中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan

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「関西ウーマン」に月一回連載させていただいている書評、
今月は、「学者芸人」サンキュータツオさんの『ヘンな論文』です。

いつも「関西ウーマン」では、おすすめできる本を厳選して紹介していますが、
これはもうホントにおすすめです!
タイトルだけだと、トンデモ論文を集めた本みたいですが、そうではありません。

大まじめな論文をわかりやすく面白おかしく紹介しながら、
学問、研究の楽しさとそれにかける研究者の情熱に敬意を払うものです。


書評には盛込ませんでしたが、イラストがまた楽しいのです。続編を激しく希望♫

本文はこちら。 https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201078




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by chekosan | 2017-03-12 11:41 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)

すーーっと入ってくる一冊、いや先日読んだ『下り坂をそろそろと下る』と合わせると2冊。
平田オリザ氏の著作やお話は、まさに腑に落ちると言う表現がぴったりくる。
本書は、あまりに一気に読めてしまって、メモを取るヒマすらなかった。

◇◇◇

コミュニケーション能力が必要とかまびすしいが、さてそれはどういうものかというとはっきりしない。

主体的であること、自分の意見をはっきり言うことを求められながら、
同時に空気を読め和を乱すなと言われるような、「ダブルバインド(二重拘束)」、
つまり二つの矛盾したコマンド(特に否定的なコマンド)が強制される状態が見られる。

日本社会全体は、「異文化理解能力」と日本型「同調圧力」のダブルバインドにあっている。

平田氏は、いまの子どもや若者にコミュニケーション能力がないとは思っていない。

そもそもコミュニケーションの方法にもいろいろあって、
たとえば身体による表現は、中高年男性よりも若者の方がよっぽど優れているという。

しかも、いま日本で求められている「コミュニケーション能力」と呼ばれるものの大半は、
ほとんどがスキルやマナーの問題であり、教育可能なものである。

ただし、コミュニケーション能力=ペラペラしゃべることではない。

価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべりである「会話」と、
あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換、
あるいは親しい人同士でも価値観が異なるときに起こるその摺り合わせである「対話」とは違う。

日本社会の「わかりあう文化」「察しあう文化」においては、
この「対話」の習慣や訓練が成り立っていないのではないかと平田氏は指摘する。

異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度、
議論をすること自体に意義を見いだす「対話的精神」を養っていく必要があるのでないかという。
これは、AかBかで論戦をして相手を打ち負かすこととも区別される。


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◇◇◇

言葉や表現というのは、関係がなければ生まれないという指摘も非常に納得できる。

例えば、男性上司の部下に対する言葉づかいを女性上司が部下にすると違和感がある。
それは、そのような関係性が最近までなかったからである。

では、男女関係なく、きちんとした場で上下関係なく使っておかしくない言葉遣いはと考えると、
少し丁寧な、きちんとした言い回しだろうということになる。
ならば、みながそうしたきちんとした言い回しを定着させていくのが適当であろう。

そうした実践が、無意識のうちにある上下関係や性差を越えて
「対話」や議論のできる関係性や場をつくっていくのである。

◇◇◇

この点は、我々の業界(大学教員同士)は相対的にマシだと思う。
良くも悪くも一国一城の主的な意識が強く、それぞれの専門性に敬意を払う習慣があるので、
職階とか性差によって言葉づかいを変えることはほとんどない。
お互いにきちんとした言葉で話し合える環境、議論できる環境は、誰にとっても心地よいと思う。

◇◇◇

では、「対話」ができる関係性をつくるようなコミュニケーション教育とはどうあるべきか。

国語教育では「きちんとしゃべれ」「論理的にしゃべれ」「無駄なことは言うな」と指導しがちだが、
「無駄を省く」ようなことばかりを指導していてはいけないのではないか、
「対話」はそういうものではないという指摘には軽くショックを受けた。

さらに、教える側や上司が、つい「答え」を言ってしまったり誘導してしまったり、
子どもや若者や部下が話しかけやすい・言葉を発しやすい場をつくりもせずに
今の若者はコミュニケーションできない、意見も言わない、などと言うのは、
(上司の側に)そうした環境を作る能力がないことの表れだという指摘には反省した。

