中・東欧、ロシアのこと&大学教育のことを発信します


by chekosan

カテゴリ:本、書評、映画( 46 )

映画「グランド・ブダペスト・ホテル」をDVDで観ました。

劇場公開時はポスターを見て、オシャレなドタバタ喜劇なのかなと思い、
見逃してもさほど気にしていなかったのですが、
町山智浩さんの『映画と本の意外な関係!』を読んだところ、
この映画、オーストリアの作家ツヴァイクの作品にインスパイアされたものとわかりました。
こちらに書評掲載しています。

ツヴァイクは世紀転換期のウィーンで活躍したユダヤ人作家です。
平和主義者でユダヤ人ゆえ、ナチスドイツによるオーストリア併合後、著作は焚書となります。
そして亡命先のブラジルで服毒自殺をします。

いったいツヴァイクがどう絡むのかと、いてもたってもいられなくなって、
町山さんの本を読んで、すぐにディスクを取り寄せました。

そして見てみると、実に面白い!

ミステリーコメディで、セットや衣装や色彩、撮り方がとてもオシャレです。
お話の構造も何層かになっていて、実際の歴史をうまく盛り込んであります。

笑いながら楽しんだ最後の最後に、
「ツヴァイクの作品にインスパイアされた」という文言が黒い画面に大きく出ます。

それによって、この楽しくてオシャレな映画が、
一気に重層的になるというか、厚みを増すように思いました。

ツヴァイクのことや歴史的経緯を知らなくても楽しめるのですが、
この最後のフレーズに「なになに?」と思って少し調べた人は、
さらにこの作品を深く理解できるのではないかと思います。

わたくし、すぐさま3千部限定の豪華本を定価以上の値で買い求めました。
『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』。

この本、高価でしたが、それだけの値打ちがありました。
監督や主演俳優やスタッフへのインタビューその他、たっぷり解説が読めます。
イラストや写真も豊富。オールカラーです。

さらに、ツヴァイクの回想録『昨日の世界』も読み、
これは第一次~第二次世界大戦の中欧を知るとっかかりに非常に良いと思い、
同志社の「ロシア・東欧地域研究」でも取り上げました。

けっこう手をかけて準備したのですが、面白さが伝わっているといいなぁ。
今夜にでもDVDを借りに行きます!と感想もあったので大丈夫かな?

ロケ地となったドイツの町ゲルリッツも、実はなかなか面白い町なのです。
第二次世界大戦後、ドイツーポーランド国境の画定で、
それまで一つの町だったのがオーデル川で2つの国に分断されてしまった町なのです。

冷戦終結後、2つの町の交流や協力関係を進める取り組みがなされています。
古い町並みも残っていますし、ホテルの内部を撮るのに使った古い建物も
この秋にリニューアルオープンするとか?

映画のホテルやホテルのある町のモデルとされるチェコのカルロヴィ・ヴァリの
グランドホテル・プップとともに、今年度中くらいに行こうかなと思っています。
カルロヴィ・ヴァリ、昔行ったのですが、プップの内部には入っていないんです。

アンダーソン監督が特に参考にしたツヴァイクの回想録『昨日の世界』については別途。

ところで、映画のクライマックスは映画「薔薇の名前」を連想しました。
それは写真のでっかい本には特に書いていなかったのですが。
久しぶりに観たいな。

また、ヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」からの引用シーンもあるそうです。
冷戦期の東西ドイツのスパイものだそう。
ということで、そちらもDVDを買いました。^^

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by chekosan | 2017-04-24 13:31 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)
この映画、原題は “Land of Mine”(地雷の国)ですが、それでは人を呼べないんでしょうね。
「ヒトラーの忘れもの」という邦題は、ちょっと意訳過ぎるかなと思いますが、
その方が時代やテーマを容易に想像させ、なんだろう観に行こうかなと思う人は多いかもしれません。

この作品の舞台はデンマークです。

デンマークはドイツと戦ったわけではないのですが、5年に渡って事実上占領されました。
イギリス率いる連合軍が解放したあと、デンマークに残されたドイツ兵捕虜が、
ドイツが海岸に埋めた200万ともいわれる地雷を撤去する任務に充てられます。
ところがこれが年端も行かない少年兵たちなのです。

統率するのがデンマークの鬼軍曹。
この人、はじめのうちはそれはそれは怖くて厳しい人なのですが、
自分の子どもくらいの年齢の少年たちが、食べ物もなく、体調不良にフラフラになり、
それでも故郷に帰るため文字通り命がけで任務にあたる様子を見て、
だんだんとほだされていきます。しかし…  


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    ↑
がっちりした軍曹と、あどけなさの残る少年兵たち。どう見ても子ども。ひょろひょろです。

戦争も末期になってくるとドイツは15歳くらいから兵士として採用するようになっていたのです。
それもお国のために、総統のためにと志願する男の子が多かったのですね。

パウゼバングの小説『片手の郵便配達人』にもそうした記述があります。
みすみす命を落とすくらいならと、祖父や母が阻止しようとするシーンもあります。

この映画の少年兵たちもそうして志願してきたのでしょうか。
「お前たちは兵士か!?」「はい!軍曹!」「では兵士らしくしろ!」と怒鳴られます。

兵士らしく任務を全うして故郷に帰り、瓦礫だらけのドイツの復興のため働くことを夢見て、
なんとか数か月を耐えようとするのですが、
砂浜を匍匐前進して手で掘って地雷を除去するという作業は危険が伴います。
どんどん仲間が減っていきます。

こんな非効率的な危険な作業を未来を担う子どもが命を落としてあたっていたとは。

いや、そもそも何万何百万という地雷を埋めなければ、こんなことは起こりえなかったわけです。

地雷を製造し、埋めて、それを撤去するなどという不毛なことに費やした資源と人命とエネルギーを
もっと生産的なことに向けていればと思わざるを得ません。
もちろん地雷だけでなく、すべての殺傷手段についてもそうです。
せめて同じ過ちを繰り返さないよう、史実を明らかにし、歴史に学ばなくてはいけないと思います。

