編成。なかなか良い出来だったのではと思うのは親バカゆえか? でもコロナの制限がなくなったからか、大学として動画公開をしてくれなくなったのは残念。
その頃から、息子たちが風邪を引きはじめ、採点の祭典でヒーヒーな私や夫氏にもうつっていきました。
これまでなら、秋学期は少人数クラスばかりだったので成績をつけるのもあっという間だったのですが、今学期は200人ほどの大人数の講義科目を新たに開講したため、数日がかり。
出してもらった課題は、採点基準を定めて、すべて一つ一つ見ていきました。さらに、システムの問題で別ルートで出された課題を見落としていないかなどのチェックもして。最後の入力は、いまどきエクセルファイルからのインポートで一気にできるのですが、登録を取りやめたなどでズレが無いかなどなど、非常に神経を使います。クタクタになりました。(^_^;)
その200人講義の成績〆切日あたりから、風邪っぽい症状が出始めて、あんのじょう翌日に微熱。わかりやすく燃え尽きました。熱も上がらない、ゆるい風邪だったので、お布団で寝て、寝れなくなったら本を読んで、という感じで過ごしました。
初旬の連休は回復に努め、連休最終日に親子美術展巡り。大山崎山荘で藤田嗣治展を観て、
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大阪中之島美術館でモネ展。どちらも面白かったです。
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大山崎山荘での収穫。
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モネ展での収穫。
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そして中旬からは、同僚の先生と、教育実践系の論考や報告を紀要に出すため、相談を重ねながら原稿を執筆しました。さらに、滋賀県平和祈念館に行ったり、背中の痛みにうぐぐぅ~となったり、カレル・チャペックの戯曲『ロボット』のお芝居を観に行ったりもしました。
と、なかなかよく働いたひと月でした。
3月は初~中旬に、自分が主催の映画上映会、原稿提出、上息子との旅行と予定満載です。そのあとは、研究や授業ネタになるような重い本たちを着々と読んで、たまっている旅行記やその他のアレコレをブログに更新していきたいです。あ、書類整理もしなくちゃ。今年度のことは今年度のうちに!(のつもり)
2月の読書メーター
読んだ本の数:9
読んだページ数:2178
ナイス数:324
ヒトラーの馬を奪還せよ ――美術探偵、ナチ地下世界を往く (単行本 )の感想
これ、ほんと面白かった!一気読み!まるでスパイ映画のようなノンフィクション。爆撃で消滅したと思われていた巨大な馬の像が、実は70年もの間、秘密裏に保存されていて売りに出ているという情報を得た「美術界のインディ・ジョーンズ」の異名をとる著者が、その行方を追跡する。あまりに面白かったので関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊で取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=202412
読了日:02月03日 著者:アルテュール・ブラント
わたしの外国語漂流記: 未知なる言葉と格闘した25人の物語 (14歳の世渡り術)の感想
英語をどう習得したかという経験も参考になるが、聞いたことのないような言語に出会って習得した人の話が面白い。そもそもそんな言葉があるなんてとか、現地の言葉の知識がほぼ0でも、そこの人が友好的に受け入れてくれればなんとか一緒に生活できるんだなあとか。こういうのを読むと、やっぱりがむしゃらにその言語の世界に没頭すること、それもある程度の期間をもつことが肝のよう。今その時間を持つのは厳しいから、コツコツやるとしよう。
読了日:02月09日 著者:松村圭一郎,佐久間裕美子,丸山ゴンザレス
ウィキペディアでまちおこし――みんなでつくろう地域の百科事典の感想
ウィキペディアは検索でトップに出ることが多いので、地域の情報を項目立てすることで(出典をきちんと載せていれば)知られていないが貴重な情報を載せている埋もれた文献に行き着く可能性が高まる、消えゆく伝統や慣習が残せる可能性が高まる、地域おこしになる可能性がある、というのは、なるほどだった。そのためにウィキペディアに執筆する人を増やす活動を展開されている著者の熱意には感服する。実際、著者が書いた項目は質が高いと評価されているそう。とはいえ、
読了日:02月09日 著者:伊達深雪
一線の湖の感想
水墨画の世界の魅力をたっぷりと教えてくれた『線は、僕を描く』の続編。水墨画とその師匠に出会うことで心を開き、外界と関わるようになった主人公だったが、家族の死で負った深い心の傷は未だ癒えていなかった。続編は心痛むプロローグから始まり、泣かせる名場面を迎え、辛すぎる一つ目の山場を迎える。我慢を強いる中盤のあとの二つ目の山場の緊迫感ある描写がすばらしい。真摯で丁寧な表現、現実味を増した筋書きで、前作よりもさらに優れた小説になっているように思う。読後思わず、お正月から出しっ放しのお習字セットで絵を描いた(笑)
読了日:02月10日 著者:砥上 裕將
ヨーゼフ・ロート ウクライナ・ロシア紀行の感想
『ラデツキー行進曲』が面白かったロートによる見聞記。1920~28年頃に新聞に連載していたものを抜粋したもの。ソ連の最初期の雰囲気が伝わる。新しい国ソ連の可能性に期待し、評価しているような文章もあれば、早くも蔓延する検閲と表現の自由の制限に失望している文章もあって興味はつきない。が、文章によってはなかなか難しい。この時期の様子を知るのに学生と読もうかと思ったが、この本だけでは厳しいかな。それはともかく、ロートはユダヤ人でツヴァイクとも友人だったとのこと。ほかもまた読もうっと。
読了日:02月14日 著者:ヨーゼフ・ロート
平和を考える 戦争遺産図鑑 (ヘイワヲカンガエルセンソウイサンズカン)の感想
図書館の児童書室で発見した大きくて立派な写真集。たしかに子どもでも理解できる、わかりやすい言葉づかいで説明されている。国内外の戦争の遺構がたくさん掲載されている。激戦地であった太平洋の島や、日本軍が住民を虐殺した中国などで今でも出てくる人骨の写真もある。
読了日:02月17日 著者:安島 太佳由
ロシア・ノート:アンナ・ポリトコフスカヤを追っての感想
ソ連時代の大飢饉を取り上げた『ウクライナ・ノート』の著者による。本書ではチェチェン問題の実態を明らかにしようとして暗殺されたロシアのジャーナリストについて。前著よりも絵やデザインが洗練されている。が、内容は前著にもまして衝撃的。チェチェン紛争時に起こっていた民間人への暴力、略奪、拷問。そうした行為を拒否した兵士へのむごたらしい懲罰。取材を続けるポリトコフスカヤ自身への脅迫、拘禁…あまりに酷くて何度か本を閉じてしまう。残虐行為に染まって暴力が止まらなくなることをチェチェン・シンドロームというそう。
読了日:02月17日 著者:イゴルト(Igort)
アウシュヴィッツの画家の部屋の感想
アウシュヴィッツにあった「収容所美術館」と画家たちについて。小さくて薄くて字の大きな本だが、ほおおという事実や情報がいろいろ書かれている。ブログに記録。https://chekosan.exblog.jp/33692124/ 八ヶ岳山麓にあるフィリア美術館にケーテ・コルヴィッツやミェチスラフ・コシチェルニアクらの作品があるとのこと。行きたいなあ。昨夏、知っていれば、甲府に行くときに寄れたのになあ~~何かと合わせて、またいつか行こうっと。
読了日:02月19日 著者:大内田 わこ
女性が科学の扉を開くとき: 偏見と差別に対峙した六〇年 NSF(米国国立科学財団)長官を務めた科学者が語るの感想