「協調性」(価値観を一つにして一致団結)から、
「社交性」(価値観はバラバラなままでどうにかしてうまくやっていく能力)へ、
という考え方は私もまさにそのように考えて、そう意識して授業をしてきたが、
どうもうまくいかない場面が生じたとき、コミュニケーション能力と人格を混同し、
どうすればうまくいくかという追究を諦めてしまっていたかもしれない。

これまで以上に、スキルの問題、マナーの問題、教える側の力量の問題として、
コミュニケーション教育の見直しをはからねばと思う次第である。





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by chekosan | 2017-02-26 23:11 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

平田オリザ氏は世界で活躍する劇作家、演出家で、教育者である。
先日、京都で開かれた国際教養学会の特別講演を聞きに行った。


題目は「教養としてのコミュニケーション能力」。
「グローバルコミュニケーション力」をつけることが急務だと言われているが、
コミュニケーション力とは一体何なのか、
エレベーターで外国の方と一緒になったときにハローと英語で話しかけることなのか。
いやそうではない、人に話しかけるということは、その地の文化や、その人の社会階層的なもの、
居合わせた人たちの関係性やその場の状況によって変わるものであろう、というお話から始まった。

では、どういう状況であれば、人はどう振舞うのか。
ちょっと想像してみること、そして、他人の状況や立場に思いを致すこと、
まったく一体になろうとしなくてもよい、共感しようとすること、
その共感の幅を広げることがコミュニケーションであり、異文化理解である。

平田氏は、演劇を取り入れたワークショップや地域活性化支援で全国津々浦々を駆け巡り、滞在し、
現地の子どもや大人と交流を重ねている。それこそ離島やへき地の小さな学校にも足を運ばれている。
その経験や手腕を買われて、いくつもの大学の新学科創設や入試改革にも携わっておられる。

本書では、そうした各地での実践内容や成果について詳しく紹介し、
日本の国のありかた、地方のまちづくりや、これからの教育のゆくえについて論じている。


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◇◇◇

私たちはすでに下り坂を下りている。日本はアジア唯一の先進国ではない。
この先、人がどんどん増え、右肩上がりに経済が拡大していくことは望めない。
その事実や寂しさに向き合うことを恐れる人々は、人を妬み嫉み憎むことでごまかしている。


地方から人が出て行ってしまう、新しい人が増えないという焦りは募るものの、
その対策はいまだに工場誘致であったり、住宅建設であったりする。

しかし、地方から若い世代が出て行ってしまうのは、実は雇用が少ないからという理由ではないという。
「つまらない」からであるというのである。文化的な刺激がない、偶然の出会いがないからである。

それなら、つまらなくないまちにすればよい、センスを磨けばよい。
選んでもらうまちをつくるには、自己肯定感を引き出すような、広い意味での文化政策と
ハイセンスなイメージづくりが必要なのである。

とりわけ、子どもが小さいころから本物に触れる機会を設けることが重要である。
それもシャワーのように浴びせかけないと、
地方の子どもたちは、いろんな機会が溢れている都市の子たちに太刀打ちできない。

なぜなら、これから必要とされるのは単純な知識量ではないからである。
言われたとおりに動くだけならば、代わりはいくらでもいる。
代わりは人間でさえない。AIで置き換えられるのである。

平田氏は、問題解決能力よりもさらに、問題を発見できる能力が必要だと言う。
それには幅広い視野と、人の状況に思いをはせる力が必要なのである。

ところが、そうした能力やマナーや振る舞い、
ー つまりそれこそがコミュニケーション能力なのだが ー

それを養うには、20歳ごろまでの環境が大きく影響するのである。

小さいころから本物を見たり触れたり体験したりすること、
それによって身体感覚(例えば味覚やセンスなど)を養うには、しかし、
首都圏と大都市圏、地方都市と都市でない地域で、相当に機会の差がある。
そのような「文化資本」の地域格差は何倍どころか、百倍くらい違うという。

さらに、「文化資本」は、家庭の経済状況や親の文化的な習慣にも大きく左右される。
地域格差と経済格差が掛け合わされると、圧倒的な差ができてしまう。

では地方には救いがないのかというとそんなことはない。
本書で平田氏が紹介している自治体や大学などは、いずれもかなりハンデがある地方だが、
新しい文化の拠点、新しい試みが成功しているところとして、
日本中から、世界から、注目を集めている。

