中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan

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流通科学大学の初年次生対象科目「文章表現Ⅱ」第一週が終わりました。

初年次科目全体のカリキュラムの一部変更に伴い、
今年度、この科目はクォーター開講(6-7月、8週、週一回連続2コマ)から、
セメスター科目(4-7月、15週、週一回1コマ)となり、
受講対象者、受講の仕方、クラス分けの仕方、履修指導の時期や方法なども変わりました。

3年目にして、またまた新しい条件のもとで授業をすることになりました。

一回目の授業は、オリエンテーション。「文章表現Ⅱ」の授業概要を説明しました。
過去2年の授業の様子や活動の様子をスライドで見せながら話したので、
どんなことをするのかイメージや全体像がつかめたようです。

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SA(ステューデントアシスタント)さんに撮影をお願いしました。
SAさんは昨年の受講生です。横浜の図書館総合展にも一緒に行ってくれました。


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まさに百聞は一見に如かず。
先輩たちの作品を提示することでイメージが作れたようです。


今年も「学習記録カード」で毎週、意見や感想をやりとりしますが、

「不安だったけど楽しみになりました」という安堵の声、
「国語や小論文は得意・好きなので楽しみ」という頼もしい声、

そして! とっても嬉しい今年の特徴!

「本が好きなので楽しみ」「先生のおすすめの本も教えてください」という声が!
それも何人もが!


この科目、今年は「履修を推奨する」という位置づけで、
取る場合はクラスが前もって指定されています。

「文章表現Ⅱ」には、事前アンケートで、
高校で卒論レポートを書いていたり、小論文や国語系の選択科目をとっていたと答えたような、
ある程度、文章の書き方などを学んできた学生が配置されています。

つまり学習経験のある学生が集まっています。が、完全な希望者というわけではありません。
ですが、カードの記述や、授業態度、授業後の質問内容などから、
経験値だけではなく、意欲も高そうな学生たちのように見受けられました。

過去2年も、意欲的であったり、勤勉だったり、作業がていねいな学生の割合が高い科目でしたが、
今年もかなり期待できそうです。

図書館とのタイアップ、学外の書店様との連携、学内外への発信、学内外での交流を継続・強化し、
さらに今年は「学生協働による授業と授業外活動の展開」をテーマにさらなる進化をはかります。

体と手と頭と口を使った楽しくてためになるアクティブなアカデミック・ライティングの授業、
集大成?ピーク?の年にしたいと思います。

ということで、今年もますます情報公開、情報発信を進めます。


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テキストも出しました。(^▽^)/ スライド11番の写真がそれです。
共著『アカデミック・ライティングの基礎』、晃洋書房さんから4/20一般発売です。
この本に関しては、また別途、お世話になった皆様へのお礼を兼ねて報告します。





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by chekosan | 2017-04-14 22:50 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
合宿明けの初年次ゼミ、大学での学び方や大学生活に慣れるためのプログラムから開始です。
今週は、先輩学生たちが大学生活でがんばっていることなどを話しに来てくれました。

一人目はベトナムからの留学生君です。
もちろん日本語でスピーチも質疑応答もこなしました。すばらしい!
明るい人柄なのも功を奏したか、一年生から次々質問が出ました。

二人目は昨年の私のクラスの学生です。この時間のアシスタントにも入ってくれます。
彼女は自分の関心や目標と、本学のさまざまな科目やプログラムを上手にマッチさせ、
友達づくり、海外研修、学園祭実行委員会、地域人材プログラムなど
大変充実した一年を過ごしたことを真摯にていねいに話してくれました。

2人ともスライドも上手に作っていましたし、話しぶりも好感が持て、
学生生活の面でも、プレゼンテーションの面でも、一年生の良いお手本になってくれました。
学生は、先生よりも先輩の話や振る舞いに影響を受けるので(笑)、二人には感謝感謝です!

