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by chekosan

タグ:本、読書、図書館 ( 168 ) タグの人気記事


ワイダ監督の映画「コルチャック先生」鑑賞に続き、岩波ジュニア新書の『コルチャック先生』です。
こちらは、コルチャック先生の本を何冊も訳されている方による紹介本です。

コルチャック先生の生涯と、ポーランド史、ポーランドにおけるユダヤ人について、
ジュニア向けに、とてもわかりやすく書かれています。

映画では詳しい説明がなくてわかりづらかった場面がどういう意味を持っていたのか、
何を出典として差しはさまれたのかが、この本を読んで、よくわかりました。



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コルチャック先生は、亡命するチャンスがあったのに、自分だけが助かることを拒み、
孤児院の子どもたちと共にトレブリンカ絶滅収容所に移送されて亡くなります。

その崇高な行動で語り継がれている人というようなイメージだったのですが、
もともとポーランドでは知らない人がいないくらい尊敬されていた文化人でした。

その作家としての業績や教育者としての思想や活動が、本書でよく理解できました。
特に、第3章「子どもの自治」第4章「コルチャックの人権思想」がとても興味深く、
もっと詳しく知りたいと思いました。


また、映画は、コルチャック先生や子どもたちが収容所へ運ばれるところで終わるのですが、
本書では、彼らが運ばれた収容所の見取り図や、生存者の証言、
亡くなった人たちを追悼する石碑の写真や、亡くなった人たちの灰や骨の山の写真もあります。

トレブリンカ収容所は、ナチスが徹底的に解体して隠滅をはかりました。
そのため記録もなく、さらには、そこに運ばれた人のほとんどはすぐに殺されたので、
コルチャック先生たちが果たして生きて収容所まで行きついたのか、
いつ、どのように亡くなったのかを知る人はまったくいないそうです。
そうした残酷な部分もきちんと書いてあります。

コルチャック先生を知る数少ない生存者の証言も紹介されています。
オリジナルの貴重な体験談です。



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by chekosan | 2017-03-13 22:14 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
「関西ウーマン」に月一回連載させていただいている書評、
今月は、「学者芸人」サンキュータツオさんの『ヘンな論文』です。

いつも「関西ウーマン」では、おすすめできる本を厳選して紹介していますが、
これはもうホントにおすすめです!
タイトルだけだと、トンデモ論文を集めた本みたいですが、そうではありません。

大まじめな論文をわかりやすく面白おかしく紹介しながら、
学問、研究の楽しさとそれにかける研究者の情熱に敬意を払うものです。


書評には盛込ませんでしたが、イラストがまた楽しいのです。続編を激しく希望♫

本文はこちら。 https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201078




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by chekosan | 2017-03-12 11:41 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)

2015年、アフガンやシリアからの難民が欧州に大挙して押し寄せた。
その大移動に新聞記者である著者が同行し、同時進行で発信するルポルタージュである。

難民や移民には、欧州各国が自国にとどまられないようにと移動手段を用意したため、
予想外に短期間で難民の波はギリシャからオーストリア、ドイツへと動く。

難民ではない記者は難民用の移動手段は使うことができず、
取材対象者であるアフガンからの難民、アリさん一家とはぐれたり待ちぼうけを食わされたりする。
同行取材とは言いながら、3週間の取材期間中、かなりの日数アリさんたちとは別行動となる。

シェンゲン協定により域内の移動は自由であるはずのEUで国境を目の前に右往左往したり、
難民の人たちと接触できなかったりして疲弊する記者の率直な吐露は同時進行ルポならではだろう。

ただ、はぐれていた間の難民一家の移動や生活の様子がわかりづらいため、
「同行記者おおいに苦労する」的な部分の方が印象に残ってしまうのは惜しい。


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取材対象であるアリさん一家がドイツにいったん落ち着いたところで、
話は、アウシュヴィッツに収容され、戦後はオーストリアのサッカー界の発展に尽力したユダヤ人、
ロッパーさんの生涯の紹介となる。

これは、ドイツが難民を受け入れる背景に、
第二次世界大戦中のドイツのユダヤ人迫害という事実があったことを説明するためなのだが、
章題が「贖罪のドイツ」であること、
オーストリアがナチスドイツに一方的に支配された被害国として描かれているのには違和感がある。


