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by chekosan

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クンデラの新しい作品を読みました。『無意味の祝祭』です。

初期の作品からするとボリュームからして違うのですが、
それだけではなく、いろいろな意味で、良く言えば削ぎ落とされ洗練された、
しかし、チェコ時代の作品に惹かれる読者としては物足りない作品でした。

クンデラといえば、ストーリーで読ませるというよりは、
歴史や国家や社会と個人の人生のからみあい、関わり方を深く考え抜いた哲学的考察、
作家が小説のなかに出てきて登場人物の内面をこれでもかというくらいしつこく分析するところ、
実験的な入り組んだ構成へのこだわりが面白かったのですが、
この作品では、そういう深さや悩み、実験的な性格は薄れています。

文学作品は、その作品に書かれた世界だけで評価するべきという考えもありますが、
クンデラの場合、彼自身が小説に顔を出してメタな視点で語り始めるという形をとっているので、
彼自身や彼を取り巻く状況の変化が作品に投影されていることを抜きにしては語れないと思います。

この作品は、壮年期の迷いや悩み、苦しみから脱した老年期のクンデラが投影されていると思います。
それは登場人物の年齢設定云々よりも、作品全体に漂う雰囲気に表れています。
もはや生々しい葛藤の渦中ではない人の書く小粋さを楽しむ小品と感じました。




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クンデラ作品の読書記録はこちら。








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by chekosan | 2017-04-03 19:15 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
アウシュヴィッツ強制収容所に存在した家族収容所区画での実話をもとにしたフィクションです。
主人公である14歳の少女ディタ(実在の人物)を中心に書かれています。
そのため、かなり太い本ですが、読みやすくなっています。

とはいえ、舞台がアウシュヴィッツなので、信じがたい残酷な情景も出てきます。
耐えがたい苦しみや悲しみが主人公たちを襲いますが、
それを少しだけ和らげてくれたのが、家族収容所につくられた「学校」でした。

ユダヤ人の体育指導員であるヒルシュ青年(実在の人物)がナチスに掛け合ってつくったもので、
主人公ディタは、そこに極秘で持ち込まれた8冊の本を管理する「図書係」だったのです。

禁止されている本を隠し持っていることがばれれば、即刻、殺されます。
ディタは、知恵を働かせ、命がけで本を守ります。
それだけ本は、人々の心を救う、大切な大切なものだったのです。



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著者は1967年生まれのスペインのジャーナリスト。被収容者でも遺族でもありません。
ディタさんの話を知り、ご本人に聞き取りを重ね、調査を重ねて書いたとのことです。

そう聞くと、ついつい登場人物像やエピソードを事実として受け止めがちですが、
フィクションであるということは念頭においておく必要があります。

たとえば、訳者あとがきに明確に書かれているのですが、
主人公が読んだという設定の小説「兵士シュヴェイクの冒険」からの引用の一部は創作とのこと。

その部分は、たしかに私も記憶にないエピソードで、
シュヴェイクというよりは別のキャラクターが言いそうなことなので、
なんとなく違和感をもったのですが… 
引用を創作するというのは、ちょっと思いもよりませんでした。

また、全体的にあまり文章がこなれていないようにも思います。
が、アウシュヴィッツでの体験を記した、フランクル『夜と霧』、
プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』http://chekosan.exblog.jp/26200975/
スピーゲルマン『マウス』http://chekosan.exblog.jp/25882741/ といった作品に
勝るとも劣らないような詳細な収容所生活の様子も描かれていますし、
なにより家族で収容されていた人々の生活については、上記の作品では記述されていないので、
興味深く、ときに衝撃を受けながら、あっという間に読みました。

ディタのほかにもたくさんのユダヤ人被収容者やナチスの隊員が出てきます。
決死の脱出を図る人、処刑されてしまう人、ガス室で殺されてしまう人、
なんとか戦争終結まで生きた人の行動や行く末もかなりの紙幅を割いて描かれています。
その点も、調査をもとにして記述するジャーナリストならではだと思います。






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by chekosan | 2017-03-08 22:11 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