一年生も、きちんとした態度で話を聞き、きちんとした言葉で、良い質問を次々出せていました。
なかなか良いスタートを切れています。


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※写真は顔が特定できないよう部分的に加工しています


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by chekosan | 2017-04-12 21:13 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)

流通科学大学の一年生対象科目「文書表現Ⅱ」の授業内容と、
その受講生達との課外の活動についてまとめた教育実践論文が出ました。


「読書推進教育における図書館および書店との協働
      ー流通科学大学初年次科目「文章表現Ⅱ」の取り組みー」

 『流通科学大学高等教育推進センター紀要』第2号(2017年3月)


図書館を使った授業、須磨区の井戸書店の森忠延さんに来ていただいたゲスト講義、
有志学生による授業成果物の学園祭展示企画、図書館総合展での学生によるポスター&口頭発表等、
初年次生向けの基礎の基礎である、読んだり書いたりといった科目でも、
いろんな方からのまなざしと評価を受け、知的な刺激を受ける機会が作れました。

今回は、私の単著論文という形はとっていますが、
授業と活動の中身は、この科目を一緒に練り上げていただいている桑原桃音先生と、
図書館長はじめスタッフの方々、井戸書店の森さん、
受講生のみなさん、とりわけ授業終了後に有志で活動したみなさんとの協働の賜物です。

2017年度は少し受講者数が増える予定です。
2016年度に一緒に活動してくれた学生たちに、より一層授業運営に関わってもらい、
さらなる進化を遂げることができればと思います。

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by chekosan | 2017-04-07 22:10 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)
2017年度の初年次ゼミが始まりました。

4月1日に入学式、5-6日は兵庫県ハチ高原で合宿です!

今年は960人が入学し、その半分ずつが日をずらして合宿します。
つまり、500人近くが一斉にバスを連ねて移動しました。

宿泊先の目の前はゲレンデです。まだ雪が残っていました。
幸い私たち前半クラスのグループは、初日は暖かくてほどほどの曇り、
二日目も帰る前までは雨が降らずに済んだので、外でのアクティビティもできました。

雪を見るのが初めてという留学生もいたので、
なるほどこういう環境も悪くないなと思いました。

こうしたアクティビティの専門家のインストラクターさんたちが、
クラスに2人ずつファシリテーターとしてついてくださいます。

けっこう体と頭を使わないと達成できないアクティビティ続きで、
若者たちでも「疲れた~~」「筋肉痛になった~~」とワーワー言っていました。

帰りのバスはみんな熟睡。おつかれさまでした。

来週からは通常の授業が始まります。
キャンプで培ったコミュニケーション力やグループ力を発揮してほしいものです。


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by chekosan | 2017-04-06 19:04 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
第23回大学教育研究フォーラム(於京都大学)で、同僚の桑原桃音先生とポスター発表をしてきました。

昨年は桑原先生と口頭発表をしましたが、
秋の図書館総合展でのポスター発表で説明に立ってくれた学生たちが、
たくさんの方とじっくりお話できて得るものが多かったことから、今年はポスター発表にしました。

タイトルは、
「授業と図書館と地域書店の協働による読書推進教育の実践 -学生協働への展開に注目してー」。

流通科学大学の一年生の科目「文章表現Ⅱ」の授業実践と、そこから発展した読書推進活動の報告です。
すでに流通科学大学高等教育推進センター紀要に論文を書いているので(まもなく刊行)、
それに桑原先生の考察を加えていただき、二人でまとめました。

事前に提出した発表要旨はこちら
ポスターではさらに、担当教員以外からの多様な他者からの「まなざし」と「評価」が、
学生の意欲、主体性を高め、自分たちの学習や活動を相対化させることを報告しました。


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ポスター発表会場は、京都大学吉田キャンパスの百周年時計台記念館です。
天井が高く、赤じゅうたんの広い会議室。使えるスペースもゆったりしていてありがたかったです。

お隣の発表者の先生とはテーマが近かったので、熱心に聞いていただき、
また私たちも大変参考になるお話を聞かせていただきました。
なんとなくポスターの色合いもマッチしていたような? ^^


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図書館や地域との連携に関心がおありの教職員の方々、この春から高校の先生になられる方と
じっくりお話することができました。ありがとうございました。


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流通科学大学の紀要や、このフォーラムの発表要旨を書いたあと、さらに動きもありましたし、
フォーラムでいただいたご感想やご関心を反映して、また何かの形でまとめて発表したいと思います。

当日貼り出したポスターのもとになったデータを画像で載せておきます。



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※誤字がありました。最後のスライドの参考文献「読書推進教育における図書館および書店との協働」の掲載は、『高等教育推進センター紀要』第2号です。



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by chekosan | 2017-03-28 21:15 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
「関西ウーマン」に月一回連載させていただいている書評、
今月は、「学者芸人」サンキュータツオさんの『ヘンな論文』です。