そして、ドイツに着いて数か月経ったアリさん一家の様子に話が戻るのだが、
ドイツの手厚い難民保護に感謝するアリさんの話を聞いて、
(記者の支局のあるオーストリアでは)欧州の若者が職を得るのに大変な状況なのに、
そんなに税金を使って難民を保護するようでは、極右政党が勢力を伸長するのもわからなくない、
というような記述が出てくる。

いやしかし、、、彼らは着の身着のまま命がけで異国の地へ逃れてきて、
正式に難民として承認されるかどうかもわからない不安定な身の上である。
豪邸で遊び暮らしているわけではない。

バーバラ・エーレンライクの『ニッケル・アンド・ダイムド』だったか、
低賃金で不安定な職に就いてみるという体験ルポがあった。
そうした生活をしていると、持ち物や「いざというとき頼れる命綱」がないために、
かえって健康的な食生活を送れず、健全な節約もできないという。

ドイツで家族3人、食費含めて生活費10万円では余裕などないだろう。
それとも弱者は徹底して貧しくあらねば、苦難を耐え忍ばなければいけないだろうか。

それよりも、ドイツはどうやって住居を確保し、支援金を捻出しているのか、
難民認定された人々の就職支援や、地域に入っていく手助けはどのようなものか、
外国人向けドイツ語講座はどのようなものか、
それらにどれくらいの人員を割いているのかといったところを知りたいと思った。









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by chekosan | 2017-03-11 00:51 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
アウシュヴィッツ強制収容所に存在した家族収容所区画での実話をもとにしたフィクションです。
主人公である14歳の少女ディタ(実在の人物)を中心に書かれています。
そのため、かなり太い本ですが、読みやすくなっています。

とはいえ、舞台がアウシュヴィッツなので、信じがたい残酷な情景も出てきます。
耐えがたい苦しみや悲しみが主人公たちを襲いますが、
それを少しだけ和らげてくれたのが、家族収容所につくられた「学校」でした。

ユダヤ人の体育指導員であるヒルシュ青年(実在の人物)がナチスに掛け合ってつくったもので、
主人公ディタは、そこに極秘で持ち込まれた8冊の本を管理する「図書係」だったのです。

禁止されている本を隠し持っていることがばれれば、即刻、殺されます。
ディタは、知恵を働かせ、命がけで本を守ります。
それだけ本は、人々の心を救う、大切な大切なものだったのです。



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著者は1967年生まれのスペインのジャーナリスト。被収容者でも遺族でもありません。
ディタさんの話を知り、ご本人に聞き取りを重ね、調査を重ねて書いたとのことです。

そう聞くと、ついつい登場人物像やエピソードを事実として受け止めがちですが、
フィクションであるということは念頭においておく必要があります。

たとえば、訳者あとがきに明確に書かれているのですが、
主人公が読んだという設定の小説「兵士シュヴェイクの冒険」からの引用の一部は創作とのこと。

その部分は、たしかに私も記憶にないエピソードで、
シュヴェイクというよりは別のキャラクターが言いそうなことなので、
なんとなく違和感をもったのですが… 
引用を創作するというのは、ちょっと思いもよりませんでした。

また、全体的にあまり文章がこなれていないようにも思います。
が、アウシュヴィッツでの体験を記した、フランクル『夜と霧』、
プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』http://chekosan.exblog.jp/26200975/
スピーゲルマン『マウス』http://chekosan.exblog.jp/25882741/ といった作品に
勝るとも劣らないような詳細な収容所生活の様子も描かれていますし、
なにより家族で収容されていた人々の生活については、上記の作品では記述されていないので、
興味深く、ときに衝撃を受けながら、あっという間に読みました。

ディタのほかにもたくさんのユダヤ人被収容者やナチスの隊員が出てきます。
決死の脱出を図る人、処刑されてしまう人、ガス室で殺されてしまう人、
なんとか戦争終結まで生きた人の行動や行く末もかなりの紙幅を割いて描かれています。
その点も、調査をもとにして記述するジャーナリストならではだと思います。






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by chekosan | 2017-03-08 22:11 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

猪熊純・成瀬由梨責任編集『シェア空間の設計手法』(学芸出版社 2016)の
刊行記念イベントに行ってきました。

私は建築はまったくの素人ですが、建物やインテリア好き、まちづくりやシェア経済にも関心があり、
それを知った方から、京都で人が交流できる場をつくる計画に声をかけていただきました。