著書は、女子が自然科学の分野に進むことすら拒まれることが多かった時代から最前線で道を拓いてきた。「人類の100%の最良の結果は50%のそれより優れている」という信念のもと、女性科学者やマイノリティのキャリア形成のためにも奔走。先入観や「常識」を打ち破ったコレラ菌の研究や、炭疽菌テロ事件の解明に携わった日々などを綴った章もエキサイティング! 関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊で取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=202420
読了日:02月27日 著者:リタ・コルウェル,シャロン・バーチュ・マグレイン
読書メーター
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カレル・チャペックの戯曲『ロボット』のお芝居を観てきました&バレエ・リュスの衣裳展
http://chekosan.exblog.jp/33711733/
2024-03-10T14:45:00+09:00
2024-03-10T14:47:50+09:00
2024-03-10T14:45:32+09:00
chekosan
演劇
チェコスロヴァキアの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲で、「ロボット」という言葉はこの作品で生まれました。
チェコ文化を代表する人といえば5本の指に入るであろうチャペックの代表作で、文字(岩波文庫、千野栄一訳)で読んでもいましたが、これまでお芝居で観る機会はありませんでした。ピッコロ劇団さん、関西で上演してくださってありがとう!!( ;∀;)
以下、自分のための備忘録です。がっつりの分析や考察ではないです。あらすじや丁寧な説明も省いています。ネタバレご注意ください。(チャペックの他の戯曲『マクロブロス事件』『白い病』との比較もあるので、そちらを未読の方もご注意を)
まず、内容的なこと。
カレル・チャペックの1922年の戯曲で、最近新訳も出た『マクロブロス事件』(新訳の邦題は『マクロブロスの処方箋』)との類似性と相違について。
どちらも、「すごーく」(※後述)端折ってしまうと、ある「すごーく」重要な書類をめぐる欲や理想や主張のぶつかり合い→若い女性が書類を破棄してしまう、という筋書き。
(そういえば、チャペックの『白い病』でも、人類の将来がかかる重要なものがアレしちゃいますね。若い女性が破棄するわけではないけど。チャペック、そういうのが好きなんですね)
でも、女性の主体性というか、自立性みたいなのは、2作品では違ってきているようにも思います。
『ロボット』では、大統領の娘でロボットの人権(?)活動家でもある美貌の女性が一目惚れされて、夫と科学者らのマドンナとしてちやほやされて、自分たちの最後の切り札を破棄しても許されてしまう。彼女は、行動する女性ではあったけど、偉いさんの娘→冷静に判断できない奥様というキャラどまりとも言える?
『マクロブロス』でも、若い女性が人類の未来を左右するような役割を果たす点では同じだけど、破棄の仕方や意味合いが違っている。『ロボット』では「パニクって焼いちゃったどうしよう許して~」みたいなアクシデント的なものだったのが、『マクロブロス』では、若い女性が不老不死の処方箋をあっさり焼いてしまって、不老不死をめぐる苦悩や欲望の衝突に決着をつける。
『マクロブロス』では、不老不死の魅惑のオペラ歌手の女性と、彼女に憧れる若い女性が対比されるが、どちらもそれぞれ自分の職業とか特技を持っていて、自立した人間という面が強まっている?
以前、関西チェコ/スロバキア協会の催しで、新訳の翻訳者である阿部賢一先生の講演会があって、質疑応答のときに、チャペックは女性を書くのがうまくないというような話も出ました。(このときの報告を協会誌『ブルタバ』128号 2022年3月発行に書いています)
その話になったのは、私の授業を受けていた学生さんの質問からの流れだったと記憶しているのですが、たしかに、女性の機微はあまり描けていないなと思います。が、もしかしたら、この2作品だけ比較すれば、少しは女性像を複雑化させたのかな?と今回ちょっと思いました。
あ、でも、1937年の『白い病』でもやっぱり大統領の娘が出てくるけど、あんまりたいしたキャラ付けはされてなかったかな…? あれはまた設定が違うから仕方ないか?
◇
で、『ロボット』では、危機的状況に対して、登場人物たちがあれこれ主張をぶつけあうのですが、戯曲を文字で読んでいるときより、お芝居で観た時の方が、ふむ、なるほど、それもそうだな、でもしかし、というように思わせるなと思いました。文字だとさーっと読み飛ばしてしまうんですよね。でも、お芝居だと、当然、演じる人が違うからキャラももっと明確になるし、セリフが終わるのを聞いて待たないといけないし。戯曲は芝居で観るのが正しいなと確認しました。
その主張のぶつけあいに関しても、先述の阿部賢一先生の講演でも、チャペックの作品は、唯一絶対の正義や結論を強いるものではなく、多声的であり、観客(読者)に思考を促すものである旨のお話があったのですが、たしかにそうだなと再確認できました。
◇
お芝居の演出に関しては、1920年代の作品であるということはまったく感じさせない、近未来的な、シンプルな(あまりお金もかけずに済んでそうな)舞台になっていました。離れた島で人造人間を製造する会社という設定だし、普遍性のある作品だし、セリフが大事なお芝居なので、なるほどと思いました。建国期のチェコスロヴァキア好きとしては、当時の雰囲気を色濃く反映させた再現的な舞台も観てみたいですが。
◇
上述の「すごーく」は、マドンナである女性の登場人物が頻繁に口にするセリフで、これが終盤にも意味を持ってくるのですが、でも、、、ちょっと異質だったかな。。。他のセリフが上流階級のお嬢様(奥様)風な話し方なのに合ってないし、20年くらい前の日本のはすっぱな女性みたいだったかな~
◇
全体の感想としては、緊迫感もあったし、知っている話だけど退屈することなく鑑賞できて、遠くまで行った甲斐がありました。セリフをきちんと聞いていくことで、ここまで書いてきたようなことが浮かんできましたし、やっぱり戯曲は芝居で味わうもんやと再認識できたし、得るものが多かったです。
一緒に行った上の息子は、あらすじすら知らずに観たので、それこそ「すごーく」面白がっていました。良かった良かった。
◇
会場のそばでは、ミニ展示もやっていました。20世紀初頭、ロシアのセルゲイ・ディアギレフが創設したバレエ団「バレエ・リュス」の衣裳展です。
撮影は良くないかなと思って珍しく写真はないのですが、リーフレットが公開されていました。
兵庫県立芸術文化センターのHPを見ると、どうやらずっとちょっとずつテーマを変えて、コレクションを展示しているようですね。
薄井憲二バレエ・コレクション企画展のページでたどって見ていけます。
☆おまけ☆
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☆おまけ2☆この日は、行き帰りに、ちいかわ電車を見ることができました!(∩´∀`)∩
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書評『女性が科学の扉を開くとき』@関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊
http://chekosan.exblog.jp/33710664/
2024-03-09T15:29:00+09:00
2024-03-09T15:29:59+09:00
2024-03-09T15:29:59+09:00
chekosan
書いたもの
女子が自然科学の分野に進むことすら拒まれることが多かった時代から最前線で道を拓いてこられた方です。
「人類の100%の最良の結果は50%のそれより優れている」という信念で女性科学者やマイノリティのキャリア形成のためにも奔走されてきました。
先入観や「常識」を打ち破ったコレラ菌の研究や、炭疽菌テロ事件の解明に携わった日々などを綴った章もとてもエキサイティングです!
