中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan

タグ:まちづくり ( 29 ) タグの人気記事


猪熊純・成瀬由梨責任編集『シェア空間の設計手法』(学芸出版社 2016)の
刊行記念イベントに行ってきました。

私は建築はまったくの素人ですが、建物やインテリア好き、まちづくりやシェア経済にも関心があり、
それを知った方から、京都で人が交流できる場をつくる計画に声をかけていただきました。

今回はその計画の参考になりそうかなと思い、参加してきました。
どちらかというと建築関係者向けの本なので、「予習」もしていきました。^^


b0066960_15485538.jpg

会場は、京都駅から徒歩5分ほど、学芸出版社の会議室です。4階建てのしゃれたビルです。


b0066960_15464425.jpg


『コミュニティデザインの時代』(中公新書)の山崎亮さんもゲストで来られるというので、
生でお話が聞けると楽しみにしていましたが、残念ながら体調不良でご欠席。

その分(?)、本書に実例が紹介されているドットアーキテクツの家成俊勝さんが
ゆる~い口調で笑いを交えてお話され、柔らかな和やかな雰囲気をつくってくださいました。

シェア空間をテーマにしているだけあって、
登壇された建築家のみなさん、寛容性、多様性、受容がベースにあるなと感じました。

人の出入りや建物の使い方は変化していくものだと思っておくこと、
それゆえ融通が利くことがポイントではないかと話されていたのが印象的でした。

来場者は、建築科の学生さんや、シェアハウスの経営者、
建築関係者、まちづくり関係者が多かったようです。

質疑応答では学生さんやまちづくり関係の方からの質問に対して、
登壇者のみなさんが、お悩み相談のように、ていねいに親身になって答えられていました。


◇◇◇

さて、この本ですが、49の建物の図面が掲載されています。

最近流行りの若い人向け共同住宅だけではなく(むしろそれは少ない)、
幅広い事例を取り上げて、都市、都心、郊外という分類で掲載してあります。

図面には人や家具なども描き込まれているので、
どんなふうにその空間が使われるのかを想像しやすくなっています。

写真は少なめ。巻頭にカラーが一枚ずつ、本文に白黒があったりなかったりなので、
複雑な構造の建物は、素人には若干どうなっているのかわかりづらいものもあります。

が、どちらかというと教科書的に使われることを想定して編まれたそうなので、
そこは仕方ないですね。


◇◇◇

では、素人には参考にならないかというとそんなことはなくて、
設計した人や施主(空間の運営者)のちょっとした表現や、実際の活用例から、
いくつか具体的なヒントや、大きな示唆が得られました。

私が関係している場所づくりに直接的に参考になりそうなのは、
日本人は無目的、多目的な場所は苦手」というもの。
(p.43 「まちの保育園」代表のお話)

私自身がそうです。
ただ集いましょうとか、はい仲良くしましょうというのは苦手です(笑)

トークイベントでも、具体的な行為が想定されているとか、
そこにある物や機能を目当てに行くことができるような空間であれば、
外に出ようとしない人たちでも来ようと思うのではないか、
多様な層が交われるのではないかというお話がありました。

それから、タイムシェア
空き時間の有効活用というだけでなく、
違う世代や違う層が、同じ空間を違う用途に使っていくなかで
ちょっと重なる部分ができていって関わりが出てくるという事例です。
(p.48-49「高島平の寄り合い所/居酒屋」)

ほのかなわれわれ性」という表現も面白いと思いました。
これは広い公共施設の外部空間の説明ではありますが、
使用者がべったりみっちり関わることばかり追求しなくてもよいのかなと。
同じ空間にいて、なんとなく見守る「ゆるやかな協働性」も心地よいですよね。
(p.52-53 武蔵野プレイス)


私が関わっているプロジェクトの場合は、建物は既にあり、
その作品性、作家性を大事にしながら活用するという趣旨なので、
それゆえの難しさがあります。

が、建物そのものの価値や雰囲気が人を呼ぶということも期待できます。
いろんな事例や活動を参考にしつつ、面白い空間、場づくりができたらと思います。









[PR]
by chekosan | 2017-03-03 16:59 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

