中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan

同志社大学法学部の特殊講義「ロシア・東欧の政治と社会」、最後のシリーズは、
ヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』でした。

これも太めの文庫本4冊にわたる長編。でも未完。
作者が生きていたらどんな大長編になっていたのだろう。読みたかった。

正確には、本編は3冊とちょいで、残りは短編や書簡、訳者解説なのですが、それでも長いには違いない。

風刺小説でテンポが良く、挿絵の魅力も相まって、とっても面白いのですが、
なにしろ第一世界大戦のお話なので、時代背景を知らないとけっこうチンプンカンプンだったようです。(^^;)

しかも授業は最後の2回だけしか割かなかったので、ちょっと駆け足になってしまいました。
年度を越えてもう一度読むのもいいかもと話しています。

私は20年ぶりくらいの再読でしたが、やっぱり面白かったです。シュヴェイク最高。

ものすごいテンポ感で、登場人物たちの切れ目ないおしゃべりに乗せて、
皇帝、帝国、聖職者、軍隊、警察といった権威や権力者、権力機構や、
メディア、マーケット(例えばペット産業)のいいかげんさや俗物根性を徹底的におちょくります。

さらっとブラックなユーモアも紛れ込んでいるので見逃せない。
シュヴェイクの身の回りの世話をしていたミュレロヴァーさんなんて
何もしていないのに強制収容所に連行されています。

一番面白いのは1巻なのですが、1巻は絶版なんです。ぜひぜひ復刊してほしいなあ。。。

で、この作品の一番の面白さは、主人公シュヴェイクをはじめとする登場人物が、
なになにと言えば、どこどこの誰それさんがああしてこうして、、、と
ホラなんだかどうなんだかよくわからない事例をノンストップで話すところなのですが、
土地勘がないとこれがピンとこないのです。

そこで、受講生の一人が、シュヴェイク地図を作ってくれました!

これがすごいんです! 
チェコの地名って、当時と、翻訳された時代と、そして現在では、結構変わっているんです。
それを脚注や今の地図などを確認しながら、現在の地図に書き込んでいってくれたんです。



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しかもですね、地図上のイラストも受講生の手描きなんです。スキャンして貼ったのではないんです。
ヨゼフ・ラダの挿絵を見て描いたんですって。もう、ラダの代わりに挿絵が描けるレベルです!

そして、手描きイラストは、そのシーンの舞台である場所にだいたい対応させて配置してあります。
さらに、写真には入れませんでしたが、地名一覧と初出のページは別の紙に書きだしてあります。

この地図自体が一つの作品ですよ! °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
こういうことを自ら思いついて、楽しんで取り組めるというのは素晴らしいですね。

でも、この地図は、文庫で言うと2巻までなので、代々引き継いでシュヴェイク地図を完成させようか、
クンデラ地図も作ったら面白いかも、さらにその町が今はどうなっているかを
グーグルアースなんかで確認していくなんてのもいいかもね、などと、おおいに盛り上がりました。


この授業は、私からこうしろああしろと指示しなかったのですが、
このように、それぞれの回の報告担当者が、毎度、力作の資料を作ってきてくれました。

読むだけでも大変だったと思うのです。再読の私でもけっこうキツキツギリギリでしたから。
よくぞがんばってくれました。おかげで実に楽しい時間でした。


この科目、いったいどういう科目で、どう進めているの?と聞いていただくことが多いので、
学期を通しての授業のまとめは、また別稿で詳しく記録したいと思います。乞うご期待(?)









