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by chekosan
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2024年の難民映画祭、ぎりぎりですべての映画を鑑賞できました!(;´∀`)

最後の1本は、「ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~」。

映画「ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~」(2023年)@第19回難民映画祭_b0066960_20444636.png

いつものように、ほぼ予習ゼロで見始めたら、なんだかわからない…

ヨーロッパの人なら、このお人形のことを知る機会もあるでしょうから、映画もスッと理解できるのだと思いますが、初めてだと混乱するつくりです。(^_^;)

でもなかなか面白い作品でした。

南アフリカ共和国の人形劇団によって、3.5mもの巨大な操り人形が製作されます。

アマルの胴体には大人が一人入れるようになっていて、頭部を操作できるようにしてあります。胴体は竹のようなものがざっくり組まれているだけで、操り師は外から見えます。

腕は、左右一人ずつ、操る人が付きます。

つまり、少なくとも3人で動かすつくりになっています。

アマルは、シリアからトルコに逃れた10歳の難民の少女という設定で、自分の居場所を求めて、ギリシャ、イタリア、フランス、イギリスとヨーロッパを歩いていきます。

「希望」を意味する名前を持つアマルは、行く先々で土地の人々の歓迎のお祭りが開催されたり、ローマ法王に謁見したり、欧州評議会本部ではパスポートをもらったりします。

でも、いつでも歓迎されるわけではありません。アマルを歓迎するお祭りに対する抗議デモが起こることもありました。

海を渡るときにはゴムボートから必死で水をかき出しながら海を渡る難民に遭遇したり、フランスでは高架下やトンネルのなかで野宿する人たちを見たりもします。

人形のアマルは歓迎されてパスポートさえもらったのに、生身の難民は、明日どうなるかもわからない状況であるという明暗が描かれます。

アマルの旅は2021年に始まり、これまで17ヵ国166か所の町や都市を訪れたそうです。

映画は、このアマルの徒歩旅行の記録と、親を失くしてトルコの施設で暮らすシリア難民の少女アシル、アマルを動かすパレスチナ出身の女性やシリア出身の男性の想いが重なり合って物語が作られています。

アシルや、操縦する男女の場面は、おそらくモデルはいるでしょうが、台本に基づくフィクションであると思われます。

それが、アマルの旅の記録部分と切れ目がわからないくらい溶け合っていて、ドキュメンタリーとフィクションを融合させた作品となっています。巨大な操り人形のしぐさの自然さにも見入ってしまいました。

ちょっとファンタジックで、画面がキレイで、80分ほどと長くなく、子どもさんでも観ることができる作品です。





# by chekosan | 2024-11-29 09:40 | 映画、映像 | Trackback | Comments(0)

早くも11月も終わろうとしています。難民映画祭も残すは数日となってしまいました。

6本視聴できるのですが、まだ2本残っています。丸一ヶ月、開催してほしいなあ~

ということで、2本のうちの1本、「ぼくたちは見た ーガザ・サムニ家の子どもたち」を観ました。


映画「ぼくたちは見た ーガザ・サムニ家の子どもたち」(2011年)@第19回難民映画祭_b0066960_13533309.png


2008年、イスラエル軍によるガザ侵攻で、家や家財道具、畑を破壊され、一族100人あまりが詰め込まれた建物にミサイルを落とされ、多くの死傷者を出したサムニ家の子どもたちの様子を撮ったドキュメンタリー映画です。

親きょうだい親戚を何人も失った子どもたちは、父親の血が染み込んだ石を集めたり、家族がなくなった瓦礫を毎日訪れたり、自分たちを襲ってきたイスラヘル兵を真似て顔に黒い色を塗ったりと、深い悲しみやショックを抱えながら暮らしています。

心のケアの集まりでは、絵を描くセラピーが行われますが、子どもたちの描く絵は、攻撃を受けたときの様子や、兵士の姿など、痛ましいものばかりです。

それでも気丈に侵攻時の様子をインタビュアーに語り、学校に通って勉学に励み、食事の用意をしています。

あまりに酷な体験をしてしまったサムニ家のひとびとですが、侵攻から半年後に撮影隊が訪ねた時には、再会した畑で作物を収穫したり、結婚式が行われたり、お墓ができていたりと、少し日常を立て直しつつありました。