今年4本目の映画は、「エゴン・シーレ 死と乙女」。

20世紀初頭、ウィーンで活躍し、28歳で没した画家、エゴン・シーレの生涯を描いています。
パンフレットによると、かなり史実に忠実に作られているそうです。

19世紀末から20世紀初頭にかけての世紀転換期の文化は、華やかさと不気味さが混ざり合った、
独特な魅力があって好きです。

本作にも登場するクリムトの金をふんだんに使った装飾的な絵画は、その代表でしょう。
クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」が壁に描かれた分離派会館の建物は
25年くらい前に行きました。そこを離れたくなくなる迫力のある作品でした。

この映画にも、クリムトが出てきます。どぼーんとしたガウンを着たおじさんで、シーレは美青年。
年齢も雰囲気も世間の評価も違うのですが、シーレはクリムトを尊敬し、
クリムトはシーレの才能を認めて支援します。その関係がいい感じで描かれていると思いました。



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シーレの作品は、エロティックだけど、生命力よりは病的なもの、死を感じさせます。

そして、裸体の絵が多いわりにはモデルが子どものようで、薄くて中性的だなあと思っていたら、
パンフレットの解説によると、やはりそういう体を好んで描いていたそうです。

考えてみれば、第一次世界大戦前後なのですね、創作の時期が。
しかも少年期に父親があまりまともでない亡くなり方をし、残された家族は生活にも困ったよう。
そういった経験が、あのねじれた不気味な画風に影響を与えたのでしょうね。

この頃は、いまなら抗生物質や特効薬で治るような病気で人がどんどん死んだ時期なんですね。
シーレと妻も、スペイン風邪で亡くなります。
スペイン風邪はインフルエンザの一種ですが、2千万とか4千万の人が亡くなったといいます。

シーレの妹が、なんとか熱を下げなくてはと闇市に「キニーネ」を買いに行くシーンがあります。
キニーネといえば、先日まで授業で読んでいた「兵士シュヴェイクの冒険」にも何度も出てきます。

シュヴェイクは第一次世界大戦の頃の話なので、まさしく同じ時代です。
召集される兵士たちは兵役を免れようと怪我や病気や障害があると申告するのですが、
そうした人たちは、それ拷問なんじゃないのというような「治療」を受けます。

その「治療」がつらくて、治りましたと申告して前線へ駆り出されてしまうという話のなかに
キニーネを処方するというのが出てくるのです。
つまり、キニーネって服用すると、相当つらい副作用が出るということですよね。
→追記あり(2017.1.31.)

シーレの妹がなんとか入手したキニーネは手のひらに収まるほどの小さな瓶に入っていました。
ほんのちょっと口にするものなのでしょうか。

*1月31日追記:

今朝あらためて電子辞書で「キニーネ」を確認。
あっさりとした説明のなかに知りたいことが整理されていてすっきり腑に落ちました。

『明鏡』が特にわかりやすかったです。

  「キナの樹皮から製する結晶性アルカロイド。味はきわめて苦い健胃剤・解熱剤にも用いるが、
   特にマラリアの特効薬とする。」

ということで、傷病兵への「治療」として使うのは至極まっとうなのだけど、
これを飲む(なめる?)くらいなら…というほど「きわめて苦い」のですね。

うっかりインターネットで検索したために、いろいろ盛り込みすぎな記事や解説が出てきて、
確かに太字にした部分も記述してはいるのですが、いまいち浮かび上がってこなかったです。
やっぱり辞書ですね。

(追記終わり)

などと、妙な細部に関心をもって見たのでありました。


と、死の雰囲気がつきまとうのですが、明るいシーンもあります。
特に、友人たちとウィーンを離れて、クルマウという町に絵を描きに行きます。
そこでの様子は青春~という感じです。

クルマウは、チェコのチェスキー・クルムロフという町です。
1993年にエゴン・シーレ・アートセンターがつくられ、
シーレゆかりの町としても打ち出しているようです。

この町にはブルタヴァ(モルダウ)川が円のような形で流れていて、
お城と旧市街がそっくり残っている、こじんまりとしたいいところです。
町ごと世界遺産になっています。

私がクルムロフに行った頃には、このセンターの情報がなくて、
残念ながらまだ行ったことがありません。

今度、クルムロフに行くことがあれば必ず行ってみたいと思います。





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by chekosan | 2017-01-30 23:10 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(2)

