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by chekosan

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京都は松ヶ崎の京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催中のチェコ ポーランド ハンガリーのポスター展に行ってきました。


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大学の施設なので入場料は一般200円! 大学生は150円、高校生以下無料。ただし日・祝はお休みです。初めてお邪魔しましたが、緑が多いキャンパスだと思いました。

入ってすぐのホールから、たくさんのポスターが! ロートレック系のもあれば、ソ連のプロパガンダポスターも。これは壁画並みの大きさでした!

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さて、お目当てのポスター展。写真撮影不可なので、メモを取りながら鑑賞しました。が、書籍を発行されていることがわかりました。すぐ取り寄せようと思います。

チェコ🇨🇿ポーランド🇵🇱ハンガリー🇭🇺では、社会主義時代、自由な表現活動が許されなかったため、芸術家たちはグラフィックデザインの分野で活躍しました。

今回の展覧会では、映画、イベント、サーカスなどの告知ポスターが展示されています。全然古びない、素晴らしく洒落たデザインばかり。全部欲しくなりました。

映画のポスターでも、俳優の顔やタイトルをバーーンと載せるのではなく、作家が独自の解釈で、独自の手法でデザインしていて、完全に独立した作品です。

どれもこれも良かったのですが、特に惹かれたのはチェコのフレイシャーの作品。オシャレ!カワイイ! グッズなんかにはなっていないのかしら。今度チェコに行ったら探してみようと思います。

同展は8/11まで開催されています。

なお、同大学には詩人の谷川俊太郎さんが寄贈されたレトロラジオコレクションがあります。資料館二階の廊下に大型のものが数台と、図書館に小さなものがたくさん。こちらも見てきました。開館していれば一般来学者も入館できます。




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by chekosan | 2017-06-24 17:25 | 美術 | Trackback | Comments(0)

ワイダ監督の映画「コルチャック先生」鑑賞に続き、岩波ジュニア新書の『コルチャック先生』です。
こちらは、コルチャック先生の本を何冊も訳されている方による紹介本です。

コルチャック先生の生涯と、ポーランド史、ポーランドにおけるユダヤ人について、
ジュニア向けに、とてもわかりやすく書かれています。

映画では詳しい説明がなくてわかりづらかった場面がどういう意味を持っていたのか、
何を出典として差しはさまれたのかが、この本を読んで、よくわかりました。



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コルチャック先生は、亡命するチャンスがあったのに、自分だけが助かることを拒み、
孤児院の子どもたちと共にトレブリンカ絶滅収容所に移送されて亡くなります。

その崇高な行動で語り継がれている人というようなイメージだったのですが、
もともとポーランドでは知らない人がいないくらい尊敬されていた文化人でした。

その作家としての業績や教育者としての思想や活動が、本書でよく理解できました。
特に、第3章「子どもの自治」第4章「コルチャックの人権思想」がとても興味深く、
もっと詳しく知りたいと思いました。


また、映画は、コルチャック先生や子どもたちが収容所へ運ばれるところで終わるのですが、
本書では、彼らが運ばれた収容所の見取り図や、生存者の証言、
亡くなった人たちを追悼する石碑の写真や、亡くなった人たちの灰や骨の山の写真もあります。

トレブリンカ収容所は、ナチスが徹底的に解体して隠滅をはかりました。
そのため記録もなく、さらには、そこに運ばれた人のほとんどはすぐに殺されたので、
コルチャック先生たちが果たして生きて収容所まで行きついたのか、
いつ、どのように亡くなったのかを知る人はまったくいないそうです。
そうした残酷な部分もきちんと書いてあります。

コルチャック先生を知る数少ない生存者の証言も紹介されています。
オリジナルの貴重な体験談です。



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by chekosan | 2017-03-13 22:14 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

コルチャック先生は、ポーランドの著名な医者、教育者、作家です(1878?-1942)。
「子どもの権利」を尊重するという当時では新しい思想、主張を展開した人です。