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# by chekosan | 2017-01-26 15:27 | ロシア・東欧地域研究@同志社 | Trackback | Comments(0)

今年の映画3本目は「アイヒマンを追え!」
2015年のドイツの映画です。

戦後、ナチスの幹部、特にアウシュビッツ強制収容所の責任者を追及した、
ドイツのヘッセン州検事長フリッツ・バウアー(実在の人物)が主人公です。
バウアー役の俳優は本人にかなり似せていますが、架空の人物やエピソードも織り交ぜてあります。

バウアーは、ユダヤ人を強制収容所に「移送」した責任者であるアドルフ・アイヒマンを見つけ出し、
ドイツの法廷で裁きを受けさせようとします。

しかし、その頃はまだナチスの残党が国家の中枢や企業にいて、なかなかうまくいきません。
脅迫状もしょっちゅう届きます。部下、つまり検察にさえ、元親衛隊の検事がいます。

そこでバウアーはイスラエルの情報機関モサドと極秘で接触しますが…

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謎解き的な面白さや、絵としてのきれいさなら、「顔のないヒトラーたち」の方が濃いと思います。
こちらはバウアーの部下の若手検事が主人公で、アイヒマン以外のナチス幹部を見つけていく話です。



また、「アイヒマン・ショー」は、イスラエルでのアイヒマンの裁判を全世界に発信する、
テレビ中継チームの奮闘と悩みを描いています。これらを観ると、より理解が深まると思います。



「アイヒマンを追え!」は主人公が実在の初老の男性なので、絵的にはあまり華やかさはありません。
派手な立ち回りの場面もありませんし、事態の打開の過程もわりと地味です。
ドラマチックなロマンスもありません。

その分、過去に向き合わねばならないという信念を
命を懸けて貫き通すバウアーのメッセージは明確に伝わると思います。

こういう人がいないと、こういう行動がなければ、
過去はうやむやにされていたのだということを知ることができます。


本作のもう一つの特徴は、バウアーと部下が共に同性愛者であることに焦点を当てていることでしょう。

戦後も、というより最近(1994年)までドイツでは刑法175条によって同性愛は犯罪とされていたので、
バウアーと部下は、二人して致命的な「弱点」を抱えていたのです。
そして、その「弱点」の証拠を「敵」に握られてしまうのです。

いまでこそドイツでは同性婚も認められ、ゲイを公言する公職者が広い支持を得ていますが、
ナチ政権下では多くの同性愛者が厳しい弾圧を受け、強制収容所に送られました。
そして戦後も戦争犯罪を追及する法律家を脅迫する手段であったのです。

さらにバウアーは、ユダヤ人であり、反ナチスの活動家で、強制収容所にも入れられています。
何重もの迫害される要素をもちながら闘い続けた人であるということを描いているのです。

同性愛の要素は、お色気場面、色モノシーンではなく、この映画の重要な柱の一つとなっています。


ということで、アウシュビッツ裁判、アイヒマン裁判関連の映画といえば、
いまだ封を切っていない「ハンナ・アーレント」のDVDもそろそろ観たいところです。
授業も終わったことなので、積読?ビデオを消化していきたいです。


そうそう、蛇足ですが、バウアーがタバコや葉巻をがんがん吸うところも時代を感じました。(^^;)
この点もいまや全然違いますよね。映画のなかでも若手はバウアーの喫煙を文字通り煙たがっています。
若い世代に期待したいと語りかけるバウアーの古い面を象徴している感じで、ちょっと面白いなと思いました。

◇◇◇

同性愛者の権利を獲得する運動を扱った映画は、「ミルク」(アメリカが舞台)、
「パレードへようこそ!」(イギリスが舞台)を観ましたが、どちらも良かったです。












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# by chekosan | 2017-01-26 00:18 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
今年の映画第二弾は、ウィーンの美術史美術館の改装を追ったドキュメンタリー映画、
「グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」。
お気に入りの映画館、京都シネマで観てきました。

音楽もナレーションも一切なし、ドラマチックな演出もなしの映画です。
でも、なにしろ舞台が美術史美術館なので、見どころはたくさんありました。

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表舞台である展示空間や収蔵品の豪華さもさることながら、
修復室や保管庫など、関係者しか入ることのできないところが面白いのです。

こんな風に保管するのか!
ハイテク!
細かい!
ていねい!
広い!
深い!!

などなど、知られざる美術館の裏側を覗くことができます。

空間だけでなく、

開館時間外にスタッフが何をしているのか、
改装のためにどれだけの人がどんなふうに関わっているのか、
収蔵品はどのように集めて、扱われているのかなど、

どんな人たちがどんな仕事をしているのかを知ることができます。

とはいえ、ドラマ仕立てではないので、絵とか美術館が好きな人でないと退屈かも?

