中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan

カテゴリ:ロシア・東欧に関する授業@同志社( 24 )

輪読ゼミ2冊目は、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの2作目『ボタン穴から見た戦争』です。

こちらは第二次世界大戦―ソ連ではドイツとの「大祖国戦争」と言いますが―当時、白ロシア(ベラルーシ)で幼児から子どもの年齢だった人たちの戦争体験です。

101人の(当時の)子どもたちの証言は、女性兵士たちの証言を集めた前作『戦争は女の顔をしていない』よりも淡々としているように思ったと受講生たち。なるほどそうかもしれません。

しかし、語られる内容はとんでもなく残虐で残酷な体験です。初読のときはたいへんショックを受けました。

報告をしてくれた受講生も、同じように白ロシアの子どもから見た戦争を題材にした映画「炎628」を思い出して辛くなったそうです。

ちなみに、アレクシェーヴィチは、その「炎628」の原作に感銘を受け、人々の体験を生の形で残すことを後押しされたと言っています。

それにしても、戦争は子どもを子どもでなくしてしまう。子どもらしい子ども時代を過ごせなくさせてしまう、、私たちがいま、こういう状況に置かれたら、果たして生き延びられるだろうか、、、そんな生命力、生活力はないのではないか、、、とみんなで考えこんでしまいました。


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細かいところで私が気になったのは、頻出するペチカのこと。ペチカとは、内部で薪を燃やすレンガ造りの暖房装置ということは知っていましたが、この本には、「ペチカの上で寝た」「ペチカのなかで寝た」「ペチカの裏にいた」というような証言がたくさん出てくるのです。

上? 中?? 裏???

気になるのでちょっと調べてみたら、ペチカは私たちが家で使うストーブのようなサイズではなく、上部をベッドにできるくらいの大きさなのですね。放射熱で家全体を温めるので、上に寝てもヤケドしたりはしないのですね。

でも中とか裏とかってどういうことなのでしょう。この点はよくわからないままです。


ほかにも、食料がないのでスカンポを食べたという話。スカンポって??と調べると、その辺でよく見る植物です。あれがスープになるとは! 

油糟がおいしかったという話も出てきます。ものによっては、「ハルワ」のようだったという証言も。「ハルワ」と言えば、この夏のリトアニアでの思い出の一つなので、思わずその話をうきうきと受講生に披露しました(笑) 

どんな話かというのは、関西ウーマンの書評をご覧ください。「ハルワ」の写真はこちらにあります。


白ロシアはこの戦争で628の村が焼かれます。焼かれたあとには、ペチカと煙突しか残らなかったという証言があります。白ロシアではないですが、タルコフスキー監督の映画「僕の村は戦場だった」にも、まさにそういう光景が出てきます。

「僕の村は戦場だった」には、前作『戦争は女の顔をしていない』でよく出てきた女性軍医も登場するので、その二つの場面を少しみんなで観たりもしました。70年も昔のことはいくら字で読んでもわからないところがたくさんあります。そうしたときに画像や映像があると助かりますね。

と、そんな感じで、ゆるゆると語り合ったり、関連資料を見たりして、一冊をみんなで味わうように読みました。

次は関連する映像資料を観ます。そして、その次はアレクシェーヴィチまつり第3弾『チェルノブイリの祈り』です。







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by chekosan | 2017-10-21 00:09 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
同志社大学法学部の「特殊講義」、2年目は「文学作品で知るロシア・東欧」と題して、ロシア・東欧の歴史や社会を扱った文学作品(ルポルタージュ文学を含む)を精読します。

15週で10冊程度は読むものと思っておいてください、とシラバスに書いたので、またまた極小サイズのクラスになるかなあと思っていたら、昨年の3倍になりました。そのなかには昨年度の講義科目受講生や春の講義科目受講生も。わ~☆(´∀`*) 

と言っても一桁ですが(笑)

今年はまず、2015年のノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチの作品のうち、文庫で手に入る3冊を読みます。

1冊目は『戦争は女の顔をしていない』(1984年)です。

これは、第二次世界大戦においてソ連軍に従軍した、あるいはパルチザンとして対独闘争に加わった、もしくはそうした人たちを支援した女性たちの証言集です。



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アレクシェーヴィッチの作品の特徴は、膨大な市井の人々の証言を集め、それらを加工せずに、しかし意図をもって編みなおすという手法です。