ポーランドで2つの孤児院を開き、運営していましたが、
ユダヤ人やポーランド人のナチスドイツのユダヤ人絶滅政策によって
子どもたちと共にトレブリンカ収容所に送られ、殺されました。

本名は、ヘンルィク・ゴールドシュミット、「コルチャック」はペンネームです。



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映画の制作は、1990年。
ポーランドが共産党体制から民主化へと移行してからの作品ですが、白黒です。
それによって、何度か挟まれる、ナチスドイツによる記録映像に違和感なくつながります。

ナチスは書類や映像での記録を丹念に撮っていて、この映画のなかでも、
兵士がワルシャワのユダヤ人特別区(ゲットー)の様子を撮影している場面が出てきます。

街に骨と皮だけになった人々がゴロゴロ転がって死んでいる様子、
そうした死体を運んでいく様子などが、映画のなかに挟まれます。

そのようにして、この映画で描かれていることは作り事ではないのだということ、
実際は映画以上に悲惨な状態だったのだと示しているのではないかと想像します。

同じくワルシャワのゲットーを舞台にした、
ポランスキ監督の「戦場のピアニスト」でもそうした場面が出てきます。

ナチスは、撮影している撮影隊の様子まで撮影しています。
目の前で飢えと病気と暴力に晒されている人々を撮影し、さらにそれを撮影するという、
「客観的」で冷淡な行為そのものが、戦争の狂気をよく表しています。

ただし、「戦場のピアニスト」の方が悲惨さではかなり上回っています。
「コルチャック先生」は、そうはいっても相対的には綺麗な映像です。

それは、コルチャック先生自身が著名な知識人で、
ポーランド人、ユダヤ人、さらにはドイツ人からも尊敬されていたため、
なんとか物資や支援金を駆けずり回って集められたこと、

コルチャック先生は医者であり教育者であったので、
たとえゲットーに押し込められようと
孤児院をできるかぎり清潔に健康に配慮して運営していたこともあるでしょうし、
子どもたちも重要な登場人物であるため、あまり悲惨な映像にしにくかったのかもしれません。

ですので、あまりにも悲惨な映像は見られないという人でも見ることができると思います。


ところで、DVDには付録として小冊子が入っていたのですが、その解説によると、
この映画は上映後、フランスの評論家に「反ユダヤ主義」であると批判されたそうです。
それはちょっと驚きでした。そのようには私には読みとれませんでした。

確かに、ユダヤ人のなかにもナチスと通じて甘い汁を吸っている人物がいて、
彼らは街角で次々人が死んでいる状況下でも遊興にふけっていて、
そんな人たちからコルチャック先生は支援を受けざるを得ない、
その行為を抵抗組織の若者からなじられるというシーンもあります。

また、危険を冒してユダヤ人を助けようとするポーランド人もいることも示されます。

これもポランスキ監督が「戦場のピアニスト」のメイキングで語っているのですが、
ある民族が全員悪人だったり善人だったりすることはないでしょう。
ワイダ監督のこの作品でも、そのことをバランスよく描いているように思えるのですが、、、


ラストシーンが幻想的なのも、コルチャック先生と子どもたちを待ち受ける運命から
目を背けるようなものだと受け取る人もいるようです。

このラストは、たしかに、うーん、そうくるのか?と思わなくもないです。
終わりの30分ほどを一緒に見ていた小4の子どもには解説をしないといけませんでした。

ただ、字幕でははっきりとトレブリンカのガス室で殺されたと出ていますし、
殺されるシーンまで映画に盛り込む必要があるとも思えません。

あえて、「移送」されるところで終わっていることで、
彼らがそのまま死へと直行したことを示しているように思います。

移送されるまでに、何度か逃げ出せるチャンスはありました。
せめてコルチャック先生だけでも、養子に出せる子だけでも、と思えなくもない。
みんな一緒にいるべきだと主張した先生は意固地だと言えなくもないかもしれません。