今回はその計画の参考になりそうかなと思い、参加してきました。
どちらかというと建築関係者向けの本なので、「予習」もしていきました。^^


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会場は、京都駅から徒歩5分ほど、学芸出版社の会議室です。4階建てのしゃれたビルです。


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『コミュニティデザインの時代』(中公新書)の山崎亮さんもゲストで来られるというので、
生でお話が聞けると楽しみにしていましたが、残念ながら体調不良でご欠席。

その分(?)、本書に実例が紹介されているドットアーキテクツの家成俊勝さんが
ゆる~い口調で笑いを交えてお話され、柔らかな和やかな雰囲気をつくってくださいました。

シェア空間をテーマにしているだけあって、
登壇された建築家のみなさん、寛容性、多様性、受容がベースにあるなと感じました。

人の出入りや建物の使い方は変化していくものだと思っておくこと、
それゆえ融通が利くことがポイントではないかと話されていたのが印象的でした。

来場者は、建築科の学生さんや、シェアハウスの経営者、
建築関係者、まちづくり関係者が多かったようです。

質疑応答では学生さんやまちづくり関係の方からの質問に対して、
登壇者のみなさんが、お悩み相談のように、ていねいに親身になって答えられていました。


◇◇◇

さて、この本ですが、49の建物の図面が掲載されています。

最近流行りの若い人向け共同住宅だけではなく(むしろそれは少ない)、
幅広い事例を取り上げて、都市、都心、郊外という分類で掲載してあります。

図面には人や家具なども描き込まれているので、
どんなふうにその空間が使われるのかを想像しやすくなっています。

写真は少なめ。巻頭にカラーが一枚ずつ、本文に白黒があったりなかったりなので、
複雑な構造の建物は、素人には若干どうなっているのかわかりづらいものもあります。

が、どちらかというと教科書的に使われることを想定して編まれたそうなので、
そこは仕方ないですね。


◇◇◇

では、素人には参考にならないかというとそんなことはなくて、
設計した人や施主(空間の運営者)のちょっとした表現や、実際の活用例から、
いくつか具体的なヒントや、大きな示唆が得られました。

私が関係している場所づくりに直接的に参考になりそうなのは、
日本人は無目的、多目的な場所は苦手」というもの。
(p.43 「まちの保育園」代表のお話)

私自身がそうです。
ただ集いましょうとか、はい仲良くしましょうというのは苦手です(笑)

トークイベントでも、具体的な行為が想定されているとか、
そこにある物や機能を目当てに行くことができるような空間であれば、
外に出ようとしない人たちでも来ようと思うのではないか、
多様な層が交われるのではないかというお話がありました。

それから、タイムシェア
空き時間の有効活用というだけでなく、
違う世代や違う層が、同じ空間を違う用途に使っていくなかで
ちょっと重なる部分ができていって関わりが出てくるという事例です。
(p.48-49「高島平の寄り合い所/居酒屋」)

ほのかなわれわれ性」という表現も面白いと思いました。
これは広い公共施設の外部空間の説明ではありますが、
使用者がべったりみっちり関わることばかり追求しなくてもよいのかなと。
同じ空間にいて、なんとなく見守る「ゆるやかな協働性」も心地よいですよね。
(p.52-53 武蔵野プレイス)


私が関わっているプロジェクトの場合は、建物は既にあり、
その作品性、作家性を大事にしながら活用するという趣旨なので、
それゆえの難しさがあります。

が、建物そのものの価値や雰囲気が人を呼ぶということも期待できます。
いろんな事例や活動を参考にしつつ、面白い空間、場づくりができたらと思います。









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by chekosan | 2017-03-03 16:59 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
授業のない2月。成績をつけ、共著テキストの仕上げにかかり、
各種報告書などを提出し、論文の資料を集め、本を読み、映画を観ていました。
読了の冊数はさほどではないけど、今後の方向性へのヒントをもらえました。
特に、平田オリザさんの講演と著作は大きな収獲でした。


2017年2月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:2198ページ
ナイス数:395ナイス

岸辺露伴 ルーヴルへ行く (愛蔵版コミックス)岸辺露伴 ルーヴルへ行く (愛蔵版コミックス)感想
ジョジョは読んだことがなかったんですが、男児らが一体どこでか読んでいて、セリフをラップにしたものをネットで覚えて四六時中唱えるもんでウルサイやめろと言いつつも、だんだん知った気になっていたところ、展覧会「ルーヴルNo.9」に行って、この作品を見てしまい、うっかり気に入ってしまいました。この本は帰り道の電車であっという間に読めてしまいましたが、ルーヴル所蔵の彫像を模したポーズが散りばめられているそうなので、家でじっくり細部を楽しみたいと思います。「ルーヴルNo.9」展の感想はこちらに→http://chekosan.exblog.jp/26573934/
読了日:2月6日 著者:荒木飛呂彦




