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by chekosan
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ビロード革命記念日前日のプラハ ナーロドニー通りと抗議集会帰りの人びと ビロード革命30周年記念旅行(16)

さて、4日目(11月16日)は、朝から地下核シェルターキュビズム建築聖アン教会(Prague Crossroads)の展示ハイドリヒ暗殺の英雄記念碑(聖キリルとメトディウス教会)と盛りだくさんの見学で、足腰も頭もへとへとになっていたのですが、17日にはきっとすごい人出になるだろうと予想して、せっかくなので、ビロード革命の「聖地」のようなところに行っておきました。

市内中心部の国民通り( Narodni trida )です。ここで、1989年11月17日、学生デモ隊と警察が衝突しました。

前日ですが、すでにたくさんの花やろうそくが供えられていました。


ビロード革命記念日前日のプラハ ナーロドニー通りと抗議集会帰りの人びと ビロード革命30周年記念旅行(16)_b0066960_20274823.jpg


ちなみに、チェコスロヴァキアの体制転換では、死亡者は出ていません。犠牲者を出さずに、平和的に一党独裁体制と決別したゆえに、「ビロード」という言葉が冠されているのです。(⌒∇⌒)


ところで、この手のモニュメントですが、以前はもっと凹んだ位置にありました。この建物はアーケードのようになっていて、その内部の壁にあったのです。

ところが、アーケードだった部分が張り出すように増築されて、モニュメントも道路脇にまで前に出てきました。ちょっと違和感ありです…


ビロード革命記念日前日のプラハ ナーロドニー通りと抗議集会帰りの人びと ビロード革命30周年記念旅行(16)_b0066960_20312029.jpg


張り出した増築部分で「全体主義に抵抗した法律家たち」展をしていたので、入ってみました。(写真は翌日に撮ったもの)

白くて洗練された空間になっています。入場は無料でした。


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昔に書いた論文にも登場した、Otakar Motejl 氏や、

ビロード革命記念日前日のプラハ ナーロドニー通りと抗議集会帰りの人びと ビロード革命30周年記念旅行(16)_b0066960_20420299.jpg

Jan Carnogursky 氏といった人たちの資料が展示してありました。


ビロード革命記念日前日のプラハ ナーロドニー通りと抗議集会帰りの人びと ビロード革命30周年記念旅行(16)_b0066960_20424673.jpg


そうした展示の場が増えたのは良いと思うのですが、なぜに記念の場所をそのまま残さなかったのか、なぜ増築して跡形をなくしまったのかとも思います。このあたり、また調べてみたいと思います。


長く、充実した一日でした。

実はこの日、レトナー公園では、大規模な反政府抗議集会が開かれていました。警察発表で20万人、主催者発表では30万人とのこと。

そちらも気になっていたのですが、動きが取れなくなると困るので、現地に行くことはやめておきました。が、移動中、プラカードを持った人や、現首相にNOを表明するバッヂをつけた人を何人も見ました。まさに老いも若きもでした。

最後に宿に帰るときには、集会を終えて帰宅する人たちを見かけました。



ビロード革命記念日前日のプラハ ナーロドニー通りと抗議集会帰りの人びと ビロード革命30周年記念旅行(16)_b0066960_20563511.jpg


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by chekosan | 2019-12-02 21:02 | チェコ | Trackback | Comments(0)