なお、この捕虜による地雷撤去の事実も長らく公にはならず、
1998年になって、『強制の下で』という本が出版されて、ようやく白日の下に晒されたそうです。

2012年にはデンマークは地雷撤去完了を宣言したそうですが、
その翌年には未処理の地雷が発見されたそうです。












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by chekosan | 2017-04-22 15:42 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

コルチャック先生は、ポーランドの著名な医者、教育者、作家です(1878?-1942)。
「子どもの権利」を尊重するという当時では新しい思想、主張を展開した人です。

ポーランドで2つの孤児院を開き、運営していましたが、
ユダヤ人やポーランド人のナチスドイツのユダヤ人絶滅政策によって
子どもたちと共にトレブリンカ収容所に送られ、殺されました。

本名は、ヘンルィク・ゴールドシュミット、「コルチャック」はペンネームです。



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映画の制作は、1990年。
ポーランドが共産党体制から民主化へと移行してからの作品ですが、白黒です。
それによって、何度か挟まれる、ナチスドイツによる記録映像に違和感なくつながります。

ナチスは書類や映像での記録を丹念に撮っていて、この映画のなかでも、
兵士がワルシャワのユダヤ人特別区(ゲットー)の様子を撮影している場面が出てきます。

街に骨と皮だけになった人々がゴロゴロ転がって死んでいる様子、
そうした死体を運んでいく様子などが、映画のなかに挟まれます。

そのようにして、この映画で描かれていることは作り事ではないのだということ、
実際は映画以上に悲惨な状態だったのだと示しているのではないかと想像します。

同じくワルシャワのゲットーを舞台にした、
ポランスキ監督の「戦場のピアニスト」でもそうした場面が出てきます。

ナチスは、撮影している撮影隊の様子まで撮影しています。
目の前で飢えと病気と暴力に晒されている人々を撮影し、さらにそれを撮影するという、
「客観的」で冷淡な行為そのものが、戦争の狂気をよく表しています。

ただし、「戦場のピアニスト」の方が悲惨さではかなり上回っています。
「コルチャック先生」は、そうはいっても相対的には綺麗な映像です。

それは、コルチャック先生自身が著名な知識人で、
ポーランド人、ユダヤ人、さらにはドイツ人からも尊敬されていたため、
なんとか物資や支援金を駆けずり回って集められたこと、

コルチャック先生は医者であり教育者であったので、
たとえゲットーに押し込められようと
孤児院をできるかぎり清潔に健康に配慮して運営していたこともあるでしょうし、
子どもたちも重要な登場人物であるため、あまり悲惨な映像にしにくかったのかもしれません。

ですので、あまりにも悲惨な映像は見られないという人でも見ることができると思います。


ところで、DVDには付録として小冊子が入っていたのですが、その解説によると、
この映画は上映後、フランスの評論家に「反ユダヤ主義」であると批判されたそうです。
それはちょっと驚きでした。そのようには私には読みとれませんでした。

確かに、ユダヤ人のなかにもナチスと通じて甘い汁を吸っている人物がいて、
彼らは街角で次々人が死んでいる状況下でも遊興にふけっていて、
そんな人たちからコルチャック先生は支援を受けざるを得ない、
その行為を抵抗組織の若者からなじられるというシーンもあります。

また、危険を冒してユダヤ人を助けようとするポーランド人もいることも示されます。

これもポランスキ監督が「戦場のピアニスト」のメイキングで語っているのですが、
ある民族が全員悪人だったり善人だったりすることはないでしょう。
ワイダ監督のこの作品でも、そのことをバランスよく描いているように思えるのですが、、、


ラストシーンが幻想的なのも、コルチャック先生と子どもたちを待ち受ける運命から
目を背けるようなものだと受け取る人もいるようです。

このラストは、たしかに、うーん、そうくるのか?と思わなくもないです。
終わりの30分ほどを一緒に見ていた小4の子どもには解説をしないといけませんでした。

ただ、字幕でははっきりとトレブリンカのガス室で殺されたと出ていますし、
殺されるシーンまで映画に盛り込む必要があるとも思えません。

あえて、「移送」されるところで終わっていることで、
彼らがそのまま死へと直行したことを示しているように思います。

移送されるまでに、何度か逃げ出せるチャンスはありました。
せめてコルチャック先生だけでも、養子に出せる子だけでも、と思えなくもない。
みんな一緒にいるべきだと主張した先生は意固地だと言えなくもないかもしれません。

しかし、あらゆる権利を剥奪され、外界から遮断され、
情報も自由も食料も財産も体力も健康も一切奪われた人たちが、正確な状況を把握し、
後世から見た「善後策」を選ぶことは困難だったでしょう。


私自身は、この映画は比較的淡々と話が進んだせいか、
有名な実話なので結末を知っていたからか泣きませんでしたが、
コルチャック先生の子どもへの接し方、彼らにかける言葉、
孤児院の教育方針、運営方法などにはたいへん感銘を受けました。

悲劇で泣かせるとか、ドラマティックな展開で衝撃を与える映画ではなく、
コルチャック先生の思想の深さや広さ、意志の強さや実際にとった行動、
高潔さなどをじっくり受けとめる映画だと捉える方がよいのではないかと思います。

コルチャック先生のことをもっと知りたいと思い、買ってあった本を出してきたら、
一緒に映画後半を見ていた小4男児が、先に読み始めました。
へぇ~~すごいねんなあ、と感心しながら横で読んでいます。
子が読み終えたら、私も読もうと思います。^^

→2017/3/13追記:
子よりも先に読みました。感想はこちらに。http://chekosan.exblog.jp/26716756/








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by chekosan | 2017-03-12 20:03 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