本文はこちらからどうぞ!
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「暮らしの中の戦争-日々の生業(なりわい)と食事-」と「破られた約束-太平洋戦争下の日系カナダ人」@滋賀県平和祈念館
http://chekosan.exblog.jp/33700352/
2024-02-29T23:36:00+09:00
2024-03-01T14:32:19+09:00
2024-02-29T23:36:05+09:00
chekosan
負の遺産/記憶と継承
祈念館としての企画展(6月23日まで)ももちろん見たかったのですが、今回は、巡回展示も見たくて、終了間際に滑り込み!
まずは、企画展示「暮らしの中の戦争-日々の生業(なりわい)と食事-」。
企画名どおり、戦争中の暮らしの様子がわかるものがいろいろと展示されています。少しだけご紹介。
配給物資の購入券を保存しておく袋
「貴重な資源をお役にたてませう」
東京日日新聞発行「支那戦線双六」
手前の開いてある本は『食べられる野草』(陸軍獣医学校研究部編)
滋賀県平和祈念館の特徴の方言そのままの証言パネルは、今回ももちろんたくさん掲示されていました。
お話されたそのままの言葉は、実に生き生きとしていて、当時の様子がよくわかっていいなあといつも思います。
企画展は、6月23日まで。まだまだやってます! ぜひ!
◇
さて、今回のもう一つのお目当ては、巡回展示「破られた約束ー太平洋戦争下の日系カナダ人」。(こちらは終了しています)
この展示は、第二次世界大戦期の日系カナダ人の強制立ち退き、強制収容、強制分散、国外追放の一連の政策のなかで執行された、カナダ政府による日系人財産の没収についてです。→ 公式サイト
秋に、和歌山からアメリカに渡った日系移民に関する展示を見てきて、戦時中に入れられた強制収容所の様子なども知ることができたのですが(文末にリンク)、今度は、カナダ。
少し前には、ブラジルへの移民を追ったドキュメンタリー映画「オキナワサントス」も見ていて、このところ、移民関連のものが続いています。
で、カナダへの移民ですが、なんと滋賀県からが一番多かったのだそうです。全然知らなかった! 何十年も滋賀県に住んでいるのに!
新興住宅地に小さい頃に引っ越してきた住民で、移民を輩出した地域に親戚や知人がいるわけではないので、そうした歴史に触れる機会がなかったのです。けっこう衝撃の事実です。
学生がよく「~~ということを知らなかったので驚いた」と感想を書くのって、こういう感じなんかな、と一緒に行った夫氏と感想を共有(笑)
戦時中は、カナダも日系移民に対して酷い扱いをしていたということも意外でした。今のカナダは多様性を尊ぶ国というイメージなので。
世の中知らんことだらけやなあと、今回もつくづく思いました。
この展示は、このあと和歌山、京都、横浜にも巡回するようです。
京都は同志社で! ときたら、私の授業受ける人には必ず見に行ってもらいましょう!
2024年4月1日(月)~2024年6月30日(日) カナダ・ミュージアム(和歌山県美浜町)
2024年11月下旬から12月下旬 同志社大学今出川キャンパス ハリス理化学館同志社ギャラリー
2025年時期未定 JICA横浜海外移住資料館
関連記事:
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大内田わこ『アウシュヴィッツの画家の部屋』(東銀座出版社 2021年)
http://chekosan.exblog.jp/33692124/
2024-02-21T23:06:00+09:00
2024-02-22T11:11:44+09:00
2024-02-22T11:01:21+09:00
chekosan
読書記録
ホロコーストに関する本を次々に出されているジャーナリスト、大内田わこさんの『アウシュヴィッツの画家の部屋』。
同じ著者のホロコースト本はこれで5冊目となりました。おそらく全作品を読破できていると思います。
ほとんどが小さく薄く字の大きい本なのですが、どの本も、知ることができて良かったと思える内容ばかりです。
『アウシュヴィッツの画家の部屋』は、アウシュヴィッツ強制収容所内に設けられた「美術館」の存在と、そこで生み出された作品、画家たちの経歴などを紹介しています。
多くの人々を殺害し、過酷な状況で強制労働に就かせていたアウシュヴィッツで絵を描かされていた画家たちがいました。
彼らに課されたのは、監督者(ナチの親衛隊)が必要とする図面や模型の制作であったり、医学実験のためのスケッチであったり、私的に命令された肖像画や風景画や細工物の制作であったりしましたが、監視の目を盗んで描かれた絵もあったそうです。
以下、自分のための覚書。
・ペーター・エデル ドイツの著名な芸術家ケーテ・コルヴィッツにも師事した。1943年にアウシュヴィッツからザクセンハウゼン、マウトハウゼンと移送。1945年5月、オーストリアのエーベンゼーで解放された。
・ブロニスラウ・チェヒ ポーランドの画家であり、スキージャンプのチャンピオンでもあった。1944年6月5日、アウシュヴィッツの診療病棟で死亡。
・ジャック・マルキェル 彼が描いたゲザという少年のスケッチを、少年が移送される際に、なにかと彼を気にかけてくれていたポーランド人女性に贈る。その女性はスケッチを大事に保管し、1960年に博物館に寄贈する。後に、その絵がハンガリーの雑誌に掲載され、ゲザは自分の肖像画と再会する機会を得る。絵を描いたマルキェルは1945年、ブーヘンヴァルトで解放された。
・ミェチスラフ・コシチェルニアク コルベ神父の希望で、聖母子像を贈る。コルベ神父は脱走者が出たことに対する報復で餓死刑を命じられた収容者の身代わりを申し出て獄死する。コシチェルニアクは、コルベ神父が申し出たそのときに居合わせた。コシチェルニアク自身はいくつもの収容所をたらいまわしにされたが、終戦まで生き延びた。彼の描いた聖家族像が、八ヶ岳のふもとにあるフィリア美術館に所蔵されている。フィリア美術館には、ケーテ・コルヴィッツのピエタ像もあるとのことなので、これはぜひ行きたい。
・ヤン・コムスキ レジスタンスとして活動していたが逮捕されてアウシュヴィッツへ。収容所内でも抵抗組織の一員として活動する。一度、アウシュヴィッツから脱走に成功し、偽名でレジスタンス活動につくが、再び逮捕される。幸い、脱走者であることを見破られなかったため、偽名のまま収容される。1945年4月、ダッハウ強制収容所で解放される。戦後は、アメリカに渡り、ワシントン・ポストのイラストレーターとして働きながら、ホロコースト関連の絵を描き続けた。2002年に没。