しかし、あらゆる権利を剥奪され、外界から遮断され、
情報も自由も食料も財産も体力も健康も一切奪われた人たちが、正確な状況を把握し、
後世から見た「善後策」を選ぶことは困難だったでしょう。


私自身は、この映画は比較的淡々と話が進んだせいか、
有名な実話なので結末を知っていたからか泣きませんでしたが、
コルチャック先生の子どもへの接し方、彼らにかける言葉、
孤児院の教育方針、運営方法などにはたいへん感銘を受けました。

悲劇で泣かせるとか、ドラマティックな展開で衝撃を与える映画ではなく、
コルチャック先生の思想の深さや広さ、意志の強さや実際にとった行動、
高潔さなどをじっくり受けとめる映画だと捉える方がよいのではないかと思います。

コルチャック先生のことをもっと知りたいと思い、買ってあった本を出してきたら、
一緒に映画後半を見ていた小4男児が、先に読み始めました。
へぇ~~すごいねんなあ、と感心しながら横で読んでいます。
子が読み終えたら、私も読もうと思います。^^

→2017/3/13追記:
子よりも先に読みました。感想はこちらに。http://chekosan.exblog.jp/26716756/








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by chekosan | 2017-03-12 20:03 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
アウシュヴィッツ強制収容所の記録として名高い、
プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』を読みました。

フランクル『夜と霧』と同様、収容所の劣悪な居住環境、慢性的な飢え、
過酷な労働、暴力、怪我や病気、迫る死の恐怖を記録しています。

ですが、フランクルもレーヴィも、怒りや憎しみをぶつけるというのではなく、
自身で見たこと、体験したことをできる限りそのまま伝えようとしています。

収容所に連れてこられた人々の多くはガス室で殺されるのですが、
労働者として収容された人たちは、名前を奪われ、囚人番号で管理され、
「ぼろきれ」扱い、「奴隷」扱いされます。

それでも、それぞれ知恵を絞ってなんとか生きのびようとします。
危険を冒して配給物を盗んだり、
物々交換が行われたり、なんとか手に入れたものから何かを作ったり。

その様子をレーヴィは、「組織化」「市」「交易」「新石器時代」というように、
ちょっとユーモラスに表現しています。

そのように生に執着しなければ、飢えや衰弱で死んでしまったり、
ガス室へと「選別」されてしまったりするからです。

そのため、フランクルもレーヴィも、
「最良の人は生き残れなかった」というようなことを書きのこしています。


本書の巻末に、「若い読者にこたえる」という質疑応答があります。
ここも必読です。

「ドイツ人への憎しみ、恨み、復讐心の表現がないのは許したからか」
「ドイツ人は何百万もの殺戮を知らなかったのか」
「脱走した囚人はいなかったのか、なぜ大衆的な反乱がおきなかったのか」
「解放後アウシュヴィッツを訪れたか」
「なぜソビエトのラーゲル(収容所)について沈黙しているのか」
「登場人物と解放後、再会を果たしたか」
「ナチのユダヤ人に対する狂信的憎悪をどう説明するか」
「もしラーゲルで囚人生活を送っていなかったら今ごろどうなっていたか、
 あの時代を思い出して何を感じるか、生き残れたのはなぜだと思うか」

これらの問いに、レーヴィがどう答えているか、ぜひ読んでいただきたい部分です。

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by chekosan | 2016-09-17 12:44 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
アメリカで活躍するマンガ家、スピーゲルマン氏が、
実の父親から聞き取った戦前~戦後の体験をマンガにした作品です。
1992年ピュリッツァー賞特別賞。

作家の父ヴラデックはポーランドのユダヤ人で、捕虜、隠れ家生活、収容所を生きのびました。
共に耐え抜いた妻アンジャ(作者の母)は、しかし、1968年に自殺します。
そのことが父と子には長く心の傷となります。