今年の映画第10弾、「フランス組曲」。
バッハ?と思わせるタイトルですが、第二次世界大戦でドイツ軍に占領されたフランスでのお話。
駐留ドイツ軍将校と彼に部屋を提供させられるお屋敷の若奥様(若い貞淑な女性)の悲恋物語。

アウシュビッツ強制収容所で亡くなったユダヤ人女性作家の未完の遺稿が原作です。
死後60年の間、日記と思って保管していた遺族が小説ということに気づき、出版されました。



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ある作品を、その作品の内容そのものだけで評価するのか、
あるいは、作者の生涯なども含めて評価するのかは意見の分かれるところかと思います。

現代のベートーヴェンと称された作曲家による楽曲が
実はゴーストライターの作品だったことが明らかになったときにも
そうした議論が噴出しました。

本作も、作者の悲劇、戦後70年経って発見された事実を前面に打ち出しています。
実際、私もその点にひかれて鑑賞しました。
この作品のストーリーからして、作者と遺稿がたどった運命を語らないのは不自然でしょう。

では作品そのものはどうか。

大筋は、敵同士、既婚者同士の悲恋ですが、それだけではありません。
どちらの側も善人ばかりでもなければ悪人ばかりでもない、
ひとりの人にも善良で懐の深い部分と狭量な部分があり、寛大な部分と残忍な部分があることを、
綺麗で品のある映像とストーリーと衝撃的過ぎない場面や展開で見せてくれる映画でした。

姑の威厳に耐えるばかりだった主人公が、徐々に意思を持って行動するようになるところ、
それも、将校に惹かれながらも、知人友人や虐げられた人を優先する流れも良かったです。

以下、印象に残った部分を記録。多少ネタバレありです。





・ドイツ人将校とピアノ
 主人公の家に寄宿するドイツ軍将校(中尉)は貴族出身で、品がある人物です。
 兵士たちの粗暴な振る舞いを一喝するような真面目な人です。
 
 軍では当然ドイツ語を話しますが、駐屯地の町ではその土地の言葉を話すインテリです。
 (この映画、舞台はフランスですがイギリス制作なのでセリフは英語主体ですが…)

 この中尉は軍人一家に生まれたのですが、戦前は作曲家として活躍していました。
 そこで、主人公が父親から贈られた大切なピアノを借りて、夜な夜な作曲をします。
 主人公はその姿を見て、憎むべき敵の将校なのに心を動かされます。

 パターンも性別の組み合わせも違うのですが、ポランスキ監督の「戦場のピアニスト」では、
 ワルシャワのゲットーに隠れて生きのびたユダヤ人ピアニストを、
 ドイツ人将校が匿うというシーンが印象的でした。
 この将校自身もピアノを嗜む、品のある人という設定でした。

 ただ、将校クラスがみんな品があって教養があるというわけでもないようで、
 本作に出てくる別の中尉は、いいとこのボンボンだからと、
 いかにも若造のくせに取り立てられているのですが、粗野で下品です。


劇中の曲と楽譜と贈り物??
 将校の未発表自作曲の楽譜の冒頭がチラッと映ります。
 予告編でも流れているメロディは、その二段目くらいからです。
 でも、映画のなかで何度も流れる象徴的なメロディと、
 画面に映る楽譜とがちょっと違ったような…?
 すてきな曲なので、全曲を通して聴いて、楽譜を手に入れたいなと思いました。

 ところで、将校が執務室代わりに使っている書斎に、将校の留守中に入り込んだ主人公が、
 見とがめられて忘れ物を探しに来たのだと言い訳をします。
 後日、将校が「これを忘れたのでしょう」と言ってリボンのかかった箱を渡します。
 中にはメモの切れ端?が一枚。これが一瞬でよくわからなかった!
 曲名が書いていたような気もするのですが。。。なんだったのだろう。



見せしめ処刑と銃殺刑 (この項、ネタバレ)
 町民とドイツ軍との間にいざこざが起こり、ある将校を殺した犯人の農夫が追われます。
 ドイツ軍は威信をかけて探すのですが見つかりません。
 そこで、誰でもいいから見せしめに5人を処刑せよという命令が下りますが、
 駐屯の責任者である少佐は軍上層部に掛け合って町の名士一人を処刑することにします。

 処刑は町の広場で行われます。
 代わりの人物を椅子に座らせ、数人の兵士が一斉に撃ちます。
 誰が殺したかをわからなくするためです。
 
 第一次世界大戦の様子を描いたチェコの風刺文学『兵士シュヴェイクの冒険』で、
 土地の民でスパイが疑われる者や敵方に対しては「銃殺ではなく絞首刑にしろ」
 と息巻く上官が出てきます。絞首刑は銃殺よりも名誉ではないとされたのです。
 
 犯人である農夫が捕まった場合、あるいは5人が見せしめで処刑された場合、
 果たして処刑の仕方も違ったのでしょうか…

 ドイツ占領下のフランスでの見せしめ処刑といえば、
 映画「シャトーブリアン」もそうしたテーマを扱っているようですね。
 こちらは未見なのでいずれ見たいと思います。


 さらに、見せしめに関係のない人々が殺された事件といえば、
 チェコのリディツェ村の規模が特筆されます。
 ドイツ軍の幹部の暗殺への報復として、村を丸ごと消滅させられました。

 成人男性173名はその場で全員殺害され、成人女性は収容所送りに、
 子どもたちはドイツ人家庭に養子に出されたり収容所に送られたりされ、
 家屋、教会、墓地に至るまで破壊され、何も残っていません。

  
◇◇◇

作品の内容や歴史的事実との関連では、そんなことが気になりました。
あとは、主人公のワンピースが清楚でとても可愛らしかったことが印象に残りました。





 





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by chekosan | 2017-03-01 15:27 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