◇◇◇

ウィーンには、大学の卒業旅行で友達と行きました。
2週間近く滞在したのかな? まったくの自由旅行で、
シュテファン大聖堂至近のペンションに連泊して、
美術館、博物館、オペラオペレッタ、音楽家たちの墓地、いろいろ回りました。

さすがハプスブルク帝国の都、もってるものがすごい。多い。気前いい。
美術館にしてもオペラにしても、かなり安かったように思います。

美術史美術館ももちろん入りましたが、あまりに他にもたくさん観たので、
映画を見て、建物内部などはすっかり忘れているなあと思いました。
当時はデジカメじゃないから、そう写真も撮っていないし(笑)

ブリューゲルとアンチンボルドがたっぷりあったような。
両画家、好きなので、贅沢な空間だなあと思ったのは覚えています。

そのときに先に行ったチェコやハンガリーがあまりに強烈に魅力的だったので、
ウィーンの印象が薄れてしまったのですが、思い出していくとやはりすごいんですよね。
そろそろまた行こうかなと思いました。

そのときはザッハトルテ食べようっと。
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# by chekosan | 2017-01-23 17:31 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

30歳を超えた「社会学者」、いまだ「くん」づけで新書のタイトルになっています。
そろそろそこからも脱皮されようとしての、この対談集なのでしょうか。
あるいは、このキャラなりポジションを確固としたものにするためのものなのでしょうか。

古市氏の本は何冊か読んでいますが、大御所との対談本はどれも面白かったです。
そういう役回りに向いているように思います。

この本でも、活躍中の社会学者12人にインタビューをしているのですが、
「社会学って何ですか」という問いがテーマということもあって、
対談にありがちな内輪話や注が必要な専門的な話に陥らずに、
読者が知りたいところを的確に聞いて、わかりやすい対話にされていると感じました。

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12人の社会学者は、それぞれの言葉や信念をもって「社会学って何」という問いに答えています。

上野千鶴子氏は、「社会と個人についての学問」、もっと厳密に言えば、
「人と人とのあいだに起きる現象について研究する学問」であると言います。

佐藤俊樹氏は、社会学とは、「物事を関係として捉えるもの」、「その人が抱えていることをより明確な言葉にして、問題の本当のありかを考えやすくする」手助けとなれば、と話します。

これに関連しますが、複数の学者の説明で出てきたのは、
「社会学者はシャーマンである」という言葉です。

大澤真幸氏の説明によれば、言語レベルで持っている規範意識と
直観的にわかっていることのあいだのズレを説明する役割ということになります。

山田昌弘氏はミルズの「社会学的想像力」という言葉をひいて、
一見個人的に見える問題でも、その裏には社会的な構造や、その変化がある、
そこをつないで分析するのが社会学であると説明しています。
これもわかりやすい説明だと思いました。

社会学とは何をする学問かというところでは、どの学者も大枠で一致していますが、
それをどう使うか、何のために取り組むかというところでは、それぞれ少しずつ個性が出ます。

上野氏や本田由紀氏は、ある状態やシステムに対する怒りがあって、
それを打倒するために社会学という学問をしていることを前面に出しています。

上野氏は「敵」という言葉を用いて、そうしたスタンスを明確に表現しています。
古市氏が上野氏に、学者は中立でないといけないのではと訊くと、
上野氏は「問いに中立も公平もない」と切って捨てます。