※ヤン・コムスキの絵に関しては、チェコのテレジーン・ゲットーに関してたくさんの著書を出されている野村路子氏の本でもよく登場しているが、こちらでは収容所内外でのレジスタンス活動について書かれているところが特徴。
・収容所で極秘裏に描かれた絵は、出入りを許された民間人らによって持ち出された。親衛隊の洗濯物に紛れさせるのが成功率が高かったらしい。
・収容者たちのために食べ物を提供するなど支援したことで捕らえられた女性ヘレナ・プオトニカとその娘ヴァンダのエピソードもあり。
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ハイドリヒ暗殺事件関連の場所をめぐる ~チェコ旅行2023夏(17)
http://chekosan.exblog.jp/33688226/
2024-02-18T17:08:00+09:00
2024-02-18T21:05:25+09:00
2024-02-18T21:05:25+09:00
chekosan
負の遺産/記憶と継承
今は「英雄」として評価されている暗殺実行犯らが立てこもった聖キリルとメトディウス教会は、2019年秋にも訪ねて現場ならではの空気を感じました。そのときの記事はこちら(事件の簡単な説明もあり)
そのときから何か変わったということはありませんが、より鮮明な写真が撮れたので、今回も少しアップしておきます。
銃撃戦の痕の残る外壁。事件のあった年を表す数字がモザイク敷石で表されています。
事件を記念する部屋は専用の入口から
小さな空間なので、団体さんとかち合うと満杯に。でもわりとみなさんすぐに退出されます。
関連の品々も展示されています
展示室の奥が、立てこもった現場です。厳粛な空気が流れています。
教会の地下に立てこもった暗殺実行犯は、開口部からホースを突っ込まれて、水攻めにあいます。早乙女勝元さんの著書に、壁を掘って脱出を図った痕が残っているという聞き取りがありましたが(『プラハの子ども像』新日本出版社 2018年)、これではないかと思います。説明版はあったのだったか、なかったのだか…
暗殺犯らに協力した人々も次々突きとめられて処刑されたり、収容所送りになったりました。教会のすぐそばの建物に、そうした人たちを記念するプレートもあります。
字が読みづらくなっていましたが、説明もありました↓
せっかくなので、襲撃の現場も行くことにしました。
トラムでしばらく北上して、Vychovatelna 停留所まで行くと、トラムの通る道に沿った壁に、襲撃事件の絵が!
なんか、昔のスパイ映画のオープニングみたい…
イギリス亡命政権の命でチェコの森にパラシュートで降下する作戦員
匿ってくれる協力者の家を訪ねるところ?
ジジジジジー とベルを押していると思われる
↑襲撃する場所が決まった
いよいよ決行 ↓
手榴弾が投げられた
↓ 教会での立てこもりの場面?
↓ おそらく、報復で亡くなったたくさんの人々を表している?
実際の襲撃現場は、のちに道路の付け替えがあって、当時のままではないそうです。
ほぼこのあたりというところに、記念碑(礎石)と説明パネルがあります。
↑ この記念碑の礎石は、2008年5月27日に除幕されました。暗殺計画の記念碑をここに建てるということを示すもので、コンペティションで選ばれたデザインの記念碑が、のちに、このそばに建てられました。それがこちら↓です。
碑の下には、説明もあります。これは円形になっていて、ぐるっと回って読みます。
暗殺実行犯らは、イギリス亡命政権の命令でこの計画を決行したため、戦後に実権を握った共産党政権の時代には評価されなかったようです。1989年の民主化後、再評価されだしますが、聖キリルとメトディウス教会の展示室も、しばらくは個人が維持管理されていたようですし(上述の早乙女氏の著書による)、上の記念碑なども要望はずっとあったものの、設置には10年ほどかかっています。
記念碑礎石に関するプラハ8区のプレスリリース
記念するものの建立や経緯を知ると、現場保存に努めてきた人たちの思いや活動もなるほどと理解できます。
が、ハイドリヒ暗殺事件、何度も映画化されるなどしているせいか、関連の場所はなんだかアニメの「聖地巡礼」のようになっているようにも見え、襲撃の日には、このあたりで再現劇もやっているという報道を読むと、うーん、エンタメにしすぎ、観光資源化しすぎじゃないかとも思えてきます。
暗殺事件のドラマティックな面だけでなく、この事件の報復で亡くなったたくさんの人びとのことにも思いを馳せたいものだなあと思います。
というわけで、暗殺事件の報復で亡くなった人たちを追悼する場所の訪問記もご覧ください。
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チェコの偉大な女性たち(とオマケ) ~チェコ旅行2023夏(16)
http://chekosan.exblog.jp/33685930/
2024-02-16T18:48:00+09:00
2024-02-16T20:38:06+09:00
2024-02-16T20:38:06+09:00
chekosan
負の遺産/記憶と継承
今回の旅の目的の一つは、チェコ史に足跡を残した女性たちを記念する場所を訪ねることでした。(旅の前半で訪れた場所は文末のリンクからどうぞ)
6日目は、朝からお昼ごろまで、そうした女性たちの記念碑や女性の名を冠した通りをいくつかまわりました。
まずは、チェコスロヴァキア建国の頃に、女性の権利拡大を目指して活躍し、ナチ・ドイツ占領時に銃殺刑に処された、フランチシュカ・プラミーンコヴァーの名がついた通りに行きました。
あいにくの雨。そして、この日から、突如!気温が下がるプラハ。
前日まで、それ下着ちゃうん⁈👙みたいな男女がウロウロしていたのに、一夜明けたら、街ゆく人みんな、ジージャン、革ジャン、パーカー、コート😰
日本で散々天気予報を見て服を用意してきましたが、毎日予報が変わり、用意したものでは暑すぎたり寒すぎたり。この日は、私たち親子だけが夏のままという感じ。
暑いよりはいいけど、極端すぎるわ!
でも、お目当ての通りを見つけたときには、雨もほぼやみ、ごきげんなわたくし。
この小学校が面しているのが、プラミーンコヴァー通りです。
このあたりは、新しく拓かれた住宅地という感じの地域でした。そういうところは行く用事がないので、普通の暮らしをほんのちょびっと垣間見れるようで、それもまたよし。といっても、ほんとに道路から見えるだけのことしか見ていませんが。
たとえば、こんなリサイクルボックスも見つけました。
リアル!!