これも長く寝かしていたディスク、「ハンナ・アーレント」をようやく観ました。

日本公開当時、中高年層を中心にヒットしているという報道を見ました。
アーレントは「20世紀最大の思想家」と呼ばれ、翻訳書もたくさん出ていますが、
アーレント自身を描いた映画がヒットするというのは意外でした。

今回観てみて、なんとなくわかりました。
まったく派手さやドラマティックな展開はないのですが、
じわじわと効いてきて、もう一度見ようかなと思わせる映画なのです。

特に、アーレントが友人たちと議論する場面や、最後の講義(8分間の演説)シーンは、
思わずメモを取るようなセリフが続きます。


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話は、1960年にナチスの幹部の一人だったアドルフ・アイヒマンが潜伏先のアルゼンチンで捕まって、
イスラエルで裁判を受けることになったところから始まります。

ユダヤ人であるアーレントはドイツでハイデッガーの薫陶を受けます。
しかしハイデッガーはナチスを支持。
アーレントはフランスで一時抑留されますが逃亡に成功し、
亡命先のアメリカで優れた著述家、思想家として活躍します。

アイヒマン逮捕を知ったアーレントは、イスラエルに飛んで裁判を傍聴し、
思考に思考を重ねて、2年をかけて記事にします。

ところが、その考察がナチス擁護であると捉える人が多く、大波乱を起こします。
夫や友人や秘書、記事を掲載した「ニューヨーカー」誌編集長や学生たちは彼女を支持しますが、
読者あるいは読んではいないけど気に食わないと手紙を送ってくる人々、
彼女を裏切り者として絶縁する古いユダヤ人の友人や大学の同僚の批判や非難に、
強い哲学者アーレントも疲弊を隠せなくなります。

それでも力を振り絞って学生たちに「考えること」の大切さを熱弁するスピーチは圧巻です。

「理解を試みるのとゆるしとは別である」「書く者には理解する責任がある」
「思考ができなくなると、平凡な人間が残虐な行為に走る」
「“思考の風”がもたらすのは知識ではない。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力である」
「私が望むのは、考えることで人間が強くなること。
 危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」

◇◇◇

ディスクには特典映像がついていまして、これがまた興味深いものでした。

アーレントという人物を映画にするにあたっては、師であるハイデッガーとの恋や、
フランスでの抑留体験、亡命などを取り上げることもできたのですが、
あえてそこは避け、私たちが彼女から受け取ったもっとも重要なもの、
すなわち彼女の思想を表現することを追求したのだそうです。

それが一番あらわれるのがアイヒマン裁判をめぐる論争でした。
アイヒマン裁判は映像ですべて記録されているのですが、
制作者たちは、200時間に及ぶ映像をすべて見て、
アーレントの著作や書簡集や伝記を読み込み、関係者に会って構想を練ったそうです。

そして、同時に哲学者といえど机の前でタイプライターを叩いているばかりでない、
ひとりの人としての人生も描こうと、夫や友人との交流や会話、
教員としての仕事のシーンなどもたくさんちりばめたそうです。

その狙いは当たったと思います。
友人たちとのパーティや会話、夫との仲睦まじい様子、若い秘書との信頼関係、
新学期までに授業準備をしなくてはと必死な様子、
学生の憧れと尊敬のまなざしを受ける様子がたいへん印象的でした。

特典映像の監督インタビューの最後、
「アーレントのことはいまだに嫌うユダヤ人も多い、
 彼らが発言すれば論争になるかもしれない、論争は歓迎する」
という発言もカッコイイ!

ちなみに、この映画、監督、制作、脚本が女性です。
ああなるほどという感じがします。やはり女性の描き方が自然でした。

◇◇◇

にしても!

まあ~~~よく煙草を吸う! 
実際にアーレントはヘビースモーカーだったそうですが。

アーレントだけでなく当時はみんなパカパカ吸っていたようですね。
この時代を取り上げた映画では、喫煙シーンが多いですね。
戦後、ナチスを追い詰めたドイツの検事総長バウアーの映画なんかでも
スパスパ吸いまくりでした。
http://chekosan.exblog.jp/26583987/

ただ、バウアーの映画でも若手は吸ってませんし、
アーレントの映画でも、親友メアリーが「煙すぎる」と言うシーンがあるので、
みんながみんなではなさそうですが…

そういえば、、、院生時代に出ていた西洋政治思想の大家W先生の授業もそうだった…
先生の研究室で開かれていたのですが、喫煙率高かったなあ。
なにか関連性があるのでしょうか!?
ま、いまは大学内は全面禁煙、個人研究室といえど禁煙になっていますけどね。 

◇◇◇

本筋とはどんどん離れていきますが、60年代のファッション、いいですね。
アーレントの親友で作家のメアリー・マッカーシーのスーツやドレスがすごくいい。
講義室を埋め尽くす学生たちも古き良きな感じでいいです。

このメアリー役の女優さんはイギリス出身でイギリスの演劇学校で学んだ人で、
アメリカ人作家という役どころなので、英語がクリア。

対して、アーレントと亡命知識人たちはドイツ訛りということになっているので、
なんかさっぱり聞き取れませんでした… (-_-;)





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by chekosan | 2017-02-25 17:00 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

2017年第8弾。実話をもとにした映画です。
同志社の授業で受講生から教えてもらってディスクを買っていながら一年経ちました。

「黄金のアデーレ」は、19世紀末から20世紀初頭に活躍したグスタフ・クリムトの名画です。
絵のモデルであるアデーレはウィーンの裕福なユダヤ人一家の一員で、芸術家のパトロンでした。

アデーレ自身は若くして病気で亡くなるのですが、そのあとにナチスがオーストリアを併合し、
ウィーンのユダヤ人は過酷な迫害を受けます。
名誉を傷つけられ、財産を没収され、強制収容所に送られていくのです。