岸辺露伴は動かない (ジャンプコミックス)岸辺露伴は動かない (ジャンプコミックス)感想
展覧会「ルーヴルNo.9」で「岸辺露伴ルーヴルへ行く」を見てきたと聞いて、母のお許しが出たと思ったか、男児らがブックオフで買ってきたのをうっかり読む。荒木氏の漫画は初めて。昔の劇画タッチなのが新鮮。あらすじ紹介にはさまざまな「恐怖のエピソード」と書いてあるが、そうか? どちらかというと笑っちゃっうのだが。。「六壁坂」はグロくてうわぁ、、、、最後の「岸辺露伴 グッチへ行く」はスタイリッシュ。おかしなポーズがグッチの服とよく合っている。
読了日:2月6日 著者:荒木飛呂彦




TED TALKS スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイドTED TALKS スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド感想
アメリカ発祥の人気プレゼンテーションイベント、TEDの提供するプレゼンテーションのコツ。細かい技術や注意点もとても参考になります。でも一番大事なのは、語るに値するアイディア(思い)と、伝えようとする熱意と、聞いてくれる人に対する敬意です。月イチ書評連載@関西ウーマンで詳しく紹介しました。こちら→https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201070
読了日:2月11日 著者:クリス・アンダーソン





黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」感想
知的なサードプレイスづくりの参考に読んだ。慶應の先生方がキャンパス近くの一軒家を借り受けて、学生、教職員、地域の方、卒業生などが集う場として活用した記録。各曜日の「マスター」(慶應の教員)が、その曜日の運営を任される。ゼミ活動やイベントを開く日もあれば、特に何もない日もある。普通の民家であることは、教室における学生や教員間の緊張を解く効果があるようだ。そうした時間・空間を通常の大学の業務と別に運営することは刺激的で楽しい半面、負担や疲労も生じるという。そんな正直な感想も記されている。 詳しい感想はこちら →
http://chekosan.exblog.jp/26654262/
読了日:2月14日 著者:熊倉敬聡,長田進,坂倉杏介,岡原正幸,望月良一,手塚千鶴子,武山政直



映画は戦争を凝視する映画は戦争を凝視する感想
映画は研究や教育のネタとして観ている。授業で紹介すると学生からいろいろな反応が返ってくる。別の作品を教えてもらったりもする。するとそれらも観たくなる。そうして映画を紹介している記事や本なども集めて参考にするようになった。そんなわけで、この本。大変参考になる本である。この20年ほどの間に公開された、戦争に関する名作55本を一作品4ページでコンパクトに紹介している。どの作品も観たくなるものばかりなのだが、特に観たいと思ったものをブログにリストアップした。順次、感想をアップしていきたい。 → http://chekosan.exblog.jp/26663046/
読了日:2月19日 著者:村瀬広



下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)感想
地方から若い世代が出て行ってしまうのは「つまらない」からである。自己肯定感を引き出すような文化政策とハイセンスなイメージづくりが必要である。とりわけ子どもが小さいころから本物に触れる機会を設けること。幅広い視野、人の状況に思いをはせる力、マナーや振る舞いが必要で、それこそがコミュニケーション能力なのだが、それを養うには20歳ごろまでの環境が影響するのである。本書で紹介している自治体や大学などはいずれもかなりハンデがある地方だが、新しい文化の拠点、新しい試みが成功しているところとして注目を集めている。
読了日:2月20日 著者:平田オリザ
詳しい感想はこちら→ http://chekosan.exblog.jp/26667213/



ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21)ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21)感想
一つのテーマをめぐって、さまざまなジャンルの専門家と語るというスタイルは面白い。思いがけない知識や視点を得られる。本書もしばらくは笑い飛ばしながら、うんうんと読んだ。が、そのうちあらゆる現象がヤンキー文化としてくくられ、私も立派にヤンキー精神を備えているという結論に至ってしまった。なるほどそれなら9割の人は該当するわ…斎藤氏自身もヤンキー的なるものを内在しているというし、すべてを断罪しているわけではない。が、ではどうするという指針がほしい気がする。それは精神病理学者の役割ではないのかもしれないが。
読了日:2月21日 著者:斎藤環
詳しい感想はこちら→ http://chekosan.exblog.jp/26669415/