正面はこんな感じ。
これは民間の業者の設置したものです。こういうのが常設してあると、ありがたいなあ。でも、ゴミ入れるヤツとかいないのかな。しょっちゅう回収しているのかな。
さて、次の目的地へ移動です。
今回の旅は、こういうちょっとした記念の場所巡りをしたので、プラハ市内72時間券とか24時間券とか30分券等々を駆使して、いろんな路線、いろんな駅を使いました。
ここは、今回初めて使った駅、プラハ蜂起駅です。
プラハ蜂起(1945年5月)については、後日、軍事博物館で展示を見てきたので、そのときにまた触れる予定。プラハ市内にいくつか記念碑も見つけたので、またそれらも別途、アップしたいと思います(できれば)。
この駅のすぐ側には、内務省の建物があります。たしかこれ。
その向かいの公園に、やはりチェコスロヴァキアの女性の権利拡大に尽力し、戦後、共産党政権にスパイ容疑をかけられて絞首刑にされた、ミラダ・ホラーコヴァーの胸像があります。
浮いていて、ちょっと怖い
この記念碑、胸像はホラーコヴァーですが、下部の台形のところには、たくさんの人の名前や生没年が記されています。ホラーコヴァーと同じく、共産党政権によって犠牲になった人々です。
この記念碑は、プラハにつくられた初めてのホラーコヴァーの碑だったようですが、共産党の後継政党の議員からの寄付もあったようで、元政治犯連合の方たちから批判があったようです。
この碑のあとにも、いくつかホラーコヴァー関連の像やプレートがプラハ各地につくられています。また、それらもおいおい登場させます。
◇さて、お次は、少し時代を遡りまして、エリシュカ・クラースノホルスカー(1847-1923)の像です。この人は、本ブログ初出(たぶん)。
著名な作家、詩人です。スメタナのオペラの台本も書いています。そして、女性の教育の機会を拡大するのに大きな役割を果たしました。
美しい一枚が撮れました。
クラースノホルスカーについては、スメタナのオペラの台本を書いたということがあって、日本語で名前を検索しても少しヒットします。
そして、なんと薔薇の名前にもなっているのですね🌹
さて、この像のあるカルロヴォ・ナームニェスチー(カレル広場)から少し行ったところに、この旅のテーマに浮上してきたハイドリヒ暗殺事件実行犯立てこもりの教会があります。
旅のお供の上息子が、今回の旅で、ハイドリヒ暗殺事件とその顛末(リディツェ村殲滅やプラミーンコヴァーを含むチェコ市民大量処刑など)にかなり衝撃を受けて、関連する場所をいろいろ見たいと言うようになったので、この日の後半は、ハイドリヒ暗殺事件関連の場所をめぐることにしました。
つづく。
チェコの女性たちの足跡に関する記事:
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ポーランド映画「Filip」を京都ヒストリカ国際映画祭で観た
http://chekosan.exblog.jp/33685008/
2024-02-15T22:54:00+09:00
2024-02-15T22:54:04+09:00
2024-02-15T22:54:04+09:00
chekosan
映画、映像
ずいぶん日が経ってしまいましたが(そんなんばっかり…)、1月末に、京都ヒストリカ国際映画祭で、ポーランドの映画「Filip」を観てきました。
この映画祭に行くのは初めてで、当日券がまだ残っているのか、券はどこで売っているのか(会場の京都文化博物館のチケット売り場なのか、文化博物館の入場券との関係はどうなっているのか)等々、勝手がわからず、不安いっぱいで朝から向かいました。
幸い、EU映画祭のときのように混み混みではなく、好みの席が選べて、前後左右も詰まらずに済んで、ゆったりと鑑賞できました。
私が観た映画単独のパンフレットやチラシはなかったのは、かなり残念でしたが。
さて、その「Filip」ですが、どういう映画かというと、ナチが侵攻したポーランドで家族と恋人を殺されたユダヤ人青年が、ベルリンで出自を隠してホテルのボーイとして働き、ドイツ人女性を次々たぶらかしては捨てるということを繰り返して復讐するのだが、真の愛に目覚めて…というような話。
主人公はユダヤ人なので、もしそのことがバレたら大変なことになります。ただでさえ、ドイツ占領下の国の出身者がドイツ女性と関係をもつと処罰されます。見せしめに絞首刑になることもあるのです。ましてやユダヤ人をや。
それなのに、なぜ彼が次々ドイツ人女性を抱いては捨てるなんてことを繰り返せたかというと、ドイツ人以外の男性と関係をもったドイツ人女性もまた辱めを受けるのですね。丸刈りにされて、さらしものになるのです。だから、ひどい捨てられ方をしても、なかなか告発することができないのです。主人公はそれをわかっていてやっているのです。
それが復讐になるのか…? というのがまず疑問。
冒頭、あんなに爽やかな青年だった主人公が、こんなヤな奴になってしまって… なのに、こんなすてきな良家のお嬢さんが惹かれるだろうか… と、あまり共感できないままでした。
まあ面白くなかったというほど悪くはないけれど、おすすめするかといえばどうかな、というところでしょうか。
ただ、アフタートークでも話題になったのですが、主人公を演じた役者さんの肉体美は確かにすごかった!
夫が戦地に行って寂しいご婦人方がこぞって彼を誘うという設定も納得の身体でした(笑)
あ、あと、いろんな言語が錯綜するのが面白かったです。ポーランド語、ドイツ語、フランス語などなど。
なお、原作は、1961年に書かれたポーランドの作家レオポルド・ティルマンド(Leopold Tyrmand)の小説だそうです。
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講演録「女性兵士をめぐるイメージと実態 : ソ連、ロシア、ウクライナを事例に」が公開されました
http://chekosan.exblog.jp/33682531/
2024-02-13T16:54:00+09:00
2024-02-13T22:04:17+09:00
2024-02-13T16:54:43+09:00
chekosan
書いたもの
大阪公立大学の学術論文などを公開している機関レポジトリの新システムへの移行で不具合が続いたとのことで、講演から1年半近く経ちましたが、ようやくどなたにも見ていただけるようになりました。
今回の講演録は、印刷は無し、オンラインのみでの公開であることから、画像はすべてカラーで掲載していただけるということ。
そこで、旧ソ連各地でさまざまな写真を公開されている Martin MacDonald さん(相互フォローしている方)に、写真をお借りできないかお願いしたところ、快く提供してくださいました。Martin さんの鮮明な写真のおかげで、よりよく理解いただけると思います。
こちらからご覧いただけます。
4本の講演と総合討論や質疑応答等、すべてをまとめたページはこちらです。
なお、この講演を聴いてくださったことから、翌年春にもシンポジウムで講演させていただきました。
そのときの講演録も、大阪公立大学女性学研究センターより、数か月後くらいに公開される予定です。どうぞお楽しみに。
【関連記事】
2022年の講演の際のブログ記事はこちら。
2023年4月の講演のレポート(ほとんど0円大学さんより)
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書評『ヒトラーの馬を奪還せよ』@関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊
http://chekosan.exblog.jp/33679133/
2024-02-10T12:49:00+09:00
2024-02-10T12:49:28+09:00
2024-02-10T12:49:28+09:00
chekosan
書いたもの
記事タイトル、「事実は小説より奇なり」が一番合うのですが、あまりにありがちなのでやめました。
というか、それを超えたハラハラドキドキな展開です。ぜひぜひどうぞ! 本文はこちらから。
まるでスパイ映画のようなノンフィクション
『ヒトラーの馬を奪還せよ 美術探偵、ナチ地下世界を往く』
アルテュール・ブラント (著), 安原 和見 (翻訳)
