映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」を観ました。よかったです。
1956年の「ハンガリー動乱」で亡くなった若者への哀悼と連帯を示した東ドイツの高校生たちと家族をめぐる話です。
ベルリンの壁がまだ建設されていない頃の話です。ベルリンのアメリカ占領地区とソ連占領地区は、検問はあるものの、行き来はできていました。
市議会議長の息子は祖父の墓参りを口実に、親友と西ベルリンに行って映画を観ます。そこでハンガリーの若者たちが、ソ連支配に抗議するデモをし始めたことを知ります。
デモがどうなるのか気になる主人公たちは、クラスメイトの伯父さんの家に行って、禁止されているアメリカ占領軍のラジオ放送を聴き、デモへの弾圧で犠牲者が出たことを知ります。
翌日、主人公の提案にクラスメイトの多数が賛同し、授業開始時に2分間の黙とうをします。授業が始まっているのに声を発しようとしない生徒たちに、教師は激怒します。
校長は、自分たちの指導力不足と査定されるかもしれないからと説いて、内々で済ませようとしたのですが、教師はすでに別の教員(職員?)に話してしまっていました。そこから当局に「事件」が伝わります。
教育担当部局の職員によって、刑事犯を追い詰めるような調査が始まります。
生徒たちも家族も動揺し、仲たがいも起こります。
ほんの2分ほどの行動によって、「国家の敵」として追求を受け、高校卒業資格を取り消され、大学進学が絶望的になるかもしれないという状況に追い込まれ、首謀者ひとりに罪を着せるのか、連帯責任を貫くのか、生徒たちは決断を迫られます。
映画の主人公がのちに書いた本『沈黙の教室』を原作としています。つまり、実話をもとにしています。
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ある程度、時代背景を知らないと、生徒たちの行動や迷い、親たちの態度や、関係者の対応にピンとこないかもしれません。
私も、へえ~!?という場面がいくつもありました。
例えば、男子だけですが、射撃の授業があるのです。それも実弾を使って。
あるいは、労働者だった自分が校長に抜擢されるようなチャンスをくれる体制は素晴らしいと、校長が保護者に話すシーンがあります。この校長は、教育畑の人ではなかったのです。
パンフレットの解説によれば、戦後の非ナチ化によって、多くの教員が教職から追放されたため、1949年の東独では、およそ7割の教員が新任だったそうで、労働者が教員になるということもあったとのこと。
また、生徒たちが間近に控えていた卒業試験(大学入学資格となる)は、試験を受けることで与えられるもので、逆にいえば、在籍している高校を出なくても試験に受かれば取れることとか。大検みたいな感じなんですね。
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生徒たち自身の煩悶、葛藤だけでなく、親世代の背負う過去がからんでくるのが話に重みと深みを増しています。
信仰、宗旨、性的指向、政治的信条、戦争とのかかわりなどの問題も、うまく登場人物に割り振ってあります。
友情や恋愛も主題のひとつですが、しつこくなくて程よかったと思います。
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なお、上記のパンフレットの解説は、柳原伸洋氏によるもので、東ドイツの歴史をもっと知るための参考文献が3冊挙がっていました。
こちらの3冊です↓
左の『教養のドイツ現代史』はたくさんのドイツの専門家によって編まれています。ドイツの現代史を知るのによい映画や小説、漫画などがたくさん紹介されています。ドイツは研究者の層が厚いなあとつくづく思います。
帯を取るとこんな装丁です。
右下のホーネッカーとブレジネフの壁画は、ベルリンに行ったときに見たいなあと思いつつ、見逃しました。
こんな映画を観たら、またベルリンにも行きたくなりました。特に、東ベルリンだったところをもっと見て回りたいです。