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中・東欧、ロシア、大学教育、美術展、映画鑑賞などなど


by chekosan
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チェコ訪問記(1995年9月)

インターネットの契約変更に伴い、
かつて作っていたホームページが消滅すると思われるので、
一部をちょっとずつこちらに移動させていきます。
以下は、20年前のエッセー。国際親善の団体の機関誌に寄稿したものです。
懐かしい…!


ーーー

プラハを訪れて、その美しさに感動しない人っているかしら、と思う。

近頃、新聞広告や旅行社のパンフレットで、「東欧周遊の旅」「プラハ・ブダペスト・ウィーン8日間」なんていうのがよく目につく。私がチェコに関心をもっているからということもあるだろうが、実際日本からの観光客は年々増えているようだ。


初めてチェコスロヴァキア(当時)を訪れたのは1992年の冬。大学の卒業旅行に、「若いうちでないと行けないところへ」と友人と二人、決死の覚悟で行ったのはほんの数年前のこと。当時は東欧方面のパックツアーなんてほとんど見当たらなかったし、どうせ行くなら自由旅行で、と自分達で色々手配することにした。在日チェコスロヴァキア大使館に電話でビザの書き方を尋ねて、「こんなこと聞いてくるの初めてですよ。忙しいんだから、まったく。」と怒られて憤慨したのも今は昔。最近では日本語の「記入例」がちゃんともれなくついてくる。個人旅行者がそれだけ増えたのだろう。隔世の感がある。おおげさか。


ビザの一件で、やっぱりチェコって不安かも、と思ったのは事実だ。案の定、パリからの飛行機は最終便だというのに遅れる。プラハの空港に着いたら、とっぷりと日が暮れ、バスがない。無謀にもそこらへんのおっちゃんの車で予約していたホテルへ連れていってもらう。無事ホテルに着いてほっとしたら、スーツケースの中の現金4万円が抜き取られていた…。さんざんだ。(ちなみに、車のおっちゃんの名誉のために、彼には盗むヒマはなかった。おそらくどこかの空港でだろう。貴重品は手から放さず、という大原則は必ず守りましょうね、皆さん。)


こんな旅の始まりだったが、それでもプラハの美しさには一瞬で魅了されることになった。真冬で、一日の間に晴れたり曇ったり、と気象条件も悪かったのに、青空のもと、雪のなか、夕暮れ、月夜、どんなシチュエーションでもプラハは似合うのだ。夕暮れのカレル橋から見るライトアップされたお城、群青色の夜空にぽっかりと浮かぶ金色のお月さまとティーン教会…。ほんとに現実なのか…。そのあと訪れたブラチスラバ、ブダペスト、ウィーンも美しい街だったが、私の頭のなかはすっかりプラハでいっぱいになってしまった。


帰国して早速、これら中欧の国々に関する本を色々読みあさった。加藤雅彦『ドナウ河紀行』、ブラスタ・チハーコヴァー『プラハ幻景』、宮本輝『ドナウの旅人』、高橋芳夫のプラハものミステリーや有名無名の紀行文…。どれにも共通して感じたのは、中欧を訪れた人はその魅力に抗えないということ。私もそれからずっと、チェコとスロヴァキアに関わることになったのだ。


大学を卒業して大学院へ。もともとはソ連政治を研究するつもりで進学したのが、チェコ&スロヴァキアへの関心は高まるばかり。で、研究対象はちょっとばかり西へ移動することになった。マイナーなものに取り組むには苦労を伴う。チェコ語にしても、修士論文にしても。だが卒業旅行からちょうど1年、再び訪れたプラハはやはり尽きることのない魅力にあふれていて、チェコに関わることのできる幸せを再認識させてくれたのであった。


この2度目の訪問はチェコ語研修が目的。プラハの中心街にある国立語学学校のチェコ語コースに参加した。本来は1年とか長期にわたって中級程度の人が参加するコースなのだが、私は1ヶ月半しか参加できない上に一言も喋れない。授業の流れを止めることもしばしばだった。言葉を喋れないというのはこんなに無力を感じるのか。大きなショックであった。


しかし、ホームステイをしながら通っているうちに、まさに砂地に水がしみていくようにチェコ語がわかっていった。それも日常生活の中でホストマザーが忍耐強くチェコ語で語りかけてくれたお陰だ。使う言葉や文例は最初は少なくて単純だけど、それらを何度も使っていくうちに言葉を体得していく過程を実体験したかのようだった。


このときのホストマザー宅に、翌年の夏(94年)もお世話になった。日本で水不足が深刻だったこの夏、ヨーロッパも異常気象で連日30度を超える猛暑。普段涼しいチェコには、冷房どころか扇風機さえない。暑さに気が遠くなりながらのカレル大学でのチェコ語研修は、だが、楽しい思い出となった。


夏休みを利用しての日本からの参加者も多い。前回は日本語が使えない状況でチェコ語にどっぷり浸かるという貴重な経験をしたが、今回のようにチェコ語を学ぶ日本の友人を得られたというのも大きな収穫だと思う。コースは午前中語学、午後には多様なプラグラムが用意されていた。なかでも市内の歴史的建造物の見物のあと友人と飲む一杯のビールは格別で、土曜日の日帰りバス旅行とともにしっかりと記憶に残っている。
チェコ訪問記(1995年9月)_b0066960_11313598.jpg


ところで、夏のチェコの風物詩といえば「ハタ」と呼ばれる山の別荘でのバケーション。プラハの人達は多くが別荘をもっているといわれる。私のホストマザーも娘さん家族と毎年山の別荘に避暑に行っているそうだ。今回、前年の冬の研修でお世話になった先生のハタを訪問する機会を得た。ゆったりとしたお庭にはテーブルセットが置かれ、チェコのお菓子と紅茶をいただきながら、お話をし、歌を歌う…。そんな映画のひとコマのような午後であった。


ホストマザーや学校の先生達を通して見るチェコの家庭は暖かくて、結びつきが強い。好奇心旺盛な子供達、きちんとそれに答えるお父さん、お母さん。おばあちゃんの存在も大きい。個々の家族の独立性と縦の世代のつながりとのバランスがとてもうまくとれているように感じた。


友人とのお付き合いもチェコの生活の大切な一部だ。冬の週末は決まって誰かが訪ねてきたり、行ったりする。特別なご馳走を用意するわけではないが、手作りのケーキでおしゃべりに花が咲く。季節季節には「友達の誰それさんのお母さんの庭でなった果物のジャム」やなんかが食卓に登場する。チェコの生活の豊かさを感じるひとときだ。


街も、そこに住む人々も、知れば知るほど好きになっていくものかもしれない。何度訪ねても飽きることはなさそうだ。時にはプラハを離れ、チェコの各地を訪れる。それぞれに魅力に富んだ街がまだまだあって、これからも少しずつ訪問していくつもりだ。スロヴァキアにも久しぶりに足を向けたいし、他にも訪ねたい国や街がいっぱいある。いつ、どこに行こうかな、なんて計画をたてていると時間を忘れてしまう。


でも、きっとどこに行っても、私はやっぱりチェコが一番好きだろうな、という予感がする。

(初出『JICインフォメーション』関西版 第62号 1995年9月10日発行)
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ホストマザー宅には、その後も2回ホームステイさせていただきました。
一度は夫と、一度は友人と。
「3人目の娘」とかわいがっていただきましたが10数年前に亡くなられました。
今年こそお墓参りに行きたいと毎年思いつつ、長らくチェコに行けていません。
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by chekosan | 2015-09-21 10:42 | 書いたもの | Trackback | Comments(0)