◇◇◇

以上は、私がもっとも惹かれた部分を簡単に記したものなので、
詳細はぜひ本書を読んでいただきたい。
わかりやすい文体で、さらさらと読むことができる。おすすめの一冊。







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by chekosan | 2017-02-20 19:10 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

サロン的空間をやたら夢想していた時期があった。

家に収められない本を並べ、趣味の合う人と話したり食べたり音楽を聴いたりしたいなあ、
それもできれば雰囲気のあるちょっと古い建物とか、と。

建築士と家をつくり、その家を住みこなしていくことで自分の空間を持つ欲はいったん満たされた。
日々の仕事や家事育児に忙殺され、しばらく別宅サロン構想は頭から遠のいていた。

勤務先にも研究室を持つようになって、
本を収めたり、業務上・教育研究上の相談をしたりする空間には困らなくなった。

真夏の数日間、あああ避暑地に別荘が欲しい! 冷房のいらないところで知的活動をしたい! 
そこで人と小さな集まりをもったら楽しそう! と猛烈に別荘欲が募ることはある。

「第三の居場所」「サードプレイス」といった系の言葉や活動の事例にも異様に惹かれる。

が、空間としての、物体としての不動産を、自宅と別にどうしても私有したいのかというと、
どうもそれとは違うように思えてきた(余裕があれば持つことにやぶさかではないが)。

だいたい私は、人が少なすぎるところとか、何もないところとか、
車でないと行けないようなところにじっとしてはいられない。

そのくせ、よほどでないと人を家に招きたいとも思わない。
自宅は自宅として好きに過ごしたい。しかももともとが出不精。
なんだろう、この矛盾。

そんなことを、日々つらつらと考えて、ちょっと見えてきた。

欲しいのは、私的財産としての不動産ではなく、
半私的半分オープンな知的・美的な交流がはかれる「場」や、
もっと言えば「機会」なのではないか。


◇◇◇

「場づくり」「居場所」「サードプレイス」関係の本や記事はちょこちょこ読んでいる。

この本もその一つ。
熊倉敬聡ほか『黒板とワイン もう一つの学び場「三田の家」』(慶應義塾大学出版会 2010)


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慶應の先生方が、三田のキャンパス近くの古い一軒家を借り受けて、
学生、教職員、地域の方、卒業生などが集う「インターキャンパス」として活用した記録。
非常に多くの人が関わり、手を入れ、外に開き、交流した様子が見て取れる。

各曜日の「マスター」(慶應の教員)が、その曜日の運営を任される。
留学生と日本人学生の交流の場とする曜日もあれば、ゼミ活動主体の曜日もある。
学生や教員が企画する特別イベントを開く日もあれば、特に何も予定されない日もある。

普通の民家であることは、教室における学生や教員間の緊張を解く効果があるようだ。
マスターや料理好きな人が腕を振るい、おいしいものを一緒につくり、食し、片づけるなかで
教室では出てこない本音が聞けることもあるという。

ただ、そうした時間・空間を通常の大学の業務と別に運営することは、
刺激的で楽しい半面、負担や疲労も生じさせ、マスターが疲れてお休みする日もあったという。
そんな正直な感想も記されているところが参考になる。

(※「三田の家」は今はないとのことである)


◇◇◇

「三田の家」のこと、この本のことは、
東京でサードプレイスづくりを実践されている方から教えていただいた。

一年ほど前、冒頭に書いたような夢想を書いた本ブログの記事をその方がご覧になり、
その方が京都にお持ちの建物で、そうしたことをしませんかと声をかけていただいた。

以後、ほかの方も交えて、メールや現地でのんびりペースであれこれお話をしてきた。
最近は、オーナーたちと場づくりの参考になるところに見学に行くことも増えてきた。

見学先では、どうやって運営しているのか、誰を対象にしているのか、
収益は、所有者は、活動時間は、広報は、といった話もうかがうが、
それをきっかけにいろんな話題が飛び出し、
その人知ってますよとか、あら同じ大学の出身ですねとか、
○○もいいですよとか、××はステキですよねなどと話が弾み、
新しい世界や、新しい人たちと繋がっていくこと自体がまた楽しい。