アデーレの夫や姪たちも命からがらウィーンを脱出します。
アデーレの姪であるマリア・アルトマンは年老いた両親を残し、
夫とともに決死の脱出を試み、着の身着のままでアメリカにたどり着き、一から生活を築きます。

1998年、オーストリアはナチスが没収した作品を元の所有者に返還する法律を制定します。
マリアは、オーストリア政府を相手取り、一族の思い出の品であるアデーレの肖像画を返還するよう、
友人の息子を弁護士として雇い、訴訟を起こします。

この若い弁護士は、やはりオーストリアからアメリカに逃れた著名な作曲家シェーンベルクの孫です。
青年の曾祖父母はトレブリンカ収容所で亡くなっています。

はじめは乗り気でなかった青年は、お金のためにこの件に着手しますが、
そのうちに出自を自覚し、自らの意思で絵の返還に奔走するようになります。

返還法が制定されたとはいえ、アデーレの肖像画はオーストリアのシンボル的絵画、
オーストリア政府はなかなか返還に応じません。
何年もの歳月をかけてマリアと弁護士は訴訟を続け、とうとう絵はマリアの元に還るのでした。

その後、マリアは他の相続人への遺産分配の必要から、一般公開を条件に絵を売却します。
入手したのは、化粧品会社エスティ・ローダーが開設した美術館ノイエ・ガレリエです。
いまはニューヨークのこの美術館に展示されているとのことです。


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◇◇◇

映画のなかで、オーストリアの人々が、街中にナチスの旗を掲げ、
ドイツ軍に敬礼をして歓迎するシーンが出てきます。

ナチスによるオーストリア併合によって、ユダヤの人々はさまざまな権利をはく奪され、
財産を没収され、出国しようにもできなくなっていきます。

街頭では、大勢の市民がユダヤ人の人々を取り囲んで笑いながら
帽子をとったり髭を剃ったりして、屈辱を味合わせる場面があります。

主人公はそこに居合わせながら、何もできず逃げ去らざるを得ない。
非常に胸の痛むシーンです。

しかし、ナチスドイツのオーストリア併合についてオーストリア国内で歴史を見直す機運、
つまり「オーストリアは一方的な犠牲者である」という認識を再検討する気運が高まってきたのは
比較的最近の話であったと思います。
美術品などを返還する法律ができたのもまさにその流れでしょう。

そうした経験から、主人公は、返還の手続きのためにウィーンに行くことになっても、
かたくなにドイツ語を話そうとしません。

いま穏やかに暮らしているから、過去のことだからという問題ではないのです。

普通の生活を暴力的に中断させられ、家族や友人の命や財産を奪われた人々にとって、
奪われたものを取り戻すことは、金銭だけの問題ではないことは理解したいものです。

私が何度もお世話になったチェコのホストマザーも、
ロシア語やドイツ語は、話せるが使いたくないと、はっきり言っていました。

支配被支配の関係から生じた名誉の毀損や屈辱的な扱いに関することは、
放置していれば溶解するというものではなく、
共感、和解、再評価というプロセスが必要であると思います。

◇◇◇

そうしたことを踏まえて、しかし、
アデーレの肖像画がニューヨークに行ってしまったというのは残念な気がします。

買い取ったローダー氏はナチスによる没収財産の返還にも尽力しているとのことですが、
クリムトは世紀転換期のウィーンを代表する芸術家で、
彼が率いた芸術家の一派「分離派」の作品はやはりウィーンにあってほしい。
1992年に、ウィーンでクリムトやシーレの作品を直接観たときの感動を思い出して、
この映画の結末に感動しつつも、悲しく寂しい気がしたのでした。

◇◇◇

映画で、主人公と弁護士青年が、最初にウィーンに行って空振りに終わったあと、
無駄な旅にしないためにとホロコースト犠牲者を追悼碑を訪ねるシーンがありました。

昔にウィーンに行ったとき、かなりいろいろまわったつもりだったのですが、
こんな建物はなかったのではないかなと思ったら、2000年にできたものでした。
次回、ウィーンに行くことがあったら訪ねてみたいと思います。

◇◇◇

この映画、テーマとしては考えさせられるものを含んでいるのですが、
ちょっと演出が軽めというか情緒的すぎるというかテレビドラマ的なシーンも多いです。

が、主人公(ヘレン・ミレン)はたいへん!!魅力的でした。
おしゃれで強くてチャーミングで自立した女性!
年齢を経てもこんなに素敵な老婦人でいられたらいいなあと惚れ惚れしました。


そして、主人公と弁護士を助けるオーストリア人ジャーナリストを演じた俳優さん!
なんと「グッバイ、レーニン!」の主演男優さんでした。

この映画、東ドイツの消滅(東西ドイツの統一)と家族愛をからめていて大好きなのですが、
あの頼りなげな青年が、こんな貫禄たっぷりに!とびっくりしました。






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by chekosan | 2017-02-24 12:26 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

ある表現方法そのものが好きという場合と、あるジャンルに限って好きという場合があると思う。

私の場合、映画は後者である。
娯楽として楽しむ趣味はなく、特に映画館での鑑賞は苦手であったのだが、
最近、関心のある地域や時代を理解する一助として観るようになった。

研究や教育のネタとして観ているので、これはと思うものに出会えば学生にも紹介したくなる。
紹介すると「ぜひ観たいです」「観ました」「観たことがあります、感動しました」
「先生の紹介が上手なのでどれも観たくなりました」といった嬉しい感想をもらえる。

さらには、「○○も面白かったです」「××も同じようなテーマでした」
「今度△△観に行きます」という情報もどんどん寄せられる。

そうすると、教えてもらった作品も見なくては!と思うようになる。
観れば、作品の作られた経緯や歴史的背景をもっと理解したくなる。

そうして、映画を紹介している記事や本なども集めるようになった。
人間、年をとっても新たなものに目を向けられるものだなあと思う。

そんなわけで、この本。村瀬広『映画は戦争を凝視する』(新日本出版社 2016)。

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映画好きさんと違って、あるジャンルに限って厳選したものを観たい私には大変参考になる本である。