平田オリザ氏は世界で活躍する劇作家、演出家で、教育者である。
先日、京都で開かれた国際教養学会の特別講演を聞きに行った。


題目は「教養としてのコミュニケーション能力」。
「グローバルコミュニケーション力」をつけることが急務だと言われているが、
コミュニケーション力とは一体何なのか、
エレベーターで外国の方と一緒になったときにハローと英語で話しかけることなのか。
いやそうではない、人に話しかけるということは、その地の文化や、その人の社会階層的なもの、
居合わせた人たちの関係性やその場の状況によって変わるものであろう、というお話から始まった。

では、どういう状況であれば、人はどう振舞うのか。
ちょっと想像してみること、そして、他人の状況や立場に思いを致すこと、
まったく一体になろうとしなくてもよい、共感しようとすること、
その共感の幅を広げることがコミュニケーションであり、異文化理解である。

平田氏は、演劇を取り入れたワークショップや地域活性化支援で全国津々浦々を駆け巡り、滞在し、
現地の子どもや大人と交流を重ねている。それこそ離島やへき地の小さな学校にも足を運ばれている。
その経験や手腕を買われて、いくつもの大学の新学科創設や入試改革にも携わっておられる。

本書では、そうした各地での実践内容や成果について詳しく紹介し、
日本の国のありかた、地方のまちづくりや、これからの教育のゆくえについて論じている。


b0066960_18303688.jpg

◇◇◇

私たちはすでに下り坂を下りている。日本はアジア唯一の先進国ではない。
この先、人がどんどん増え、右肩上がりに経済が拡大していくことは望めない。
その事実や寂しさに向き合うことを恐れる人々は、人を妬み嫉み憎むことでごまかしている。


地方から人が出て行ってしまう、新しい人が増えないという焦りは募るものの、
その対策はいまだに工場誘致であったり、住宅建設であったりする。

しかし、地方から若い世代が出て行ってしまうのは、実は雇用が少ないからという理由ではないという。
「つまらない」からであるというのである。文化的な刺激がない、偶然の出会いがないからである。

それなら、つまらなくないまちにすればよい、センスを磨けばよい。
選んでもらうまちをつくるには、自己肯定感を引き出すような、広い意味での文化政策と
ハイセンスなイメージづくりが必要なのである。

とりわけ、子どもが小さいころから本物に触れる機会を設けることが重要である。
それもシャワーのように浴びせかけないと、
地方の子どもたちは、いろんな機会が溢れている都市の子たちに太刀打ちできない。

なぜなら、これから必要とされるのは単純な知識量ではないからである。
言われたとおりに動くだけならば、代わりはいくらでもいる。
代わりは人間でさえない。AIで置き換えられるのである。

平田氏は、問題解決能力よりもさらに、問題を発見できる能力が必要だと言う。
それには幅広い視野と、人の状況に思いをはせる力が必要なのである。

ところが、そうした能力やマナーや振る舞い、
ー つまりそれこそがコミュニケーション能力なのだが ー

それを養うには、20歳ごろまでの環境が大きく影響するのである。

小さいころから本物を見たり触れたり体験したりすること、
それによって身体感覚(例えば味覚やセンスなど)を養うには、しかし、
首都圏と大都市圏、地方都市と都市でない地域で、相当に機会の差がある。
そのような「文化資本」の地域格差は何倍どころか、百倍くらい違うという。

さらに、「文化資本」は、家庭の経済状況や親の文化的な習慣にも大きく左右される。
地域格差と経済格差が掛け合わされると、圧倒的な差ができてしまう。

では地方には救いがないのかというとそんなことはない。
本書で平田氏が紹介している自治体や大学などは、いずれもかなりハンデがある地方だが、
新しい文化の拠点、新しい試みが成功しているところとして、
日本中から、世界から、注目を集めている。

