いやいや、イヤ~な映画です。(^-^;
昨年、「ロシア・東欧地域研究」で、受講生が作品紹介してくれたルーマニアの映画。チャウシェスク時代のルーマニアの様子がよくわかるというので、気になっていました。
今年も、チャウシェスク時代の人口増加政策でうまれた孤児たちの問題を取り上げてくれる受講生が出てきたので、レンタル屋さんに探しに行って鑑賞。
夜に観たのはまちがい。寝つきが悪~くなってしまいました。(-_-;)
タイトルでだいたい予想はつきますが、望まない妊娠をした寮のルームメイトの女子学生(右)の極秘の中絶の手助けをするために奔走する主人公の一日です。
闇の中絶医との交渉、大学の寮での西側の物品売買、お店の前の長蛇の列、ボロボロの建物、電気がチカチカ切れるホテル、野犬がうろうろする街角などが、生々しいですが説明なくさらっと出てきて、読み取り能力が求められる作品です。
なんでこの主人公、こんなに苦労して、こんなテキトーな子を助けてあげるんだろ、と思うんですが、抑圧される女性同士のちょっと歪んだ連帯、抵抗の形だったりするのかな…
わかりやすくはなく、勧善懲悪でもなく、ヒーローもヒロインもいない、モヤモヤすること請け合いの映画ですが、カンヌ映画祭でパルムドール賞を取ったというのは納得です。
以下、授業での補足説明から抜粋。
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ルーマニアでは、1965年に政権に着いたチャウシェスクが、人工妊娠中絶や避妊が厳しく禁じました(1966-1989)。避妊薬や避妊具の販売も禁じられていたため、こっそり持ち込まれた外国のものが闇で売買されたり、見つかれば禁固5-10年にもなる不法な中絶処置が闇で行われたりしていました。
そのために、健康を害したり命を落としたりする女性もたくさんいました。正確な数は判明していませんが、ざっと1万人はいたと言われています。2万人という説もあります。ルーマニアの妊産婦死亡率は、突出して高いものでした。
乳幼児死亡率も高く、障碍をもって生まれてくる赤ちゃんの率も異常に高いものでした。
チャウシェスクがトップに就く以前のルーマニアは、近代化、都市化、重工業化が進み、伝統的な価値観や農村的な家族形態が廃れていっていました。女性も男性同様に働き、深夜シフトや休日返上でのノルマ達成に追われていました。いきおい一人の女性が生む子どもの数は減少していました。
社会・経済全体の変化が出生率の低下をもたらしていたのですが、チャウシェスク政権は、これを人工妊娠中絶が合法であるからとみなし、全面的に禁止したのです。(母体や胎児に生命の危険がある場合は可能)
その結果、1967-68年には、ベビーブームが到来します。中絶禁止が開始してからの数年間に生まれた子どもたちは「チャウシェスクの子どもたち」と呼ばれますが、一気に2倍の子どもが生まれたことで、教室や教師の数が足りなくなったり、入試における競争が激化したりしました。
そして、ちょうど成人したころ、チャウシェスクが政権を放棄して処刑され(1989年)、経済や社会が大混乱に陥り、仕事にあぶれてしまうという事態に放り込まれてしまうのです。
彼らが年金受給年齢を迎えたとき、果たしてきちんと生活が保障されるのか…
望まない妊娠で生まれた子どもたちのなかには、親が育てられずに国の施設に預けられた子もたくさんいました。チャウシェスク政権が崩壊した直後、そうした施設で「発見」された子どもは、10万人いたともいわれます(もっと多いという説も)。
多くは劣悪な環境で、ほぼ放置されたような状態にあり、なかにはベッドにくくりつけられていた子どももいました。
施設を抜け出して、文字通りの地下生活をしている人も少なくありませんでした。彼らは「マンホール・チルドレン」と呼ばれ、その第2世代がいまも地下で暮らしているといいます。その多くは薬物やアルコールに依存し、HIV感染者も多いという報道もあります。
働き手を増やすため、税収を得るため、あるいは逆に社会保障費を抑制するためといった理由で、人工的に人口を増加させたり抑制したりする政策は、その世代だけではなく、何代にもわたって重い影響を及ぼすのです。
ルーマニアでは、1990年以降、人工妊娠中絶が再び合法になりました。そうすると一気に中絶率が高まりました。そして妊産婦死亡率も50%減少しました。
カトリックの影響が強く、保守的な層も多いこともあって、2012年に一度、厳しい制約を課す法案が審議されます。この法案は結局、採択はされなかったので、現在もルーマニアでは医師による人工妊娠中絶は合法ですが、医師には個人の信条に基づいて処置を拒否する権利があり、少なくない医療機関で処置を受けられないという状況があるそうです。
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主な参考文献(インターネットで読めます)