そのあたりの各氏の立ち位置や、求めることの違いも面白いところでした。


あとの方の回では、対談相手から「では古市くんにとっての社会学は?」と尋ねられます。

それに対する古市氏の答えは、

  「この社会がすべてじゃないよ」という別の選択肢や可能性を
  歴史、制度、意識の分析などいろんな手法によって見せてあげるもの
     -本田氏の問いに対して

  あり得たかもしれない社会や自分を構想する学問
  この社会に対して絶対視しがちだが、オルタナティブ(代替案)を提示するもの
     ー開沼博氏の問いに対して


この古市氏の答えが、私にはなんだか一番すっきりと腑に落ちました。


全体を通して、社会という大きなものを対象とする学問の特性と面白さを、
専門家がわかりやすく説明してくれる良書だと思いました。



ただ、「政治学は政治現象を研究する学問」「政治学は政府の行動を研究する学問」
という説明をしている部分には、ちょっと唖然としました。
雑すぎて説明になっていないと思います。
「政府の行動」なんて、政治学のごくごく一部です。

うーん、社会学者がそんな風にまとめてしまうくらいだから、
学生が、政局解説とか、政治家のスキャンダルを暴く!みたいな話を
政治学の授業に期待するのも無理ないか。

じゃあ政治学ってなに? 政治学を通して、人は/私は何をするの/できるの?
ということを説明するとしたら、、、難しい。

しかし、政治学を教える者としては、その問いに答える必要があるわけで、
自分も学生もすっきりと腑に落ちる説明ができるように研鑽を積みたいと思います。
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# by chekosan | 2017-01-22 21:56 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

今年から美術鑑賞の記録もアップすることにします。

第1弾は「ルーヴル美術館特別展 ルーブルNo.9」。
グランフロント大阪ナレッジキャピタルイベントラボに行ってきました。

ルーヴル美術館を舞台・題材にしたオリジナル漫画をつくるプロジェクトを紹介する展覧会です。
16名の漫画家の原画やスケッチなどを見ることができました。

ルーヴル美術館が依頼しただけあって、一枚一枚がアート、
いや一コマ一コマがアートだなあと感嘆しました。原画はやはりスゴイ。
出品数も多くて見応えがある展覧会でした。

日本の漫画家も参加されているのですが、『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦氏の作品、
『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』が目立つ展示だったと思います。

そのなかの一番の決めポーズが、ルーヴルに所蔵されている、ある彫像作品を模していて印象的でした。
その場面のグッズがあれば買いたかったのですが、荒木氏のグッズはまったくありませんでした。残念。

撮影スポットも設けてありました。こちらは漫画のコマの一部に入ることができるパネルです。^^

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こちらは、入ってすぐのところ。サモトラケのニケのレプリカの周りに、漫画が飛んでいます。


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ミュージアムグッズも充実していました。
漫画はもともと印刷を想定して描かれているからか、グッズと相性がいいと思います。
どれもこれも欲しくなって困りましたが、ぐっと我慢してクリアファイルを3冊と図録にとどめました。

以下、1月22日追記。

◆追記1)

今回の展示作品で、本ブログのタイトルと関連するものを挙げておきます。

エンキ・ビラル『ルーヴルの亡霊たち』(日本語版 大西愛子訳 小学館集英社プロダクション発行 2014)
作者は1951年、旧ユーゴスラヴィア ベオグラード生まれ。
少年時代にパリに移住したということなので、ほぼパリ育ちですが、
ほかの作品とはかなり違う雰囲気を持っていて、彼のルーツが影響を与えているのかなと思いました。

展示作品も、コマ割りのない一枚ものの絵画に散文詩のような文章が付されているというスタイルです。
漫画というジャンルに入るのかなと思わされる独特な、不思議な作品でした。

◆追記2)

このルーヴルを漫画で表現するプロジェクトの作品群は、まったく架空のお話がほとんどなのですが、
かなり綿密に現地取材をして描かれています。

そのなかで、ルーヴル美術館に来ている人たちを描いたシーンもたくさんあって面白かったです。

ベンチに座って本を読んだり、スマホをいじったりしている人はしょっちゅう来ているのかな。
作品の前に座り込んで、先生か学芸員に説明を聞く生徒たち。いいなあ、そんな美術の授業。
実際、ベルギーでもそういう場面に出くわしたことがあります。

そして、お客さんが館内で写真を撮っている様子を描いているシーンが結構ありました。

欧州の美術館は、撮影OKのところが多いように思います。
昨年3月にフランクフルトでいくつか美術展を回ったときには、
「この企画展示のなかはダメ」と言われたものもありましたが、別の館の企画展示は大丈夫でした。
著作権その他の関係でしょうか。