同志社大学法学部の特殊講義「ロシア・東欧の政治と社会」、最後のシリーズは、
ヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』でした。

これも太めの文庫本4冊にわたる長編。でも未完。
作者が生きていたらどんな大長編になっていたのだろう。読みたかった。

正確には、本編は3冊とちょいで、残りは短編や書簡、訳者解説なのですが、それでも長いには違いない。

風刺小説でテンポが良く、挿絵の魅力も相まって、とっても面白いのですが、
なにしろ第一世界大戦のお話なので、時代背景を知らないとけっこうチンプンカンプンだったようです。(^^;)

しかも授業は最後の2回だけしか割かなかったので、ちょっと駆け足になってしまいました。
年度を越えてもう一度読むのもいいかもと話しています。

私は20年ぶりくらいの再読でしたが、やっぱり面白かったです。シュヴェイク最高。

ものすごいテンポ感で、登場人物たちの切れ目ないおしゃべりに乗せて、
皇帝、帝国、聖職者、軍隊、警察といった権威や権力者、権力機構や、
メディア、マーケット(例えばペット産業)のいいかげんさや俗物根性を徹底的におちょくります。

さらっとブラックなユーモアも紛れ込んでいるので見逃せない。
シュヴェイクの身の回りの世話をしていたミュレロヴァーさんなんて
何もしていないのに強制収容所に連行されています。

一番面白いのは1巻なのですが、1巻は絶版なんです。ぜひぜひ復刊してほしいなあ。。。

で、この作品の一番の面白さは、主人公シュヴェイクをはじめとする登場人物が、
なになにと言えば、どこどこの誰それさんがああしてこうして、、、と
ホラなんだかどうなんだかよくわからない事例をノンストップで話すところなのですが、
土地勘がないとこれがピンとこないのです。

そこで、受講生の一人が、シュヴェイク地図を作ってくれました!

これがすごいんです! 
チェコの地名って、当時と、翻訳された時代と、そして現在では、結構変わっているんです。
それを脚注や今の地図などを確認しながら、現在の地図に書き込んでいってくれたんです。



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しかもですね、地図上のイラストも受講生の手描きなんです。スキャンして貼ったのではないんです。
ヨゼフ・ラダの挿絵を見て描いたんですって。もう、ラダの代わりに挿絵が描けるレベルです!

そして、手描きイラストは、そのシーンの舞台である場所にだいたい対応させて配置してあります。
さらに、写真には入れませんでしたが、地名一覧と初出のページは別の紙に書きだしてあります。

この地図自体が一つの作品ですよ! °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
こういうことを自ら思いついて、楽しんで取り組めるというのは素晴らしいですね。

でも、この地図は、文庫で言うと2巻までなので、代々引き継いでシュヴェイク地図を完成させようか、
クンデラ地図も作ったら面白いかも、さらにその町が今はどうなっているかを
グーグルアースなんかで確認していくなんてのもいいかもね、などと、おおいに盛り上がりました。


この授業は、私からこうしろああしろと指示しなかったのですが、
このように、それぞれの回の報告担当者が、毎度、力作の資料を作ってきてくれました。

読むだけでも大変だったと思うのです。再読の私でもけっこうキツキツギリギリでしたから。
よくぞがんばってくれました。おかげで実に楽しい時間でした。


この科目、いったいどういう科目で、どう進めているの?と聞いていただくことが多いので、
学期を通しての授業のまとめは、また別稿で詳しく記録したいと思います。乞うご期待(?)









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by chekosan | 2017-01-26 15:27 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)
本日は閑話休題。

同志社の輪読ゼミのラストは、ヤロスラフ・ハシェク『兵士シュヴェイクの冒険』を読みます。
風刺小説なので笑いながら準備しました。シュヴェイク、一番好きな作品なので楽しい~~♡

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で、原書やビデオを引っ張りだしてきました。
ヨゼフ・ラダの挿絵、大好き。しかも、この原書は挿絵がカラーなんです♡
岩波文庫に収録されていない絵もあります(多分)。

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ビデオは開封もしないまま。。デッキが潰れる前に変換してダビングなくちゃ。
って、家庭用ビデオデッキでは変換できないから放置していたんだったか!?