◇◇◇

以上は、私がもっとも惹かれた部分を簡単に記したものなので、
詳細はぜひ本書を読んでいただきたい。
わかりやすい文体で、さらさらと読むことができる。おすすめの一冊。







[PR]
by chekosan | 2017-02-20 19:10 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

サロン的空間をやたら夢想していた時期があった。

家に収められない本を並べ、趣味の合う人と話したり食べたり音楽を聴いたりしたいなあ、
それもできれば雰囲気のあるちょっと古い建物とか、と。

建築士と家をつくり、その家を住みこなしていくことで自分の空間を持つ欲はいったん満たされた。
日々の仕事や家事育児に忙殺され、しばらく別宅サロン構想は頭から遠のいていた。

勤務先にも研究室を持つようになって、
本を収めたり、業務上・教育研究上の相談をしたりする空間には困らなくなった。

真夏の数日間、あああ避暑地に別荘が欲しい! 冷房のいらないところで知的活動をしたい! 
そこで人と小さな集まりをもったら楽しそう! と猛烈に別荘欲が募ることはある。

「第三の居場所」「サードプレイス」といった系の言葉や活動の事例にも異様に惹かれる。

が、空間としての、物体としての不動産を、自宅と別にどうしても私有したいのかというと、
どうもそれとは違うように思えてきた(余裕があれば持つことにやぶさかではないが)。

だいたい私は、人が少なすぎるところとか、何もないところとか、
車でないと行けないようなところにじっとしてはいられない。

そのくせ、よほどでないと人を家に招きたいとも思わない。
自宅は自宅として好きに過ごしたい。しかももともとが出不精。
なんだろう、この矛盾。

そんなことを、日々つらつらと考えて、ちょっと見えてきた。

欲しいのは、私的財産としての不動産ではなく、
半私的半分オープンな知的・美的な交流がはかれる「場」や、
もっと言えば「機会」なのではないか。


◇◇◇

「場づくり」「居場所」「サードプレイス」関係の本や記事はちょこちょこ読んでいる。

この本もその一つ。
熊倉敬聡ほか『黒板とワイン もう一つの学び場「三田の家」』(慶應義塾大学出版会 2010)


b0066960_10394459.jpg

慶應の先生方が、三田のキャンパス近くの古い一軒家を借り受けて、
学生、教職員、地域の方、卒業生などが集う「インターキャンパス」として活用した記録。
非常に多くの人が関わり、手を入れ、外に開き、交流した様子が見て取れる。

各曜日の「マスター」(慶應の教員)が、その曜日の運営を任される。
留学生と日本人学生の交流の場とする曜日もあれば、ゼミ活動主体の曜日もある。
学生や教員が企画する特別イベントを開く日もあれば、特に何も予定されない日もある。

普通の民家であることは、教室における学生や教員間の緊張を解く効果があるようだ。
マスターや料理好きな人が腕を振るい、おいしいものを一緒につくり、食し、片づけるなかで
教室では出てこない本音が聞けることもあるという。

ただ、そうした時間・空間を通常の大学の業務と別に運営することは、
刺激的で楽しい半面、負担や疲労も生じさせ、マスターが疲れてお休みする日もあったという。
そんな正直な感想も記されているところが参考になる。

(※「三田の家」は今はないとのことである)


◇◇◇

「三田の家」のこと、この本のことは、
東京でサードプレイスづくりを実践されている方から教えていただいた。

一年ほど前、冒頭に書いたような夢想を書いた本ブログの記事をその方がご覧になり、
その方が京都にお持ちの建物で、そうしたことをしませんかと声をかけていただいた。

以後、ほかの方も交えて、メールや現地でのんびりペースであれこれお話をしてきた。
最近は、オーナーたちと場づくりの参考になるところに見学に行くことも増えてきた。

見学先では、どうやって運営しているのか、誰を対象にしているのか、
収益は、所有者は、活動時間は、広報は、といった話もうかがうが、
それをきっかけにいろんな話題が飛び出し、
その人知ってますよとか、あら同じ大学の出身ですねとか、
○○もいいですよとか、××はステキですよねなどと話が弾み、
新しい世界や、新しい人たちと繋がっていくこと自体がまた楽しい。