最近、日本の展覧会も、ここは撮影OKとか、SNSなどでの公開もOKというのが増えてきました。
昨年行った展覧会では、森村泰昌さんの企画展は撮影全面OK、どんどん拡散してね、でした。

撮影に夢中になって、ほかの人の鑑賞の邪魔になってはいけませんが、
美術って、その作品だけでなく、展示している空間も含めて味わうものだと思いますし、
さらに言えば、同じ空間に足を運んでいても、どの作品に注目したか、
また、どんな角度や距離、切り取り方でその空間を残そうとしたかというのは人それぞれなので、
他の人が撮った展示の写真は、その人の見方が表れて面白いと思うのです。
だからもっと撮影可にしてほしいな。







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# by chekosan | 2017-01-21 23:11 | 美術 | Trackback | Comments(0)
流通科学大学の1年生ゼミの授業が終わりました。
補講は残っていますが個別指導にするので、クラス全体の一斉授業は今日で終わり。

本務校の初年次教育は一風変わっていまして、前期はべったりクラス単位で活動します。
後期は普通に週1回の別の科目になるのですが、実質的に1年間のゼミという雰囲気です。

合宿に行ったり(私は今年度はインフルエンザで休んでしまいましたが…)
フィールドワークで大阪に行ったり、ポスター発表をしたり、学園祭展示をしたり。

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11月頃からは完全にゼミ独自の活動をするのですが、
私のクラスはレポートを書くために資料を探す、調べる、書くことを反復しました。
その一環で、昨年度トライして奨励賞をもらった新聞協会のコンテストにも応募しました。
週ごとに、図書館で資料を探すときの手順や勘が養われていくのを確認できたのは収穫でした。

とはいえ、学生からすると、まったく遊びの要素がなく、
(おそらく他のクラスより)きつい課題を次々出し続ける、
地味で面白みのないゼミと思われているだろうなあと思っていたのですが、
クールに構えているように見えていた学生が、
「クラス授業好きだったので今日で終わるのがさみしいです」
と書いてくれたのは嬉しい驚きでした。

文句も言わず、よくがんばってくれました。
本当に真面目で手のかからない、授業のしやすいクラスでした。
みんな、このあともぐんぐん力を伸ばしていってほしいなあ!
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# by chekosan | 2017-01-20 14:06 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
関西大学法学部の外国書研究の秋学期授業が終わりました。

今期は、オリンピックと持続可能性、クールジャパン、
日本の果物市場、動物福祉とエシカル消費などの英文記事を読みました。

この種の授業では、英文読解するだけでなく、
記事に関連する事項を各自で調べてくる小レポートを課しているのですが、
今期はその発表を、小グループに分かれてお互いに披露し合った後に、
代表者がグループ内の話題をクラス全体に簡潔に紹介する形にしてみました。

先生が介在しないと緊張しないのか、和やかにていねいに発表できる模様。
聴いている学生からも、へええ~~!といったような声も出てきて、なかなか楽しそう。

こうすると全員が全員の発表を聞くことはできないのですが、
小グループの組み合わせはその都度、変えるようにしたので、
全員が全員と小さな輪で言葉を交わせる機会も作れました。
このやり方の方が学生同士が打ち解けられて良いかなと思いました。

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関大は真面目で穏やかな学生ばかりなので、私の癒しタイムになっています。
そのせいか、雰囲気的には年々ゆるゆるな先生になっているような気がします。

でも、一コマで読み進める英文の量は変わっていません。
毎回ランダムに訳を当てるのも同じですし、訳す量も一定にしていません。
次にどこが当たるか予測しづらくしているので、私語や居眠りは皆無です。
緊張感と節度をもって授業に臨んでくれているようです。

毎回やりとりしている受講カードも今日でラストでしたが、
接しやすくて話が面白い、楽しかったですと書いてくれている学生がいました。
良かった! ありがとう。
来年度も楽しくためになる授業にしたいと思います。^^
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# by chekosan | 2017-01-19 15:46 | 大学教育 | Trackback | Comments(0)
本日は閑話休題。