ヒトラーの馬と言っても、本物の馬ではありません。かつてベルリンの総統官邸の庭にあった一対の巨大な馬のブロンズ像です。ヒトラーお気に入りの彫刻家ヨーゼフ・トーラックが制作し、執務室の窓の下、つまりヒトラーが窓から庭園を眺めると必ず目に入る場所に置かれていたものです。・・・・・・・・ブラント氏は、オランダの美術調査員で、盗品や行方不明の美術品をいくつも回収した実績から、「美術界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれています。
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2024年1月のまとめと読書記録
http://chekosan.exblog.jp/33664568/
2024-02-01T10:12:00+09:00
2024-02-01T11:09:36+09:00
2024-02-01T11:09:36+09:00
chekosan
読書記録
今年は早くも1月5日から授業が始まり、授業最終回が大学や開講曜日によってそれぞれズレていて、最後は29日(年々、授業期間が長くなっているような…)。
少しずつ授業準備が減っていったので、ものすごくきゅうきゅうというほどではなかったものの、なんとなくアレコレあって、初詣も行けないまま1月が終わりました。(^_^;)
授業以外では、昨夏のチェコ行きを反映させた小さな原稿を書くのに、関連書籍を集めて読んで。
その他、下の息子が美術部の先生から勧められたというので日展の京都巡回展を観に行ったり、
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仲良くしていただいている先生と恒例のプチ打ち上げ女子会をしたり、
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映画(「オキナワサントス」「Filip」→いずれも後日別途記録予定)や「シュルレアリスムと日本」展を観に行ったり、
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何科目か授業を取ってくれて、意欲的に取り組んでくれた卒業生さんたちの大学最後の授業が、ちょうど私の授業だったので、ミニ打ち上げ&卒業おめでとう会をしたりと、お楽しみも入れることができました。
この学年は、入学前にコロナが流行り出して、1年生春学期はまるっきり大学に入れませんでした。大学生活の半分くらいは、行動に大きな制約がかかっていたのではないかと思います。その学年が、もう卒業とは…
そんな思い出話や、これからのことなどを楽しくお話して、お腹いっぱいになって、これからますます羽ばたいていかれる若者の活躍を祈念して、晴れやかにお別れしました。
2月は、まずは採点。今学期は200人ほどの科目があるので、ヒーヒーになりそうです(汗)
それを終えたら、片付けしたり、勉強したり、文章を書いたり、じっくりとインプットに励む予定です。
1月の読書メーター
読んだ本の数:13
読んだページ数:3385
ナイス数:391
美術泥棒 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズⅣ)の感想
図書館でひょいと見つけて。数年に渡ってヨーロッパ数か国の美術館から、アーミーナイフ1本で白昼堂々250点もの美術品を次々に盗んでいったカップルの話。売り払うわけではなく、ただただビビッときた美術品を自分の手元に置いておきたくて盗みを重ねる。ええ~ほんまかいなと何度もつぶやきながら夢中で読み進める。主犯の窃盗癖が酷くなっていって、とうとう発覚するのだが、そのあとからは元恋人や母親の供述が主犯と食い違い、果たしてここまで読んでたこともどこまでが本当なのかわからなくなる。著者が泥棒に入れ込んでしまったのか。
読了日:01月03日 著者:マイケル・フィンケル
生還者(サバイバー)たちの声を聴いて: テレジン、アウシュヴィッツを伝えた30年の感想
著者はナチ・ドイツ占領下のチェコのテレジン収容所で子どもたちが描いた絵を日本に紹介しつづけているノンフィクション作家。すでに関連本は何冊も出されているが、本書は30年に渡る元被収容者らとの交流を振り返るもの。もうじゅうぶんやってきた、いやまだまだ伝え続けねばならないという切迫した思いが伝わる。
読了日:01月05日 著者:野村 路子
図書館のお夜食 (一般書)の感想
図書館でお夜食?と本屋さんで見かけて気になっていた本。作家の遺した書籍をまとめて受け入れて閲覧に供する、夜にだけ開いている図書館に集まってくる人々の話。みんな少しずつカゲというか事情のある人たちなのがわかっていくという趣向なのだが、終盤で話が急に素人くさくなって中途半端に終わる。設定を詰めきれずに書き始めてしまったのだろうか。タイトルのお夜食とは、この図書館のカフェのまかないで、本の中に出てくる食事を再現したメニュー。この設定も良かったのになあ。残念。
読了日:01月06日 著者:原田 ひ香
改訂新装版 テレジンの子どもたちから: ナチスに隠れて出された雑誌『VEDEM』よりの感想
チェコのテレジン収容所で生み出された子どもたちによる雑誌を日本に紹介した本の改訂版。親と引き離され、すし詰めの部屋での共同生活、まったく足りない食事や衣服、きつい労働を強いられるなかでも、子どもたちは豊かな芸術性を発揮した。そうした創作活動を導き、支えた大人たちの存在も紹介。関西ウーマンの書評連載で取り上げました。https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=202368
昨夏、訪れたテレジンの様子をまとめたブログへのリンクも貼っています。併せてどうぞ!
読了日:01月10日 著者:林幸子
日本列島「現代アート」を旅する (小学館新書)の感想
直島や金沢21世紀美術館、東京藝大の美術館などで現代アートをプロデュースしてきた第一線の専門家による、日本国内で楽しめる現代アートの紹介。柔らかい語り口で、わかりやすく親しみやすく作家や作品が紹介されていて制覇したくなる。マーク・ロスコの作品を観に行こうと思って借りた本だが、アートファクトリー城南島にも行こうとさっそく計画に組み込んだ。金沢の「ブルー・プラネット・スカイ」はある時間帯に、その場にいないと体験できない特別な作品らしい。これもまた計画しなくちゃ。
読了日:01月11日 著者:秋元 雄史
僕の陽気な朝 (文学の冒険シリーズ)の感想
次々本を読む演習で取り上げる学生さんが現れたので再読。ずいぶん昔に読んで面白かった印象はあったものの内容はすっかり忘れていた。社会主義体制下、職を追われ、資格などがいらない仕事にしか従事できなくなった作家の実体験を反映した短編小説。深刻過ぎず、ユーモアとエロティシズムとペーソスの効いた、ああチェコ…な雰囲気。地下出版しかできなかったクリーマの本が民主化後、発行されたときには、サイン会に長蛇の列が出来たそう。それほどの人気作家なのだが、邦訳がほとんどないのが残念。
読了日:01月14日 著者:イヴァン クリーマ
ナチス占領下の悲劇 プラハの子ども像の感想
絶版になった草の根出版会「母と子でみる」シリーズの『プラハは忘れない』と『エルベの誓い』を合冊した本。前者は1995年当時の様子がわかって興味深い。ここで「ひとりぼっちの地下記念館」として紹介されているハイドリヒ暗殺犯立てこもり現場は、今では国の「英雄」記念碑として多くの観光客を集めている。後者は、WW2時に、米ソ軍が合流したエルベ川での邂逅をめぐる話。こちらは初めて知ったことばかりでこれまた興味深かった。
読了日:01月18日 著者:早乙女 勝元
野の花は生きる―リディツェと広島の花たちの感想
ナチ高官暗殺の報復で消し去られたチェコの村リディツェの話から、広島の似島で原爆で亡くなった家族の遺骨を探す遺族の話へと繋がっていく。執筆当時にまだ続いていたベトナム戦争を憂う作家の思いが背景にある。児童文学者のいぬいさんの文章の美しさと挿絵がマッチしている。現在入手しにくくなっているようだが、読み直されるべき本。
読了日:01月21日 著者:いぬい とみこ
トミーが三歳になった日―ユダヤ人収容所の壁にかくされたベジュリフ・フリッタの感想