実は、そのこと自体が既に、私の欲する「場」なのではないかと思うようになっている。

◇◇◇

と書くと、いやいやそれで満足してもらっては困りますよ、
建物そのものを活用してほしいんですよ、と言うオーナーの声が聞こえてきそうである。

わかっていますよ、空間を持っているからこそできることがありますよね。
建物や土地自体のもつ磁力が人を呼ぶことも、
そこを媒介として新たな出会いが化学反応を起こすことも楽しみですから。


というわけで、サードプレイスづくり、みんなであれこれあれこれ考えながら、
京都は衣笠の地で、夢想段階から計画段階、実行段階へと移りつつあります。





[PR]
by chekosan | 2017-02-15 12:01 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
月一回の書評連載@関西ウーマン、今月は社会問題、社会貢献活動について取り上げました。

賞味期限が近づいたとか、包装にちょっとした印刷ミスがあったとか、
商品の品質には影響しないが梱包にキズがあるなどの理由で、
十分安全においしく食べられるのに廃棄されようとする食品を、
困窮する人々に食べてもらう活動「フードバンク」についてです。
民間、行政の最新の取り組みも紹介されています。


本文はこちら→ 
大原悦子『フードバンクという挑戦』(岩波書店 2016)
関西ウーマン「信子先生のおすすめの一冊」(2016年10月8日公開)


b0066960_11162491.png



















[PR]
by chekosan | 2016-10-08 11:23 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)

3つの小さな村や町のダイナミックな取り組みを紹介する本です。


長野県下條村、群馬県南牧村、神奈川県の旧藤野町は、
いずれも山間部にある少子高齢化の進む地域ですが、
それぞれ特徴的な取り組みが注目されているところでもあります。



剛腕村長が民間企業経営で培った感覚を行政に導入してコスト削減に成功している下條村、
不利と思われた土地の形状や気候を生かせる農業への転換を果たしつつある南牧村、
「よそもの」を受け入れることで新しい住民やまちの「ウリ」を得た旧藤野町。



いずれも大きな企業や国の施設を誘致してそれに依存するというのではなく、
地域の自然条件や資源、人のつながりを生かして、
そこならではの特色を生み出そうとしています。



これらの地域の高齢者は70代、80代はまだまだ働き盛り。
山間部の過疎の地域というと、少子高齢化、人口減少、
挙句は「消滅自治体」などとお先真っ暗なイメージが喧伝されていますが、
それはあまりに一方的で、勝手な決めつけだと気づかされます。


とはいっても、この3つの村やまちも安泰というわけではないでしょう。
おそらく、このあとも様々な壁や困難が生じるのでしょう。




山間部の村おこしといえば、徳島の上勝町の葉っぱビジネスが有名です。



その上勝町でも、さらなる高齢化による産業や地域の衰退を招かないよう、
移住者へのビジネス支援を展開しています。



「葉っぱビジネス  来たれ移住者 徳島・上勝町が育成支援」(毎日新聞2016年9月9日)



こうした取り組みを、他の自治体がそのまま真似をしてもうまくはいかないのでしょう。
それぞれの地域の住民が、その地域に合った歩みを模索するしかないのだと思います。



地方の再生に絶対的な解決策はないのでしょうが、
しかし、こうした事例は、希望やヒントを与えてくれると思います。


b0066960_2305793.jpg




[PR]
by chekosan | 2016-10-04 23:33 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

同志社での授業のあと、ハリス理化学館のギャラリーで開催中のポスター展を見てきました。
b0066960_1817486.jpg
b0066960_1818246.jpg