いつも「関西ウーマン」では、おすすめできる本を厳選して紹介していますが、
これはもうホントにおすすめです!
タイトルだけだと、トンデモ論文を集めた本みたいですが、そうではありません。

大まじめな論文をわかりやすく面白おかしく紹介しながら、
学問、研究の楽しさとそれにかける研究者の情熱に敬意を払うものです。


書評には盛込ませんでしたが、イラストがまた楽しいのです。続編を激しく希望♫

本文はこちら。 https://www.kansai-woman.net/Review.php?id=201078




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by chekosan | 2017-03-12 11:41 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)

すーーっと入ってくる一冊、いや先日読んだ『下り坂をそろそろと下る』と合わせると2冊。
平田オリザ氏の著作やお話は、まさに腑に落ちると言う表現がぴったりくる。
本書は、あまりに一気に読めてしまって、メモを取るヒマすらなかった。

◇◇◇

コミュニケーション能力が必要とかまびすしいが、さてそれはどういうものかというとはっきりしない。

主体的であること、自分の意見をはっきり言うことを求められながら、
同時に空気を読め和を乱すなと言われるような、「ダブルバインド(二重拘束)」、
つまり二つの矛盾したコマンド(特に否定的なコマンド)が強制される状態が見られる。

日本社会全体は、「異文化理解能力」と日本型「同調圧力」のダブルバインドにあっている。

平田氏は、いまの子どもや若者にコミュニケーション能力がないとは思っていない。

そもそもコミュニケーションの方法にもいろいろあって、
たとえば身体による表現は、中高年男性よりも若者の方がよっぽど優れているという。

しかも、いま日本で求められている「コミュニケーション能力」と呼ばれるものの大半は、
ほとんどがスキルやマナーの問題であり、教育可能なものである。

ただし、コミュニケーション能力=ペラペラしゃべることではない。

価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべりである「会話」と、
あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換、
あるいは親しい人同士でも価値観が異なるときに起こるその摺り合わせである「対話」とは違う。

日本社会の「わかりあう文化」「察しあう文化」においては、
この「対話」の習慣や訓練が成り立っていないのではないかと平田氏は指摘する。

異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度、
議論をすること自体に意義を見いだす「対話的精神」を養っていく必要があるのでないかという。
これは、AかBかで論戦をして相手を打ち負かすこととも区別される。


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◇◇◇

言葉や表現というのは、関係がなければ生まれないという指摘も非常に納得できる。

例えば、男性上司の部下に対する言葉づかいを女性上司が部下にすると違和感がある。
それは、そのような関係性が最近までなかったからである。

では、男女関係なく、きちんとした場で上下関係なく使っておかしくない言葉遣いはと考えると、
少し丁寧な、きちんとした言い回しだろうということになる。
ならば、みながそうしたきちんとした言い回しを定着させていくのが適当であろう。

そうした実践が、無意識のうちにある上下関係や性差を越えて
「対話」や議論のできる関係性や場をつくっていくのである。

◇◇◇

この点は、我々の業界(大学教員同士)は相対的にマシだと思う。
良くも悪くも一国一城の主的な意識が強く、それぞれの専門性に敬意を払う習慣があるので、
職階とか性差によって言葉づかいを変えることはほとんどない。
お互いにきちんとした言葉で話し合える環境、議論できる環境は、誰にとっても心地よいと思う。

◇◇◇

では、「対話」ができる関係性をつくるようなコミュニケーション教育とはどうあるべきか。

国語教育では「きちんとしゃべれ」「論理的にしゃべれ」「無駄なことは言うな」と指導しがちだが、
「無駄を省く」ようなことばかりを指導していてはいけないのではないか、
「対話」はそういうものではないという指摘には軽くショックを受けた。

さらに、教える側や上司が、つい「答え」を言ってしまったり誘導してしまったり、
子どもや若者や部下が話しかけやすい・言葉を発しやすい場をつくりもせずに
今の若者はコミュニケーションできない、意見も言わない、などと言うのは、
(上司の側に)そうした環境を作る能力がないことの表れだという指摘には反省した。

「協調性」(価値観を一つにして一致団結)から、
「社交性」(価値観はバラバラなままでどうにかしてうまくやっていく能力)へ、
という考え方は私もまさにそのように考えて、そう意識して授業をしてきたが、
どうもうまくいかない場面が生じたとき、コミュニケーション能力と人格を混同し、
どうすればうまくいくかという追究を諦めてしまっていたかもしれない。