戦時中にドイツが設けたテレジーン・ゲットーに収容された画家が我が子のために秘密で描いて隠していたスケッチに、のちに解説とことばをつけて本にしたもの。絵はほのぼのしているが、解説や生き残った関係者の話は非常に重い。両親を失ったトミー本人も生き延びて彼を引き取った画家の同僚夫婦もトラウマを抱えて非常に辛い日々を送ったよう。昔、図書館で納本のアルバイトをしていたときによく見かけていたが、内容はまったく知らなかった。テレジーンの博物館に原画(複製?)が展示されていたが、駆け足でじっくり見れなかったので再訪したい。
読了日:01月21日 著者:ミース バウハウス
侵略日記の感想
本を次々読む演習で学生が取り上げてくれた。本書はロシアによる全面侵攻直前から半年の記録。クルコフはロシア出身だが、ウクライナ人として生きる覚悟を前面に出していて緊張感がある。発表した学生も言っていたが、日本の報道だけではわからない現地の雰囲気や具体的な動き、人々の思いが伝わってくる。本書は英語で書かれたものからの翻訳なせいか細かな訳注はないが、あればあまり詳しくない読者に親切かも。クルコフは2013-4年のマイダン革命のときの日記も出していて(『ウクライナ日記』)、そちらもたいへん面白い。
読了日:01月22日 著者:アンドレイ・クルコフ
わたしはスター―テレジンからの生還者の感想
著者はドイツ南部の村からチェコのテレジーン・ゲットーに強制移送されたユダヤ人。本書では、ユダヤ人差別の歴史的経緯と、著者個人の体験とが語られる。テレジーン・ゲットーでは通常は大人と子どもは別に収容されたのだが、著者は父が第一次大戦での負傷退役軍人ということで家族でまとまって暮らすことができ、解放まで生き延びることができた。とはいえ、ゲットーでの暮らしは酷いものであったには違いないが、家族揃っての帰還後も温かく迎えられ、家業も再興できたこともあってか、比較的明るさのある本になっている。
読了日:01月24日 著者:インゲ アウワーバッハー
マトリョーシカのルーツを探して 「日本起源説」の謎を追うの感想
「マトリョーシカは日本の入れ子細工が起源だった」説を検証した本。検証の方法やわかったことが調査のプロセスに沿って易しい言葉で説明されているので楽しく読み進めた。結論を言えば「まだわからない」ということになるが、それでもここまでにわかったことや周辺情報だけでも充分興味深い。本題とは少しずれるが、日本に赴任していたニコライ大主教の日記に、大津事件のときロシア皇太子が手当てを受けた家をロシア人が買い取ろうと相談を持ちかけたという記録があるとのこと。面白い~。大主教日記、見てみよう!
読了日:01月27日 著者:熊野谷 葉子
マレー鉄道の謎 (講談社文庫)の感想
夫氏が借りてきたのを私も。学生時代の友人が経営するリゾートホテルを訪ねて行った主人公らが連続殺人に出くわす話。密室トリックはちょっと無理があると思うし、名探偵役の大学助教授のキャラクターもいかにも過ぎて、そんなに良いとは思わないけど、作家と同名の登場人物の存在が嘘っぽさを和らげていて、コミカルさを出していて楽しく読める。この同名キャラの心の声が他の登場人物から発せられる偏見なんかを中和していることで、この作家の小説は読んでいてモヤモヤしないんだなと今作で確認した。
読了日:01月30日 著者:有栖川 有栖
読書メーター
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書評「テレジンの小さな芸術家たち」@関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊
http://chekosan.exblog.jp/33635451/
2024-01-13T15:54:00+09:00
2024-01-13T15:54:16+09:00
2024-01-13T15:54:16+09:00
chekosan
書いたもの
チェコのテレジン収容所で生み出された子どもたちによる作品を日本に紹介した本をセットで取り上げました。
野村 路子 『フリードル先生とテレジンの子どもたち ナチスの収容所にのこされた4000枚の絵』
林幸子『改訂新装版 テレジンの子どもたちから ナチスに隠れて出された雑誌『VEDEM』より』
親と引き離され、すし詰めの部屋での共同生活、まったく足りない食事や衣服、きつい労働を強いられるなかでも、子どもたちは豊かな芸術性を発揮しました。そうした創作活動を導き、支えた大人たちの存在も併せて紹介しています。
昨夏、訪れたテレジンの様子をまとめたブログへのリンクも貼っています。
全文はこちらからどうぞ!
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ゲットーにされた街 テレジーンを訪ねる ~チェコ旅行2023夏(15)
http://chekosan.exblog.jp/33626375/
2024-01-08T14:15:00+09:00
2024-01-08T14:16:03+09:00
2024-01-07T23:52:20+09:00
chekosan
負の遺産/記憶と継承
要塞として建設された街テレジーンは、プラハから60キロほどのところにある小さな街です。
ドイツがチェコを占領していた時期、テレジーンの東側の小要塞と呼ばれる区域は、前者を拘留するための刑務所として、兵舎の並ぶ西側の大要塞は、まるごとユダヤ人を収容するゲットーとして使われました。
小要塞から見学したのですが、予想よりも見るところがたくさんあって、丸々2時間経過。すでに夕方の5時になっていました。
大要塞の方にもたくさんのミュージアムがあるので、急いで移動、特に重要と思われるところに行きました。
まずは、ゲットー博物館へ。
ここは、ゲットー時代、13-15歳の男の子たちの住まいにされていました。数少ない生存者の方たちが、1970年代に博物館をつくろうと働きかけましたが、共産党政権は、ここを北ボヘミア地方の警察博物館にしていたそうです。(林幸子編著『改訂新装版 テレジンの子どもたちから ナチスに隠れて出された雑誌『VEDEM』より』新評論 2021年 → 後日、関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊で紹介します)
民主化後、もと被収容者の人たちが組織をつくり、ゲットー博物館の設立の準備をしました。民主化2年足らずで、1991年10月17日、開館しました。のちに別の建物にも拡大しています。(後で登場します)
ここには、ゲットーの子どもたちが作っていた雑誌(Vedem)や絵画、人形などが展示されています。
この建物に収容されていた男の子たちが発行していた雑誌「Vedem」
子どもたちが残した絵
子どもたちが残した絵(を写したもの)は、作家の野村路子さんらが日本に紹介し、30年に渡り、各地で展示されています。テレビ番組にもなっています。私も、授業でよく紹介してきました。(野村さんの著作も、後日、関西ウーマンの書評で紹介します)
犠牲になった人々の名前や生年月日
階段の踊り場にも子どもたちの絵
収容所や監獄を何か所も訪ねていますが、多くの場所で、収容されていた人たちが、なんとか手に入るもので工夫して、いろいろなものを作り出しています。
食べるものにも事欠く毎日、心身を傷つけられる辛い日々でも/だからこそ、人は心を慰めるものや、この辛い日々を記録するすべを生み出そうとするものなのだなと毎回、感心し、心打たれます。
この非常によく出来ているお人形たちは、ここに収容されていた、Erna Bonnova さんが作られたものですが、当時に制作したものなのか、ちょっとわかりませんでした。彼女が作ったお人形は、ほかにも展示されています。いずれもとてもよく出来ています。
このお人形は別の人が作ったもの。L318号館の子どもが、お世話をしてくれていたチューターのために作ったもののようです。
ほかにもたくさん興味深い「作品」たちがありましたが、次の建物に移りましょう。
なんとかあと一軒、入れないかと行ってみました。
「マグデブルク兵舎」の博物館へ
閉館15分前というのに、快くOKしていただけました! ありがたや~~~
でも、館の人が一緒に後ろからついてきて、私たちが見終わったら鍵を閉めていくという慌ただしさ(笑)
いや、入らせてもらえただけで御の字です。
こちらは、当時の生活の様子を再現しているのが特徴です。
ただ、生還者の方によれば、ここまで物は持てなかったとも。
ほとんど駆け回るように見ていくと、私たち親子の共同研究(?)の対象ともいえる、音楽家たちのコーナーがありました!!