学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)感想
著者の専門である乳幼児の語彙の習得の観察実験から得られた知見がやはり面白い。熟達者や超一流とみなされる人々の「学び」や「学習」の謎にも迫っている。断片的な知識をぺたぺた貼り付けていくことが知識の獲得であるとする「知識観」から脱すること、「生きた知識」とは、常にダイナミックに変動するシステムであること、集中して訓練すること、その訓練を忍耐強く続けること、その経験を通して大局観を養うことが大事であることが明らかにされる。どちらかというと幼少期の教育や世話に有効だが、育ってしまった子どもや大人にも参考になる。
読了日:2月23日 著者:今井むつみ 詳しい感想はこちら → http://chekosan.exblog.jp/26674277/




わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)感想
すーっと入ってくる一冊。腑に落ちると言う表現がぴったり。異なる価値観を持った人と出会うことで自分の意見が変わっていくことを潔しとする「対話的精神」を養っていく必要があるという指摘に同意する。「協調性」(価値観を一つにして一致団結)から「社交性」(価値観はバラバラなままでどうにかしてうまくやっていく能力)を養う教育へという考え方にも賛同する。そういう意識で私も授業をしてきたが、これまで以上にスキルの問題、マナーの問題、教える側の力量の問題として見直しをはからねばと思う。その他いろいろブログに記録。→ こちら  http://chekosan.exblog.jp/26681952/
読了日:2月26日 著者:平田オリザ




読書メーター

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by chekosan | 2017-03-02 09:46 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

すーーっと入ってくる一冊、いや先日読んだ『下り坂をそろそろと下る』と合わせると2冊。
平田オリザ氏の著作やお話は、まさに腑に落ちると言う表現がぴったりくる。
本書は、あまりに一気に読めてしまって、メモを取るヒマすらなかった。

◇◇◇

コミュニケーション能力が必要とかまびすしいが、さてそれはどういうものかというとはっきりしない。

主体的であること、自分の意見をはっきり言うことを求められながら、
同時に空気を読め和を乱すなと言われるような、「ダブルバインド(二重拘束)」、
つまり二つの矛盾したコマンド(特に否定的なコマンド)が強制される状態が見られる。

日本社会全体は、「異文化理解能力」と日本型「同調圧力」のダブルバインドにあっている。

平田氏は、いまの子どもや若者にコミュニケーション能力がないとは思っていない。

そもそもコミュニケーションの方法にもいろいろあって、
たとえば身体による表現は、中高年男性よりも若者の方がよっぽど優れているという。

しかも、いま日本で求められている「コミュニケーション能力」と呼ばれるものの大半は、
ほとんどがスキルやマナーの問題であり、教育可能なものである。

ただし、コミュニケーション能力=ペラペラしゃべることではない。

価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべりである「会話」と、
あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換、
あるいは親しい人同士でも価値観が異なるときに起こるその摺り合わせである「対話」とは違う。

日本社会の「わかりあう文化」「察しあう文化」においては、
この「対話」の習慣や訓練が成り立っていないのではないかと平田氏は指摘する。

異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度、
議論をすること自体に意義を見いだす「対話的精神」を養っていく必要があるのでないかという。
これは、AかBかで論戦をして相手を打ち負かすこととも区別される。


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◇◇◇

言葉や表現というのは、関係がなければ生まれないという指摘も非常に納得できる。

例えば、男性上司の部下に対する言葉づかいを女性上司が部下にすると違和感がある。
それは、そのような関係性が最近までなかったからである。

では、男女関係なく、きちんとした場で上下関係なく使っておかしくない言葉遣いはと考えると、
少し丁寧な、きちんとした言い回しだろうということになる。
ならば、みながそうしたきちんとした言い回しを定着させていくのが適当であろう。

そうした実践が、無意識のうちにある上下関係や性差を越えて
「対話」や議論のできる関係性や場をつくっていくのである。

◇◇◇

この点は、我々の業界(大学教員同士)は相対的にマシだと思う。
良くも悪くも一国一城の主的な意識が強く、それぞれの専門性に敬意を払う習慣があるので、
職階とか性差によって言葉づかいを変えることはほとんどない。
お互いにきちんとした言葉で話し合える環境、議論できる環境は、誰にとっても心地よいと思う。

