エストニアつながりの映画「みかんの丘」「こころに剣士を」観てきました(1)
2017年 02月 02日
今年の映画、5本目「みかんの丘」、6本目「こころに剣士を」を観てきました。
同じ日に同じ映画館で2本連続で観ることができたのですが、
これが偶然、どちらもエストニアがらみの作品でした。
出演者もかぶっています。パンフレットで復習するまで気がつかなかったのですが。(^^;)
どちらの映画も、ロシア語とエストニア語が使われていましたが、
エストニア語の部分は見事に!さっぱり!一語たりとも!わかりませんでした。
エストニアは旧ソ連の構成国でしたが、
ロシア語が属するスラヴ系の言語とはまったく違う、ウラル語系統の言葉なのです。
(ハンガリー語と近いらしいのですが、わたくしハンガリー語はわからなさすぎて音を上げた経験が…)
まったく勉強したことがないフランス語やイタリア語の方がまだ1,2単語くらいは聞き取れるかも、、
というくらい、ロシア語とエストニア語は遠いように思いました。
でも、映画のなかで登場人物たちは、普通に2つの言葉を使い分けています。
旧ソ連や東欧ではロシア語は必修だったので、ある年齢以上の人は母語以外にロシア語も使えるのです。
さて、一本目、「みかんの丘」はジョージア(グルジア)のアブハジアが舞台です。
アブハジアは自然豊かで風光明媚なところなのだそうで、
エストニアからも帝政時代(1880年代)に多くの人が入植して集落を作っていたそうです。
ソ連が崩壊し、グルジアのなかにあったアブハジア自治共和国が独立を宣言して、
グルジアとアブハジアの間で武力衝突が起こります。
そのときにほとんどのエストニア人はエストニアに帰国するのですが、
主人公とその隣人はとどまっています。
彼らは、ほかに誰もいなくなった集落で、みかんを収獲し、みかん箱を作っています。
その彼らの家の前で武力衝突が起こります。
主人公と隣人は、重傷を負った兵士2人を主人公宅に運んで介抱します。
2人の兵士は敵同士、一つ屋根の下で一体どうなるのか、というお話です。
話の設定や予告編を見ただけで、これは面白そうだ見なくては、と思ったとおり、
いえ予想以上にいい映画でした。
映画の大きなテーマは、戦争や内戦の不条理と悲劇、土地への愛着(愛憎)、
人種、民族、宗教をめぐる対立、そのなかでの家族愛、友情がキーワードとなるでしょうか。
話の筋はだいたい予想がつくのですが、ずっと緊迫感を保って見せてくれますし、
お涙頂戴ではないリアルさがあります。ときにはちょっとニヤッとさせてくれます。
派手ではないけど心に残る作品だと思います。
◇◇◇
とりわけ主人公と隣人のコンビがなんともよい組み合わせなのですが、
パンフレットの監督インタビューによれば、ある有名な小説のコンビをイメージしているそうです。
この小説、授業で読んでいたチェコの作家ミラン・クンデラも高く評価していました。
ジョージア(グルジア)でもその小説はよく知られていて、主人公コンビのことは、
「10代に読み、ひとつの典型的な人間像として認識している」そうです。
ヨーロッパの小説や映画は、過去の作品へのオマージュ(敬意、献辞)的な表現が
埋め込まれていることが多いですね。
オマージュと言えば、この作品の監督(ザザ・ウルシャゼ)は同じインタビューで、
「黒澤明監督は子どもの頃からの偉大な存在で、「羅生門」の感動はずっと心に残っています」
と話しています。黒澤監督、欧州の映画人に影響力大ですね。
◇◇◇
細かいところでは、主人公のお家の内部がいいんです。
外観からすると中もさぞ簡素で殺風景なのだろうなと予想させておいて、裏切ってくれます。
家族はいなくなって、いまや主人公の老人一人暮らしなのですが、
かわいい壁紙が張られていて、家具もちゃんと磨かれて、タオルは真っ白で清潔、
花(だったか)の模様のカップにしゅんしゅん沸いたお湯でお茶をいれて、
手作りの具が入ったスープに香草をパラパラ振るシーンなんかもあって、
きちんと生活している感じが出ているのです。
山の中で電気が通っていないので、マッチを擦ってランプに火をともしますし、
水洗もないので、小さなタンクみたいなのから水を落として手や顔を洗っています。
1990年代初頭としては、インフラ的には遅れていると言えば遅れているのですが、
自分たちで作り上げてきた家を大事に維持して暮らしている様子にたまらなく惹かれました。
◇◇◇
ということで、初のジョージア・エストニア共同制作という本作品を観て、
コーカサス地方の歴史や民族の複雑さや、内戦がもたらした悲劇にあらためて思いをはせ、
間を置かずに、今度は第二次世界大戦後のエストニアを舞台にした「こころに剣士を」です。
つづく。