『マウス』は、父の記憶の部分と、聞き取りを進めている現在の父子関係が交差します。
そこがこの作品のオリジナリティで、優れたところだと思います。

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作者の父母がアウシュビッツに送られるまでを描いた部分は、
発表するや世界的な反響を呼び、何か国もで翻訳版が刊行されます。

作者はマンガ家として大成功をおさめたわけですが、
押し寄せるインタビューや商品化、映像化などの申し込みに戸惑います。

アウシュビッツを生きのびた父への敬意と後ろめたさ、
父の経験を作品にしたことに対する良心の呵責を感じ、描けなくなります。
そうした悩みをかかりつけの精神科医に聞いてもらい、続編を描き上げます。

実は、この精神科医もテレジン、アウシュビッツ収容所の生存者です。
精神科医との対話の部分はたいへん興味深いです。(Ⅱ巻 p.43-46)


日本のマンガを読みなれた目には、コマ割の単調さ、線の荒さが気になるかもしれません。

また、ユダヤ人をネズミに、ドイツ人をネコに描くといった隠喩がされており、
さらに顔のアップが多用されているので、登場人物の見分けがつきにくくなっています。
それらは、しかし、まさに個人を個人として識別しない、尊重しない状況を表しています。

というように、この作品は絵を追うだけでは話がわかりません。
セリフや説明書きをしっかり読む必要があります。

作者は、翻訳版もマンガ専門でない出版社から出すこと、
ノンフィクションに分類することを主張したそうですが(Ⅱ巻附録解説)、
確かにそのように位置づけて読んだ方が良いと思います。

このように詳細な地図なども描かれています。
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作者の希望により、翻訳版には解説や訳注はつけられていないそうです。
そのためか晶文社版には訳者解説リーフレットが付いています。
これが作品の背景や反響を知る参考になります。
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なお、私はこの作品を次の論文で知りました。
大河内朋子「ドイツのコミックに描かれた「第三帝国」」『人文論叢』 (24), 2007
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by chekosan | 2016-06-06 11:08 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
先日、「サウルの息子」を観てきました。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所で、
同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊に属した男性が
息子(と彼が言い張る少年)をユダヤ教式に弔おうと奔走する2日間を描いています。
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別の映画を鑑賞した際に予告編を観て衝撃を受け、強く惹かれつつも、
アウシュビッツの死体処理部隊…全編見通せるだろうかと迷っていたのですが、
藤原帰一氏の映画評や、朝日小学生新聞の記事(写真)に背中を押され、
映画館に足を運びました。

※朝日小学生新聞の記事は、こちらの中高生新聞サイトで読めます
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以下、少しだけネタバレありです
まだご覧になっていなくても大丈夫な程度かと思います。

◇◇◇

映画は、いきなりにじんだような、ピンボケな画面から始まります。

森の中に笛(だったか?)の合図が響き、動き出す男性たち。
だんだんと一人の男性に焦点が絞られていきます。
それが主人公のサウルです。

そのあとも画面はサウルのごくごく狭い周囲だけを映します。
半径1mから先はぼやけている感じです。
各紙の映画評で「予習」してはいたものの、この演出には非常に戸惑います。


サウルたちは、到着した列車から人々を収容所の脱衣室に移動させます。

シャワーが終わればお茶が出されると騙されて、
老若男女問わず全裸にされ、「シャワー室」に押し込められる人々。

アウシュビッツでは、労働力になるかならないかを
ナチス・ドイツの医師が判定していたと言われますが、
この映画(1944年10月のある日)では
既にそのような「選別」さえ行われず、
列車から直接、ガス室へと連れて行かれています。
そうでないと「処理」が追いつかないからです。

人びとの誘導、脱衣室の衣服や持ち物の回収、
「部品」と呼ばれる無数の死体処理、「シャワー室」の清掃を、
「ゾンダ―コマンド」と呼ばれるユダヤ人たちが、
日に何回と流れ作業のように行います。