ゴアレーベンというドイツ北部の小さな集落に、
1977年、核廃棄物最終処分場を設置する計画が発表されました。

ゴアレーベンでは、「ドイツ反原発運動の母」と呼ばれるようになる
マリアンネ・フリッツェン氏を先頭に、住民による反対運動が始まりました。
40年近く続く彼らの反対運動は、ポスターという形で残りました。

今回の展覧会では、スタイリッシュなもの、ほのぼのとした絵柄、漫画風などなど、
さまざまなスタイルをとったポスターやグッズを展示しています。

ポスターの横には、日本語バージョンも掲示してあるのがとても良かったです
ドイツ語が分からなくても細部まで理解できます。

また、関連する映像も観ることができます。
「TBS報道特集 メルケル首相“脱原発”の裏側 」2012年3月24日放送
このうち、フリッツェンさんの登場する部分を抜粋した動画がこちらにアップされています。

この番組のなかで紹介されていた映画「みえない雲」も観たいです。
南ドイツで原発が爆発したという設定の小説が原作だそうですね。
b0066960_18493190.jpg


小さな展覧会ですが、興味深かったです。
これで、パンフレットのような資料集があればなぁ。
資料として手元に残したいなあと思う展示だったのでそこは残念。

付随して、いろいろなイベントが開かれるようです。
詳しくは実行委員会のHPへ。展示作品の一部も公開されています。


開催日:2016年5月31日(火)~6月25日(土)
閉館日:月曜日、日曜日
開館時間:10:00 ~ 17:00(最終入館16:30まで)
場所:同志社大学 今出川キャンパス内 
    ハリス理化学館同志社ギャラリー常設展示室『同志社の今』
主催:ゴアレーベン・ポスター展京都巡回実行委員会
共催:主婦連合会、一般財団法人主婦会館、TEGAMI-Perspektiven japanischer Künstler
協力:Gorleben Archiv e.V.
【入場無料、事前申込不要】
[PR]
by chekosan | 2016-06-04 18:53 | ドイツ | Trackback | Comments(0)
今年も流通科学大学の初年次教育プログラムでは、
4月末から5月にかけてフィールドワークを行いました。
b0066960_1415378.jpg

今年はクラスごとに行き先が違います。
私は候補地のなかから天保山マーケットプレイスに手を挙げました。

ここは観光地、娯楽施設のなかにある商業施設ですから、
まず自分たちが楽しめない(関心を持てない)ようでは、
演習先のいいところ、工夫や改善点は見えてこないでしょう。
だからおおいに楽しんでこい!と申し渡しました(笑)

でも自分たち元気な若者の視点だけで気づくこともたかが知れています。

そこで、クラス独自のお題として、
「自分たちとは違う客層に楽しんでもらえる「仮想ツアー」を計画し、
 FW当日はそれを実際に確認、検証すること」を課しました。

それによって、普段意識しない視点が加わることを期待したのです。

それに、実際、家族や友人、恋人以外の人を
もてなす、案内する、楽しんでもらう、学んでもらうような企画を
立案、実行する機会って、けっこうありますよね。

ゼミの研修、クラブの合宿、会社の旅行、接待、地域のイベントなどなど。

そういう実務的なことも身につけてもらう機会にしようと企みました。

◇◇◇

さて、一週目は全体説明と事前調査です。

事前調査は個人個人で取り組んだのですが、いい視点は抜粋・編集して紹介し、
クラス全体で、実りある現地観察、ポスター制作ができるよう促しました。
b0066960_14215948.jpg

二週目は現地観察(4時間ほど)と、ポスター制作。

現地は絶好の観察日和。
何しろ「仮想ツアー」の検証なんだからと集合写真も撮りました。
それが一枚目の写真です。^ー^

本格的な学術ポスターの作り方は今後、専門科目などで学んでいくとしても、
単なる“遠足楽しかった♪ポスター”にならないようにしなくてはいけません。

そこで、例を作りました。
まったく真似しては意味がないので、素材は私の地元の商店街です。

FW前日に子どもと2時間ほどうろついて、100枚ほど写真を撮って、
FWから戻ってすぐに研究室で2時間ほどかけて作りました。

学生よりちょっとタイトな条件で、私も同じことをやってみたわけです。
みんなは手分けするんだから、もっといいものができる!と。
b0066960_14441346.jpg