子どもたちが描く絵にも、色が増えたり、明るさのあるモチーフが現れたりしています。

親きょうだいを奪われた女の子が、信仰心と教育で抵抗するのと毅然とした表情で語る姿が印象的です。

古居みずえ監督は、その後もサムニ家の人びとと交流を続けていたそうですが、直近の侵攻後は、彼らがどうしているかわからない状況だそうです。

この映画で通訳をされた方も、撃たれて亡くなられたそうです。

今は昔…にちっともならないパレスチナ情勢。

こういった普通の暮らしをしている人たちに、なぜ銃やミサイルを向けようと思えるのか。国際社会がなぜ許しているのか。

まったく理屈が通らない破壊行為に憤りを覚えます。








# by chekosan | 2024-11-28 14:30 | 映画、映像 | Trackback | Comments(0)

夏の旅行の機内では、行きに3本、帰りに1本、映画を鑑賞しました。

行きは、こちらの2本↓↓と、「バービー」(バービーは面白かったけど記事にする予定なし)。


この2本は、どちらもセリフ主体で、そんなにドラマティックではない地味な映画でした。


帰りは、Irena's Vow (イレナの誓い)を観ました。どうやらうら若き乙女が、ナチ・ドイツ占領下のポーランドで何人ものユダヤ人を匿ったものらしい。それは見なくては!です。

映画 Irena\'s Vow (イレナの誓い)と原作『インマイハンズ ユダヤ人を救ったポーランドの少女』_b0066960_17224366.jpg


看護学生だったイレナは、ドイツによるポーランド侵攻で家族と離れ離れになります。

町でドイツ軍に捕らえられたイレナは、軍需工場で強制労働に就かされたあと、見た目も「アーリア系」でドイツ語も使えたため、ドイツ将校用レストランの給仕に回されます。

さらに、軍服の修繕室の監督も任されるようになります。修繕室には、ゲットーから通いで10人ほどのユダヤ人が配置されていました。イレナは彼らと心を通わせ、何かと便宜を図ります。

働き者のイレナは、てきぱき働いて信用を得ながら、将校たちの会話を聞き取り、一斉検挙の予定をユダヤ人らに伝えるなどして、少しでも犠牲になる人を減らそうとします。

工場の責任者である国防軍の少佐に気に入られたイレナは、少佐の別邸の家政婦に任命され、収用された邸宅の改築も監督することになります。

食事中の将校らの会話から、SS(親衛隊)によるユダヤ人掃討作戦の計画が近づいていることを知ったイレナは、少佐の別邸の地下室に修繕室のユダヤ人らを匿うことを思いつきます。

とはいっても、いったいどうやって彼らを別邸へと誘導するのか、果たして匿い続けられるのか…!?

というお話です。

ざっとしたあらすじだけでもじゅうぶんスリリングですが、映画は全編、緊張感に満ちています。

ドイツ占領下のポーランドでユダヤ人を匿っていることがバレれば、家族一同、裁判なしで処刑という厳罰が待っているのに、最大12人もの成人を匿うのです。潜伏しているユダヤ人の具合が悪くなったり、誰かにユダヤ人を匿っていると密告されたりといった危機も起こります。

主人公の機転と勇気に惹きつけられ、ときに、ヒーー!となりながら、夢中で観ました。

ホロコーストものは今でも毎年何本も映画になっていますが、この作品なんかは、受け入れられやすい物語ではないかと思います。日本公開しないのかなあ。

それにしても、これが実話ベースとは驚き。

そこで、もっと情報がないかと探したところ、回想録が邦訳されていることがわかりました。

イレーネ・グート・オプダイク∥口述、ジェニファー・アームストロング∥著述『インマイハンズ ユダヤ人を救ったポーランドの少女』(全日法規    2000年)です。

映画 Irena\'s Vow (イレナの誓い)と原作『インマイハンズ ユダヤ人を救ったポーランドの少女』_b0066960_17550889.jpg

これがまた、読み始めると止まらない!