◇◇◇

では、「対話」ができる関係性をつくるようなコミュニケーション教育とはどうあるべきか。

国語教育では「きちんとしゃべれ」「論理的にしゃべれ」「無駄なことは言うな」と指導しがちだが、
「無駄を省く」ようなことばかりを指導していてはいけないのではないか、
「対話」はそういうものではないという指摘には軽くショックを受けた。

さらに、教える側や上司が、つい「答え」を言ってしまったり誘導してしまったり、
子どもや若者や部下が話しかけやすい・言葉を発しやすい場をつくりもせずに
今の若者はコミュニケーションできない、意見も言わない、などと言うのは、
(上司の側に)そうした環境を作る能力がないことの表れだという指摘には反省した。

「協調性」(価値観を一つにして一致団結)から、
「社交性」(価値観はバラバラなままでどうにかしてうまくやっていく能力)へ、
という考え方は私もまさにそのように考えて、そう意識して授業をしてきたが、
どうもうまくいかない場面が生じたとき、コミュニケーション能力と人格を混同し、
どうすればうまくいくかという追究を諦めてしまっていたかもしれない。

これまで以上に、スキルの問題、マナーの問題、教える側の力量の問題として、
コミュニケーション教育の見直しをはからねばと思う次第である。





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by chekosan | 2017-02-26 23:11 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
広い意味での「学び」「学習」「知識」について解き明かしてくれる本。
帯にあるように、「学ぶことの大切さ、学ぶ方法を学ぶ大切さがわかる」本であるが、
効率的に「勉強のできる子」や「天才児」を育てるためのノウハウ本ではない。

著者の専門である乳幼児の語彙の習得の観察実験から得られた知見の部分がやはり面白い。

子どもは、胎児のころから言葉を聞いて、音として認識する。
そして、まずは母語で使う音の要素を聞き分けて取捨選択する。
そのうちに単語というものがあることを発見し、それらを類推していく。

そして、自分で言葉というものの枠組みを作り、
そこからの類推で新しい言葉や概念を理解していくのである。
言語のシステム、構造自体を自分で考えて発見し、
言葉を知らないところから、言葉を習得していくのである。

◇◇◇

乳幼児の世話は忍耐や苦渋の連続で、幸福感に浸れる時間などそのごく一部であるが、
言葉の獲得の過程、概念を獲得していく過程を観察できたのは実に面白かった。

絵本を読み聞かせたり、字を教えたり、勉強を教えたりといったいかにもな場面よりも
もっともっと前の段階で、赤子は自分で概念や言葉を体得していく。
赤子といると、ごく日常的な場面でそれが出現するのを見ることができるのである。

何かを飲んで、「おいしい」という感覚と言葉が一致したのを赤子本人が確認した、
その瞬間を明確に見てとったときはエキサイティングであった。

赤子が、この快い感覚を「おいちぃ」と表すのでちゅね、そうでちょ、わかりまちたよ、
といわんばかりの自慢げな表情をして、その言葉を発したのである。

たぶん、赤子の初めての言葉ではなかったと思う。
が、口真似として音を発するのではなく、
感覚・概念・言語が繋がっていることを赤子自身が発見した瞬間だったことで、
初めての言葉よりも、非常に強く印象に残っている。

(口真似だけなら、まだ寝っ転がってるしかないような時期に「おかあさん」とクリアに発声して、
 夫と、ぞぉぉっとしたことがあった。それは音として発しただけで言語の獲得とは違ったと思う。)

だから、男性の友人や後輩、特に研究者、教育関係者の仲間には、
赤ちゃんをよくよくお世話すべしと忠言する。
人間が概念や言葉を習得する過程をつぶさに見られる機会はそうないのだから。


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◇◇◇

本書では、専門家(棋士、音楽家、スポーツマン、バレエダンサーなど)に協力を仰ぎ、
どういう場面で、脳のどの部分がどういう活動をするのかを実験するなど、
熟達者や超一流とみなされる人々の「学び」や「学習」の謎にも迫っている。

何かに特別に秀でた人に対して、私たちは「才能」「天才」という曖昧な言葉をあてはめ、
天賦のもの・遺伝だと済ませがちだが、その何かに秀でるための特定の遺伝子があるわけではない、
IQの高い低いもあまり関係がない、という話も出てくる。