これまで以上に、スキルの問題、マナーの問題、教える側の力量の問題として、
コミュニケーション教育の見直しをはからねばと思う次第である。





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by chekosan | 2017-02-26 23:11 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

平田オリザ氏は世界で活躍する劇作家、演出家で、教育者である。
先日、京都で開かれた国際教養学会の特別講演を聞きに行った。


題目は「教養としてのコミュニケーション能力」。
「グローバルコミュニケーション力」をつけることが急務だと言われているが、
コミュニケーション力とは一体何なのか、
エレベーターで外国の方と一緒になったときにハローと英語で話しかけることなのか。
いやそうではない、人に話しかけるということは、その地の文化や、その人の社会階層的なもの、
居合わせた人たちの関係性やその場の状況によって変わるものであろう、というお話から始まった。

では、どういう状況であれば、人はどう振舞うのか。
ちょっと想像してみること、そして、他人の状況や立場に思いを致すこと、
まったく一体になろうとしなくてもよい、共感しようとすること、
その共感の幅を広げることがコミュニケーションであり、異文化理解である。

平田氏は、演劇を取り入れたワークショップや地域活性化支援で全国津々浦々を駆け巡り、滞在し、
現地の子どもや大人と交流を重ねている。それこそ離島やへき地の小さな学校にも足を運ばれている。
その経験や手腕を買われて、いくつもの大学の新学科創設や入試改革にも携わっておられる。

本書では、そうした各地での実践内容や成果について詳しく紹介し、
日本の国のありかた、地方のまちづくりや、これからの教育のゆくえについて論じている。


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◇◇◇

私たちはすでに下り坂を下りている。日本はアジア唯一の先進国ではない。
この先、人がどんどん増え、右肩上がりに経済が拡大していくことは望めない。
その事実や寂しさに向き合うことを恐れる人々は、人を妬み嫉み憎むことでごまかしている。


地方から人が出て行ってしまう、新しい人が増えないという焦りは募るものの、
その対策はいまだに工場誘致であったり、住宅建設であったりする。

しかし、地方から若い世代が出て行ってしまうのは、実は雇用が少ないからという理由ではないという。
「つまらない」からであるというのである。文化的な刺激がない、偶然の出会いがないからである。

それなら、つまらなくないまちにすればよい、センスを磨けばよい。
選んでもらうまちをつくるには、自己肯定感を引き出すような、広い意味での文化政策と
ハイセンスなイメージづくりが必要なのである。

とりわけ、子どもが小さいころから本物に触れる機会を設けることが重要である。
それもシャワーのように浴びせかけないと、
地方の子どもたちは、いろんな機会が溢れている都市の子たちに太刀打ちできない。

なぜなら、これから必要とされるのは単純な知識量ではないからである。
言われたとおりに動くだけならば、代わりはいくらでもいる。
代わりは人間でさえない。AIで置き換えられるのである。

平田氏は、問題解決能力よりもさらに、問題を発見できる能力が必要だと言う。
それには幅広い視野と、人の状況に思いをはせる力が必要なのである。

ところが、そうした能力やマナーや振る舞い、
ー つまりそれこそがコミュニケーション能力なのだが ー

それを養うには、20歳ごろまでの環境が大きく影響するのである。

小さいころから本物を見たり触れたり体験したりすること、
それによって身体感覚(例えば味覚やセンスなど)を養うには、しかし、
首都圏と大都市圏、地方都市と都市でない地域で、相当に機会の差がある。
そのような「文化資本」の地域格差は何倍どころか、百倍くらい違うという。

さらに、「文化資本」は、家庭の経済状況や親の文化的な習慣にも大きく左右される。
地域格差と経済格差が掛け合わされると、圧倒的な差ができてしまう。

では地方には救いがないのかというとそんなことはない。
本書で平田氏が紹介している自治体や大学などは、いずれもかなりハンデがある地方だが、
新しい文化の拠点、新しい試みが成功しているところとして、
日本中から、世界から、注目を集めている。

◇◇◇

以上は、私がもっとも惹かれた部分を簡単に記したものなので、
詳細はぜひ本書を読んでいただきたい。
わかりやすい文体で、さらさらと読むことができる。おすすめの一冊。







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by chekosan | 2017-02-20 19:10 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