何日も通ったり、何時間もかけたりして、徐々に心と口を開いてもらって出てきた体験や思いを集めて、生の歴史を編んでいくのです。この作品では、500を超える人々から証言を得たといいます。

ほとんど解説なしに証言が続くので、受講生たちははじめはかなり戸惑ったようです。読んでいても、しらばく、いつの、どこの、なんの戦争の話かもわからなかったとのこと。

また、当時のソ連やヨーロッパの状況を知る人には自明の団体の名称や地名も、いまの学生はなかなか見聞きする機会がないので、1冊目としてはけっこう大変だったようです。(^^;

そこで、発表者は時代背景や用語を調べてレジュメにしてくれました。アシスタント院生君も地図や年表を用意して補ってくれました。いい感じ~♡

厳密なテキスト解釈をするのが目的ではないので、基調報告のあとは、感想を訊いたり、話したり、こんな本にはこんなことも書いてあったよ、こんな映画にこういうシーンがあったわ、そういえば、くらいでゆるゆるやっています。

16やそこらで女性たちはなぜ従軍したのか。前線で生死の境目を見た女性は何を語るのか。戦争において女性にしか見えない語れないことはあるのかないのか。それはどういうことか。そして、彼女たちは戦争のあと、どう生きてきたのか。

人それぞれさまざまな戦争との関わりや思いがあって、“男たちの正史”のようにひとくくりにはできないのだ、ということが明らかになります。統合することや整合性、共通点を見いだすことが目的ではありません。一人ひとりの経験を残すための作品です。そのため「まとめる」ことができない作品です。

それにしても生の証言の重さ、ドラマ以上の劇的な経験、衝撃の事実にめまいを覚え、胃が痛くなりました。
ショッキングな場面も多く、万人におすすめとは言えませんが、たいへんな労作です。耐えられる方にはおすすめします。

授業では、さすがにこの内容で500ページを一週ではきつかろうと今回は2週かけました。それでもどうやらけっこうしんどかったみたい!?

でもなかには、授業では取り上げないアレクシェーヴィッチの別の作品を読み始めた受講生も。素晴らしい!

あと2作、引き続きアレクシェーヴィッチ、読んでいきます。がんばろうね、みんな(笑)






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by chekosan | 2017-10-12 17:21 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
同志社大学の「ロシア・東欧地域研究」では、学期の始めの方に「図書館でこの授業と関連しそうな本をみつける」という小さな課題(任意)を出しています。ジャンル不問。通読しなくてもいいけれど、パラパラでいいので必ず中を見て、どこか面白そうなところを書いてもらいます。なかにはきっちり読んで書いていそうな学生さんもいて感心します。

そして、これも任意ですが、授業内で紹介してもらいます。同輩の発表って、刺激になるんです。さらに私だけが見ていてももったいないので、今年はリストにして受講生全体で共有することにしました。

手書きのワークシートで出してもらったので、打ち込むとちょっと大変なため、あらためてLMS(授業支援システム)で出してもらおうとしたのですがうまくいかず… さらにメールで出してもらったりと右往左往しました。ごめんね、受講生のみなさん、二度手間、三度手間になりました。<〇>

そして集まったデータをアシスタントの院生O君にリスト化してもらいました。書影や、図書館の請求記号も入っているので、気になる本はすぐに探して見ることができます! A4で13ページにもなったため、縮小して両面印刷して配布します。(^-^;  

ちなみに、今年はロシアに関心が集中する傾向が見られました。


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by chekosan | 2017-06-22 00:34 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
今年も同志社大学法学部の「ロシア・東欧地域研究」では、
この科目に関連がありそうで、関心がもてそうな本を探す課題に取り組んでもらいました。

先日の授業では、何人かの人に口頭でクラス全体に紹介してもらいました。
授業後のカードには、紹介してもらった本を読んでみたい、というコメントがたくさん出ました。
それがまた分散するのが面白いところです。
やはりみんながみんなに情報を提供し、共有する機会を設けるのはいいですね。

ということで、そのうちからいくつかを紹介していきます。

今年の第一弾は、少し視点をずらしてみつけてくれた本です。
「先生がオーストリアも授業で取り上げておられたのでいいかなと思って」と学生君。
もちろんです。オーストリアやドイツは「東欧」には分類しませんが、切っても切れない仲です。

◇◇◇

野口祐子ほか『「サウンド・オブ・ミュージック」で学ぶ欧米文化』(世界思想社 2010)

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◇どんな本ですか?