実は、そのこと自体が既に、私の欲する「場」なのではないかと思うようになっている。

◇◇◇

と書くと、いやいやそれで満足してもらっては困りますよ、
建物そのものを活用してほしいんですよ、と言うオーナーの声が聞こえてきそうである。

わかっていますよ、空間を持っているからこそできることがありますよね。
建物や土地自体のもつ磁力が人を呼ぶことも、
そこを媒介として新たな出会いが化学反応を起こすことも楽しみですから。


というわけで、サードプレイスづくり、みんなであれこれあれこれ考えながら、
京都は衣笠の地で、夢想段階から計画段階、実行段階へと移りつつあります。





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by chekosan | 2017-02-15 12:01 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

2016年度秋学期に初開講した「特殊講義 ロシア・東欧の政治と社会」@同志社大学法学部、
成績も授業講評もすべて終えました。

この科目は、春学期開講の「ロシア・東欧地域研究」の発展形にするつもりで、
セット科目ではないが「ロシア・東欧地域研究」の内容を踏まえて進めるとシラバスに書きました。

*「ロ・東欧地域研究」は3・4年生対象科目なので、それを修めていることを前提にすると、
 履修の機会が減じてしまうことになるので、次年度はその文言は省き、門戸を広げました。さてどうなるか。


「ロ・東欧地域研究」も密にコミュニケーションをとる授業にしましたが、
特殊講義は完全にゼミ形式で、とにかく本を読み、語り合う場にしました。

あまりにハードなシラバスにしたため、受講生がほとんどいないという事態になりましたが(笑)
しかし、それだけにたいへん意欲的な学生たちだったので、どんどん読み進めていくことができました。

今期、読んだ本は次のとおりです。8作品、文庫本の巻数を数えると17冊になります。

・ジョージ・オーウェル『動物農場』
・    同     『一九八四年』
・西川伸一『動物農場の政治学』 以上のまとめは→ http://chekosan.exblog.jp/26307633/
・村上春樹『1Q84』全編  http://chekosan.exblog.jp/26395672/
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』 http://chekosan.exblog.jp/26418847/
・   同    『冗談』 http://chekosan.exblog.jp/26437548/
・   同    『不滅』 http://chekosan.exblog.jp/26497899/
・   同    『小説の技法』  http://chekosan.exblog.jp/26553773/
・ヤロスラフ・ハシェク 『兵士シュヴェイクの冒険』 http://chekosan.exblog.jp/26585240/


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村上春樹と『動物農場』は比較的読みやすいですが、ほかはすんなりとはいきません。
このペースで読んでいくのは、けっこうきつかったのではないかと思います。

毎回、発表者にレジュメを作ってきてもらい、はじめにざっと報告をしてもらいました。
そのあとはみんなで好き勝手にあれこれしゃべっていきます。

初回に院生アシスタント君が報告をしてくれたのが良いお手本になったと思います。
とはいえ、レジュメや発表には決まった書式や項目や分量は設けませんでした。

ですので、発表者によって目をつけるところ、発表の仕方がかなり違いました。
そのことがまたお互いの刺激になったと思います。

全員が感想に書いたのは、自分が担当した作品はやはり読み込み方が違ったということです。
そうだろうなあと思います。

どこを取り上げて、どう再構成するか考えて準備するのは、読むだけとは全然違います。
私はほとんどの作品が再読でしたが、それでも読んでメモをとるだけで相当きつかったです。

報告後、流れにまかせて語り合うときの分析や感想にも、個性が出ていたと思います。
思想や哲学、文学に関心を持つ院生君はそうした観点からの見解を述べてくれましたし、
女性陣はジェンダー的な観点から登場人物を品定め(?)していたように思います。

クンデラの作品では、学生陣と私とで、実感に差があるように見受けられました。
なにしろクンデラの作品は、山あり谷ありの中年男女の生々しい話が多いですので。(^-^;

でも、だからといって若い人にはわからないということではありません。
学生たちは学生たちで、若者という人生の段階でこその受け止め方で、
自らにひきつけて考え、咀嚼し、糧にしようとしてくれていました。