ゾンダーコマンドもずっとその職に就いていられるわけではなく、
数か月程度で入れ替えさせられます。
つまり自らもいつ殺されるかわからない状況です。

誰をその対象にするかを決めさせられるのもコマンドの長、
つまりユダヤ人です。

そんな状況でまともな神経でいられるわけがない。
体を動かしてはいるけれど、なにか現実でないような、
ずっと悪夢の中にいるような異常な精神状態を、
周囲をぼやかせるという撮影手法が表現しているようです。


しかし、視覚的な演出に比して、音は非常にリアルです。

ぎゅう詰めの「シャワー室」の扉が閉じられたあと、
サウルや鑑賞者に伝わるのは音だけです。

次第に高まっていく悲鳴や壁を叩く音、阿鼻叫喚。
音だけであるがゆえに、余計に恐ろしいのです。

出だしの、この場面だけで音を上げそうになりました。


サウルは、清掃の作業中、「息子」の死体を見つけて、
なんとかユダヤ教の儀式で弔おうと危ない橋を渡るのですが、
これも本当に息子なのかは最後まではっきりしません。

少年を弔うという一点に、異常な環境で生きる意味を見出そうとした、
サウルの幻想、思い込みなのかもしれません。


ゾンダーコマンドたちは、同報を死に至らしめる役割を背負わされ、
自分たちもいつ殺されるかわからない状況にあるわけですが、
なんとかこの状況を記録に残そう、打破しようとします。

没収品のカメラで写真を撮ったり、メモを書いたり、
現地ポーランドの抵抗勢力から武器を仕入れて蜂起を企てたりします。

映画でもその決死の行動が盛り込まれていて、
鑑賞者はそこに一抹の希望を持つのですが…

◇◇◇

このような虐殺・圧制に対して、人道的、感情的に、
酷い、悲しい、憤るというのは当然の大前提として…

本作を観ながら感じたのは、
非常に危ない表現ではありますが、
なんという無駄なこと、非生産的なことをしたのかということです。
殺すために殺すという行為と、そのためのシステムの維持のことです。

そして、同時期に、そして今も、世界各地で形は違えど、
このような蛮行がくりかえされるのはなぜか。
なぜシステムが構築される前、されていく中で、こうも抗えないのか。

これだけの狂気のシステムを構築して運営するエネルギーを、
健全で建設的なことに注げられないものなのか。


◇◇◇

ネーメシュ・ラースロー監督はハンガリーの38歳。
デビュー作の本作品で、いきなりカンヌ国際映画祭グランプリ、
アカデミー賞の外国語映画賞など多数の賞を受けました。
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by chekosan | 2016-03-01 12:04 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ポーランド出身の巨匠ポランスキ監督の入魂の作品です。

ナチスドイツに占領されたポーランドの首都ワルシャワを生き抜いた、
ユダヤ人ピアニストの実体験をもとにした映画です。

ポランスキ監督自身、子どもの頃に家族と生き別れ、
自らはクラクフ・ゲットーを脱出して農村にかくまわれて生き延びた経験があります。

監督は、当時を扱った映画は撮れないでいたそうですが、
シュピルマンという実在のピアニストの回顧録を読み、
自身の鮮明な記憶を盛り込んで、この時代を忠実に再現する決意をしたのだそうです。
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公開10周年を記念して発売されたDVDには、
メイキングやインタビュー集がたくさん収められています。
そちらが映画本編と同じくらい強烈でした。

ワルシャワはドイツ軍が破壊しつくしてしまったので、
当時の町の様子は、川の対岸のなんとか残った地区を使ったり、
欧州中まわってロケ地を見つけたりして撮影したそうです。