同志社の輪読ゼミのラストは、ヤロスラフ・ハシェク『兵士シュヴェイクの冒険』を読みます。
風刺小説なので笑いながら準備しました。シュヴェイク、一番好きな作品なので楽しい~~♡

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で、原書やビデオを引っ張りだしてきました。
ヨゼフ・ラダの挿絵、大好き。しかも、この原書は挿絵がカラーなんです♡
岩波文庫に収録されていない絵もあります(多分)。

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ビデオは開封もしないまま。。デッキが潰れる前に変換してダビングなくちゃ。
って、家庭用ビデオデッキでは変換できないから放置していたんだったか!?

『シュヴェイク』の感想などはまた別途。(^▽^)

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    ビデオの裏面 ↓  
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ところで、「我が家のチェコ(2)」にもお気に入りチェコ本が登場しているのですが、
新築半年も経ってない時期なので、本棚がガラガラでびっくり。
このあと、20本近い本棚はすぐ満杯になり、
何重にも詰め込み過ぎて次々棚板が瓦解しています。(-_-;)




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# by chekosan | 2017-01-17 18:03 | チェコ | Trackback | Comments(0)
あのアドルフ・ヒトラーが現代にタイムスリップしたら!?という映画です。
お気に入りの映画館で会員価格500円で鑑賞できました。

地下壕で最期の時を迎える直前?のヒトラーが、
ナチスやヒトラーがタブーとなっている現代のベルリンに現れます。

そのヒトラーをそっくり芸人だと思った青年が、彼を伴ってドイツを回り、
政治家や市中の人々にインタビューをし、ドイツの現状への不満を引き出していきます。

一発当てたいテレビ局の人々の思惑がからみ、露出を増やすヒトラー。
そして…

ドキュメンタリーとフィクションが合体して話は進みます。

以下、写真が入るごとにネタバレになります。

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はじめはコメディタッチなので普通に笑えるのですが、
そのうちにドキュメンタリーなのか、虚構(俳優の演技)なのかわからないところが出てきます。

果たして笑っていいのか? これまずくない?ここだけは演技なの? と迷いながら観ました。
おそらくほかのお客さんの多くもそうだったのではないかなと思います。

ドイツの小政党の政治家まで判別できる人、話している人のドイツ語の特徴が判別できる人、
素人さんか俳優か見分け(聞き分け)られる人であれば、
きっともっといろいろ読みとれるのではないかなと思います。

ヒトラーが犬好きだったこと、
ナチスは健康や食べ物の安全性に関心が高かったことなども、
揶揄するというか、ブラックな笑い(?)にしてあります。

また、これまでのヒトラーがらみの映画などのパロディシーンもちらほらあったようです。
そういう方面に詳しい人なら、もっと楽しめると思います。

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もっとも印象的だったのは、ヒロイン的な女の子のおばあさんがヒトラーと会う場面です。
おばあさんは認知症なのですが、だからこそというか、
唯一、ヒトラーを本物だと認識し、自分の一家を皆殺しにしたと憤り、家から追い出します。

そのあとのヒトラーの発言で、ヒトラーを見つけて売り出した張本人の青年は、
これはもしかすると本物のヒトラーではないかと思うようになります。

この部分はなかなか迫力があって良かったのですが、、


全編見終わると、

うーん、、、

映画のつくりというか脚本をもう少しなんとかできなかったかなあという気が、、、
いろいろ混ぜすぎて、どの要素も中途半端になったかなという気がしました。

ネットで検索したところ、原作の小説(の方)がよいという評をちらほら見ました。
原作を読もうかな。


というわけで、昨年の「サウルの息子」に続き、今年も一本目の映画はナチスものとなりました。
このあともいくつか上映されるようで。多いですね。できるだけ観たいと思っています。
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# by chekosan | 2017-01-16 16:38 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

佐藤優氏の著作は何冊か読んでいます。
少し上の世代の大学の先輩で、チェコやロシアの専門家なので、
すべてではないにしても、いろいろな点で理解、共感できる点が多いです。