『シュヴェイク』の感想などはまた別途。(^▽^)

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    ビデオの裏面 ↓  
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ところで、「我が家のチェコ(2)」にもお気に入りチェコ本が登場しているのですが、
新築半年も経ってない時期なので、本棚がガラガラでびっくり。
このあと、20本近い本棚はすぐ満杯になり、
何重にも詰め込み過ぎて次々棚板が瓦解しています。(-_-;)




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by chekosan | 2017-01-17 18:03 | チェコ | Trackback | Comments(0)
クンデラを読む第4弾は『小説の技法』(岩波文庫 2016)でした。
小説とは何かについてのエッセイや対談、講演を収めた本です。

『存在の耐えられない軽さ』『冗談』『不滅』と長編を続けて読んで、
最後に復習がてらクンデラ自身の小説論で締めくくるつもりで選んだのですが、
薄い文庫本にもかかわらず、私は本作が一番手こずりました。

クンデラは他の作家や哲学者や作曲家を引き合いに出すことが多く、
ヨーロッパの精神や文化を継承し発展させるという意思を色濃く盛り込む人なので、
ボーッと読んだりザーッと読んだりができないのです。

報告者もどうまとめようかと悩んだようですが、
これまでに読んだ作品に言及している箇所を中心に取り上げてくれました。

クンデラは作品を7部構成にするのが好きなのですが、
そのルーツはクンデラの好きなベートーヴェンの弦楽四重奏曲131 番であるという話が出てきます。
報告者はその曲も聴いて確かめたとのこと。いい勉強していますね。(^ ^)


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以下は、私のメモです。

◇◇◇

◆小説とは
小説にしかできない発見をすることが小説の唯一の存在理由である。
→ これはクンデラが何度も引き合いに出す小説家ブロッホの言葉です。

小説というものは、諸学問にできないことを可能にするものである。
また、小説はその内部に、詩やエッセイといった様々な形式の表現を統合できる。
そのような様々な形式を含みつつ、一つのまとまったものにするのは、
筋書きや時系列的なものではなく、 一つのテーマである。

小説は、どちらかが正しい、誰かが正しいと断じるものではなく、
人間が相対的なものであることを許容し、その複雑性を尊ぶものである。

→ この「複雑性こそが小説の精神である」というのがキーでしょうか。

それと対照的なのはメディアであったりイデオロギーだったりします。
クンデラは、最大多数に、あるいは人類全体に受け入れられるような、
単純化、紋切り型を世界に配給しているとメディアを批判しています。

◆実存
クンデラは小説とは実存を検討するものと繰り返し強調します。
この実存とは、過去に実際に起こったことを意味するのではなく、
人間の可能性、人間がなりうることのすべて、人間に可能なことのすべてを意味します。

◆「カフカ的」とは
クンデラが分析する「カフカ的」なるものをまとめると次のようになるでしょうか。
1)権力との対立、権力への対抗は果てしない迷路である。
  制度というものは、それ自体が固有の法則に従って動いていくメカニズムである。
  (そのために誰と対峙し、どう抗えばよいのかがわからない)
2)そこでは、書類が真の現実の代わりになる。
3)罰せられたものが自らの過失を探そうとする「自己有罪化」が働く。
4)滑稽さ、笑いを誘う性格がある。
  ただしこれは見ている者にであって、当事者にとっては面白いことではもちろんない。
  
◆「著述マニア」に対する揶揄
皮肉たっぷりに書かれていて笑ってしまうのが、「著述マニア」をめぐる記述です。
「著述マニア」とは「本を書く(したがって不特定多数の読者を持つ)という欲望」と説明し、
「おのれの自我を他者におしつけようとする偏執」
「権力への意志のもっともグロテスクな変形」と断罪します。

そして、人が「私の本の中で言っているように…」と発言するときの「本」の部分は、
その前の音節よりも少なくとも一オクターブ高く発音されると指摘します。
「「私の本」とは自己満足の音声的なエレベーターなのだ」と楽譜付きで解説します。

さらには、
「作家たちがみずからの身元を隠し、偽名を用いることを法律で強制されるような世界を夢見る」
というのですが、その利点の一つに「著述マニアの劇的な限定」を挙げています。

手厳しい。ここには自嘲も入っているのでしょうか??

