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by chekosan

『存在の耐えられない軽さ』をみんなで読んだ@同志社「特殊講義ロシア・東欧の政治と社会」

同志社大学法学部の「特殊講義 ロシア・東欧の政治と社会」、
前回はちょっと脱線して村上春樹『1Q84』でしたが、今回からは真っ向勝負、ミラン・クンデラです。


クンデラの『存在の耐えられない軽さ』は1984年に発表された小説です。
1988年に映画化され、日本でもちょっとしたブームになりました。

私も学生時代だったか院生時代だったかに読みました。
が、細かいところはさっぱり忘れており、今回ノートを取りながら再読して、
こんな話だったか! こんな構造だったか! と唸りながら面白く読みました。


建国の父といい、反体制運動家のちの連邦大統領といい、世界的ベストセラー作家といい、
チェコ(スロヴァキア)は哲学な人に満ちている。。。


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この作品、帯にあるように「愛のクァルテット」の「ラヴストーリイ」には違いないのですが、
普通にお話が時系列で進んでいくわけではありません。

のっけからニーチェ。読者を選んでいるのかと思わせる出だしです。

男女2組(と言えるのか微妙…)の恋愛、性愛、夫婦愛が軸ではありますが、
それを題材に、クンデラが人間性や人生、社会について、
あれこれ、洞察、考察、思考を繰り広げ、深めていく部分が、むしろ読みどころです。

主な登場人物4名の視点から、出来事と心情が描かれ、
それをクンデラがいわゆる「神の視点」から解説をするというパターンが繰り返されます。
それも、明確に「私はここで~~といっておきたい」というような表現で。

あくまでこれは「小説」、つまり、私=クンデラが作ったものですよと
身も蓋もなく提示しているわけなのです。

言い換えれば、小説という形を借りて、
「人生における偶然とは」「重さと軽さとは」「人生や歴史は繰り返すのか一回限りなのか」
「愛とはなにか」「神とは」「キッチュ(俗悪なもの)とは」等々について
クンデラが思索を深めていく過程を追っているような作品なのです。

こんなの、下手な作家や素人がやったら野暮なことこのうえない。
その点、クンデラはさすがに上手い、すごいと思うのですが、ちょっくどいと思わなくもない。
読書サイトでも、「難解」とか「わけがわからない」とかいう評が多発しているようです。

確かにスー―っと読める小説ではない。
でも、考察部分を飛ばしたり、いいかげんに読んでしまうと、
7割がた読む意味がなくなると思います。

恋愛やら性への姿勢には親子関係が深く影を落としていたり、
女性の精神的・経済的な自立やアイデンティティの確立もまた、
家族や育った環境やパートナーとの関係性が深く影響していたり、
そこに社会や政治の状況が絡んできて一層ややこしいことになったり。

でも、時代や社会状況の影響だって、どこまで個人の人生に決定的なのかはわからない。
人生に分岐点はいくつかあって、違う人生もありえた、
だからといって違う道を選んでいたらどうなっていたかはわからない、、、、

そういう枝葉的なところを読み落とし、
別の視点から自己や他者を見るという過程を省いてしまうと、
単なる「好色一代男とその女たち」な小説になってしまいます。

まあそこも結構面白かったりするんですが(笑)
200人と、って、、いやはや、、 (^-^;


授業では、哲学的考察をしている部分について、いろいろ語り合いました。
一部、ちょっとわからないなあ、というところもありました。

結果、クンデラを一作で終わるのはもったいないということで、
次作、次々作もクンデラの代表作を読むことにしました。

これをどうやって映画にしたんだと気になって仕方ないので、DVDも注文しました。


クンデラ月間、まだまだ続く。
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by chekosan | 2016-11-30 16:21 | ロシア・東欧に関する授業@同志社 | Trackback | Comments(0)