事実は小説より奇なり。いやいや、映画以上です。

映画は、回想録に書かれたうち、ユダヤ人を匿って救った部分をクローズアップして、かなり忠実に再現してあります。

回想録でも、ユダヤ人を匿っていたときの話はボリュームもあり、内容も濃いのですが、実はイレナさん、その前後も大変な経験をされているのです。

看護学生としてポーランド軍と行動を共にし、一時は森の中で潜伏生活を送ります。

ソ連軍に捕らえられて酷い目に遭ったあと、捕虜として看護助手としてソ連軍の病院で働きます。そこでも危い目に遭いかけますが、親切な人に助けられてソ連軍から逃れ、しばらく平穏に暮らしました。

家族のもとに帰れるチャンスが訪れますが、彼女を窮地に陥れた人物のせいで、窮地に陥ります。なんとかそこから脱出しますが、ドイツ占領地に入ると今度はドイツ軍に捕らえられてしまいます。そのあとからが、映画の話になります。

イレナさんは匿っていたユダヤ人を逃すことに成功したあと、パルチザンとして活動します。そのことで、またしても危険人物とみなされ、捕まってしまいます。

このときも脱出することができて、彼女が救ったユダヤ人たちの援助で、ユダヤ人を装って難民として保護されます。イレナさんはようやく安全に暮らせるようになりますが、戦争中に見たショックな光景が頭を離れません。

そんな彼女のことを知った国連からの職員が、彼女から話を聞き、アメリカの市民権を得られるようにしてくれます。

アメリカに渡ったイレナさんは、世話をしてくれた人とアメリカでばったりと再会し、結婚します。ずいぶん年月が経って、ポーランドにいた妹たちの消息もわかり、再会を果たします。

映画のお話の前後もそれぞれ映画にできそうな、なんとも波乱万丈な人生です。

いやいやこんな状況を耐え抜いたものだ、こんな窮地をよく切り抜けられたものだ、というエピソードがずっと続きました。

若干余談ですが。

原作では、イレナさんはドイツ系に見えることで比較的優遇されたように書かれていました。たしかに巻頭に載っている写真でも、そのように見えます。

映画のイレナ役のソフィー・ネリッセさんは、本人とはあまり似ていませんし、ドイツ人っぽくは思えませんでした。でも、ちょっとポテッとしたお顔立ちがかわいらしくて、演技も役どころに合っていたと思います。

この記事を書くのに確認したところ、映画「やさしい本泥棒」の主人公を演じていたとわかりました。「やさしい本泥棒」は、ポーランドへ行く機内で観た映画だったので、なんだか奇遇~~ ( ´∀` )

あの少女が、いい娘さんになって~~、と近所のおばちゃんみたいな感慨に浸ったのでした。

ということで、日本での公開、求む!






# by chekosan | 2024-11-24 16:14 | 映画、映像 | Trackback | Comments(0)
難民映画祭オンライン配信4本目、「ピース・バイ・チョコレート」を見ました。note版では広告なしで読んでいただけます。

面白かった! これもまた元気が出る映画です。

カナダに第三国定住したシリアの家族が、地元の人たちの温かい支援を受けて、チョコレート製造を始め、大成功するお話。実話に基づいているそうです。

コミカルな場面も多く、テンポのよい映画です。


友情にグッとくる、いい映画 ~「ピース・バイ・チョコレート」@難民映画祭_b0066960_16113895.png

シリア内戦で、チョコレート工場を爆撃され、家を出て、レバノンに避難したハドハド一家。

3年ものあいだ、レバノンの難民キャンプで第三国定住の機会を待ち、ようやくカナダに受け入れられます。

医大卒業目前だった長男は、なんとか医大に復学できないか、方々に申請しますが、復学はかないません。

一代でシリアいちのチョコレート会社を興したショコラティエ(チョコレート職人)だったお父さんは受け入れ先で働こうとしますが、英語が話せないため就職できません。

お父さんは滞在している家の台所にある道具を使ってチョコレートを作ります。お世話になっている人たちにふるまったところ、あまりにおいしいので、教会で売ることを提案されます。

材料にこだわってつくられたお父さんのチョコレートは大評判となります。

一家を支援してくれている住民たちは、お父さんが本格的にチョコレートを製造できるよう、資金を出し合って作業用の小屋をプレゼントしてくれます。

お父さんのチョコレートの評判はどんどん広がります。

英語ができる長男は、難民の現状や可能性を話してほしいと、方々で講演にひっぱりだこになります。

業務の拡張を援助してくれる話が舞い込んだり、行政からの査察が入ったりしますが、息子のサポートなしには、お父さんには対応ができません。

でも、長男は医大に戻りたい。「チョコレート職人の息子」としての人生を歩みたいわけではない。

さあ、どうする! どうなる!