◆ヨーロッパ精神
ヨーロッパ精神とは、個人の尊重、独創的な考えと侵しがたい私生活の権利の尊重と言います。
これらは現代では脅かされているが、小説の歴史の中、知恵の内に収められていると言います。

◇◇◇

数週間にわたってみんなでクンデラの作品を読み、
感じとったこと、気づいたこと、気になったこと、面白いと思ったことを自由に話してきました。

私にとっては『小説の技法』以外は、20年ぶり?くらいの再読でしたが、
やはり読み応えがあり、非常に頭を使う作品だなあと感じました。
ただ、登場人物の感情や感覚が実感として理解できるようになったなと思いました。

若い学生諸君も忘れたころに再読したらまた違った感想をもつでしょうか。
もしもそんな機会が持てれば面白いなあと思います。

授業はあと2回。
院生君のリクエストで、ヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』です。
こちらも私は20年ぶりくらいの再読です。
シュヴェイクはとにかくテンポが良くて面白いので、楽しいラストになりそうです。

ところで、教育関係者や読書会を計画している方などから、
この授業の進め方について聞かせてほしいとご連絡をいただきました。

特にこれといって工夫も何もないのですが、
授業がもうすぐ終わりますので、稿をあらためてまとめてみたいと思います。^^
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by chekosan | 2017-01-13 22:09 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)
先日読んだヴェラ・ギッシング『キンダートランスポートの少女』を原案にした映画、
「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」を観てきました。

第二次世界大戦の迫るチェコスロヴァキアから、ユダヤ人の子どもたちを脱出させ、
イギリスに疎開させた中心人物、ニコラス・ウィントン氏に焦点を当てたドキュメンタリーです。

チェコとスロヴァキアの政府機関やテレビ局の全面支援のもと、
戦間期からの映像を効果的に使っています。

戦間期の独立したてのチェコスロヴァキアの幸せな日常生活や、
活気のある街や村の様子を収めた映像のところで、既にウルウル…

子たちを泣く泣く送り出す親たちの苦渋の決意にまたうるうる…

いやウルウルじゃなくて涙だらだら流しまくりでした。

ウィントン氏の勇気ある精力的な救出活動のおかげで命を救われた子どもたちは
戦後、世界各地に散らばって、それぞれの道で活躍しています。

現在のチェコやスロヴァキアで、ウィントン氏の功績が讃えられ、
その精神を引き継ぐたくさんの若者が慈善活動を展開している様子が最後に紹介されます。

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と、全編たいへん心打たれる映画なのですが、若干物足りない点もあります。

上記のヴェラさんの本には、帰国して初めて味わったユダヤ人への差別や、
親きょうだいや親戚や財産や思い出の場所を失った人々の悲しみと苦労、
アイデンティティを構築できないことの苦悩についても言及されています。

この映画は、しかし、戦中戦後のチェコスロヴァキアでのユダヤ人が舐めた辛苦、
それにチェコスロヴァキア人がどのように関与したかといったことには
あまり触れていません。

ウィントン氏の功績を広く伝えることが本作の主旨ではありますが、
チェコ映画や文学作品でその点を掘り下げたものがあれば観たり読んだりしたいと思いました。
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by chekosan | 2016-12-29 00:18 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

残念ながらクリスマス時期にヨーロッパに行ったことがありません。
寒い時期は何度か行きましたが、11月とか2月とかちょっとずつズレています。

でもチェコでは2月中頃までクリスマスシーズン。
1998年2月に行ったときには、ホストマザー宅にはまだツリーが出ていましたし、
教会にはベトレムが飾っていて、少しだけ雰囲気を感じることはできました。

ベトレムとは、幼子イエス生誕シーンの作り物のことです。
ジンジャークッキーで作ることが多いとのことで、教会はとてもいい匂いでした。
この年は、この日でラストだったようで、たいへん幸運でした。

プラハのMatej 教会にて。1998年2月8日撮影。
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一つ一つがクッキーです。信徒さんたちが作られたと聞きました。

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ホストマザーはいつもチェコらしい季節の食べ物を出してくださっていました。
このパンもクリスマスのパンとのことでした。
パンの種類が豊富で、それぞれ名前が全部違うのですが覚えられず。

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チェコ料理はいろいろ食べさせてもらったのですが、
チェコのクリスマスの代名詞、鯉のフライは、たしか食べる機会がなかったです。