サロン的空間をやたら夢想していた時期があった。

家に収められない本を並べ、趣味の合う人と話したり食べたり音楽を聴いたりしたいなあ、
それもできれば雰囲気のあるちょっと古い建物とか、と。

建築士と家をつくり、その家を住みこなしていくことで自分の空間を持つ欲はいったん満たされた。
日々の仕事や家事育児に忙殺され、しばらく別宅サロン構想は頭から遠のいていた。

勤務先にも研究室を持つようになって、
本を収めたり、業務上・教育研究上の相談をしたりする空間には困らなくなった。

真夏の数日間、あああ避暑地に別荘が欲しい! 冷房のいらないところで知的活動をしたい! 
そこで人と小さな集まりをもったら楽しそう! と猛烈に別荘欲が募ることはある。

「第三の居場所」「サードプレイス」といった系の言葉や活動の事例にも異様に惹かれる。

が、空間としての、物体としての不動産を、自宅と別にどうしても私有したいのかというと、
どうもそれとは違うように思えてきた(余裕があれば持つことにやぶさかではないが)。

だいたい私は、人が少なすぎるところとか、何もないところとか、
車でないと行けないようなところにじっとしてはいられない。

そのくせ、よほどでないと人を家に招きたいとも思わない。
自宅は自宅として好きに過ごしたい。しかももともとが出不精。
なんだろう、この矛盾。

そんなことを、日々つらつらと考えて、ちょっと見えてきた。

欲しいのは、私的財産としての不動産ではなく、
半私的半分オープンな知的・美的な交流がはかれる「場」や、
もっと言えば「機会」なのではないか。


◇◇◇

「場づくり」「居場所」「サードプレイス」関係の本や記事はちょこちょこ読んでいる。

この本もその一つ。
熊倉敬聡ほか『黒板とワイン もう一つの学び場「三田の家」』(慶應義塾大学出版会 2010)


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慶應の先生方が、三田のキャンパス近くの古い一軒家を借り受けて、
学生、教職員、地域の方、卒業生などが集う「インターキャンパス」として活用した記録。
非常に多くの人が関わり、手を入れ、外に開き、交流した様子が見て取れる。

各曜日の「マスター」(慶應の教員)が、その曜日の運営を任される。
留学生と日本人学生の交流の場とする曜日もあれば、ゼミ活動主体の曜日もある。
学生や教員が企画する特別イベントを開く日もあれば、特に何も予定されない日もある。

普通の民家であることは、教室における学生や教員間の緊張を解く効果があるようだ。
マスターや料理好きな人が腕を振るい、おいしいものを一緒につくり、食し、片づけるなかで
教室では出てこない本音が聞けることもあるという。

ただ、そうした時間・空間を通常の大学の業務と別に運営することは、
刺激的で楽しい半面、負担や疲労も生じさせ、マスターが疲れてお休みする日もあったという。
そんな正直な感想も記されているところが参考になる。

(※「三田の家」は今はないとのことである)


◇◇◇

「三田の家」のこと、この本のことは、
東京でサードプレイスづくりを実践されている方から教えていただいた。

一年ほど前、冒頭に書いたような夢想を書いた本ブログの記事をその方がご覧になり、
その方が京都にお持ちの建物で、そうしたことをしませんかと声をかけていただいた。

以後、ほかの方も交えて、メールや現地でのんびりペースであれこれお話をしてきた。
最近は、オーナーたちと場づくりの参考になるところに見学に行くことも増えてきた。

見学先では、どうやって運営しているのか、誰を対象にしているのか、
収益は、所有者は、活動時間は、広報は、といった話もうかがうが、
それをきっかけにいろんな話題が飛び出し、
その人知ってますよとか、あら同じ大学の出身ですねとか、
○○もいいですよとか、××はステキですよねなどと話が弾み、
新しい世界や、新しい人たちと繋がっていくこと自体がまた楽しい。

実は、そのこと自体が既に、私の欲する「場」なのではないかと思うようになっている。

◇◇◇

と書くと、いやいやそれで満足してもらっては困りますよ、
建物そのものを活用してほしいんですよ、と言うオーナーの声が聞こえてきそうである。

わかっていますよ、空間を持っているからこそできることがありますよね。
建物や土地自体のもつ磁力が人を呼ぶことも、
そこを媒介として新たな出会いが化学反応を起こすことも楽しみですから。


というわけで、サードプレイスづくり、みんなであれこれあれこれ考えながら、
京都は衣笠の地で、夢想段階から計画段階、実行段階へと移りつつあります。





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by chekosan | 2017-02-15 12:01 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