ポスターは6人ほどのグループで模造紙2枚を半日で作ります。

11クラスが同時に行いますから、PCなどの設備が足りません。
ほとんどが手書きにせざるを得ません。

ですので、パーツとなる文章を分担して書いてくるよう指示しておきました。
それを持ち寄って、レイアウトや演出を決め、紙面を作りました。
b0066960_1455557.jpg

何しろ、総時間数は多いのですが、日数的には少ないので大忙しです。(^-^;
b0066960_1504973.jpg

b0066960_151222.jpg

b0066960_151958.jpg

紙面ができたグループがプレゼンの練習を始めると、ほかも続きました。
いい波及効果が生まれました。
b0066960_155764.jpg

b0066960_1551831.jpg

そして、翌週はプレゼンテーション。
月火にこの科目を受けている11クラスが一斉に行います。

プレゼン相手は、自分のクラス以外の10クラス。
小グループに分かれて、5分ごとに各クラスを回っていきます。
プレゼンと聞く側を交代して、2コマ(180分)連続で、計20回行うのです。
b0066960_1591522.jpg
b0066960_1592348.jpg
b0066960_1593079.jpg
b0066960_1593850.jpg

教員は自分のクラスで、ひたすらタイムキーパーです。

ほかのクラスの様子を見れないのが残念でしたが、
担当クラスの全グループが、一回たりとも手を抜かず、
20回のプレゼンを分担してしっかり行ったことに感動しました。

すべてが終了したあと、グループごとに記念撮影。

学年全体のプログラムである都合上、クラス内でのプレゼンや反省会、
打ち上げの時間がとれなかったのは残念ですが、
彼らの取り組み姿勢や、成果物・プレゼンの出来をおおいに褒めておきました。

◇◇◇

昨年は、私自身が初めてのFWの指導で、
しかも私自身はFWを自分の手法としてきたわけではないので、
全体プログラムに頼り切って、なんだかわからないままに終わってしまいました。

その反省から、今年は春休み前からFWの入門書を読み、
全学部混合40人前後という人数の多い初年次ゼミでのFWで
できることできないこと、その指導や進め方について
考えを練ったりして備えました。

私の指示や思いに応えてくれるクラスに当たったのも幸いして、
とても充実感を得て終えることができました。

FWへの苦手意識も少し克服できたので、さらに研鑽を積んで、
学術的なFWへと橋渡しできるような、
初年次ならではのFWの指導術を磨きたいと思います。


お仲間の先生方にもずいぶん助けていただきました。
ありがとうございました。
[PR]
by chekosan | 2016-05-05 15:42 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
先日、北浜・天満橋まちライブラリーツアーに参加しました。

もりのみやキューズモールのまちライブラリーに集合して、
大阪城を散策し、周辺のまちライブラリーを訪ねて、
最後は、まちライブラリー第1号のISまちライブラリーで、
本の紹介と屋上パーティを楽しむ企画です。
b0066960_170790.jpg


まちライブラリーというのは、私設の小さな図書館です。
特に設置に決まりや要件があるわけではありません。
オフィスやお店の一角の本棚から、本格的な専門図書館まで、いろいろです。

提唱者の礒井さんが天満橋に開かれてから数年で全国に広がっています。

その経緯やコンセプト&私の個人的決意(?)はこちらにまとめました

    ISまちライブラリーの入り口。巣箱型本棚がかわいい!
b0066960_16595881.jpg

さて、まちライブラリーのような小規模な本のある空間は、
マイクロ・ライブラリーと呼ばれています。

そのマイクロ・ライブラリーが結集するサミットも3年連続で開催されています。
本書は、そのサミットの3年目の記録です。
b0066960_17162691.jpg

第1章はサミットのオープニングセッションの記録、
第2章は全国のまちライブラリーの活動発表、
第3章は全国950にのぼるマイクロ・ライブラリーの一覧です。

セッション登壇メンバーは、礒井氏、
神戸の井戸書店の森忠延氏、
岐阜の公立図書館長である吉成信夫氏、
大阪府立大学前学長の奥野武俊氏と、
「マイクロ」「民間」「図書館」という範疇を越えた顔ぶれです。