それよりも、
断片的な知識をぺたぺた貼り付けていくことが知識の獲得であるとする「知識観」から脱すること、
「生きた知識」とは、常にダイナミックに変動するシステムであることを理解すること、
集中して訓練すること、その訓練を忍耐強く続けること、
その経験を通して大局観を養うことが大事であることが明らかにされる。

では、家庭で親は何をすべきか、学校教育において何をなすべきかについても触れられている。

どちらかというと、幼少期の子どもに接する人が心にとめるとより良い話が多いが、
育ってしまった子どもや大人にも、もちろん参考になる。

◇◇◇

そう、いくら赤子~幼児期に言葉が早かろうがとっきゅうでんしゃをすべて言えようが、
そんなことは「天才」の印でもなんでもない。
俯瞰すること、地道な努力、集中力、継続することこそが抜きんでた才を育てるのである。
そんなことも実感・痛感する今日この頃である。orz





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by chekosan | 2017-02-23 17:28 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

斎藤環氏は精神病理学者。サブカルチャー批評などでも活躍している。

本書は、斎藤氏と6人のゲストとの対談を収めている。
一つのテーマをめぐって、さまざまなジャンルの専門家と語るというスタイルは面白い。
よそ様でもそういう本の書評を書かせていただいたが、思いがけない知識や視点を得られ、お得である。

→関西ウーマン 信子先生のおすすめの一冊 『人はなぜ不倫をするのか』(亀山早苗)
 https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201061

本書のテーマは、日本の9割を占めるヤンキー的なるものについて。

村上隆氏(現代アーティスト)とはアートについて、
溝口敦氏(作家、ジャーナリスト)とはヤクザや暴力団とヤンキーとの関係、
デーブ・スペクター氏(プロデューサー、タレント)とは芸能界におけるヤンキー性について、
與那覇潤氏(学者、日本近現代史)とは政治、国家について、
海猫沢めろん氏(文筆家)とは若者から見たヤンキー分析、
隈研吾氏(建築家)とは建築について、それぞれ語っている。


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斎藤氏がヤンキー文化の特徴として挙げるのは次のようなことである。

 バッドセンスな装いや美学、「気合い」がすべて、頭や言葉を使わない行動主義、
 家族や地元といった中間団体に偏った愛=「絆」、個人主義の欠如、
 基本的にはコミュニケーションが得意だが中身はない、
 「夢」や「ポエム」を熱く語るが、その「夢」は実現可能な範囲にとどめておくリアリスト。

本文中には、そうしたものを象徴するキャラクターや作品、人物も出てくる。
あまりに遠慮なく、それらについて面白おかしく述べられているので、
ー いや真面目に語っているのかもしれないが、
  ヤンキー的表現(例えば「○○上等!」とか)はそれ自体が可笑しさを含んでいるのでー
しばらくは笑い飛ばしながら、うんうんあるある、と読んでいた。

なのだが、本書で例示されている具体的作品名やキャラクターや人物を列挙することには躊躇する。
なぜなら、それらを好む人、支持する人が固有名詞で何人も思い浮かぶからである。

斎藤氏が、日本の「9割」がヤンキー文化を受け入れているという主旨のことを書いているとおり、
ここで挙げられているようなヤンキー文化を無批判に好きな人はいっぱいいて、
そうした人の多くは、自分(たち)をヤンキーだとは思っていないだろうと思う。
それどころか、そんなことを考えたこともないだろう。

そんな風に考えたことがないということ自体が問題を孕んでいて、
危険性をも孕んでいると斎藤氏は論じていくのだが、
しかし、かといって、その人たちが頭が悪いとか、頭を使っていないとか、
言葉を尽くそうとしないとか、反知性主義かというと、
具体的な顔が浮かぶ私には一概にそうは言えない。そこがまた難しい。

◇◇◇

などと考えながら読み進めていくと、そのうちあらゆる現象が「ヤンキー」文化としてくくられ、
この論でいくと、私も立派にヤンキー精神を備えているという結論に至ってしまった。
なるほど、あれもそれもヤンキー精神に含めるなら、9割の人は該当するわ… (^^;

斎藤氏自身も、ヤンキー的なるものを内在していることを自覚しているというし、
ヤンキー精神がよい方向に働く場面も多々あると言っている。
すべてを否定的に断罪しているわけではない。