『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』は、
2013年から15年にかけて、佐藤氏を訪ねてきた灘高生たちとの対話を収録したものです。

サブタイトルにあるとおり、次代のエリート候補生たちに、
エリートはどうあるべきか、どのような勉強をするべきかを伝える本です。

佐藤氏、とてつもない知識量と記憶力をもって手加減なく話を進めますが、
それについていけるスーパー高校生たちにも舌を巻きます。

といっても、帯の「vs」は売り文句であって、対決しているような雰囲気はありません。
むしろ、優れた能力と意欲を持つ若い人たちに健全に成長して活躍していってほしいという、
あたたかいまなざしを感じる対話になっています。

以下は、私が面白いなと思った箇所のメモです。


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はじめの方で、佐藤氏は、「政治家が動くのは、名誉か利権」ときっぱり断言します。
ではそれを信頼してしまうのはなぜか。

佐藤氏は、ルーマン『信頼 社会的な複雑性の縮減メカニズム』、
ハーバーマス『晩期資本主義における正当化の諸問題』の理論を引いて説明します。

私たちは複雑なシステムの中で生きています。
それらを一つ一つ、自分で解明し検討することはできません。面倒でもあります。
そこで「誰か」の言うことをとりあえず「信頼」することで、複雑性を縮減するのです。

そして、それが続くと「順応の気構え」が出てきて、何事にも順応してしまう。
一度信頼すると、おかしいのではないかと思ってもなかなか突き詰められなくなります。
なぜなら、信頼した人に裏切られたと意識すると自分が情けなくなるからです。


複雑性といえば、このところ続けて読んでいたミラン・クンデラが、
「小説の精神」とは「複雑性の精神」であると書いていました。(『小説の技法』)

どちらかが正しい、誰かが正しいと断じるものではなく、
人間が相対的なものであることを許容し、その複雑性を尊ぶものであるというのです。

それに比して、「時代精神」は単一のものや、みんなに受け入れられやすいことを求めます。
とりわけメディアは今日性ばかりを追求し、人間の営みを単純化してしまう。


佐藤氏も(表現は若干違いますが)そうした単純化の傾向を危ぶんでいます。
そして、そうした単純化の発現ともいえる「反知性主義」を批判します。

ここでの「反知性主義」とは、知識のあるなしには関係なく、
たとえ知識があっても、それらをどう有機的につなげて、いかに人を救うかを考えないような、
そして、実証性や客観性を無視して、
とにかく「決断できる」ことや人を求めるような言動を指します。

同じような傾向を、斎藤環氏は「ヤンキーの情緒」と表しています。
論理よりもとにかく心情重視、狭い人間関係重視の言動であるとしています。

ではそんな「反知性主義」にどう対抗するか、どう振舞うべきか。

そこで出てくるのが「上から目線」という表現です。
この表現は、実力能力もないのに勘違いで人を見下すとか威張るときに使われますが、
佐藤氏がここで言っているのは、もちろんそういう意味ではありません。

自分とは関係がないと思えるようなジャンルもフォローし、
物事を突き放して見る、俯瞰する、メタな視点で見ることを意味しています。

それはつまり、教養を身に着けるということです。
そのためには幅広い分野の本を読むこと、それも良いものを読むよう勧めます。

また、よい先生につくこと、切磋琢磨できる友をもつこと、
自分が競争が好きであることを認めること、
でも優れた友の特性や長所を認めて、潰し合わないことも説きます。

そして、学校の勉強を無駄だと思わないこと、無駄だと思うものは結局残らない、
動機づけが重要なのだということも繰り返し説きます。

まったく同感です。



いやそれにしても、佐藤氏の読書量、勉強量、記憶力は尋常ではないですね。
そして、灘高生のお礼状がまた恐ろしくよく書けています。。。(@_@)

そのまますくすくと、幅広い視野と、深い思考と、人間への寛容な理解をもって
世界で活躍していってほしいものです。
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# by chekosan | 2017-01-15 15:43 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)