が、各人の活動や思い(懸念含む)や目指すものには共通点があり、
上の三要素をすべて満たすかどうかは重要ではありません。

実は、まちライブラリーがGW前後に催しているブックフェスタin 関西にも、
非常に多くの公立図書館が参加されています。

これはたいへん興味深い現象であると思います。

本を楽しみたい、本を介して人の交流を促したいという人や団体は、
官か民とか、規模の大小といったことにかかわらず
緩やかに繋がることができること、
そこには対立構造はもちろん上下関係もなく、
一緒に何かをしたり刺激を与えあったりできることを証明しているからです。

本書のタイトルにある「コミュニティ」は、
各マイクロ・ライブラリーのある地域コミュニティの意でしょうが、
本のある空間どうしのつながりというコミュニティも
どんどんと広がり強まっていると言えるでしょう。


ところが、こうした流れに乗り遅れているところがあるようです。

大阪府立大のまちライブラリー設立に尽力された奥野氏によると、
大学関係者のサミットやライブラリーへの関心はかなり薄いようなのです。

やっぱりそうなんだという感想を持ちました。
実際、2回目のサミットに行ったときも、
大学関係者が思いのほか少なそうな印象を受けたのです。

大学教員が本を読まなくなったわけではないはずですが、
最近ではオンラインで専門的な本や資料が入手できるようになっていますし、
仕事量がどんどん増えていることもあって、
図書館に頻繁に、そして長く滞在する教員があまりいないように思います。

それが大学教員の関心の低さに繋がっているのではないかと睨んでいます。

でも、大学関係者以外の方との本を通じた交流は、
学生や研究者仲間とのそれとはまた違う新鮮な刺激や発見があります。
また、おそらく学外の方にも刺激を得ていただけるのではないかと思います。
そうしたことも大学人には求められているのではないかと思います。
なにより本を通してのおしゃべりは楽しいです。

大学外での本の催しで大学関係者ともお会いできることを期待して。

☆☆☆

本書刊行を記念したトークイベントが開かれます
お話は、礒井さんと森さん。
神戸・板宿の井戸書店で、5月4日の10:30~12:00です。

☆☆☆

まちライブラリー マイクロ・ライブラリーサミット実行委員会2015編
礒井純充、奥野武俊、森忠延、吉成信夫 他 著
『コミュニティとマイクロ・ライブラリー』
(一般社団法人まちライブラリー 2016)
[PR]
by chekosan | 2016-04-21 02:42 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)
昨日、本務校である流通科学大学の廊下で、
Facebookのお友達ではあるものの、所属学部が違うため、
なかなか直接お話する機会のない先生が声を掛けてきてくださいました。

「先生、「ガレキとラジオ」をご覧になったんですね
 あのラジオ局の開設、本学の学生たちが技術支援したんですよ。」

えー! ごめんなさい、知りませんでした! 

そのあと本務校のHPを見ましたら広報記事が残っていました

以下は抜粋して編集。

「RYUKA被災地復興サポートチーム」は現在5名、そのうち卒業生1名を含む3名が南三陸町に入り、残る2名は後方支援として周辺地域に滞在します。

メンバーは福井誠教授の指導のもと、総務省「情報通信技術地域人材育成・活用事業」による「人材育成プログラム」で、ラジオによる災害対応の技術と理念を学びました。

震災後、宮城県で十数局の災害FM局が開設される中、南三陸町では未開局で、町内に点在する避難所を結ぶ情報ネットワークが存在しない状態でした。

そこで阪神大震災など被災体験のあるラジオ局を始め、さまざまな主体が協力関係を築き、南三陸町でのコミュニティFM開設を計画。

現地入りする学生3名は開局に当たり機材の設置、情報の収集、アナウンスを担当し、22日の帰神までに住民の方による運用が可能となるようサポートする予定です。

そして、その学生たちを指導されたのが、お声掛けくださった先生だったのです。

映画のなかでも、ラジオ局のスタッフは全員しろうとと強調されていましたが、
ではどうやって放送するまでに行きついたのだろうという疑問はありました。
それが氷解しました。

