斎藤環『ヤンキー化する日本』(角川oneテーマ21 2014)
2017年 02月 21日
斎藤環氏は精神病理学者。サブカルチャー批評などでも活躍している。
本書は、斎藤氏と6人のゲストとの対談を収めている。
一つのテーマをめぐって、さまざまなジャンルの専門家と語るというスタイルは面白い。
よそ様でもそういう本の書評を書かせていただいたが、思いがけない知識や視点を得られ、お得である。
→関西ウーマン 信子先生のおすすめの一冊 『人はなぜ不倫をするのか』(亀山早苗)
https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201061
本書のテーマは、日本の9割を占めるヤンキー的なるものについて。
村上隆氏(現代アーティスト)とはアートについて、
溝口敦氏(作家、ジャーナリスト)とはヤクザや暴力団とヤンキーとの関係、
デーブ・スペクター氏(プロデューサー、タレント)とは芸能界におけるヤンキー性について、
與那覇潤氏(学者、日本近現代史)とは政治、国家について、
海猫沢めろん氏(文筆家)とは若者から見たヤンキー分析、
隈研吾氏(建築家)とは建築について、それぞれ語っている。
斎藤氏がヤンキー文化の特徴として挙げるのは次のようなことである。
バッドセンスな装いや美学、「気合い」がすべて、頭や言葉を使わない行動主義、
家族や地元といった中間団体に偏った愛=「絆」、個人主義の欠如、
基本的にはコミュニケーションが得意だが中身はない、
「夢」や「ポエム」を熱く語るが、その「夢」は実現可能な範囲にとどめておくリアリスト。
本文中には、そうしたものを象徴するキャラクターや作品、人物も出てくる。
あまりに遠慮なく、それらについて面白おかしく述べられているので、
ー いや真面目に語っているのかもしれないが、
ヤンキー的表現(例えば「○○上等!」とか)はそれ自体が可笑しさを含んでいるのでー
しばらくは笑い飛ばしながら、うんうんあるある、と読んでいた。
なのだが、本書で例示されている具体的作品名やキャラクターや人物を列挙することには躊躇する。
なぜなら、それらを好む人、支持する人が固有名詞で何人も思い浮かぶからである。
斎藤氏が、日本の「9割」がヤンキー文化を受け入れているという主旨のことを書いているとおり、
ここで挙げられているようなヤンキー文化を無批判に好きな人はいっぱいいて、
そうした人の多くは、自分(たち)をヤンキーだとは思っていないだろうと思う。
それどころか、そんなことを考えたこともないだろう。
そんな風に考えたことがないということ自体が問題を孕んでいて、
危険性をも孕んでいると斎藤氏は論じていくのだが、
しかし、かといって、その人たちが頭が悪いとか、頭を使っていないとか、
言葉を尽くそうとしないとか、反知性主義かというと、
具体的な顔が浮かぶ私には一概にそうは言えない。そこがまた難しい。
◇◇◇
などと考えながら読み進めていくと、そのうちあらゆる現象が「ヤンキー」文化としてくくられ、
この論でいくと、私も立派にヤンキー精神を備えているという結論に至ってしまった。
なるほど、あれもそれもヤンキー精神に含めるなら、9割の人は該当するわ… (^^;
斎藤氏自身も、ヤンキー的なるものを内在していることを自覚しているというし、
ヤンキー精神がよい方向に働く場面も多々あると言っている。
すべてを否定的に断罪しているわけではない。
なのだが、もう一歩二歩踏み込んで、ではどうする?という指針を打ち出してほしい気がする。
それは精神病理学者の役割ではないのかもしれないが。
昨日読み終えた平田オリザ氏の具体的実践からの提言が響いただけに、
はじめ楽しく、あと?? という感じは否めない。
とはいえ、一気に読める面白さがあり、細部でいろいろ参考になる本ではあった。
◇◇◇
平田オリザ氏の本。『下り坂をそろそろと下る』の感想はこちらに。
http://chekosan.exblog.jp/26667213/