ああこれからの人たちってまぶしい! 私はすっかりスレてしまったわなどと思ったり。
まあそれは半分冗談ですが。

そんな感じで、雰囲気はゆる~く楽しく、ペースは速く。
私には、あっという間に学期が終わったように感じました。

私のFacebookやブログでの報告があまりに楽しそうだったらしく、
何人かの教員仲間や読書友達が、どんなふうに進めているのかと聞いてきてくれました。

今期の場合、

シラバスでかなりハードな設定を提示したこと、
それでもと覚悟をもってきた学生たちなので意欲と能力が優れていたこと、
少人数ゆえ、ハードであってもアットホームにできたこと、
院生君が自ら楽しんで授業に参加し、手本となり、助言者となってくれたこと、
おかげで、先生はニコニコ優しくいられたこと(笑)、

これらが良い作用をもたらしたと思っています。

来年度は、履修の前提条件を変更したので、違った様相を見せるかもしれません。
そのときはそのときで、別の刺激をもらえると思います。
既に今から楽しみです。








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by chekosan | 2017-02-10 23:49 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)

2016年8月にベルリンで見てきたシュタージ(旧東独の秘密警察)関連施設について、
小さな論稿にまとめました。

「「負の遺産」をどう伝えるか ー旧東独のシュタージ(国家保安省)関連施設の事例ー」
   流通科学大学論集 人間・社会・自然編 第29巻2号 2017年1月発行
本文こちらからご覧いただけます。


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現職も初年次教育に専念するポジションですが、
研究費や競争的資金獲得に関してはなんら差や制限がなく、
たいへんありがたいことに2年連続で特別研究費をいただいています。

それを活用し、ドイツやチェコが、
「負の過去」をどのように市民に伝えようとしているかを
伺い知ることのできる施設や展示を見てきました。
今回は、そのうちベルリンの旧シュタージ施設を取り上げました。

院生時代にチェコスロヴァキアの秘密警察がらみの論文を書いていて、
そのときからの問題意識と、

「過去をどのように伝えるか」
「負の遺産を現在と未来にどう生かしていくか」
「教育、文化施設は政治的・歴史的関心をどう扱っているのか」

といった、ここ数年の関心とをつなげることができました。
そういう意味で、小論ですが愛おしい一本となりました。

まだまだ発展していきたい・いけるテーマだと思っています。
さまざまな国の同様の施設などを見て、比較していけたらと思います。

ベルリン・プラハ行きに当たっては、ドイツ在住の女性研究者のお二人、
山内麻貴子さんとNicole Keuschさんに多大なご協力をいただきました。
ありがとうございました。






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by chekosan | 2017-02-06 12:51 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)

同志社大学法学部の特殊講義「ロシア・東欧の政治と社会」、最後のシリーズは、
ヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』でした。

これも太めの文庫本4冊にわたる長編。でも未完。
作者が生きていたらどんな大長編になっていたのだろう。読みたかった。

正確には、本編は3冊とちょいで、残りは短編や書簡、訳者解説なのですが、それでも長いには違いない。

風刺小説でテンポが良く、挿絵の魅力も相まって、とっても面白いのですが、
なにしろ第一世界大戦のお話なので、時代背景を知らないとけっこうチンプンカンプンだったようです。(^^;)

しかも授業は最後の2回だけしか割かなかったので、ちょっと駆け足になってしまいました。
年度を越えてもう一度読むのもいいかもと話しています。

私は20年ぶりくらいの再読でしたが、やっぱり面白かったです。シュヴェイク最高。

ものすごいテンポ感で、登場人物たちの切れ目ないおしゃべりに乗せて、
皇帝、帝国、聖職者、軍隊、警察といった権威や権力者、権力機構や、
メディア、マーケット(例えばペット産業)のいいかげんさや俗物根性を徹底的におちょくります。

さらっとブラックなユーモアも紛れ込んでいるので見逃せない。
シュヴェイクの身の回りの世話をしていたミュレロヴァーさんなんて
何もしていないのに強制収容所に連行されています。

一番面白いのは1巻なのですが、1巻は絶版なんです。ぜひぜひ復刊してほしいなあ。。。

で、この作品の一番の面白さは、主人公シュヴェイクをはじめとする登場人物が、
なになにと言えば、どこどこの誰それさんがああしてこうして、、、と
ホラなんだかどうなんだかよくわからない事例をノンストップで話すところなのですが、
土地勘がないとこれがピンとこないのです。

そこで、受講生の一人が、シュヴェイク地図を作ってくれました!