この20年ほどの間に公開された、戦争に関する名作ばかり55作品を集めていて、
一作品2見開き4ページで、あらすじや背景、みどころ、考察などがコンパクトにまとめられている。

どの作品も観たくなるものばかりなのだが、私の教育・研究分野に特に関わりが深く、
特に観たいと思ったものをリストアップし、順次、感想をアップしていきたい。
太字はそのなかでもとりわけ気になる作品。

第2章「子どもを襲う戦争」より
・「縞模様のパジャマの少年」 … 強制収容所の子どもとナチス高官の子どもの話
・「命をつなぐバイオリン」 … ウクライナの2人のユダヤ人音楽天才児の運命
・「さよなら、アドルフ」 … ナチスの子どもたちのその後
・「あの日の声を探して」 … チェチェン紛争と子どもたち

<観た作品>
・「ふたつの名前を持つ少年」 … 感想はこちら http://chekosan.exblog.jp/24898337/

第4章「ヒトラーとナチズム」より
・「マイ・ファーザー」 … ナチス戦犯(メンゲレ)の父と息子
・「ヒトラー 最期の12日間」 … 総統閣下シリーズはいろいろ見ているのですが(^-^;
・「シャトーブリアンからの手紙」 … ドイツ占領下のフランスの悲劇
・「パリよ、永遠に」 … パリはいかに破壊から免れたか

<観た作品>
・「顔のないヒトラーたち」 … 感想はこちら http://chekosan.exblog.jp/25950775/

第5章「ホロコースト・強制収容所の諸相」より
・「灰の記憶」 … 収容所専属ユダヤ人労働者の反乱
・「ソハの地下水道」 … 普通の人がなぜユダヤ人を救ったのか
・「遥かなる帰郷」 … プリーモ・レーヴィの『休戦』の映画化
・「ハンナ・アーレント」 … だいぶ前にDVDを買っているのに、、、

第6章「戦争に病む社会と人間」より
・「パーフェクト・サークル」 … ユーゴ紛争、サラエボ戦争の実相
・「消えた声が、その名を呼ぶ」 … アルメニア人の悲劇に踏み込む
・「東ベルリンから来た女」 … 東西ドイツの知られざる関係 
   ドイツ行きの飛行機で上映していたのに寝てしまった、、、
・「ドレスデン、運命の日」 … 芸術都市がなぜ爆撃されたのか

<観た作品>
・「カティンの森」 … 感想はこちら http://chekosan.exblog.jp/25006393/
・「善き人のためのソナタ」 … 感想はこちら http://chekosan.exblog.jp/25224694/







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by chekosan | 2017-02-19 00:44 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

イギリスで女性参政権を求めて闘った女性たちの物語「未来を花束にして」を観てきました。
実話や実在の人物をもとにした社会派映画です。制作も女性が中心です。

ときは1912年。第一次世界大戦の直前のイギリス、ロンドンが舞台です。

主人公は洗濯工場で働く労働者階級の女性。まだ24歳。かわいい男の子が一人います。
夫も同じ工場で働く若い青年です。優しい男性です。


主人公は、この工場で生まれました。当時の洗濯工場の労働環境は過酷で、女性労働者は短命でした。
主人公の母もこの工場で働いていましたが、若くして亡くなります。


労働者階級の女性の一生はそういうものだとされていた時代、
日中は工場で必死に働き、家出は家事育児、毎日クタクタになって働いていた主人公は、
工場長から同僚をかばったことから、同僚が取り組む女性参政権運動にかかわることになります。


最初はまったくその気はなく、偶然の積み重なりで巻き込まれた主人公でしたが、
議会の公聴会で証言をしたり、カリスマ的女性運動家に出会ったり、
仲間と知り合ったりするなかで、自分たち女性の人生を自分たちの行動で変えていく道を進みます。


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イギリスの議会政治は良くも悪くも手本であり先行事例であると刷り込まれていますが、
女性参政権ができたのは、意外にも1928年なのですね。

階級が厳然とあるというのもイギリス社会の特徴と言われますが、この時代は特にそれが顕著です。
イギリスと言えばジェントルマンの国ですが、ジェントルマンに大事にされるのはレディだけ。


上流階級や中産階級の女性は、身なりもきれいで、それなりに尊重されていますが、
それもあくまで「誰々氏の妻」としてです。男性に庇護される身としての尊重です。


労働者階級の女性になると奴隷扱いです。
主人公の工場では、女性の方が男性よりもキツイ仕事をこなし、
男性よりも長時間働いて、賃金は3分の2でした。児童労働も普通に行われています。


労働者の権利なども整備されていません。時間外労働を課されたり、
上司のセクシュアルハラスメントが横行していたり、逆らえば簡単にクビになります。


そうした状況を改善したくとも、女性には意見を言っていく先がありません。
自分たちの代表を送るすべさえなかったのです。


つまり、何重、何層もの支配ー被支配の構造があるのです。
身分によるもの、性によるもの。


労働者階級の女性は、身分の点でも、性別の点でも、支配を受ける側になり、
もっとも過酷な状況にあったのです。


ただ、この映画で良いなと思えるのが、主人公たちが関わる活動には、
議員の妻や、中産階級の女性も、学問を修めた経済力のある女性も参加しているところです。

やはり身分の違いで、理論的リーダー、スポークスウーマン的存在、
実行部隊というような立ち位置はあるのですが、支配被支配の関係ではありません。


そうして参政権運動が展開されるのですが、これが非常に厳しい。

穏やかに主張していてもらちがあかないからと、
投石などの実力行使に訴えるグループが現れるのですが、もちろん逮捕されます。
そして、簡単に刑務所(警察の拘置所?)へと送られます。

