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by chekosan

ステラ・ミュラー=マディ『シンドラーに救われた少女 鳥のいない空』(幻戯書房 2009)

「シンドラーのリスト」によって救われた女性の回想記です。夜を徹して読みふけってしまいました。

著者のステラさんは、クラクフの豊かな家庭に生まれますが、ゲットーに移らされ、さらにはプワシュフ強制収容所に入れられます。母の強い意志で、子どもを預ける施設には入らず、年齢を偽って工場で労働に従事します。

子どもの施設に入っていれば、毎日の何時間にもおよぶ点呼や労働は免れ、読み書きも習えたかもしれないのですが、母のこの判断は正しいことが判明します。子どもたちは施設からまとめて連れ出され、絶滅収容所に送られて殺されたのです。

ステラさんも怪我や病気、飢えに苦しみますが、母や周囲の大人に支えられ、なんとか生きのびます。

伯父の計らいで、ステラさん一家は、オスカー・シンドラーがチェコに開く労働収容所に移る一団に配属されます。シンドラーの工場では、暴力や殺人がなく、食事も良好だったので、これで助かると思われました。

ところが、手違いなのか、女性たちを載せた貨車はチェコではなくアウシュヴィッツに着きました。そこでステラさんは傷が化膿して、健康状態をひどく悪化させます。

死ぬのを待つだけの伝染病棟で、女医の手厚い世話を受け、少し回復したステラさんは、シンドラーの収容所に移送される寸前に合流することができました。

チェコの収容所では、シンドラー夫妻の統制のもと、虐待や殺人は控えられていました。それでもどんどん食糧難が深刻になりますが、ほとんどの人たちが、ソ連軍による解放まで生きのびることができました。

ステラさんは10代前半だったため、恐怖や不安で震えやしゃっくりがとまらなくなったり、アウシュヴィッツ入所のときに剃られた毛がなかなか生えてこなかったりと、心身に強い痛手を負います。

両親と兄と揃って終戦を迎え、母方の祖母が存命だったので、クラクフに戻って住むところも確保できましたが、自分たち一家をリストに載せてくれた伯父夫婦は解放直前に亡くなってしまいました。

本書は収容所から帰還したステラさん一家が祖母の家にたどりついたところで終わっていますが、あまりハッピーエンドという雰囲気ではありません。ステラさんは、その後も「なぜ生き残れたのか」と冷たい目で見られ、健康状態もすぐれず、苦しみは長く続いたそうです。戦後編も出版されているので、翻訳を期待したいです。

ステラさんのその後については、田村和子『生きのびる クラクフとユダヤ人』『ワルシャワの春 わたしが出会ったポーランドの女たち』で少し紹介されています。

トマス・キニーリー『シンドラーのリスト(シンドラーズ・リスト)』や映画「シンドラーのリスト」と併せて読むと、この時期のクラクフのホロコーストの状況やシンドラーの活躍がよくわかります。





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by chekosan | 2018-03-28 14:06 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)