ワルシャワ・ゲットーは蜂起で廃墟になり、主人公はそこで生き延びるのですが、
その廃墟もCGや作り物ではありません。

旧東ドイツに残っていた元ソ連軍兵舎跡を見つけ出し、所有者に掛け合って、
残っていたボロボロの建物を取り壊して廃墟を造り出して撮影したそうです。

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映画本編は、ワルシャワのユダヤ人がたどった、
非常に過酷な状況が容赦なく映し出されます。

思わず声を上げてしまう場面がいくつも出てきます。
人は立場や状況が変われば、こんなにも残虐になれるのかと思います。

しかし、監督は、この映画に映し出されたことはすべて本当のことだった、
とインタビューで何度も強調します。

それはナチスが撮っていた記録映像や写真、資料でも明らかです。
メイキングに出てくる写真や映像は映画以上に衝撃的です。

決して心地よい映画ではないです。

でも、ある人種や民族がみな善人であったり悪人であったりはしない、
自分たちの命を危うくしてでも助けようとする人もいたというのも事実で、
そこに救いを見出すことができます。

でもだからといって、やっぱり起こってはいけないことでした。
絶対に起こしてはいけないこと、繰り返してはいけないこと、
正当化できないことはあるのです。

10周年記念DVDには、付録としてシュピルマン氏の演奏も収録されています。
とても美しいショパン、ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)です。
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by chekosan | 2015-10-20 19:47 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ポーランドの巨匠ワイダ監督の「カティンの森」、
DVDを購入していたものの、
なかなか思い切りがつかなかったのですが、ようやく観ました。

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1939年、ドイツとソ連に占領されたポーランドで、
1万5千人にのぼるポーランド人将校が捕虜となり、
ソ連領のカティンの森で虐殺されました。

これはソ連によるものなのですが、ソ連はドイツ軍の仕業だとします。
戦後、この事件は長くタブーとされ、
真相が明らかにされたのは1990年のことでした。

映画は捕虜となった将校たちを待つ妻や母、妹に焦点を当てています。
特に、ドイツ軍やソ連からの圧力に毅然として屈しない大将夫人が印象深いです。


私が一番印象に残ったのは、クリスマスの夜、収容所で、
捕虜となった将校や兵士たちに大将が話す場面です。

大将は、徴兵された兵士に向けて「生き延びてほしい」と語り掛けます。

このとき捕らえられていた兵士の多くは職業軍人ではなく、
学者、技師、弁護士、画家といった知識人たちでした。

大将は、彼らなしにはポーランドの再建はない、
兵士たちと自分が無事に帰還し、
家族と再会を果たすことを祈ると言い、讃美歌を歌い始めます。
将校や兵士たちは帽子を取り、共に歌います。

この大将夫妻が、ポーランド人の気高さを体現しているように思います。
主人公のアンナとその夫アンジェイ大尉以上に記憶に残る人物像でした。


そして、もう一つ印象に残る場面はやはりラスト。
公開時にも話題になりました。

こういう終わり方をするか…
しかし、確かにそれしかないか…と思わせるものです。


派手な戦闘シーンがあるわけではなく、感動の涙を流すという話でもありません。

説明は最低限しか示されませんので、
登場人物たちの関係性や、歴史的な状況を把握するのが難しいです。

史実を「予習」してからの方が、より本作品を理解できると思います。

それでもできれば観てほしいと思う作品です。


(123分)
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by chekosan | 2015-10-18 22:53 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ナチス・ドイツ占領下のポーランドが舞台の映画です。

8歳で家族と生き別れ、孤児になったユダヤ人少年が、
ユダヤ人狩りから逃れるため、森や農村を移り歩きながら
なんとか生きのびたという実話を基にしています。

原作は、国際アンデルセン賞も受賞している
ウーリー・オルレブの『走れ、走って逃げろ』。
映画化を機に、岩波少年文庫から刊行されています。

原作者のオルレブもポーランド生まれのユダヤ人。
隠れ家生活や強制収容所を体験しています。
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主人公の少年は、名前を変え、「過去」を創作し、カトリック教徒を装います。
そうして食事や仕事を求めて農家を訪ね歩きます。