 1920~30年代のオーストリアについて書かれた本。
 アメリカから見たヨーロッパと、実際のヨーロッパとの差がわかる。

◇なぜこの本を選びましたか?

 「サウンド・オブ・ミュージック」は好きな映画の一つなので、
 舞台裏ともいえる諸事情を解説した本というのはたいへん興味深い。
 映画はアメリカの制作ということで、当時の世相を反映した面もあるようだ。

◇特に紹介したいところ、興味をもったことがらは?

 オーストリアについてあまり知らなかったのだが、その歴史や、ナチスとの関係について知ることで、
 この映画が単なるハッピーエンドの家庭ドラマ的なものではないとわかった。
 祖国愛や歴史的事実も盛り込みつつ、アメリカ的思想を植え付けようという意図も含んだ
 多面的な作品だということがわかる。(以上、抜粋)

◇◇◇

「サウンド・オブ・ミュージック」、私も好きな映画です。
といっても、一度目は小さいころだったので背景がよくわからず、
まさに「家庭ドラマ」として見たような気がします。
二回目は多少歴史がわかってきていた頃だったので、そちらに関わるシーンの方が印象に残りました。

最近は、映画や文学作品から時代を知る、あるいは歴史を知って作品をよりよく理解する
という授業の比重を増やしているので、私もぜひ読んで参考にしたいと思います。





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by chekosan | 2017-05-24 16:09 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)

2016年度秋学期に初開講した「特殊講義 ロシア・東欧の政治と社会」@同志社大学法学部、
成績も授業講評もすべて終えました。

この科目は、春学期開講の「ロシア・東欧地域研究」の発展形にするつもりで、
セット科目ではないが「ロシア・東欧地域研究」の内容を踏まえて進めるとシラバスに書きました。

*「ロ・東欧地域研究」は3・4年生対象科目なので、それを修めていることを前提にすると、
 履修の機会が減じてしまうことになるので、次年度はその文言は省き、門戸を広げました。さてどうなるか。


「ロ・東欧地域研究」も密にコミュニケーションをとる授業にしましたが、
特殊講義は完全にゼミ形式で、とにかく本を読み、語り合う場にしました。

あまりにハードなシラバスにしたため、受講生がほとんどいないという事態になりましたが(笑)
しかし、それだけにたいへん意欲的な学生たちだったので、どんどん読み進めていくことができました。

今期、読んだ本は次のとおりです。9作品、文庫本の巻数を数えると17冊になります。

・ジョージ・オーウェル『動物農場』
・    同     『一九八四年』
・西川伸一『動物農場の政治学』 以上のまとめは→ http://chekosan.exblog.jp/26307633/
・村上春樹『1Q84』全編  http://chekosan.exblog.jp/26395672/
・ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』 http://chekosan.exblog.jp/26418847/
・   同    『冗談』 http://chekosan.exblog.jp/26437548/
・   同    『不滅』 http://chekosan.exblog.jp/26497899/
・   同    『小説の技法』  http://chekosan.exblog.jp/26553773/
・ヤロスラフ・ハシェク 『兵士シュヴェイクの冒険』 http://chekosan.exblog.jp/26585240/


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村上春樹と『動物農場』は比較的読みやすいですが、ほかはすんなりとはいきません。
このペースで読んでいくのは、けっこうきつかったのではないかと思います。

毎回、発表者にレジュメを作ってきてもらい、はじめにざっと報告をしてもらいました。
そのあとはみんなで好き勝手にあれこれしゃべっていきます。

初回に院生アシスタント君が報告をしてくれたのが良いお手本になったと思います。
とはいえ、レジュメや発表には決まった書式や項目や分量は設けませんでした。

ですので、発表者によって目をつけるところ、発表の仕方がかなり違いました。
そのことがまたお互いの刺激になったと思います。

全員が感想に書いたのは、自分が担当した作品はやはり読み込み方が違ったということです。
そうだろうなあと思います。

どこを取り上げて、どう再構成するか考えて準備するのは、読むだけとは全然違います。
私はほとんどの作品が再読でしたが、それでも読んでメモをとるだけで相当きつかったです。