これがすごいんです! 
チェコの地名って、当時と、翻訳された時代と、そして現在では、結構変わっているんです。
それを脚注や今の地図などを確認しながら、現在の地図に書き込んでいってくれたんです。



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しかもですね、地図上のイラストも受講生の手描きなんです。スキャンして貼ったのではないんです。
ヨゼフ・ラダの挿絵を見て描いたんですって。もう、ラダの代わりに挿絵が描けるレベルです!

そして、手描きイラストは、そのシーンの舞台である場所にだいたい対応させて配置してあります。
さらに、写真には入れませんでしたが、地名一覧と初出のページは別の紙に書きだしてあります。

この地図自体が一つの作品ですよ! °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
こういうことを自ら思いついて、楽しんで取り組めるというのは素晴らしいですね。

でも、この地図は、文庫で言うと2巻までなので、代々引き継いでシュヴェイク地図を完成させようか、
クンデラ地図も作ったら面白いかも、さらにその町が今はどうなっているかを
グーグルアースなんかで確認していくなんてのもいいかもね、などと、おおいに盛り上がりました。


この授業は、私からこうしろああしろと指示しなかったのですが、
このように、それぞれの回の報告担当者が、毎度、力作の資料を作ってきてくれました。

読むだけでも大変だったと思うのです。再読の私でもけっこうキツキツギリギリでしたから。
よくぞがんばってくれました。おかげで実に楽しい時間でした。


この科目、いったいどういう科目で、どう進めているの?と聞いていただくことが多いので、
学期を通しての授業のまとめは、また別稿で詳しく記録したいと思います。乞うご期待(?)









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by chekosan | 2017-01-26 15:27 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)

30歳を超えた「社会学者」、いまだ「くん」づけで新書のタイトルになっています。
そろそろそこからも脱皮されようとしての、この対談集なのでしょうか。
あるいは、このキャラなりポジションを確固としたものにするためのものなのでしょうか。

古市氏の本は何冊か読んでいますが、大御所との対談本はどれも面白かったです。
そういう役回りに向いているように思います。

この本でも、活躍中の社会学者12人にインタビューをしているのですが、
「社会学って何ですか」という問いがテーマということもあって、
対談にありがちな内輪話や注が必要な専門的な話に陥らずに、
読者が知りたいところを的確に聞いて、わかりやすい対話にされていると感じました。

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12人の社会学者は、それぞれの言葉や信念をもって「社会学って何」という問いに答えています。

上野千鶴子氏は、「社会と個人についての学問」、もっと厳密に言えば、
「人と人とのあいだに起きる現象について研究する学問」であると言います。

佐藤俊樹氏は、社会学とは、「物事を関係として捉えるもの」、「その人が抱えていることをより明確な言葉にして、問題の本当のありかを考えやすくする」手助けとなれば、と話します。

これに関連しますが、複数の学者の説明で出てきたのは、
「社会学者はシャーマンである」という言葉です。

大澤真幸氏の説明によれば、言語レベルで持っている規範意識と
直観的にわかっていることのあいだのズレを説明する役割ということになります。

山田昌弘氏はミルズの「社会学的想像力」という言葉をひいて、
一見個人的に見える問題でも、その裏には社会的な構造や、その変化がある、
そこをつないで分析するのが社会学であると説明しています。
これもわかりやすい説明だと思いました。

社会学とは何をする学問かというところでは、どの学者も大枠で一致していますが、
それをどう使うか、何のために取り組むかというところでは、それぞれ少しずつ個性が出ます。

上野氏や本田由紀氏は、ある状態やシステムに対する怒りがあって、
それを打倒するために社会学という学問をしていることを前面に出しています。

上野氏は「敵」という言葉を用いて、そうしたスタンスを明確に表現しています。
古市氏が上野氏に、学者は中立でないといけないのではと訊くと、
上野氏は「問いに中立も公平もない」と切って捨てます。