決して余裕はないのに少年を保護し、愛情を注いでくれる人たちもいますが、
そこにもゲシュタポはやってきます。

10歳に満たない少年には過酷すぎる逃亡生活が続きます。

終盤、ソ連軍がやってきてドイツ軍を撃退するのを少年は歓迎するのですが、
終戦を迎えて村の人たちが喜ぶ場面で、
ある男性が「ドイツもソ連も一緒だ」と冷めた言葉を放ちます。
この人物もユダヤ系なのでしょうか。
その後のポーランドや東欧の歴史の展開を的確に表しています。


主演の少年はポーランドの双子だそう。
どの場面が、どちらの子役かわかりません。

少年らしく泣きじゃくる場面、
SS(ナチス親衛隊)の将校に毅然と対峙する場面、
難しいシーンばかりだと思うのですが、
2人はとても達者な演技を見せてくれます。

賢くて愛らしくて勇気があって、
でもやっぱり子どもらしくて、愛おしくなります。

ポーランドの森や平原の美しさも特筆ものです。

おすすめです。
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by chekosan | 2015-09-14 18:29 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
ポーランド映画「幸せのありか」を観てきました。

脳性マヒの障害をもつ主人公マテウシュは
思うように体を動かすことができません。

彼は幼い頃、医師に「植物と同じだ」と診断されますが、
知能には問題はなく、豊かな感情も持っています。
しかし、それを伝えるすべがないのです。

単に生命を維持しているだけではない、
意思や感情をもち、思考することができることを伝えたい、
そのマテウシュの心の叫びが、
CHCE SIĘ ŻYĆ 「僕は生きたい」という原題に表されています。

でも、重苦しい映画ではありません。
むしろ明るくユーモアを交えて障害者の生と性を描いています。

悲劇的な状況になっても、マテウシュは
早くに亡くなった、優しくて頼もしかったお父さんの口癖、
「大丈夫」で乗り切ります。

えっ、この状況で!?という場面も、
「大丈夫」で、コミカルにサラッと進んでいきます。

ラストも決して万々歳のハッピーエンドではありません。
考えるべきことはたくさん残ります。
それでも温かさや希望が勝る映画になっています。

誰が見ても得るもののある、心打たれる作品だと思いますが、
医療関係者、介護や福祉などに携わる人には特におすすめです。
 

ところで、
この映画は実話に基づいているのですが、
モデルとなった青年と主演男優がエンディングでツーショットで映ります。

そのときに、わかってはいたけど今までのは本当に演技だったのだ、
とあらためて衝撃を受けます。

それくらい、マテウシュ役の男優の演技力、役作りはすごい。
マテウシュの少年時代を演じた子役もです。すばらしい。
俳優はやはり演技。見た目だけではダメなのです。

映画評の紹介を1月6日に載せています
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以下は個人的趣味に走りますが…

主人公家族が住むアパートのインテリアや外観、
お母さんの作る洋服のデザインや薄いプリント生地、
お父さんのいかにも当時の労働者的なつなぎやヒゲなどなど、
89年以前の場面が、ああ東欧という感じでたまらない。

映画のテーマは違うのですが、
「スイート・スイート・ビレッジ」(チェコスロバキア 1985年)や
「グッバイ、レーニン!」(独 2003年)を連想しました。

ポーランド語の発声や響きも心地よかったです。
チェコ語やポーランド語って、
私にはちょっとほわん、と甘く聞こえるのです。

特に人を呼ぶときの感じがなんとなくかわいらしいというか。
もっと聞いていたいと思いました。

やっぱりスラブ系の言語や文化や風景、風物、好きだなあ…
と再認識しました。*^ー^*
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by chekosan | 2015-01-20 00:07 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)