報告後、流れにまかせて語り合うときの分析や感想にも、個性が出ていたと思います。
思想や哲学、文学に関心を持つ院生君はそうした観点からの見解を述べてくれましたし、
女性陣はジェンダー的な観点から登場人物を品定め(?)していたように思います。

クンデラの作品では、学生陣と私とで、実感に差があるように見受けられました。
なにしろクンデラの作品は、山あり谷ありの中年男女の生々しい話が多いですので。(^-^;

でも、だからといって若い人にはわからないということではありません。
学生たちは学生たちで、若者という人生の段階でこその受け止め方で、
自らにひきつけて考え、咀嚼し、糧にしようとしてくれていました。

ああこれからの人たちってまぶしい! 私はすっかりスレてしまったわなどと思ったり。
まあそれは半分冗談ですが。

そんな感じで、雰囲気はゆる~く楽しく、ペースは速く。
私には、あっという間に学期が終わったように感じました。

私のFacebookやブログでの報告があまりに楽しそうだったらしく、
何人かの教員仲間や読書友達が、どんなふうに進めているのかと聞いてきてくれました。

今期の場合、

シラバスでかなりハードな設定を提示したこと、
それでもと覚悟をもってきた学生たちなので意欲と能力が優れていたこと、
少人数ゆえ、ハードであってもアットホームにできたこと、
院生君が自ら楽しんで授業に参加し、手本となり、助言者となってくれたこと、
おかげで、先生はニコニコ優しくいられたこと(笑)、

これらが良い作用をもたらしたと思っています。

来年度は、履修の前提条件を変更したので、違った様相を見せるかもしれません。
そのときはそのときで、別の刺激をもらえると思います。
既に今から楽しみです。








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by chekosan | 2017-02-10 23:49 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)

同志社大学法学部の特殊講義「ロシア・東欧の政治と社会」、最後のシリーズは、
ヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』でした。

これも太めの文庫本4冊にわたる長編。でも未完。
作者が生きていたらどんな大長編になっていたのだろう。読みたかった。

正確には、本編は3冊とちょいで、残りは短編や書簡、訳者解説なのですが、それでも長いには違いない。

風刺小説でテンポが良く、挿絵の魅力も相まって、とっても面白いのですが、
なにしろ第一世界大戦のお話なので、時代背景を知らないとけっこうチンプンカンプンだったようです。(^^;)

しかも授業は最後の2回だけしか割かなかったので、ちょっと駆け足になってしまいました。
年度を越えてもう一度読むのもいいかもと話しています。

私は20年ぶりくらいの再読でしたが、やっぱり面白かったです。シュヴェイク最高。

ものすごいテンポ感で、登場人物たちの切れ目ないおしゃべりに乗せて、
皇帝、帝国、聖職者、軍隊、警察といった権威や権力者、権力機構や、
メディア、マーケット(例えばペット産業)のいいかげんさや俗物根性を徹底的におちょくります。

さらっとブラックなユーモアも紛れ込んでいるので見逃せない。
シュヴェイクの身の回りの世話をしていたミュレロヴァーさんなんて
何もしていないのに強制収容所に連行されています。

一番面白いのは1巻なのですが、1巻は絶版なんです。ぜひぜひ復刊してほしいなあ。。。

で、この作品の一番の面白さは、主人公シュヴェイクをはじめとする登場人物が、
なになにと言えば、どこどこの誰それさんがああしてこうして、、、と
ホラなんだかどうなんだかよくわからない事例をノンストップで話すところなのですが、
土地勘がないとこれがピンとこないのです。

そこで、受講生の一人が、シュヴェイク地図を作ってくれました!

これがすごいんです! 
チェコの地名って、当時と、翻訳された時代と、そして現在では、結構変わっているんです。
それを脚注や今の地図などを確認しながら、現在の地図に書き込んでいってくれたんです。



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しかもですね、地図上のイラストも受講生の手描きなんです。スキャンして貼ったのではないんです。
ヨゼフ・ラダの挿絵を見て描いたんですって。もう、ラダの代わりに挿絵が描けるレベルです!