そのあたりの各氏の立ち位置や、求めることの違いも面白いところでした。


あとの方の回では、対談相手から「では古市くんにとっての社会学は?」と尋ねられます。

それに対する古市氏の答えは、

  「この社会がすべてじゃないよ」という別の選択肢や可能性を
  歴史、制度、意識の分析などいろんな手法によって見せてあげるもの
     -本田氏の問いに対して

  あり得たかもしれない社会や自分を構想する学問
  この社会に対して絶対視しがちだが、オルタナティブ(代替案)を提示するもの
     ー開沼博氏の問いに対して


この古市氏の答えが、私にはなんだか一番すっきりと腑に落ちました。


全体を通して、社会という大きなものを対象とする学問の特性と面白さを、
専門家がわかりやすく説明してくれる良書だと思いました。



ただ、「政治学は政治現象を研究する学問」「政治学は政府の行動を研究する学問」
という説明をしている部分には、ちょっと唖然としました。
雑すぎて説明になっていないと思います。
「政府の行動」なんて、政治学のごくごく一部です。

うーん、社会学者がそんな風にまとめてしまうくらいだから、
学生が、政局解説とか、政治家のスキャンダルを暴く!みたいな話を
政治学の授業に期待するのも無理ないか。

じゃあ政治学ってなに? 政治学を通して、人は/私は何をするの/できるの?
ということを説明するとしたら、、、難しい。

しかし、政治学を教える者としては、その問いに答える必要があるわけで、
自分も学生もすっきりと腑に落ちる説明ができるように研鑽を積みたいと思います。
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by chekosan | 2017-01-22 21:56 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
流通科学大学の1年生ゼミの授業が終わりました。
補講は残っていますが個別指導にするので、クラス全体の一斉授業は今日で終わり。

本務校の初年次教育は一風変わっていまして、前期はべったりクラス単位で活動します。
後期は普通に週1回の別の科目になるのですが、実質的に1年間のゼミという雰囲気です。

合宿に行ったり(私は今年度はインフルエンザで休んでしまいましたが…)
フィールドワークで大阪に行ったり、ポスター発表をしたり、学園祭展示をしたり。

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11月頃からは完全にゼミ独自の活動をするのですが、
私のクラスはレポートを書くために資料を探す、調べる、書くことを反復しました。
その一環で、昨年度トライして奨励賞をもらった新聞協会のコンテストにも応募しました。
週ごとに、図書館で資料を探すときの手順や勘が養われていくのを確認できたのは収穫でした。

とはいえ、学生からすると、まったく遊びの要素がなく、
(おそらく他のクラスより)きつい課題を次々出し続ける、
地味で面白みのないゼミと思われているだろうなあと思っていたのですが、
クールに構えているように見えていた学生が、
「クラス授業好きだったので今日で終わるのがさみしいです」
と書いてくれたのは嬉しい驚きでした。

文句も言わず、よくがんばってくれました。
本当に真面目で手のかからない、授業のしやすいクラスでした。
みんな、このあともぐんぐん力を伸ばしていってほしいなあ!
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by chekosan | 2017-01-20 14:06 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
関西大学法学部の外国書研究の秋学期授業が終わりました。

今期は、オリンピックと持続可能性、クールジャパン、
日本の果物市場、動物福祉とエシカル消費などの英文記事を読みました。

この種の授業では、英文読解するだけでなく、
記事に関連する事項を各自で調べてくる小レポートを課しているのですが、
今期はその発表を、小グループに分かれてお互いに披露し合った後に、
代表者がグループ内の話題をクラス全体に簡潔に紹介する形にしてみました。

先生が介在しないと緊張しないのか、和やかにていねいに発表できる模様。
聴いている学生からも、へええ~~!といったような声も出てきて、なかなか楽しそう。

こうすると全員が全員の発表を聞くことはできないのですが、
小グループの組み合わせはその都度、変えるようにしたので、
全員が全員と小さな輪で言葉を交わせる機会も作れました。
このやり方の方が学生同士が打ち解けられて良いかなと思いました。

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関大は真面目で穏やかな学生ばかりなので、私の癒しタイムになっています。
そのせいか、雰囲気的には年々ゆるゆるな先生になっているような気がします。

でも、一コマで読み進める英文の量は変わっていません。
毎回ランダムに訳を当てるのも同じですし、訳す量も一定にしていません。
次にどこが当たるか予測しづらくしているので、私語や居眠りは皆無です。
緊張感と節度をもって授業に臨んでくれているようです。

毎回やりとりしている受講カードも今日でラストでしたが、
接しやすくて話が面白い、楽しかったですと書いてくれている学生がいました。
良かった! ありがとう。
来年度も楽しくためになる授業にしたいと思います。^^
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by chekosan | 2017-01-19 15:46 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)