当時の様子がよくわかるコーナーもまだ公開されています。
南三陸にFMを! 学生からの活動レポート

b0066960_11134719.jpg

画像は橋本撮影の写真と、映画チラシと大学ロゴで作成したもので、大学や映画の公式のものではありません



このRYUKA被災地復興サポートチームはその後も支援活動を展開しました。

阪神大震災からの復興を果たした新長田・大正筋商店街の方々と協力し、
宮城県南三陸町に建設される仮設商店街に街灯を届けるというものでした。

その「神戸ともしびプロジェクト」に関わった
卒業生のインタビューもFacebookにあがっていました


私がそうであったように(私が流科大に着任したのは一年前の2015年4月)、
現在の学生の多くは東日本大震災当時に流科大に接点がなかったでしょうから、
先輩たちの活躍を知らないのではないかと思います。

折に触れ発信すること、伝えていくことが大事だと思いました。

                       2016年3月11日記
[PR]
by chekosan | 2016-03-11 11:41 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
東日本大震災で壊滅的な津波被害を受けた南三陸町で10か月間開局していた、
ラジオ局「FMみなさん」を追ったドキュメンタリー映画を観てきました。

会場は神戸市立地域人材支援センター。
廃校となった旧二葉小学校を再利用しています。

長田という1995年の阪神淡路大震災の被害の大きかった地域で、
避難所としても使われた建物で、2011年の震災の映画を観る催しです。
b0066960_041011.jpg

戦災にも震災にも耐えたという校舎。とても雰囲気があります。
b0066960_042446.jpg

写真展示などもあります。
b0066960_152619.jpg

映画上映会場は講堂です。
b0066960_0423962.jpg

映画自体は明るいです。悲壮感や恐怖感はありません。

町の臨時職員に応募した9人のラジオ局スタッフはまったくの素人ばかりです。
元ダンプカーの運転手だったり塾講師だったり高校を卒業したばかりだったり。

スタッフも被災者ですが、お給料は時給850円、月収12万円にしかなりません。
それでも、なんとか町の人の気持ちを明るくしよう、前を向いてもらおうと、
番組制作以外にもイベントを企画して盛り上げようとします。

スタッフの明るさやバイタリティ、率直すぎるくらいの告白、
町の人が楽しそうにしている姿に、涙がはらはらはらはら…

町の財政難で、ラジオ局は10か月で終わります。
スタッフも散り散り。みなさん、一から職探しをされたそうです。

2014年に、そのうちのお二方にインタビューした映像も流れました。
映画のあともそれぞれの人生は続いているのだとあらためて思わせられます。
ほかのスタッフや、町の人たちは、その後どうされているのだろう…


鑑賞後は、お隣の方とペアになって感想を語り合い、
さらに2組(4~5人)で意見を交換しました。

一人でじっくり観るのも良いですが、
同じ映画を観た人と思いや考えを交わすのはもっと良いと思いました。

今回お話させていただいたみなさんとは、
記憶や経験がそんなに大きく違わなかったので、
お互いに感覚的に共感できて、うんうんと頷き合う感じだったのですが、
地域や世代が違うと、また違った感覚や考えに触れられるかもしれません。

この映画、自主上映会も募集されているようです。
震災のときに生まれていない学生たちと見てみたい気がしています。
b0066960_0515286.jpg

[PR]
by chekosan | 2016-03-07 01:50 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)