そして、手描きイラストは、そのシーンの舞台である場所にだいたい対応させて配置してあります。
さらに、写真には入れませんでしたが、地名一覧と初出のページは別の紙に書きだしてあります。

この地図自体が一つの作品ですよ! °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
こういうことを自ら思いついて、楽しんで取り組めるというのは素晴らしいですね。

でも、この地図は、文庫で言うと2巻までなので、代々引き継いでシュヴェイク地図を完成させようか、
クンデラ地図も作ったら面白いかも、さらにその町が今はどうなっているかを
グーグルアースなんかで確認していくなんてのもいいかもね、などと、おおいに盛り上がりました。


この授業は、私からこうしろああしろと指示しなかったのですが、
このように、それぞれの回の報告担当者が、毎度、力作の資料を作ってきてくれました。

読むだけでも大変だったと思うのです。再読の私でもけっこうキツキツギリギリでしたから。
よくぞがんばってくれました。おかげで実に楽しい時間でした。


この科目、いったいどういう科目で、どう進めているの?と聞いていただくことが多いので、
学期を通しての授業のまとめは、また別稿で詳しく記録したいと思います。乞うご期待(?)









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by chekosan | 2017-01-26 15:27 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
クンデラを読む第4弾は『小説の技法』(岩波文庫 2016)でした。
小説とは何かについてのエッセイや対談、講演を収めた本です。

『存在の耐えられない軽さ』『冗談』『不滅』と長編を続けて読んで、
最後に復習がてらクンデラ自身の小説論で締めくくるつもりで選んだのですが、
薄い文庫本にもかかわらず、私は本作が一番手こずりました。

クンデラは他の作家や哲学者や作曲家を引き合いに出すことが多く、
ヨーロッパの精神や文化を継承し発展させるという意思を色濃く盛り込む人なので、
ボーッと読んだりザーッと読んだりができないのです。

報告者もどうまとめようかと悩んだようですが、
これまでに読んだ作品に言及している箇所を中心に取り上げてくれました。

クンデラは作品を7部構成にするのが好きなのですが、
そのルーツはクンデラの好きなベートーヴェンの弦楽四重奏曲131 番であるという話が出てきます。
報告者はその曲も聴いて確かめたとのこと。いい勉強していますね。(^ ^)


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以下は、私のメモです。

◇◇◇

◆小説とは
小説にしかできない発見をすることが小説の唯一の存在理由である。
→ これはクンデラが何度も引き合いに出す小説家ブロッホの言葉です。

小説というものは、諸学問にできないことを可能にするものである。
また、小説はその内部に、詩やエッセイといった様々な形式の表現を統合できる。
そのような様々な形式を含みつつ、一つのまとまったものにするのは、
筋書きや時系列的なものではなく、 一つのテーマである。

小説は、どちらかが正しい、誰かが正しいと断じるものではなく、
人間が相対的なものであることを許容し、その複雑性を尊ぶものである。

→ この「複雑性こそが小説の精神である」というのがキーでしょうか。

それと対照的なのはメディアであったりイデオロギーだったりします。
クンデラは、最大多数に、あるいは人類全体に受け入れられるような、
単純化、紋切り型を世界に配給しているとメディアを批判しています。

◆実存
クンデラは小説とは実存を検討するものと繰り返し強調します。
この実存とは、過去に実際に起こったことを意味するのではなく、
人間の可能性、人間がなりうることのすべて、人間に可能なことのすべてを意味します。

◆「カフカ的」とは
クンデラが分析する「カフカ的」なるものをまとめると次のようになるでしょうか。
1)権力との対立、権力への対抗は果てしない迷路である。
  制度というものは、それ自体が固有の法則に従って動いていくメカニズムである。
  (そのために誰と対峙し、どう抗えばよいのかがわからない)
2)そこでは、書類が真の現実の代わりになる。
3)罰せられたものが自らの過失を探そうとする「自己有罪化」が働く。
4)滑稽さ、笑いを誘う性格がある。
  ただしこれは見ている者にであって、当事者にとっては面白いことではもちろんない。
  