2016年度秋学期に初開講した「特殊講義 ロシア・東欧の政治と社会」@同志社大学法学部、
成績も授業講評もすべて終えました。

この科目は、春学期開講の「ロシア・東欧地域研究」の発展形にするつもりで、
セット科目ではないが「ロシア・東欧地域研究」の内容を踏まえて進めるとシラバスに書きました。

*「ロ・東欧地域研究」は3・4年生対象科目なので、それを修めていることを前提にすると、
 履修の機会が減じてしまうことになるので、次年度はその文言は省き、門戸を広げました。さてどうなるか。


「ロ・東欧地域研究」も密にコミュニケーションをとる授業にしましたが、
特殊講義は完全にゼミ形式で、とにかく本を読み、語り合う場にしました。

あまりにハードなシラバスにしたため、受講生がほとんどいないという事態になりましたが(笑)
しかし、それだけにたいへん意欲的な学生たちだったので、どんどん読み進めていくことができました。

今期、読んだ本は次のとおりです。8作品、文庫本の巻数を数えると17冊になります。

・ジョージ・オーウェル『動物農場』
・    同     『一九八四年』
・西川伸一『動物農場の政治学』 以上のまとめは→ http://chekosan.exblog.jp/26307633/
・村上春樹『1Q84』全編  http://chekosan.exblog.jp/26395672/
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』 http://chekosan.exblog.jp/26418847/
・   同    『冗談』 http://chekosan.exblog.jp/26437548/
・   同    『不滅』 http://chekosan.exblog.jp/26497899/
・   同    『小説の技法』  http://chekosan.exblog.jp/26553773/
・ヤロスラフ・ハシェク 『兵士シュヴェイクの冒険』 http://chekosan.exblog.jp/26585240/


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村上春樹と『動物農場』は比較的読みやすいですが、ほかはすんなりとはいきません。
このペースで読んでいくのは、けっこうきつかったのではないかと思います。

毎回、発表者にレジュメを作ってきてもらい、はじめにざっと報告をしてもらいました。
そのあとはみんなで好き勝手にあれこれしゃべっていきます。

初回に院生アシスタント君が報告をしてくれたのが良いお手本になったと思います。
とはいえ、レジュメや発表には決まった書式や項目や分量は設けませんでした。

ですので、発表者によって目をつけるところ、発表の仕方がかなり違いました。
そのことがまたお互いの刺激になったと思います。

全員が感想に書いたのは、自分が担当した作品はやはり読み込み方が違ったということです。
そうだろうなあと思います。

どこを取り上げて、どう再構成するか考えて準備するのは、読むだけとは全然違います。
私はほとんどの作品が再読でしたが、それでも読んでメモをとるだけで相当きつかったです。

報告後、流れにまかせて語り合うときの分析や感想にも、個性が出ていたと思います。
思想や哲学、文学に関心を持つ院生君はそうした観点からの見解を述べてくれましたし、
女性陣はジェンダー的な観点から登場人物を品定め(?)していたように思います。

クンデラの作品では、学生陣と私とで、実感に差があるように見受けられました。
なにしろクンデラの作品は、山あり谷ありの中年男女の生々しい話が多いですので。(^-^;

でも、だからといって若い人にはわからないということではありません。
学生たちは学生たちで、若者という人生の段階でこその受け止め方で、
自らにひきつけて考え、咀嚼し、糧にしようとしてくれていました。

ああこれからの人たちってまぶしい! 私はすっかりスレてしまったわなどと思ったり。
まあそれは半分冗談ですが。

そんな感じで、雰囲気はゆる~く楽しく、ペースは速く。
私には、あっという間に学期が終わったように感じました。

私のFacebookやブログでの報告があまりに楽しそうだったらしく、
何人かの教員仲間や読書友達が、どんなふうに進めているのかと聞いてきてくれました。

今期の場合、

シラバスでかなりハードな設定を提示したこと、
それでもと覚悟をもってきた学生たちなので意欲と能力が優れていたこと、
少人数ゆえ、ハードであってもアットホームにできたこと、
院生君が自ら楽しんで授業に参加し、手本となり、助言者となってくれたこと、
おかげで、先生はニコニコ優しくいられたこと(笑)、

これらが良い作用をもたらしたと思っています。

来年度は、履修の前提条件を変更したので、違った様相を見せるかもしれません。
そのときはそのときで、別の刺激をもらえると思います。
既に今から楽しみです。








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by chekosan | 2017-02-10 23:49 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)