なのだが、もう一歩二歩踏み込んで、ではどうする?という指針を打ち出してほしい気がする。
それは精神病理学者の役割ではないのかもしれないが。

昨日読み終えた平田オリザ氏の具体的実践からの提言が響いただけに、
はじめ楽しく、あと??  という感じは否めない。

とはいえ、一気に読める面白さがあり、細部でいろいろ参考になる本ではあった。

◇◇◇

平田オリザ氏の本。『下り坂をそろそろと下る』の感想はこちらに。
http://chekosan.exblog.jp/26667213/



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by chekosan | 2017-02-21 17:21 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

平田オリザ氏は世界で活躍する劇作家、演出家で、教育者である。
先日、京都で開かれた国際教養学会の特別講演を聞きに行った。


題目は「教養としてのコミュニケーション能力」。
「グローバルコミュニケーション力」をつけることが急務だと言われているが、
コミュニケーション力とは一体何なのか、
エレベーターで外国の方と一緒になったときにハローと英語で話しかけることなのか。
いやそうではない、人に話しかけるということは、その地の文化や、その人の社会階層的なもの、
居合わせた人たちの関係性やその場の状況によって変わるものであろう、というお話から始まった。

では、どういう状況であれば、人はどう振舞うのか。
ちょっと想像してみること、そして、他人の状況や立場に思いを致すこと、
まったく一体になろうとしなくてもよい、共感しようとすること、
その共感の幅を広げることがコミュニケーションであり、異文化理解である。

平田氏は、演劇を取り入れたワークショップや地域活性化支援で全国津々浦々を駆け巡り、滞在し、
現地の子どもや大人と交流を重ねている。それこそ離島やへき地の小さな学校にも足を運ばれている。
その経験や手腕を買われて、いくつもの大学の新学科創設や入試改革にも携わっておられる。

本書では、そうした各地での実践内容や成果について詳しく紹介し、
日本の国のありかた、地方のまちづくりや、これからの教育のゆくえについて論じている。


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◇◇◇

私たちはすでに下り坂を下りている。日本はアジア唯一の先進国ではない。
この先、人がどんどん増え、右肩上がりに経済が拡大していくことは望めない。
その事実や寂しさに向き合うことを恐れる人々は、人を妬み嫉み憎むことでごまかしている。


地方から人が出て行ってしまう、新しい人が増えないという焦りは募るものの、
その対策はいまだに工場誘致であったり、住宅建設であったりする。

しかし、地方から若い世代が出て行ってしまうのは、実は雇用が少ないからという理由ではないという。
「つまらない」からであるというのである。文化的な刺激がない、偶然の出会いがないからである。

それなら、つまらなくないまちにすればよい、センスを磨けばよい。
選んでもらうまちをつくるには、自己肯定感を引き出すような、広い意味での文化政策と
ハイセンスなイメージづくりが必要なのである。

とりわけ、子どもが小さいころから本物に触れる機会を設けることが重要である。
それもシャワーのように浴びせかけないと、
地方の子どもたちは、いろんな機会が溢れている都市の子たちに太刀打ちできない。

なぜなら、これから必要とされるのは単純な知識量ではないからである。
言われたとおりに動くだけならば、代わりはいくらでもいる。
代わりは人間でさえない。AIで置き換えられるのである。

平田氏は、問題解決能力よりもさらに、問題を発見できる能力が必要だと言う。
それには幅広い視野と、人の状況に思いをはせる力が必要なのである。

ところが、そうした能力やマナーや振る舞い、
ー つまりそれこそがコミュニケーション能力なのだが ー

それを養うには、20歳ごろまでの環境が大きく影響するのである。

小さいころから本物を見たり触れたり体験したりすること、
それによって身体感覚(例えば味覚やセンスなど)を養うには、しかし、
首都圏と大都市圏、地方都市と都市でない地域で、相当に機会の差がある。
そのような「文化資本」の地域格差は何倍どころか、百倍くらい違うという。

さらに、「文化資本」は、家庭の経済状況や親の文化的な習慣にも大きく左右される。
地域格差と経済格差が掛け合わされると、圧倒的な差ができてしまう。

では地方には救いがないのかというとそんなことはない。
本書で平田氏が紹介している自治体や大学などは、いずれもかなりハンデがある地方だが、
新しい文化の拠点、新しい試みが成功しているところとして、
日本中から、世界から、注目を集めている。

◇◇◇

以上は、私がもっとも惹かれた部分を簡単に記したものなので、
詳細はぜひ本書を読んでいただきたい。
わかりやすい文体で、さらさらと読むことができる。おすすめの一冊。







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by chekosan | 2017-02-20 19:10 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)