◆「著述マニア」に対する揶揄
皮肉たっぷりに書かれていて笑ってしまうのが、「著述マニア」をめぐる記述です。
「著述マニア」とは「本を書く(したがって不特定多数の読者を持つ)という欲望」と説明し、
「おのれの自我を他者におしつけようとする偏執」
「権力への意志のもっともグロテスクな変形」と断罪します。

そして、人が「私の本の中で言っているように…」と発言するときの「本」の部分は、
その前の音節よりも少なくとも一オクターブ高く発音されると指摘します。
「「私の本」とは自己満足の音声的なエレベーターなのだ」と楽譜付きで解説します。

さらには、
「作家たちがみずからの身元を隠し、偽名を用いることを法律で強制されるような世界を夢見る」
というのですが、その利点の一つに「著述マニアの劇的な限定」を挙げています。

手厳しい。ここには自嘲も入っているのでしょうか??

◆ヨーロッパ精神
ヨーロッパ精神とは、個人の尊重、独創的な考えと侵しがたい私生活の権利の尊重と言います。
これらは現代では脅かされているが、小説の歴史の中、知恵の内に収められていると言います。

◇◇◇

数週間にわたってみんなでクンデラの作品を読み、
感じとったこと、気づいたこと、気になったこと、面白いと思ったことを自由に話してきました。

私にとっては『小説の技法』以外は、20年ぶり?くらいの再読でしたが、
やはり読み応えがあり、非常に頭を使う作品だなあと感じました。
ただ、登場人物の感情や感覚が実感として理解できるようになったなと思いました。

若い学生諸君も忘れたころに再読したらまた違った感想をもつでしょうか。
もしもそんな機会が持てれば面白いなあと思います。

授業はあと2回。
院生君のリクエストで、ヤロスラフ・ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』です。
こちらも私は20年ぶりくらいの再読です。
シュヴェイクはとにかくテンポが良くて面白いので、楽しいラストになりそうです。

ところで、教育関係者や読書会を計画している方などから、
この授業の進め方について聞かせてほしいとご連絡をいただきました。

特にこれといって工夫も何もないのですが、
授業がもうすぐ終わりますので、稿をあらためてまとめてみたいと思います。^^
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by chekosan | 2017-01-13 22:09 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
クンデラを読む第3作は『不滅』です。
こちらはクンデラがチェコから亡命して少し経ってから書かれたものなので、
チェコの話はちょろっとしか出てきません。

クンデラと思しき〈私〉がプールサイドで見かけた老婦人のある仕草に感銘を受け、
そこからアニェスという作中人物を生み出します。

『存在の耐えられない軽さ』同様、作家が小説内に顔を出し、
作中人物の行動や潜在意識までも解説するという形式をとっています。

1980年代のフランスに生きる中年男女2組プラスαをめぐる話と、
世界の文豪ゲーテとベッティーナという女性との話が、交互に〈私〉によって解説されます。

終結も近くなって、いきなり誰?という人物が登場し、彼の話が延々語られ、
なんだか一体どうなってるのかと混乱しそうになりますが、それを乗り越えると全体像が見えてきます。

いや、一読ではちょっとわからないところもあるかも。。。

小説の筋を楽しみたい向きには、話が進まん〜とフラストレーションを生じさせること請け合いですが、
小説を通じて物事をじっくり考えたいという人には良い作品です。

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本作も、人の生き様、歴史と個人、自我と他者、男女関係、性と愛、身体の捉え方について、
くどいほど考察が展開されます。
『存在』『冗談』と重なる点も多いのですが、『不滅』独特な視点をピックアップ。

◆イデオロギーとイマゴロジーの考察
イマゴロジーとは、イメージを最重視する風潮、イメージ偏重、
マーケットに乗るようなものばかりを追う移り気、
本質や文脈を無視して一部を切り取る軽薄さを指します。登場人物の一人も、その犠牲になります。

◆父の娘
『存在』や『冗談』では、母への息子の思慕、息子の父否定が
メインテーマの一つだったように思いますが、
『不滅』は姉妹間の愛憎と、娘と父との依存関係がクローズアップされます。
女性が話の中心に据えられています。
まあでも、またしてもいい年した男性の年上女性への執着話は登場するのですが。