なにしろ、政治的意図をもって集まるだけで不法とされるのです。
女性たちが公聴会の結果を聴こうと議会前に集まっているところにも、
騎馬警官がやってきて、殴る蹴るの暴行を加えて逮捕します。
しかし、悪法も法、法の遵守という観点からは、警察は正当な行為をしていることになるのです。


獄中でハンガーストライキをすると、無理やり押さえつけられて鼻からチューブで食物を摂らせるという
拷問並みの処置が待っています。


言葉で言っても聞こうとしない、それならば行動だと、活動はどんどん過激になります。
そのような破壊活動には賛同しづらいのですが、そうでもして注目を集めないと抹殺されるだけ
という状況があったことは理解する必要があります。


と書いていると、昔の話で済ませられないじゃないかと思える部分がいくつも見えてきます。

私たちが当たり前に思っている社会状況や権利も、先人が勝ち取ってきたものですが、
実はまだ達成されていなかったり、既に崩されつつあったりしているかもしれません。
いつのまにか失っている可能性もあるかもしれない。
昔はひどかった、現代に生まれて良かったと満足していてよいのか、
そんなことを考えさせられる映画です。

◇◇◇

余談。

こういう社会派映画は、プライベート空間かというくらい小さな会場で、申し訳ないくらい少人数で鑑賞することが多い。

今回の映画は、珍しくショッピングモール内のシネマコンプレックスでの上映だった。
映画館の中には12もスクリーンがあり、会場ごとに収容人数が大きく違う。
そして、いつも行く小さな劇場と明らかに客層も違っていた。


さらに、終演後、エスカレーターで日本を席巻する巨大チェーン店の内部を降りながら、
どこへ行っても同じ、やたら白っぽくて薄っぺらでチカチカする消費空間を見て、
エンタテインメント映画を否定するわけではないし、私も消費社会を享受していることは自覚しているが、
あまりにいろんな点でギャップを感じて、思考が現代日本の文化や消費行動についての方に行っちゃったのでありました。

...

いや、映画は良かったです。けっこう胸が痛む映画ですが、おすすめします。政治学の授業のネタにします。


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by chekosan | 2017-02-08 18:09 | 本、書評、映画
一日でエストニアつながりの映画鑑賞第2作目は、「こころに剣士を」です。

パンフレットをダイニングテーブルに置いていたら、男児2人が代わる代わるやってきて、
「るろうに剣心? あ、ちゃうわ」と言ったために、そう読めて仕方ないですが、違います。

「みかんの丘」はアブハジアに入植したエストニア人が主人公でしたが、
こちらは1950年初頭のエストニアが舞台の実話をもとにしたお話です。

ある過去を隠して田舎町に教師として赴任した青年エンデルが運動クラブも担当することになり、
子どもたちにフェンシングを教えはじめます。

目立つことをすれば身元がばれ、収容所送りになる危険性が高いのですが、
子どもたちの信頼に心を動かされ、彼らを全国大会に連れて行くことを決意します。

子役は達者でかわいいし、ラストに向けてハラハラドキドキ盛り上げるストーリー。
最後の方は会場中ですすり泣きが。私もダラダラ泣きっぱなしでした。


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以下は、細かいところでへえ~と思ったところです。

主人公はエストニア随一の人気俳優だそうで、彼もいいのですが、
脇役で出てくる老人が非常にいいんです。

このおじいさん、主人公の教え子の祖父なのですが、
第一次世界大戦前?にライプツィヒの大学で博士号を取ったというインテリで、
フェンシングもしていたことから、主人公たちのクラブを存続させようと支えます。

知的で、勇気があり、孫思いのおじいさん役の俳優さん、いい感じと思っていたら、
なんと「みかんの丘」の主演男優さんではありませんか!
家に帰ってパンフレットを見てから気がつきました。(^^;)

いやあ俳優さんてすごいですね。全然印象が違うんですもん。

◇◇◇

で、主人公もレニングラード大学で政治経済を学んだインテリ。
そんな人がなぜこんな田舎町の中学校の教師に?と校長は訝しがります。

運動クラブを担当しろと言いながらフェンシングクラブに子どもたちが集まると、
今度は、フェンシングなんて封建時代の競技だと潰しにかかったり。
あからさまな嫌がらせを仕掛けてきます。

この校長はいかにもソ連共産党の小役人という感じのキャラクターです。
インテリを嫌い、権力を笠に着て、人を陥れて自分の点数にしようと画策します。

でも、面白いのは、はなから潰す気ではいるのですが、
一応、保護者会の席でフェンシングクラブの存続を議論するところです。

司会は校長で、腰巾着の若い男性教師が記録役です。
もうひとり女性が前に座っているのですが、この人、編み物をしているんです。
いかに形骸化した集会かを象徴しています。

この保護者会、小学校から中学校くらいの教育機関のわりには保護者の年齢が高く、
子どもの数に比して参加が少なく思えます。

こういう集会には動員されるものなのではないのかなと思って見ていたのですが、
話が進んでいくと、そのわけがわかりました。

エストニアは第二次大戦でドイツとソ連の両方に占領され、戦後はソ連に組み込まれました。
そのために戦争や収容所送りで親を失った子が多かったからだったのです。

だからこそ子どもたちは主人公を父のように慕い、
主人公もその気持ちにこたえようと変わっていくのです。

◇◇◇

ところで前回も書きましたが、この映画でもエストニア語とロシア語が話されます。
レニングラード大学時代の友達との会話はロシア語、赴任先の現地の人とはエストニア語です。
フェンシングの全国大会はレニングラードで開催されたので、もちろんロシア語。
大人たちは普通に二か国語を話すのです。

さらに印象的なのは、エストニアの小さな町の広場に屋台が出るのですが、
そこでおかずを売っている女性が、いかにもロシアのおばちゃんという感じで、
思いっきりロシア語で主人公を呼び止めて無理やり試食をさせるんです。
それだけ見ると、いかにも田舎な微笑ましいシーンなのですが。