ヴィクトル・ウルマンのコーナー
テレジーンでの音楽活動に関する本
親子で注目している作曲家、パヴェル・ハースのコーナーもありました!
テレジーンは、ナチが、ユダヤ人に与えた新しい街だという触れ込みで、宣伝映像なども撮っています。撮影のときだけ、国際赤十字などの視察のときだけ、街をきれいにして、健康そうな人々だけを身ぎれいにさせて、元気そうに幸せそうに映した映像です。
そのなかで、きちんとした服装をした人たちがホールに集って、オーケストラの演奏を聴いているシーンがあります。そのときに演奏されているのが、パヴェル・ハースがテレジーンで作った、A Study For Strings という曲です。
その事実を私たち親子は、ラトヴィアのホロコースト博物館で流れていた記録映像で知ったのだったか? 曲は後で知ったのだったか?
とにかく、この曲の不穏さと、複雑なつくり、ハースが辿った運命(演奏会のあとアウシュヴィッツに移送されて、すぐに亡くなる…)が重なって、ものすごく衝撃を受けました。
ハースについては、あまり情報が得られないので、ちゃんとコーナーがあって感激しました😢
でも、このときも、もうバタバタしていたので、とりあえず撮れるだけ撮っただけになったので、また絶対、再訪したいと思っています。
テレジーンには、チェコ中から、ユダヤ系の文化人らが集められていたので、制約の多いなかでも、文化的な活動が行われていました。これは、演劇の舞台装置の再現だったかと思います。
テレジーン大要塞側には、まだまだ見るところがありましたが、時間切れ。近くのリトムニェジツェという街にも強制収容所があったので、今度はそちらも併せて見たいです。
三浦先生ご夫妻とテレジーンのなかのベトナム料理店でお食事。おいしかった!
テレジーンの街 左の建物がベトナム料理店
プラハまで送っていただき、充実の一日を終えました。車中では、ご夫妻といろいろお話できました。その時間もとても楽しかったです。
テレジーンで購入した案内書
6日目につづく。
チェコ旅行2023夏シリーズはこちらからまとめて見ていただけます。
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ゲシュタポの刑務所跡 テレジーン小要塞を訪ねる ~チェコ旅行2023夏(14)
http://chekosan.exblog.jp/33624943/
2024-01-07T16:16:00+09:00
2024-01-08T09:24:45+09:00
2024-01-06T23:28:00+09:00
chekosan
負の遺産/記憶と継承
ナチによって消し去られたリディツェ村をひととおり回ったあと、ナチが街ごと強制収容所にしたテレジーンへと向かいました。今回の旅のメインイベントの一つです。
リディツェ村のことも、テレジーンのことも、だいぶ前に知って、本を読んだり、授業で話したりはしていましたが、負の遺産とか虐殺の現場を訪ねる旅をし始めたのは数年前。チェコのそうした場所には、ほとんど行けていませんでした。
今回こそは行くぞと固く心に決めていましたが、車を出していただいたおかげで、この2か所を一気に回ることができました。連れて行ってくださった三浦一郎先生ご夫妻に深く感謝します。
テレジーンは多くの人が訪れる場所になっているようで、広い駐車場には、こんな風にお店もズラリと並んでいました。ちょっと驚き。
駐車場から「小要塞」には歩いてすぐです。小要塞は、その名の通り、もともとはハプスブルク帝国時代、マリア・テレジアの名を冠した要塞として造られ、牢獄として利用されてきました。あのサラエボ事件の犯人も投獄されています。
1939年にチェコを占領したナチ・ドイツは、ここを政治犯や抵抗運動活動家などの監獄として使いました。大戦中に小要塞に入れられたのは3万2千人、多くはチェコ人でしたが、ソ連やポーランド、ドイツ人なども連れてこられたそうです。病気や虐待、処刑などで2600人が死亡しています。
小要塞の入口に至る前庭には、1945年9月に国民墓地がつくられ、この監獄や、隣接のユダヤ人ゲットー、近くのリトムニェジツェ強制収容所で亡くなった1万人の犠牲者の遺体が安置されました。
国民墓地
要塞ということがよくわかる外観
テレジーンに入口には、日本語のリーフレットもあります。A4両面の一枚ものですが、これが大変役立ちました。テレジーン小要塞は、丸まんま保存されていて、見学できる場所がたいへん多いのです。順路や場所の説明があるとなしではずいぶん違います。(多少、訳や印刷のズレはありますが)見学の際には、わずかな額なので、ぜひ入手されるといいと思います。
アウシュヴィッツにも掲げられている、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」の標語看板は、テレジーンにもありました(下の写真)。字体も同じですね。B の上部が下部よりも、やや大きいパターンです。なるほど、アーチ形に合わせると、こういう字体になるのかなと変に納得しました。
小要塞では、大量に写真を撮ったのですが、すべての場所の写真を載せることはできませんので、雰囲気をよく伝えられるものに絞って載せておきます。
この9番の場所は、ソ連の人や、抵抗運動家、反ユダヤ人令違反者などが収容されていたそうです(リーフレットより)。
大部屋はどこもこういう感じ
このあたりは独房が並んでいる
テレジーンでとらえられていた著名な人々に関する展示もありました。
戦後、共産党政権によって処刑されてしまう、女性政治家、ミラダ・ホラーコヴァーも、一時期、ここに収容されていました。
ミラダ・ホラーコヴァーが収容されていたことを示すプレート
地下通路は結構な長さがあったように感じました
こちらは、防火用水池としてつくられたものですが、看守らの家族がプールとして使っていたそうです…!
看守のためにつくられた映画館だった建物では、テレジーンに関する記録映画が上映されています。
以上は、小要塞のごくごく一部です。小要塞は、一通り回るだけでも2時間はかかります。展示のすべての説明を読んでいると、もっとかかると思います。ていねいに見て回るには、かなり余裕をみておく方がよいです。
入口付近にはお店があって、書籍や飲み物などが売っています。あまり時間が残っていなかったので、ささっと一冊だけ買いましたが、もっと買い込めば良かったかな。
この時点で、すでに5時。ゲットーとして使われていた大要塞の方へ移りました。
つづく。
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