◆引用の変化
本作ではゲーテ、ベートーヴェン、ランボーが大活躍。
『存在』『冗談』でもニーチェやベートーヴェンなどは出てきますが、
『不滅』ではチェコやロシアの文化や歴史に関する記述がぐっと減っています。

クンデラ自身は「チェコの反体制作家」と位置付けられるよりも、
より普遍的な作家として、国や時代を超えた哲学を小説で展開することを望んだようですが、
チェコに思い入れのある読者としては物足りない。。。
生々しい人間の苦悶や惑いや滑稽さが無くなって、
なにかこう高みの見物になっている感じがしました。

でもまあ、読み応えのある小説には違いないと思います。

と、濃い小説を続けて読んで、消化不良の感もあるので、
年明けは『小説の技法』でクンデラをおさらいしようと思います。
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by chekosan | 2016-12-23 19:09 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
同志社大学法学部の「特殊講義 ロシア・東欧の政治と社会」、
『存在の耐えられない軽さ』に続き、ミラン・クンデラ『冗談』を読みました。

『冗談』は、1965年の作品です。『存在~』よりも前の作品となります。
主な登場人物は、1948年のチェコスロヴァキア共産党による政権掌握前後に学生で、
戦争や社会主義化、スターリン批判という激動に運命を翻弄される世代です。

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小説の構成や手法や哲学的考察が凝りに凝っている『存在』よりは読みやすいですが、
登場人物の生き様とか、感情や思考の右往左往ぶりの点では、
若者たちには『存在』よりも受け入れ難く感じたようです。

私も若かりし頃に一度読んでいるのですが、細部はすっかり忘れていて、
物語の発端となる絵葉書に書いた「冗談」と、
最後の方の気の毒だけど「冗談」みたいなシーンだけが印象に残っていました。

今回あらためて読んでみて、「冗談」というタイトルが示しているのは、
そういったわかりやすいエピソードだけではないことがわかりました。

ちょっとした掛け違いや思い込みや出来心から起こった(起こした)ことが
事によっては、とんでもなく深刻な事態を引き起こし、
それぞれの人生に大きく作用し続けること、

でも、そうしたことも、実は自分自身が持っていた潜在的な考えが起こしたことで、
偶然や冗談や人のせいにできないのではないかということ、

そうして起こってしまった過去を修復することはできないのだということ、

でも、人生における重くて忘れられない出来事や対立や確執や苦悩も、
他人から見ればまた違った様相をしていること、

さらに、自分たちが意識し続けてきた苦悩や相違も、
違う世代から見れば、ひとかたまりなものにしか見えないこと、

といったことを、主人公たちは人生のなかで悟っていくのですが、
そうしたことに気づくきっかけが、これまた一種の「冗談」のようであるのです。

起こった/起こっている事実は一つであっても、
人によって思いや目的は違い、見えていることや感じ方も違う、
あるときそのことがわかったり、ずっとわからないままだったりするのが
人生で社会で歴史なのです。

私も、若いころに読んだときには、そういう登場人物たちの逡巡には、
あまりピンとこなかったように思います。

今回は、ところどころ自分になぞらえてしまって、密かに傷つきながら読むことになりました。
どの部分にかは秘密ですが。


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この作品の主題は、そういう心の機微や人生の悩みや迷いと、
大きな時の流れや社会の変化との絡みについてなのですが、
私が今回、それよりも印象に残ったのは、モラヴィア、シレジア地方に関する記述です。

モラヴィア地方は登場人物たちの出身地で「民俗芸能の桃源郷」です。
共産党は、国をまとめる凝集剤として民俗芸能の復活を利用します。
そこに登場人物の一人は、うそ臭さや欺瞞=キッチュなものを見ます。

そして、しばらく郷里や民俗芸能から距離を置いていた登場人物の一人は、
歴史の大きな「冗談」からは逃れられないこと、
自分の復讐劇こそ「冗談」の最たるものになってしまったことを悟ったとき、
青春の象徴の一つだった民俗芸能に慰めを与えてもらい、古い友人とも和解するのです。

また、登場人物の一人が苦汁をなめる時代を過ごす町がオストラヴァです。
ここは、炭鉱の町として栄えたのですが、彼にとっては「煤」だらけの「黒い町」です。

モラヴィア地方やオストラヴァは、この作品のなかで、
懐古主義、理想主義、後進性、キッチュ、寂れゆくものの象徴でありつつ、
人生の次に場面に進む起点にもなっています。