というお話です。

実話をもとにしたお話だというし、最後はめでたしめでたしなのだろうなと予想しながら見れるのですが、それでもハラハラしたり、胸が痛んだり。

故郷で医学を学んでいた息子が自分の夢を追いたいと思うのももっともだし、お父さんのチョコレート工場も成功してほしい、でもそのために地元のチョコレートのお店が閑古鳥になってしまうのも気の毒だし、、、、

一家の長男を軸に話は進みますが、この映画は、お父さんと、お父さんと同い年のフランクという一家を支援してくれる地元男性との友情がなんといっても素敵です。

とりわけお父さん役の俳優さんは、いい役者さんだなあ~と思いながら見ていたら、最近亡くなられていたとわかってガビーンでした…😢

難民を受け入れて、地域で彼らの挑戦を支えて、それが人を呼び、新たな雇用も生んで、町に活気が出る、そんな良い循環が起こったカナダの小さな町のお話。一緒に見た下の息子と「いい映画やったなあ~」としみじみうなずき合いました。おすすめ!









# by chekosan | 2024-11-20 18:03 | 映画、映像 | Trackback | Comments(0)
難民映画祭、オンライン配信で3本目、「孤立からつながりへ ~ローズマリーの流儀」を見ました。note版では広告なしで読んでいただけます。

つながることでエンパワーメント 映画「孤立からつながりへ ~ローズマリーの流儀~」@難民映画祭_b0066960_14375713.png


オーストラリア、パラマタ警察の多文化コミュニティ連絡官であるローズマリーは、1999年、家庭内暴力や部族間衝突から逃れて、ケニアを脱出してきましたが、難民となって数年は孤独にさいなまれていました。

そのときの経験を生かして、家庭内暴力や言葉の壁、経済的困難に直面している移民の支援に携わっています。画像の右の笑顔の女性がローズマリー。明るく温かく、おおらかで細やかで、みんなのおかあさん的存在です。

アフリカ女性の大ダンスパーティーを開始したり、地元の人と難民女性らを招いてのお茶会を開いたり、地方のオーストラリア住民の家に2泊3日のホームステイする多文化交流プログラムを開催したり、家にひきこもりがちな難民女性たちを外へと連れ出し、人と交わる機会を提供します。

女性たちのなかには、博士号取得寸前だったのを暴力で止められ、心の病に陥った人もいます。

幼い子どもを抱えて、なかなか外へ出られない女性もいます。

ローズマリーは、そうした人たちが移民難民ばかりで暮らしている生活圏から出て、自然いっぱいの環境に身を置いて、オーストラリア人家庭へ招かれるという体験をすることで、オーストラリアになじんでいけるよう、孤立感から脱していくことができるよう、手を尽くします。

心身ともに殻に閉じこもっていた女性たちは、ローズマリーの誘いかけに応じることで友人をつくり、地元住民と交流できる/できたという自信を得て、晴れ晴れとした表情になります。

女性のエンパワーメントという言葉を聞くようになりましたが、持てる力を引き出す・発揮する前段階として、人と繋がる、人を信じられるようになる、人のあたたかさに浸ることの効果は大きいのだなあと思いました。

そして、そのためには言葉が使えることはやはり大事で、自分が別の言語を使う国に逃れたとしたら、あるいは逃れてきた人たちを手助けしたいと思っても、意思疎通できなければ始まらないなぁとも、あらためて思いました。

元気づけられる、あたたかな気持ちになれる映画です。11月末まで、まだまだ見ることができます! ぜひどうぞ。




# by chekosan | 2024-11-19 15:45 | 映画、映像 | Trackback | Comments(0)