もともと内陸国なので、魚料理のバリエーションは少なく、
レストランはともかくホームステイ先ではほとんど出てきませんでした。
一度、何かの燻製?干物?を出してもらいましたが、塩辛くて食べきれず。。。

でもチェコのクリスマスと言えば、鯉なのです。

チェコを代表する画家、ヨゼフ・ラダのクリスマスカード(名刺大)にも、
鯉を買う奥さん(最下段左から2つ目)と鯉そのもののカードが入っています。

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お料理本にもほら、鯉が。丸々と。

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でも、あまりおいしいものではなかったとの話もあります。

十二月に入ると、プラハの街のあちこちに、露店が出た。露店の台には所狭しと樅の木や玄関に飾るリースが積み上げられる。露台の傍らには大きな樽に水が湛えられている。客の注文に応じて、店員が樽に両手を突っ込んで黒っぽい魚を取り出し、暴れて水しぶきを振りまくそれをまな板の上に載せると、巨大な金槌で脳天をたたく。魚は、鯉。クリスマスイブに、海のない国、チェコの人々は、鯉を食べる。フライにして食べるのだが、これが非常に泥臭い。それでも、毎年、チェコの人々は、イブの夜には、まずそうな顔をしながらも鯉のフライを食べる。イブに肉を食べてはならないからだ。

米原万里「夕食は敵にやれ!」『旅行者の朝食』(文春文庫 2004)p.96

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鯉はこのようにその場で〆ることもあれば、持って帰ってお風呂でしばらく生かされることもあります。

クリスマスの食事のための鯉を選ぶのもまた一大事でした。毎年、ボヘミア南部の湖や川でとれた鯉が何千匹とチェコスロヴァキア全土の町や村に運ばれてきました。あらゆる店の前にずらりと生きたままの鯉をいれた樽が並べられました。凍りつくように冷たい樽の水に指を突っ込んでみたり、母が選んだ「犠牲者」をバケツに入れて家に持ち帰り、水をいっぱいにはったお風呂のなかに放し、最後の瞬間まで生きのよいまま大事に活かしておいたことを思い出すと、今でも胸が高鳴ります。その鯉は卵とパン粉でくるんで調理されたあと、あつい魚のスープではじまり、りんごのシュトルーデルのデザートで終わるディナーの真ん中に、濃厚なマヨネーズソースであえたサラダとワインを添えて出されました。私はいつもこの料理がどんなにおいしいか聞かされていました。けれど結局、わたしは一度も鯉を食べることはできませんでした。テーブルにのるころにはもう、その鯉は私にとってペットとか友だちという存在になっていたからです。

ヴェラ・ギッシング『キンダートランスポートの少女』(未来社 2008)p.36-37

読書記録はこちら
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10歳でナチスドイツの迫害を逃れるため、両親と別れてイギリスに疎開したヴェラさんにとっては、
チェコのクリスマスの光景は大切な大切な思い出の一つだったのでした。


2016年の我が家周辺は、嘘みたいに暖かくて雪のかけらもないクリスマスです。
寒いのは苦手だけど、冬のチェコが懐かしく恋しく思えてきました。
一度はクリスマス時期に行きたいなあ。そのときは鯉をありがたくいただくとしましょう。

では皆様、Veselé Vánoce! (メリークリスマス!)
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by chekosan | 2016-12-25 15:25 | チェコ | Trackback | Comments(0)
クンデラを読む第3作は『不滅』です。
こちらはクンデラがチェコから亡命して少し経ってから書かれたものなので、
チェコの話はちょろっとしか出てきません。

クンデラと思しき〈私〉がプールサイドで見かけた老婦人のある仕草に感銘を受け、
そこからアニェスという作中人物を生み出します。

『存在の耐えられない軽さ』同様、作家が小説内に顔を出し、
作中人物の行動や潜在意識までも解説するという形式をとっています。

1980年代のフランスに生きる中年男女2組プラスαをめぐる話と、
世界の文豪ゲーテとベッティーナという女性との話が、交互に〈私〉によって解説されます。

終結も近くなって、いきなり誰?という人物が登場し、彼の話が延々語られ、
なんだか一体どうなってるのかと混乱しそうになりますが、それを乗り越えると全体像が見えてきます。

