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by chekosan

映画「SHOAH(ショアー)」(ランズマン監督 1985)

超・長編映画「SHOAH」を観ました。

第二次大戦中に、ドイツやナチスの占領下で実行されたユダヤ人の強制収容、大量虐殺の実態を、被収容者、元ナチス親衛隊員、収容所近辺のポーランド人たちの証言のみで描き出す、4部からなるドキュメンタリー映画です。

私がこの作品を知ったのは、一体、いつのことだったのか。

おそらく大学院生の頃だったと思いますが、とにかく長くて重い映画らしいということだけを、どこからか聞いて知っていました。

その後、NHKでテレビ放送されたときにビデオに録画していたのを、先日ようやく観ました。ランズマン監督は11年かけて制作したそうですが、それに匹敵するくらいかけての(?)視聴です。

ビデオです、ビデオ。VHSテープです。
何しろ9時間半あるので、3倍速でも2本に渡ります。


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全編を視聴して…

初めの方は、通訳を介してのインタビューをそのまま使っていることに、少々、冗長さを感じました。ただ、そのもどかしさも、生の証言を残すという意図の表れということは理解できるので、早送りなどせず観ていきました。

たとえば、監督が通訳に、端折らずに訳してくれと言ったり、あなたの解釈ではなく証言者の言葉をそのまま訳してくれと言ったりする場面が何度かあります。たしかに、あれだけしゃべっていて、訳はこれだけ?と思うときがけっこうあるのです。

あるいは、収容所の近隣の人たちに話を聞く場面では、人々が口々に話し出して、声が重なるときがあります。

逆に、証言者が感極まって、しばらく話せなくなるときもあります。

そのような成り行きや反応も証言の一部を成しているのです。



証言内容で衝撃的だったのは、生存者よりも、収容所周辺の人々の話です。ナチスは、収容者を大量殺戮していたことを察知されないよう秘密裏にことを進め、収容所を閉鎖するときには証拠隠滅をはかったのですが、周辺のポーランド人たちは皆、そこで何が行われているか知っていたのです。そして、知っていたことをちっとも隠そうとしないのです。

ポーランド人もドイツに支配されており、ユダヤ人を助ければ家族もろとも処刑される状況だったので、救出するわけにいかなかったという事実はあるとしても、それにしてもあまりに淀みなく、躊躇なく、強制移送や処刑の事実を見ていたという証言が飛び出すのです。

そして、元SS隊員の証言も非常に生々しく酷いものでした。なのに、平然と語るのです。隠し撮りとはいえ。そのような場面に立ち会っていて、なぜその人は「業務」をこなせていたのか。なぜ戦後、罰せられることもなく、健やかに穏やかな日常を送れているのかと思わせられます。



ところで、ランズマン監督は、スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」を批判しています。シンドラーという一ドイツ人を英雄視し、彼によるユダヤ人の救出劇をクローズアップして「キッチュなメロドラマ」にしてしまったというのです。

写真の本『『ショアー』の衝撃』(鵜飼哲、高橋哲哉編、未来社、1995年)もそうです。まるで、「SHOAH」を評価するなら「シンドラーのリスト」は叩かなければいけないかのようです。

「シンドラーのリスト」のなかに、アウシュヴィッツに連れて行かれた女性たちがシャワー室に入れられ、パニックが起こるシーンがあります。このシーンを取り上げて、スピルバーグのそれまでのアドベンチャーもののハラハラドキドキと変わらないという批判をしている論が上記の本に掲載されていました。

しかし、その場にいたユダヤ人の女性は自身の回想録のなかで、もっとリアルにそのときの体験を書いています。映画以上にパニックが起こり、そして本当のシャワーであったことに安堵したといいます。

一方、「SHOAH」のなかにも、一種のつくられたドラマや演出はあります。

映画の冒頭に登場する絶滅収容所の数少ない生存者である男性を、ランズマン監督は現場に連れて行って、当時やっていたように船に乗せて歌を歌わせます。さらには、彼が働かされていたのを見ていた土地のポーランド人たちに、カトリック教会の前で対面させます。

土地の人々は彼を囲んで、よくぞ生きていた、私は彼を解放してやれとドイツ人に言ったのだ、などと口々に言って、再会を喜びます。

そのうえで、ランズマン監督は、住民たちに挑発的な質問をして、反ユダヤ的な発言を引き出します。常に穏やかな表情をたたえた証言者は、歓迎ムードから一転、険悪な雰囲気になった集まりの中心に立たされたままです。

証言者を見つけ出し、カメラを回し、問い詰めるという行為もまた一つの創作であり、切り取りでしょう。「SHOAH」に残された証言が第一級の史料であることには異論はありませんが、「SHOAH」の手法が唯一絶対で最善の表現方法であるということは言えないと思います。


ホロコースト(ショアー)や負の歴史をどう伝えていくかということについては、引き続き勉強し、考えていきたいと思います。


※「シンドラーのリスト」関連記事
映画「シンドラーのリスト」(スピルバーグ監督 1993年)を観ました
トマス・キニーリー『シンドラーのリスト(シンドラーズ・リスト)』(新潮社 1989)
田村和子『生きのびる クラクフとユダヤ人』『ワルシャワの日本人形 戦争を記憶し、伝える』
ステラ・ミュラー=マディ『シンドラーに救われた少女 鳥のいない空』(幻戯書房 2009)


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by chekosan | 2018-06-24 00:21 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)