で、、、

モラヴィア行きたいね、ここに出てくる「王様騎行」ってやってるのかな、
オストラヴァの炭鉱はどうなってるんだろう、
クンデラ作品の舞台を訪ねるツアーしようか、なんて話で盛り上がりました。

ちょっと調べてみると、
オストラヴァの炭鉱は閉鎖されましたが、産業遺産として公開されている模様。
モラヴィア地方の「王様騎行」も催されている様子。

これは本当に行きたいかも!
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by chekosan | 2016-12-07 17:22 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)
同志社大学法学部の「特殊講義 ロシア・東欧の政治と社会」、
前回はちょっと脱線して村上春樹『1Q84』でしたが、今回からは真っ向勝負、ミラン・クンデラです。


クンデラの『存在の耐えられない軽さ』は1984年に発表された小説です。
1988年に映画化され、日本でもちょっとしたブームになりました。

私も学生時代だったか院生時代だったかに読みました。
が、細かいところはさっぱり忘れており、今回ノートを取りながら再読して、
こんな話だったか! こんな構造だったか! と唸りながら面白く読みました。


建国の父といい、反体制運動家のちの連邦大統領といい、世界的ベストセラー作家といい、
チェコ(スロヴァキア)は哲学な人に満ちている。。。


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この作品、帯にあるように「愛のクァルテット」の「ラヴストーリイ」には違いないのですが、
普通にお話が時系列で進んでいくわけではありません。

のっけからニーチェ。読者を選んでいるのかと思わせる出だしです。

男女2組(と言えるのか微妙…)の恋愛、性愛、夫婦愛が軸ではありますが、
それを題材に、クンデラが人間性や人生、社会について、
あれこれ、洞察、考察、思考を繰り広げ、深めていく部分が、むしろ読みどころです。

主な登場人物4名の視点から、出来事と心情が描かれ、
それをクンデラがいわゆる「神の視点」から解説をするというパターンが繰り返されます。
それも、明確に「私はここで~~といっておきたい」というような表現で。

あくまでこれは「小説」、つまり、私=クンデラが作ったものですよと
身も蓋もなく提示しているわけなのです。

言い換えれば、小説という形を借りて、
「人生における偶然とは」「重さと軽さとは」「人生や歴史は繰り返すのか一回限りなのか」
「愛とはなにか」「神とは」「キッチュ(俗悪なもの)とは」等々について
クンデラが思索を深めていく過程を追っているような作品なのです。

こんなの、下手な作家や素人がやったら野暮なことこのうえない。
その点、クンデラはさすがに上手い、すごいと思うのですが、ちょっくどいと思わなくもない。
読書サイトでも、「難解」とか「わけがわからない」とかいう評が多発しているようです。

確かにスー―っと読める小説ではない。
でも、考察部分を飛ばしたり、いいかげんに読んでしまうと、
7割がた読む意味がなくなると思います。

恋愛やら性への姿勢には親子関係が深く影を落としていたり、
女性の精神的・経済的な自立やアイデンティティの確立もまた、
家族や育った環境やパートナーとの関係性が深く影響していたり、
そこに社会や政治の状況が絡んできて一層ややこしいことになったり。

でも、時代や社会状況の影響だって、どこまで個人の人生に決定的なのかはわからない。
人生に分岐点はいくつかあって、違う人生もありえた、
だからといって違う道を選んでいたらどうなっていたかはわからない、、、、

そういう枝葉的なところを読み落とし、
別の視点から自己や他者を見るという過程を省いてしまうと、
単なる「好色一代男とその女たち」な小説になってしまいます。

まあそこも結構面白かったりするんですが(笑)
200人と、って、、いやはや、、 (^-^;


授業では、哲学的考察をしている部分について、いろいろ語り合いました。
一部、ちょっとわからないなあ、というところもありました。

結果、クンデラを一作で終わるのはもったいないということで、
次作、次々作もクンデラの代表作を読むことにしました。

これをどうやって映画にしたんだと気になって仕方ないので、DVDも注文しました。


クンデラ月間、まだまだ続く。
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by chekosan | 2016-11-30 16:21 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)