ソ連時代、たくさんのロシア人がバルト諸国に移住して、
エストニアの人口の2~3割を占めるまでになるのですが、
1991年の独立後、ロシア系住民の一部が国籍を失うという問題が生じます。

あの女性の子世代も、もしかすると、何十年もロシア語で生活したのちに、
高齢になって突然、エストニア語を使えと迫られるようになったかもしれない、
などと考えてしまいました。

◇◇◇

そんなわけで、奇しくもエストニアがらみの映画を立て続けに鑑賞し、
今年はバルト3国行きも考えていたので、これはもう行けという神の啓示かしらと思う半面、
やっぱりスラヴ語圏の方が落ち着くかな、なんて思ったりもした一日でありました。

それはともかく、「みかんの丘」「こころに剣士を」、どちらも良かったです。



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by chekosan | 2017-02-02 23:24 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)

今年の映画、5本目「みかんの丘」、6本目「こころに剣士を」を観てきました。

同じ日に同じ映画館で2本連続で観ることができたのですが、
これが偶然、どちらもエストニアがらみの作品でした。
出演者もかぶっています。パンフレットで復習するまで気がつかなかったのですが。(^^;)

どちらの映画も、ロシア語とエストニア語が使われていましたが、
エストニア語の部分は見事に!さっぱり!一語たりとも!わかりませんでした。

エストニアは旧ソ連の構成国でしたが、
ロシア語が属するスラヴ系の言語とはまったく違う、ウラル語系統の言葉なのです。
(ハンガリー語と近いらしいのですが、わたくしハンガリー語はわからなさすぎて音を上げた経験が…)

まったく勉強したことがないフランス語やイタリア語の方がまだ1,2単語くらいは聞き取れるかも、、
というくらい、ロシア語とエストニア語は遠いように思いました。

でも、映画のなかで登場人物たちは、普通に2つの言葉を使い分けています。
旧ソ連や東欧ではロシア語は必修だったので、ある年齢以上の人は母語以外にロシア語も使えるのです。



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さて、一本目、「みかんの丘」はジョージア(グルジア)のアブハジアが舞台です。

アブハジアは自然豊かで風光明媚なところなのだそうで、
エストニアからも帝政時代(1880年代)に多くの人が入植して集落を作っていたそうです。

ソ連が崩壊し、グルジアのなかにあったアブハジア自治共和国が独立を宣言して、
グルジアとアブハジアの間で武力衝突が起こります。

そのときにほとんどのエストニア人はエストニアに帰国するのですが、
主人公とその隣人はとどまっています。

彼らは、ほかに誰もいなくなった集落で、みかんを収獲し、みかん箱を作っています。
その彼らの家の前で武力衝突が起こります。

主人公と隣人は、重傷を負った兵士2人を主人公宅に運んで介抱します。
2人の兵士は敵同士、一つ屋根の下で一体どうなるのか、というお話です。

話の設定や予告編を見ただけで、これは面白そうだ見なくては、と思ったとおり、
いえ予想以上にいい映画でした。

映画の大きなテーマは、戦争や内戦の不条理と悲劇、土地への愛着(愛憎)、
人種、民族、宗教をめぐる対立、そのなかでの家族愛、友情がキーワードとなるでしょうか。

話の筋はだいたい予想がつくのですが、ずっと緊迫感を保って見せてくれますし、
お涙頂戴ではないリアルさがあります。ときにはちょっとニヤッとさせてくれます。
派手ではないけど心に残る作品だと思います。

◇◇◇

とりわけ主人公と隣人のコンビがなんともよい組み合わせなのですが、
パンフレットの監督インタビューによれば、ある有名な小説のコンビをイメージしているそうです。

この小説、授業で読んでいたチェコの作家ミラン・クンデラも高く評価していました。

ジョージア(グルジア)でもその小説はよく知られていて、主人公コンビのことは、
「10代に読み、ひとつの典型的な人間像として認識している」そうです。

ヨーロッパの小説や映画は、過去の作品へのオマージュ(敬意、献辞)的な表現が
埋め込まれていることが多いですね。

オマージュと言えば、この作品の監督(ザザ・ウルシャゼ)は同じインタビューで、
「黒澤明監督は子どもの頃からの偉大な存在で、「羅生門」の感動はずっと心に残っています」
と話しています。黒澤監督、欧州の映画人に影響力大ですね。

◇◇◇

細かいところでは、主人公のお家の内部がいいんです。
外観からすると中もさぞ簡素で殺風景なのだろうなと予想させておいて、裏切ってくれます。

家族はいなくなって、いまや主人公の老人一人暮らしなのですが、
かわいい壁紙が張られていて、家具もちゃんと磨かれて、タオルは真っ白で清潔、
花(だったか)の模様のカップにしゅんしゅん沸いたお湯でお茶をいれて、
手作りの具が入ったスープに香草をパラパラ振るシーンなんかもあって、
きちんと生活している感じが出ているのです。

山の中で電気が通っていないので、マッチを擦ってランプに火をともしますし、
水洗もないので、小さなタンクみたいなのから水を落として手や顔を洗っています。

1990年代初頭としては、インフラ的には遅れていると言えば遅れているのですが、
自分たちで作り上げてきた家を大事に維持して暮らしている様子にたまらなく惹かれました。

◇◇◇

ということで、初のジョージア・エストニア共同制作という本作品を観て、
コーカサス地方の歴史や民族の複雑さや、内戦がもたらした悲劇にあらためて思いをはせ、
間を置かずに、今度は第二次世界大戦後のエストニアを舞台にした「こころに剣士を」です。

つづく。




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by chekosan | 2017-02-02 15:58 | 本、書評、映画 | Trackback | Comments(0)