いや、一読ではちょっとわからないところもあるかも。。。

小説の筋を楽しみたい向きには、話が進まん〜とフラストレーションを生じさせること請け合いですが、
小説を通じて物事をじっくり考えたいという人には良い作品です。

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本作も、人の生き様、歴史と個人、自我と他者、男女関係、性と愛、身体の捉え方について、
くどいほど考察が展開されます。
『存在』『冗談』と重なる点も多いのですが、『不滅』独特な視点をピックアップ。

◆イデオロギーとイマゴロジーの考察
イマゴロジーとは、イメージを最重視する風潮、イメージ偏重、
マーケットに乗るようなものばかりを追う移り気、
本質や文脈を無視して一部を切り取る軽薄さを指します。登場人物の一人も、その犠牲になります。

◆父の娘
『存在』や『冗談』では、母への息子の思慕、息子の父否定が
メインテーマの一つだったように思いますが、
『不滅』は姉妹間の愛憎と、娘と父との依存関係がクローズアップされます。
女性が話の中心に据えられています。
まあでも、またしてもいい年した男性の年上女性への執着話は登場するのですが。

◆引用の変化
本作ではゲーテ、ベートーヴェン、ランボーが大活躍。
『存在』『冗談』でもニーチェやベートーヴェンなどは出てきますが、
『不滅』ではチェコやロシアの文化や歴史に関する記述がぐっと減っています。

クンデラ自身は「チェコの反体制作家」と位置付けられるよりも、
より普遍的な作家として、国や時代を超えた哲学を小説で展開することを望んだようですが、
チェコに思い入れのある読者としては物足りない。。。
生々しい人間の苦悶や惑いや滑稽さが無くなって、
なにかこう高みの見物になっている感じがしました。

でもまあ、読み応えのある小説には違いないと思います。

と、濃い小説を続けて読んで、消化不良の感もあるので、
年明けは『小説の技法』でクンデラをおさらいしようと思います。
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by chekosan | 2016-12-23 19:09 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)
第二次世界大戦の直前、チェコからイギリスへと700人近いユダヤ人の子どもたちが疎開しました。
ニコラス・ウィントンという人物が、イギリス政府に働きかけて、
宗教団体などと協力して、子どもたちを受け入れる態勢を整えたのです。

著者のヴェラさんも10歳のときに、14歳の姉のエヴァさんとともに
チェコからイギリスへと渡りました。
姉妹は離れ離れになりましたが、連絡を取り合い、支え合ってイギリスで6年を過ごします。

「自由なチェコスロヴァキアで再会すること」を一心に祈って、
両親からの手紙を励みに姉妹は勉強に励みますが、しばらくすると手紙が届かなくなります。

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戦後、ヴェラさんは両親や親戚のほとんどが亡くなったことを知ります。
それでも、祖国チェコスロヴァキアの再建に役立ちたいと帰国しようとするのですが、
あれほど焦がれたチェコでヴェラさんは、反ユダヤ人感情を強く意識させられます。

1918年に独立したばかりの若い国家チェコスロヴァキアへの強い愛と、
建国の父マサリクや第二代大統領ベネシュへの敬愛の念を記した部分が感動的なだけに、
帰国したチェコでヴェラさんが受けた辛い体験には胸が痛くなります。

もちろん彼女を助け支えて励ましてくれる人たちもたくさんいたのですが、
傷心のヴェラさんは再びイギリスに戻ります。

1968年の春、ヴェラさんは再びプラハを訪れ、ユダヤ人街を訪れます。
そこには強制収容所で亡くなった子どもたちの残した絵がひっそりと展示されていました。
それを見て、ヴェラさんは過去にもう一度向き合おうと決意します。

自分たちの経験を記録し、同じようにイギリスに渡った仲間と再会し、
さらには自分たちの疎開に尽力したニコラス・ウィントン氏とも再会を果たしました。

娘たちへの愛情に満ちた両親からの手紙と、
両親や周囲の人に対するヴェラさんの愛と感謝に満ちた文章に心打たれます。

ニコラス・ウィントンと彼が救った「子どもたち」の映画も観てこようと思います。

2016/12/28追記 → 映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」観てきました
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by chekosan | 2016-12-22 21:42 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)