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by chekosan
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特殊講義「「負の遺産」と政治」、産業遺産と震災の記憶について考えて初年度を終了☆

2020年度秋学期に新しく開講した特殊講義「負の遺産」と政治@同志社大学、終了しました。

はじめから最終回まで、みっちり濃く熱く、でも和やかに、報告、発表、議論が続いた授業でした。

1年生から卒業を控えた上回生まで、学部学科もバラバラで、そのことも良い学習効果を生んだように思います。

というか、春学期は全面オンラインだったので、1年生のみなさんは、初めて大学の教室に集ったというのに、そのハンデをまったく感じさせないリラックスぶり、活躍ぶりで、半年の「飢餓状態」が、人と対話することへの渇望を高めてくれたのか!?と思ったりもしました。


はじめは、論文集『ミュージアムと負の記憶』を一章ずつ丁寧に読んでいき、そのあと、高瀬毅『ナガサキ 消えたもう一つの原爆ドーム』を2週で読んで、1月はオリジナル発表でした(一部は記事化、文末にリンクあり)。

最終回の報告は、産業遺産についてと、震災遺構・記憶の継承について。

大学に機材を借りて、録画をしてみました。


特殊講義「「負の遺産」と政治」、産業遺産と震災の記憶について考えて初年度を終了☆_b0066960_12043899.png


生の声では入りにくいかもということで、お1人目はマイクを使ってくれました。

しかし、マイクの音量を大きくすると、換気のためにドアや窓を開けているので、周りに迷惑になります。控えめにするとマイクの効果はあまりありません。窓からの雨音や、紙をめくる音などの方が拾われてしまいます。

結果、出席していた人は思い出せるけど、欠席した人が声を聞きとるのは結構難しいかも…という感じになりました。

広~い教室で、教員のみがマイクを使って話す形の講義の方がキレイに録音できるかもしれません。ゼミ形式では難しいかなあ。


授業そのものは、最終回もばっちりでした。よく準備された発表2件、しっかり聞いたうえでの発言、最後まで充実した時間になりました。

オリジナル発表になってからは、1回の授業でお2人に発表していただいたので、一人につき、発表と討論合わせて40分くらいしか時間を割けません。

せっかく、みんなしっかり用意してきてくれているので、もうちょっと話したいなあとも思いました。

が、それくらいの方がダレないで良いのかも…という気もするので、思案のしどころです。


この科目の目的からして、「負の遺産」を実際に見る、現場に行ってみる、というのはなんとか取り入れたいと思っていました。

いち選択科目ですし、コロナによる行動制限が求められるなかなので、あくまで任意、成績には関係なしとして、他の授業にも差しさわりのない日や時間帯で、2度の「遠足」(フィールドワーク)も実施できました。しかも、どちらも、入場無料、参加無料!(笑)

みんな、移動の際も、見学時も、マナーを守って、楽しく元気に「遠足」を成功させてくれました。

みんなで行くと、気づいたこと、考えたことを共有できて、一人で行くよりも発見が多いです。行けなかった人もいるので、2回とも、事後に授業内で、見学の報告をしてもらいました。

なんの補助もなくても、成績とか評価とかに反映されなくても、自分が見たい行きたい学びたいと思うから行く、という人たちと活動できて、本当に充実した初年度となりました。「遠足」はぜひ今後も続けようと話しています。^^


最終回の予習として私が読んでおいた本の記録も載せておきます(雑いです)。

木村至聖『産業遺産の記憶と表象 「軍艦島」をめぐるポリティクス』(京都大学学術出版会 2014年)
今度授業で発表してくれる本なので私も予習。サブタイトルにある軍艦島については、最後の1/3くらい…。そこまでは、産業遺産とは、文化遺産とは、廃墟が注目されるようになった歴史的な経緯、日本の炭鉱史、イギリスやドイツの炭鉱跡の遺産化の事例や日本全国の炭鉱関連のミュージアムの紹介などが述べられ、さらに記憶論の先行研究の再検討が挟まって、ようやく軍艦島の事例研究に至る。軍艦島のパートは現地視察や聞き取りなどが盛り込まれ、オリジナリティと「生(なま)」感がある。

黒沢 永紀, オープロジェクト『軍艦島入門』(実業之日本社 2013年)
石炭の種類の解説から、石炭産業の起こり、端島(軍艦島)の開発の歴史、一番栄えていたころの生活の様子、現在の様子と観光クルーズの紹介など。地図と写真がたっぷりでわかりやすい。ちょっとした岩礁だったのが、当時最先端の人工都市になって、一夜にして(正確には閉山後3カ月で)無人島になって、廃墟となって放置されたのち、再び脚光を浴びた経緯がよくわかる。なお、負の側面はさらっとだけで、「そこには生き生きとした暮らしがあった」ということを強く印象づけるものになっている。


特殊講義「「負の遺産」と政治」、産業遺産と震災の記憶について考えて初年度を終了☆_b0066960_12492653.jpg
















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by chekosan | 2021-01-23 12:58 | 負の遺産/記憶と継承 | Trackback | Comments(0)